変革期における政治・思想の哲学とは何か?
本当の意味での「非常時!」はこれからやって来る。
歴史の変革期に直面した祖国の命運の危機は、大袈裟に言えば今回の解散総選挙のドタバタに見ることができよう。まるで維新の往時を彷彿させるに似ている。
中世的な派閥力学の泥沼の安寧が破られ、かって開国か攘夷かで激しく揺れ動いた幕末期の再来にも見てとれる。小泉開国派は外資系証券会社の女性部長や外資系証券に転換社債を引き受けさせ、その資金で日本放送の乗っ取りを策したライブドアの堀江社長など、そのメンバーを見ても明らかに開国・開放派だ。
対して攘夷派は小林興起前議員の「郵政民営化は日本国民の大切な郵貯を外資に差し上げるものだ。」との主張の通り開国反対、鎖国攘夷派と言ったところか。
この戦いは現在のところ開国・開放派に有利に展開しているようだ。一般大衆は商業マスコミのタレ流すワイドショー的な番組に惑わされ、ことの本質から目を逸らされて踊らされてしまっている。
今日の事態を時代の寵児ともてはやされている堀江社長は「非常時だ!」と語った。確かに変革の激動は祖国の岸に押し寄せている。国家の命運を左右するものは、政治家の理念であり、精神であり、行動力である。
しかし、今その気概を感じさせる政党、政治家が果たしているのか?
変革とは容赦なく過去の政治・経済・文化・思想・宗教全ての体制そのものを突き崩すものでなくてはならない。
しかるに今提唱されている変革とは、利己的世界観の中にあって、変革の歴史的な使命とは関係なく、ただ議会で勝敗を争うに過ぎない。
このようなまやかしの変革騒動に組する訳にはいかないが、全く無関心を装うのも問題だろう。今一般大衆が「政治」に参加する道は、この選挙の機会くらいしか与えられていないからだ。
変革には興味があっても革命(維新)には怯える既成政党には我々<極右>は関心を持たない。「非常時」とは大衆社会の危機を指すのではなく、国家の危機的状況を指すのだ。私はまだその段階には至っていないと考える。
国家が危機に瀕した時こそ非常時であり、その時は国家の権威を解せぬ政治家は必要としない。外国からの脅威とは今問題となっているような経済開放の声などとは比べようもない筈だ。
外国からの脅威が現実のものとなった時、支配される危機に直面した時、その時は選挙など何の意味もないだろう。外国の武力的な脅威に直面した時、銃口から政権が生まれることを歓迎する。
この意思を今の時点で明確に表明することの出来る勢力こそ<極右>である。
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