「ほんの一握り」のアメリカンドリームの体現者の影に何千万人の絶望者が存在する。それでも米国は衰退しない。しかし日本は別だ、国家の瓦解は既に始まった。
「官から民へ」その標語だけが新聞、テレビなどのマスメディアを駆け巡っている。経済の国際化、より一層の市場の自由化、それらのスローガンも声高に叫ばれ、まるでこのままではその流れの中に一飲みされてしまいそうな勢いで迫りつつある。
自民党が郵政反対派の選挙区に擁立したのは外資系証券会社の女性重役であり、同じく外資系証券会社と結ぶことによって、巨額の資金を得て一躍時代の寵児となったライブドアの堀江社長。このような人達は現在の資本主義市場における所謂“勝ち組”であり、マスコミは彼らを時代を切り開く先駆者として持ち上げている。
多くの一般大衆はこのような“勝ち組”に対して羨望の眼差しで見つめている。あわよくば自らもそのような成功者となりたいという願望をマスコミは上手にくすぐる。しかし、これらの成功者は現代社会において、極めて少数であり、それは何百万の中の一人に過ぎない。
現在の日本の経済社会が米国をお手本として進んでいることは今や誰の目にも明らかだろう。では米国とはそれほどに立派な国家なのか?
外の世界から見る米国という社会は自由と平等と豊かな国に見えるが、その実情は人種差別と貧富の差が拡大する絶望と退廃の国に他ならない。
貧しい国を捨てて米国に流入はしたものの、袋小路の「出口なし」であったら、麻薬と暴力とセックスに溺れるしかないのが悲しいかな現実である。しかし、米国の白人社会にはそのような国家を変えていこうとする宗教的なルネッサンス運動が始まっている。
よって近い将来後戻りがなければ再び建国の精神を樹立して困難を克服しよう。つまり、「ほんの一握り」のアメリカン・ドリームの体現者の影には、何千万人もの絶望者が存在しているが、そのような経済的な絶望者に対して、新たなる希望を与えられる国家であることも事実なのです。
翻って日本はどうか?日本は見事なまでに町人と成り下がり、一億総国民がカネに目がくらみ、中でも度が過ぎる人達は意味もなくヘラヘラ愛想笑いしながら商道を語るのみである。
国内において貧富の差があっても、国家がそれなりの栄光と誇りを持つなら国民宥和の道を選択して団結する方途もある。しかし、日本のような場合、商人国家に成り下がり、その余りにものアキンドぶりに世界から顰蹙をかっているような国が、益々一部の富める者と大多数の貧しき者とに分離したら一体どうなってしまうのか。
公共性という言葉が片隅に追いやられ、利益追求だけが前面に出てくる社会の到来は、やがて国家の衰退をもたらす。堀江社長のような「僕の国家観は世界は一つ」(今朝の産経新聞)のような言動は、まさしく日本という国家の衰退を彼らなりに読み取ったからであろう。
我々<極右>は新国家主義を掲げる。個人の利益追求は、国家の枠組みの中でのみ許される。この鉄則を絶対の論理として掲げ国家の衰退阻止ために闘う。
ブログランキング参加中 応援頼みます。
