2024年12月06日

自叙伝 荒巻丈

荒巻丈 <joe.aramaki@gmail.com>


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荒巻丈 <joe.aramaki@gmail.com>

荒巻丈 <joe.aramaki@gmail.com>


以上


古いメールがあり万願寺デモを私が主催した時にしばき隊20人が

一人の荒巻l君を襲いかかるというなんとも卑劣な連中です


この万願寺デモは「福島原発事故と左翼」と言う本に書きました


原発事故後の再稼働を求めるデモで、それまでの動きと緊迫した一週間


をドキュメント風に追ったものです。しかし本当にしばきたいという


奴らは卑劣な奴らでした、荒巻君は誰でも知っているスーパーマー


ケットの愛人の子として生まれ、親父との親子検査までしていた、


その時の裁判で敗れアルコール中毒になり、私が化粧品を作り販売


いた時には一緒に手伝いに来ていた女性と別れる時に暴力を振るい


逮捕された、面会にも行った、その女性と別れたのは別な女が

現れてから、私とも疎遠になった、その女性は私を嫌い、

会わせようとしない、いつ死んだのかも分からないし、

墓も教えてくれない


荒巻君は男組の高橋直輝(本名:添田充啓)をよく知っており、

以前は一緒に酒を飲んでいた


伊藤大介に拾われたと書いたが私は訴えられ裁判で負けた、よって


高橋の本名や住所も知っており、本当に懐かしい映像でした、


また高橋を逮捕させたのも荒巻君と私が雇ったある人物というか、


名前を明かせないが、私の右翼時代の子分の一人でした

荒巻丈君には感謝しかない、当時の弁護士がまだいるので、


その辺りは後日上京した時に聞いてみたい


  

Posted by the_radical_right at 07:22 │ mixiチェック

2024年03月08日

環衛合同ビル事件(2)

自叙伝

環衛合同ビル事件(2)

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日本民族独立義勇軍と名乗った事件は、神戸米国領事館放火事件です。
その後朝日新聞社への銃撃、射殺事件へと続き、その時の犯行声明は同組織の別動隊、赤報隊のものでした。
私は非常な違和感を覚えた。少し悩んだがこれを支持するとブログで書いた。
他の右翼団体や活動家も沈黙した。

その時に同じく支持を表明したのが安倍勉という活動家でした。
テレビの彼に対するインタビューでそれを知った。
それから彼が亡くなる前までの長い付き合いとなりました。それを知る人は少ない。

 安倍勉先生は福島で発行された雑誌の編集業務を請けており、度々福島に来ていた。
 先生は酒が好きで、その時に私もおつき合いをした。

 その前になるが、全国有志大連合という組織の全国大会や水戸大会で私に挨拶するように誘ったのも安倍先生でした。

 私の演説後、国士舘大学教授の小森義峯先生があの事件を是とするような文章を書いているのを知り、その文章を小森先生からいただいたことを紹介した。

小森義峯
1966年8月論題「連邦制度の研究」で法学博士(京都大学)の学位を受く。
1973年京都産業大学法学部教授。1973年同大学院法学研究科教授。
1984年国士舘大学大学院政治学研究 ...wikipediaより

 朝日新聞社ではあの事件後も犯人を追い続けていて、私の所に訪ねてきた。
 話は逸れますが、その前に書きたいことを思い出しました。

 私が実家で稲刈りの手伝いをしている時に数名の男がいることに気づき、何の目的かと尋ねると神戸から来た警官だと名乗ったので追い返した。

 さて朝日の記者は時効後に私の所に来た時に、無念だと語った。
 その記者に「あなたは、誰が犯人と思いますか?」と尋ねると、ある人の名を言った。
 私もそのように思いますと答えた。
 これは赤報隊のことではなく、あくまでも日本民族独立義勇軍のことです。
  
Posted by the_radical_right at 19:59 │ mixiチェック

自叙伝

自叙伝

環衛合同ビル事件


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このビルに拠点を構えたのはまだ30代の前半でした。
この時、
丁度私が福島に戻っている時にある事件が起きた。

この事件については私は自首を勧め、それに反対し逃亡したグループもいた。
この件については罪を償った人もいて現在立派に更生した人もいれば既にお亡くなりになった人も多い。よって私はもう触れないことにする。

 問題はこの事ではなく、日本
民族独立義勇軍の事です。
 私はその事件の首謀者を知る人間として疑われ、私以外と交流があった人も疑われ迷惑をかけた。

 日本民族独立義勇軍が神戸の米国領事館に侵入し松明で火をつけた事件です。
 未だ大東亜戦争終わらずの声明を出した。


「ワガグンは西南日本において米国外コウ公館をコウゲキせり」

 その後、赤報隊と名を変えて事件を繰り返したが、私は独立義勇軍の首謀者と面識はあった。その人物に違いないと確信していたことを時効成立後に訪ねてきた朝日の記者に告げた。

 それは朝日の記者が思ってきた人物と私が考えてきた人物と一致したからでした。

朝日新聞阪神支局襲撃事件
一連の朝日新聞襲撃事件の時効を迎え、阪神支局襲撃事件の捜査本部の看板を下ろす捜査員
(2003年3月11日)
  
Posted by the_radical_right at 07:46 │ mixiチェック

2024年03月04日

銀座に拠点

銀座一丁目に拠点

環衛合同ビル


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まだ30代前半のことで銀座1丁目(6丁目?)という一番地価の高いところから10分以内という場所のビルの地下と6階に入った。
1階と2階も我々が、3階には朝鮮人のグループが占拠していた。

なぜなのか? 当時私は福島県棚倉市の東駒(東菱)という酒造会社の社長をしていました。

このビルは東駒酒造が騙されて購入したものでした。
買ったものの、そのビルには既に他の者が入っていた。
そこで急遽中に入った。

地下は倉庫、2階は事務所、最上階の6階には我々が10人くらいで泊まっていた。

隊員は若い者ばかりで浮かれてあちこち遊びに行っていた。
地下の倉庫から都内の酒販売店に配達していた。


東菱酒造
ライスキー 曰く付きの酒 ウイスキー 古酒? 
東菱酒造 WRISKY43 超特選 無審査

銀座のど真ん中で日に一度、日比谷公園の浮浪者を集め酒を振る舞っていた。
その時に、
朝倉喬司という方の取材を受けた、雑誌にその内容が出たようでしたが忘れてしまいました。

※朝倉 喬司――あさくら きょうじ、本名:大島 啓司(おおしま ひろし)、1943年6月23日 - 2010年11月下旬――は、日本のノンフィクション作家、犯罪・芸能評論家、新左翼 。


 私が福島に戻っている時に朝鮮人が襲って来た、その時に駆けつけてきたのがビルの前で酒を飲んでいた、浮浪者でした。
そのボスが朝鮮人グループを刺した。
朝鮮人達はそこまでの反撃を予想していなかったのでしょう、慌てて退散した。

警察に逮捕され起訴されたその男と面会し、出て来たら
必ず来るように言ったが、現れることはありませんでした。

※米で作ったウィスキー「ライスキー」は、ひところ「ダルマ」の愛称で親しまれ、昭和の中間階級のステータスだったウィスキー「サントリー・オールド」の空き瓶を回収して洗浄したものに、「Ricekey」のラベルを貼って詰めたという。サントリーからクレームがつき訴訟事件に発展。  
Posted by the_radical_right at 07:29 │ mixiチェック

2024年03月01日

2・26事件

2007年02月26日

840

 これは『極右評論』の意見として読んで頂きたいと思います。
 最近「低学歴批判」「前科前歴批判」など、私に関する批判が2ちゃんねるなどで相次ぎました。

 中には維新政党・新風もそうであるかのような書き込みがあって、ご迷惑をかけてしまっています。
 前回の参院選に出馬した新風の方々は東大、同志社大、防衛大、早大など錚々たる高学歴の方々でした。

 ましてや、私のように若い頃のこととはいえ、司直の手を煩わせるような方はおりません。
 私が応援することで逆に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ないと思います。

 本日書くエントリーについても、2ちゃんねるなどでは、相当な批判の声があがるのではと覚悟しています。
しかし、私はこの2月26日は、どのような批判を受けようとも、この問題を避けることはありません。

 それは自分たちの思想信条として、国家社会主義を掲げ戦後における、その正統なる後継者であることを宣言している“異端の右翼”である以上、これに触れないわけには行きません。

 多くの国民は明治維新を日本の近代化の幕開けを告げたものとして高く評価しています。
 その点は国民共通の認識ではないでしょうか。
 しかし、明治維新は評価しても昭和維新を評価する人は極めて少数です。

 我々は現在“平成維新”をネット上で呼びかけていますが、
 私の頭の中では明治維新−昭和維新−平成維新とは一本に繋がるもので、決して分断されたものではありません。

 明治維新のことには触れないで、まず昭和維新について考えてみます。
 実はこの昭和維新の前に“大正維新”という名称がありました。
 明治維新はそれで終わったわけではなく、第二維新を求める声はその後も続きました。

 明治維新を未完成と捉え、あるいはこれを中途の挫折として、更なる運動によって、これを完成させようとの考えが第二維新の道でした。
 これを理論的に主張したのが国家社会主義者達であったのです。


 大川周明博士はこの第二維新を「興民討閥」の中で次のように述べていた。

「明治維新の破壊的一面は『倒幕』の一語に尽き、その建設的なる一面は『勤皇』の一語に尽きた。
大正維新においては倒さなければならないものは、黄金を中心とする財閥であり、興すべきものは国民である。
すなわち『興民討閥』でなければならない」


 この論理は大川博士だけではなく、在野の革命家・北一輝や多くの国家社会主義者共通の認識となり、その思想的影響は当時強力な力を持ちつつあった軍部の青年将校に浸透して行ったのです。


 これから先は昨年の2月26日のエントリーとダブりますが、まだ見ていなかった方はお読みください(肩書等は当時のもの)。

 今から70年前の祖国日本において、陸軍の青年将校らによる軍事クーデター事件が起きた。
彼らは「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに蹶起し重臣を殺害、首都の中枢部を4日間に渡って占拠した。

 雪が降りしきる中、首相官邸、警視庁、朝日新聞社などが次々に襲撃された。
 当時の国民に大きな衝撃を与えたであろうこの事件は、首謀者達が「逆賊」とされ叛乱は鎮圧された。

 後に2月26日に起きたことから「二・二六事件」と呼ばれるようになったが、この青年将校らの蹶起は国家革新を求めての行動であった。
 当時の我が国の社会情勢はこのブログの『反中国講座』で書いている満州問題が深刻さを増して行く頃であった。

 この事件の約一年半後には日中戦争から日米決戦に至る戦争のきっかけにもなった「廬溝橋事件」が起きた。
 日本史の中ではこの事件は暗い軍国主義の幕開けとなった事件であり、戦前・戦後を通じてこれを肯定的に捉える人は皆無に等しい。


2・26事件

自叙伝


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マキ ヤストモ政経調査会

忘れていました、さすがはマキです。しっかり書いています。
この事件に関しては自叙伝の中で詳しく書きます。
私は若い頃に北一輝にあこがれ彼の本をよく読んだ、今はもうありませません。

 北一輝の生まれた佐渡にも行きましたが、彼の足跡を示すものは何もなかった。

北一輝

 2・26事件の理論的首謀者として処刑された。
 この北の墓は大川周明の隣にあり、行動する保守の仲間と共に墓参りをした。

 私はこの青年将校については過去のブログにおいて、その心情に理解を示してきた。


以上


「我々《極右》は�狆赦属歐鍬瓩魴任欧瞳莎�した青年将校を評価する」と題して次のように書いた。

 そもそも昭和維新とは何であったのか?

「資本主義の富は一部に偏り、全国民に公平に分配されず、一方に黄金大名的な財閥の存在があるかと思えば、地方においてはその日の生活に困る農民、労働者があった。農民の子女は遊郭に売られ社会にはそれを糺す道理がない」


 だからこそ、彼らはその不条理に憤激し毅然として起ったのである。
 今日の日本と、昭和初期の経済人の心の荒廃にどれほどの質的違いがあるのか…と我々は問いたい。
中国人民解放軍に無人ヘリを輸出したヤマハ発動機のような利己的な経済人を見ると、その思いは強まるばかりです。

 我々に対する批判が強まる中で、それに迎合する右翼陣営からの批判も出始めた。
「しょせんはネット右翼に過ぎない、あいつらには何もできない」というものだ。
右翼もまた我々《極右》を好意的には見ていない。

 しかし、我々はこのような声を一切無視する。
 国家社会主義思想や《極右》というものは打算的な思想ではない。
 そこには思想的純粋性を秘めている。

 我々《極右》が現在、参院選挙において、新風を応援するのもそのためである。
 純粋に国家を思うが故に我々は応援しています。
 選挙で我々の力を示して行きたい。

 今、日本に極右が抬頭することを示すことが、どれほど反日勢力に威圧となるかは歴然としています。
 極右抬頭の空気は必ずや彼ら売国奴に威圧感を与え、財界やマスコミなどにも強い警告となるのです。

(関連記事)
大川周明先生と北一輝先生 

  
Posted by the_radical_right at 07:28 │ mixiチェック