2005年11月01日

日米安保体制の見直しを「対米戦略の切り札」とせよ!

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  小泉内閣の最重要課題は日米の戦略的提携『共同覇権』の構築だ。

第3次小泉内閣が発足した。安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣、中川昭一農水大臣などの頼りになる政治家がおり、その意味では安心感がある。しかし、このブログで何度も書いているように、日米関係こそが最優先課題となる。

いくら家に立派な家財道具や電化製品を並べても、ならず者に押し入られて占拠されてしまったら、それこそ何にもならない。その意味からすればならず者に押し入られないように常に守りを固めておかねばならない。

日米関係とはまさに守りを固めるためには、絶対におろそかに出来ない、最重要な政治課題である。日米安保体制をより堅固なものにするためには、どうすればいいのか?それが現在の東アジアの情勢を考えれば急務となる。

共産中国の脅威に如何に立ち向かっていくのか。日米同盟は今新たな使命を担っている。普天間基地の問題もようやく政府間レベルでは決着をみたが、これから沖縄県民の理解を得るという一番難しい交渉に入らなければならない。

防衛長官に額賀福志郎氏が選出されたが、この人はこの問題を解決するには適任である。額賀防衛長官と沖縄担当大臣の小池百合子環境大臣には、小泉首相も期待をかけている。しかし、この問題は「丁寧に説得して、意見調整して理解を得る」(額賀氏の就任会見での談)という技術論法だけでは前には進まない。

民主党の前原代表は30日放映のフジテレビ『報道2001』で、米軍の駐留目的を極東の平和維持に限定した日米安保条約の極東条項が「さらに空文化してきた」と批判したうえで「極東条項に対する解釈の変更、或いは再定義を国民に問うべきだ」と述べた。

彼がどのような日米関係の再構築を考えているのかは定かではない。しかし、この前原代表の主張にも一理あると思う。何故ならば、今日の日米安保とは本質的には片肺条約であり、日米の従属関係に根差しているのは違いはないからだ。

よく戦後の日米関係とは米国への一方的な追従であり隷属関係だと言う人が多い。であるなら、これを対等の関係に持って行くにはどうすべきなのか?先ずそれを徹底的に論ずるべきではないのか。

私は「日米安保体制の見直しを『対米戦略』の切り札とせよ!」と以前から訴えてきた。日米安保体制は日米だけのものではなく、それはアジア・太平洋地域の平和と安定にとって必要不可欠のものである。

今共産中国がこの地域における軍事力を急激に増大させており、日米を分断させて、自らの勢力範囲として覇権を打ちたてようとしている。この脅威に対峙する道は日米安保体制を根本的に見直し、アジア・太平洋地域において日米が共通の認識を持ち『共同覇権』を握ることである。

そのためには日米安保条約の質的変化を行なう時でもある。軍事的なものを強調するのではなく、国家生存と繁栄を目指す総合的なものとすべきである。そこには食糧とエネルギーも加え、それらを総合的に包括した「戦略的提携」が望ましい。

米国の言いなりや、ご機嫌を取ることが「対米協調」ではない。両国家が21世紀の世界の平和と安定に如何に貢献できるのか、それを互いに話し合い、協調関係を構築することが大切である。『日米共同覇権』こそは21世紀に向けた日本が取る国家戦略であると考える。

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2005年10月27日

日米同盟の危機を回避、より堅固な防衛体制の構築へ

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本土防衛の要、沖縄基地問題が解決へ

 日米両国は沖縄における米軍の普天間飛行場の移転先について、日本側が示していた「沿岸案」を米国が受け入れる形で決着したと発表した。これで日米間の懸案だった基地問題がひとまずは政府間においては合意が得られた。

 次に沖縄県民の理解を得る番となるが、確かに沖縄には米軍基地そのものに反対する人達も存在する。しかし、日本国家防衛の要であり、ここは十分理解の上で受け入れを御願いしたい。

これまでの沖縄における反基地・返還運動については、当ブログにおいて我々<極右>の考えと立場は表明してきました。    是非参照して下さい。                    http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/31109634.html

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/31119323.html

 東シナ海は共産中国の石油油田の採掘開始や度重なる中国軍の領海侵犯などで、“一触即発”の海となった。いつ何時、日本の自衛軍と共産中国軍の間に<偶発的な軍事衝突>が起きるか分からない危険な状況となっている。

 共産軍はこの<偶発的な衝突>を一つのきっかけとして、尖閣列島や石垣島などへの侵攻を開始するかも知れない。その時に最前線に立たされるのは沖縄の在日米軍とわが国の自衛軍である。

 もしも、日米両政府がこの問題でこじれ亀裂を深めていたら、日米同盟がすぐに起動しない最悪の事態も考えられたが、それが避けられとりあえずは安堵した。しかし、日米の連携と強化はこれからの課題であり、敵の侵略から祖国日本を守るためには、より以上の緊密な同盟関係の構築が求められている。

 我々《極右》は以前より、『日米共同覇権構想』を提唱してきた。日米同盟を日本側の米国に対する一方的な追従とか隷属であると批判する勢力が存在する。これらの主張は日米の離反を計る「反日勢力」だけでなく、保守派と呼ばれるグループにもある種のシンパシーを与え続けてきた。

 我々《極右》は日本の自主独立、自存自衛を掲げてはいるが、残念ながら日本単独では共産中国の脅威に立ち向かうことは出来ない。そこで一方的に米国に依存するのではなく、日本も積極的に米国と対等な立場で共産主義の侵略行為に立ち向かうことを訴えてきた。

 共産中国の軍備拡張・冒険主義、帝国主義に対して、『日米共同覇権構想』を一日も早く確立して、対峙することが日本の生き残りをかけた国家戦略である。

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2005年09月18日

国連改革を真に目指すなら、台湾追放決議の取り消しを訴えるべきだ。

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     国連創設60年の歴史の中で汚辱の一項は「台湾追放」だ。
 
国連は創設60周年を迎えた、加盟国は創設時の4倍近くの191ヶ国に膨らんでいる。現在、世界の何処かで大規模な国家間の紛争や戦争状態が起きた時、直ちに国連は行動を起こすことが可能である。
 
しかし、残念ながら国連が全く力を行使することが出来ない事が一つだけ想定される。それは共産中国による台湾への軍事侵攻である。中共はこれまで何度も「台湾が独立を宣言すれば軍事侵攻を行なう」と繰り返し述べている。
 
台湾はかって国連に加盟していたが1971年に追放された。台湾は中国の一部であるとの考え方から、中共が中国を代表するものとされ、中華民国(台湾)は追放、代わりに中共(中華人民共和国)が唯一の正当政府となりました。
 
世界平和を標榜する国連が、何の誤ちもなく、その開設以来の協力国だった加盟国を一方的に追放した。これは当時の世界情勢の中で1400万・台湾人が大国のご都合主義の犠牲にされたのである。
 
国連の60年の歴史に残された汚辱の一項である。ただ昔は民族は同一だったという、それだけをもって「中国は一つなり」という愚論の側にたったのである。
 
これが全くのまやかしであることは歴史が証明しています。毛沢東の共産軍から追われて逃げてきた蒋介石の軍閥が台湾を支配下に置いたのであって、台湾の人達が自由な意志に基づいて創った国家ではなかったのです。
 
中共と台湾は分裂国家と考えるか、或いは台湾は中国の一部ではなく、独立した国家と考えるべきなのか。その事についてはここでは触れない。
ただ、分裂国家とした場合、かっての東西ドイツや朝鮮半島のように国連はその加盟を認めていた。
 
分裂国家の再統一、と融合、新国家の誕生、そのことに国連が平和的な手段によって関わろうとするのは当然のことではないか。将来いかにして難問題を解決するのか<その責任の一端を担うのが国連としての本来の役割であった筈だ。
 
それを大国の思惑や都合によって、加盟国を国連外にたたき出すなど全く許されることではない。当時日本では「世界の大勢」とか「歴史の必然」などと言ってこれを歓迎した。馬鹿馬鹿しい限りであるが、それが情けなや日本の当時の世論であったのである。
 
さて、国連の60周年という節目の時を迎え、国連の包括的な改革を目指す動きが出ている。日本も安全保障常任理事国の枠を拡大して、その仲間入りを果たそうとしたが叶わなかった。
 
日本の戦略が挫折した背景には中共のなりふり構わぬ反対運動があった。日本はこの中共の反対運動に敗れた。例え今後どうような活動を行なっても再び中共によって阻止されよう。
 
であるなら、中共を牽制する目的を兼ねて、台湾追放を決めた1971年の国連総会での第2758号決議(アルバニア案決議)の破棄を国際社会に訴えたらどうか。
 
勿論日本単独ではやれない。これは米国との緊密な提携のもとに進めるべきである。もし万が一、共産中国が台湾に軍事侵攻を開始したとき、国連は中国の内乱騒動として、これを傍観する危険性もあるのだ。
 
 
  
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2005年09月16日

国土防衛の要、沖縄の基地問題を真摯に語れ!その��

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   日米安保によって守られ繁栄してきた戦後日本
 
日米政府は混迷していた米軍普天間飛行場の移設問題で、新たな海上施設の検討に入ったことを明らかにした。自衛隊も共同使用するもので、これを機に一段と自衛隊の役割は高まる。
 
さて、昨日からお伝えしているこの沖縄と米軍基地の問題であるが、本土復帰30年となった沖縄では「米軍基地がある限り戦後は終わらない。』と言った声も多数だ。しかし、緊迫する東アジア情勢を見た場合、沖縄こそは本土を防衛するにあたり、その戦略的価値は計り知れない。
 
この問題に頬かむりをして日本の防衛など考えられないし、ましてや私が提唱する『日米共同覇権構想』も、日米安保と沖縄の基地があって始めて成り立つものである。しかし、当の沖縄に於いては「自分達はこれまで犠牲になってきた。」という考えはあっても、「積極的に貢献してきた。」という考えは少数だ。
 
これは左翼が主導してきた米軍基地返還闘争によって、沖縄には特殊な心情が形成されてしまっているからだ。このような心情を放置したままでは、いくら沖縄が地理的に共産中国からの侵略の最前線に立っているとしても、それを跳ね返す気概は生まれてはこない。
 
戦争とは近代的な兵器がその勝敗を決定づけると考えられがちだが、それとは別に<国を守るという気概>が最も大切である。それにはしっかりとした日頃からの国家観なり民族として意識が重要である。
 
にも関わらずこれまで、日本政府はその点をなおざりにしてきた。今般の選挙においても、その辺りをどれほど訴えていたのか疑問に思う。民主党がまるで沖縄は日本政府の主権から離れても良いというようなマニフェストを出していた以上、この事については徹底的な批判が加えられて当然だった。
 
現在日本にある米軍基地は、米国が領土の侵略を目的として在るものではない。日本の敗戦という厳然たる事実は確かにあるが、それは日本と極東の平和と安全、共産主義国家(旧ソ連・中共・北朝鮮)からの日本の防衛を保障した日米安保条約の締結によって米軍に提供されたものである。
 
この認識が先ず第一であらねばならない。左翼や一部の新保守派は米軍によって侵略・占領されていると考える。そのような日本敗戦からの継続体制と見る限り、基地問題の正しい理解には程遠いものがある。
 
今更言うまでもないが、この安保条約とは片肺で米軍は日本の防衛に義務は負うが、日本は米国の防衛には義務を負わない。ただし、日本は日本を米軍が防衛するための必要な基地を提供することを条件として受け入れている。
 
これは発足当時の国力の差や諸般の事情を考えれば止む得ないものがあった。日本が基地を提供し、米軍は多額の軍費と米国人の生命をかけて相応してきた。この結果として日本の独立と繁栄が守られてきた事実を忘れてはならない。
 
よって、日米安保体制がある限り、基地問題とは戦争によって失った領土の失地回復の闘いではないし、またあってはならなかった。したがってそれは民族解放の闘いでも国家間の紛争でもなかった。
 
しかし、左翼はそのように見せかけることによって、日本人のナショナリズムをくすぐり、自らの勢力拡大に利用してきた。基地周辺の住民や沖縄の人達は「日本政府と米軍」ともう一つ「左翼反日勢力」によって二重に苦しめられてきたのである。
 
我々は国家の最大にして最高の至高である、「国土防衛」の最前線に立って戦ってこられた沖縄県民に心からの尊敬の念を表したい。と同時に沖縄の人達には誇りを持って頂きたいと願うものです。
 
基地とは日本国民の宝であり、それに関わる全ての人には等しく名誉が与えられなければならない。基地に関わる社会生活の不便さや環境問題については、国家は全責任を持たなければいけない。心からの対策、保護・補償は当然であり、手厚い財政的支援も当然であろう。
 
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2005年08月23日

国家の衰退をもたらす経済の自由化と市場開放

「ほんの一握り」のアメリカンドリームの体現者の影に何千万人の絶望者が存在する。それでも米国は衰退しない。しかし日本は別だ、国家の瓦解は既に始まった。
 
「官から民へ」その標語だけが新聞、テレビなどのマスメディアを駆け巡っている。経済の国際化、より一層の市場の自由化、それらのスローガンも声高に叫ばれ、まるでこのままではその流れの中に一飲みされてしまいそうな勢いで迫りつつある。
 
自民党が郵政反対派の選挙区に擁立したのは外資系証券会社の女性重役であり、同じく外資系証券会社と結ぶことによって、巨額の資金を得て一躍時代の寵児となったライブドアの堀江社長。このような人達は現在の資本主義市場における所謂“勝ち組”であり、マスコミは彼らを時代を切り開く先駆者として持ち上げている。
 
多くの一般大衆はこのような“勝ち組”に対して羨望の眼差しで見つめている。あわよくば自らもそのような成功者となりたいという願望をマスコミは上手にくすぐる。しかし、これらの成功者は現代社会において、極めて少数であり、それは何百万の中の一人に過ぎない。
 
現在の日本の経済社会が米国をお手本として進んでいることは今や誰の目にも明らかだろう。では米国とはそれほどに立派な国家なのか?
外の世界から見る米国という社会は自由と平等と豊かな国に見えるが、その実情は人種差別と貧富の差が拡大する絶望と退廃の国に他ならない。
 
貧しい国を捨てて米国に流入はしたものの、袋小路の「出口なし」であったら、麻薬と暴力とセックスに溺れるしかないのが悲しいかな現実である。しかし、米国の白人社会にはそのような国家を変えていこうとする宗教的なルネッサンス運動が始まっている。
 
よって近い将来後戻りがなければ再び建国の精神を樹立して困難を克服しよう。つまり、「ほんの一握り」のアメリカン・ドリームの体現者の影には、何千万人もの絶望者が存在しているが、そのような経済的な絶望者に対して、新たなる希望を与えられる国家であることも事実なのです。
 
翻って日本はどうか?日本は見事なまでに町人と成り下がり、一億総国民がカネに目がくらみ、中でも度が過ぎる人達は意味もなくヘラヘラ愛想笑いしながら商道を語るのみである。
 
国内において貧富の差があっても、国家がそれなりの栄光と誇りを持つなら国民宥和の道を選択して団結する方途もある。しかし、日本のような場合、商人国家に成り下がり、その余りにものアキンドぶりに世界から顰蹙をかっているような国が、益々一部の富める者と大多数の貧しき者とに分離したら一体どうなってしまうのか。
 
公共性という言葉が片隅に追いやられ、利益追求だけが前面に出てくる社会の到来は、やがて国家の衰退をもたらす。堀江社長のような「僕の国家観は世界は一つ」(今朝の産経新聞)のような言動は、まさしく日本という国家の衰退を彼らなりに読み取ったからであろう。
 
我々<極右>は新国家主義を掲げる。個人の利益追求は、国家の枠組みの中でのみ許される。この鉄則を絶対の論理として掲げ国家の衰退阻止ために闘う。
 
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Posted by the_radical_right at 06:52 │ mixiチェック