2005年08月05日

君主国は国民の誇りです。共和国への移行には反対します。

      コメントに対して、このブログでお答えします。
2ちゃんねるサイトの思想掲示板における6年程前の激論を掲載していますが、これを見た方からコメントがありました。
 ↓のHPの方です。
 
 http://ameblo.jp/kuranobu/  「国民戦略会議」戦略的右翼のススメ
 
私は今から15年程前から「世界戦略研究所」を主宰し「ヒトラー思想のススメ」の自著もあります。この彼とは思考回路が似ているかもしれません。
   

>今の日本にはどうしても強いリーダーシップを発揮する宰相が必要です。政治的リーダーが強い権力を発動するためには、権力だけでなく国家元首としての権威が必要だと思います。(※首相公選でもいいですが、仮に日本が共和制に移行するとすればアメリカ式よりドイツ式のほうが良いと思います)


 
強いリーダーシップを発揮する宰相は今日の形骸化した議会制民主主義のシステムからは生まれないでしょう。非常時になれば祖国には必ずや偉大なる指導者が誕生します。そしてそれはそんなに遠い事ではない。

 国家元首は天皇です。君主国と共和国の違いは、やはり歴史と伝統にあります。これは絶対に譲れない一線です。

君主国は世界にたくさんあります。ヨーロッパに特に多いのですが、自らの国に皆さん誇りを持っています。

古くさい体制と思ってはいけないと考えます。

 >天皇を明確に国家元首ではないと規定して、なおかつ現在の権威を完全に保つ唯一の方法は、天皇を宗教的権威として祭り上げることだけだと思います。つまりエンペラーではなくポープとするのです。

天皇をなぜ国家元首でないと規定する必要があるのか、私には同意できません。天皇は日本の長い歴史の中で<政治的な存在>でした。単なる<宗教的な存在>だけではありませんでした。

この両方が噛み合って来たからこそ、世界でも希有な国家体制を創り上げて来たと思います。問題なのは英訳では単なるシンボルなる<象徴的な存在>こそ問題にすべきです。


  
Posted by the_radical_right at 19:25 │ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争 

虚妄の60年を一切無視する新国家創造運動の開始を宣言する。

 
        真夏の風物詩、反戦特集を嗤う。
 
政治に関心を持つようになってから、この8月という月は何故か苛立つ。
いまや夏の風物詩となった感さえある「反戦特集」である。
今年は戦後60年という節目の年でもあり、例年以上に騒々しい。
国内だけではない、共産中国などもシャカリキになって「日本軍国主義復活論」を声高に伝えている。
国内においては例年通り朝日新聞を筆頭に反日マスコミが、戦争の悲惨さのみを拡大した感情的な反戦平和論を唱えている。
笑ってしまったのは『憲法を変えて戦争に行こう』という岩波書店の単行本の宣伝である。
地方紙などは1ページ買取の全面広告だ。これは逆説で『憲法を変えて戦争に行こう』の題名の後に「という世の中にしないための18人の発言」とある。
この18人の執筆者は井筒和幸、井上ひさし、姜尚中、吉永小百合などおなじみの方々ばかりだ。
この反日知識人の頭には憲法改正=戦争という単純な図式しかない。
 
         左翼の戦略破綻と新たな策動
 
左翼にはかっては理想郷があった旧ソ連である。
しかし、そのソ連は瓦解しマルクスレーニンは歴史の彼方に沈みかけている。
左翼の戦略は米軍を追い出し、ソ連軍の侵攻を誘い、国内を混乱させそれに乗じての暴力革命によって政権を奪取するものだった。
しかし、それはもう諦めるしかない。
そこで戦略の転換を図った。それは日本国を貶めて国民を弱体化させ、共産中国の属国化への道を切り開くことである。
反日勢力の反戦平和・日本軍国主義復活論が共産中国と連動した動きとなっているのはそのためである。
 
かって一億の日本国民が民族的運命を賭して戦った戦争を、こうもいとも簡単に悪として全面否定する姿は醜悪そのものだ。
 
我々<極右>は一切の戦後的制約から自由であり、戦後60年を無視する。
 
         新国家創造運動こそ真正なる義務
 
マスメディアの60年の大罪は許しがたいものがある。
この毎年夏に繰り返されてきた反戦特集は、悲惨な戦争体験を思い出させる格好の材料として利用されてきた。
 
戦争とは悲惨なものである。そんなことは小学生のレベルでも分かる事だ。それは戦争の属性であり、しかたがない面を持っている。
戦争をことさら悲惨さと決め付けるのは、むしろ戦争そのものの意味をぼかしてしまう。
 
今我々が学ばなければならないことは一つしかない。
それは平和な時代が60年続いたが、これは何も「平和憲法」があったからではないし、反戦平和のデモがあったからでもない。
米ソ超大国の世界分割支配体制が磐石だったからに過ぎないのだ。
 
今21世は大きく変貌を遂げた、もう平和を空念仏のように唱えていても平和な時代は続かない。
今や我々自身の手によって平和は勝ち取らなければならない。
そのための我々自身の手による国家創造運動は開始された。
<極右>こそが、この国家創造運動の先頭に立たねばならない。
 
  
Posted by the_radical_right at 16:31 │ mixiチェック │青年に告ぐ! 

2005年08月04日

極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (13)

       激論となった「日本国と天皇」  その��
 
>司会の田原さんへ
 
もう少しというか、まだ言いたりないので天皇論議を続けます。
若い人達が安易に「天皇制廃止」を口にしていますが、それは間違いですとはっきり申し上げます。
また、国民投票で天皇を選ぶなどという議論に至っては、反論するのもバカバカしくはありますが、何故そのような意見が出るのかを検証する必要はあるようです。
このような考えが出て来た背景には現在の日本国憲法との係わりを指摘しない訳にはいきません。
 
『天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』(日本国憲法第一条)
 
この総意に基づくと書かれた箇所が、自分達で選ぶという発想になっているのでしょう。この象徴という呼称はかなり誤解させる言葉です。
 
>三郎さんへ
 
司会者の田原さんの了解も得たので、もう少し天皇論議を続けて見ます。
天皇とは日本の長い歴史に根ざした存在であることはあなたも認められますね。それは日本の国家の誕生から成立まで深く関わってきた事実。
もしも、新しい天皇を選ぶと言っても、それは天皇とは似ても似つかぬ権力者を選ぶことになってしまうでしょう。
我が国の議会制民主主義を一層形骸化さえ、二重権力構造を生み出しはしないか?
確かに現在の天皇は政治的な権威ではあっても権力者はありません。
しかし、国民が選挙のようなもので選んだとしたら、それは権力となってしまうでしょう。
 
もしあなたが言われるような選挙で選び、天皇の政治活動までも容認するなら、絶対的な権力者への道を拓くことになる恐れはないでしょうか?
左翼の教師は学校で「天皇は何もしないで国民の税金で食べている」などと教えていました。(私もそう教わった方です。)
 
しかし、これは国民の知恵です。何故ならば、もし天皇に経済的な自由を与えたらどうなると思いますか?
天皇家には現在政府が支出している数百倍の資金がたちどころに集まってしまうでしょう。
 
天皇は政治的な存在と同時に宗教的な存在でもあります。即ち信仰の対象でもあります。全国の神社庁は音頭を取って寄付を呼びかければ、天皇を崇拝する人々が多額の寄付を申し出る筈です。
天皇家を国民が養ってきたという封建社会からの流れは、結局のところ最良の方法であったと思います。
 
 
 
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Posted by the_radical_right at 10:38 │ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争