2005年08月11日

宰相として最も相応しい人物 

 
        憂国の論客  石原慎太郎先生
 
石原先生はこの『サンデープロジェクト』の放映の中で、幾度も共産中国をシナと表現した。
この点について田原総一郎は「なぜ、そのような蔑称と受け取られる発言を繰り返すのか」と質問した。
 
石原先生は待ってましたとばかりに次のように答えた。
「偏見ではない、シナは清が滅んでシナ大陸が大混乱に陥ったときに、孫文が使った言葉であり、私は孫文を尊敬しており敬意を持って言っている。なぜ、この言葉を日本人が使うと差別発言とされるのか?私にはよくわからない。」
 
田原は「石原さんの考えはそうかも知れないが、相手が嫌がる言葉は使うべきでないと思う」とだけ反論した。
 
私はシナとは書かずに中国と書いてきたが、必ず共産という言葉を頭にして『共産中国』と表記してきた。
現在の中国とは共産党が支配する国家であり、そこには人権も言論の自由は勿論政治活動の自由もない。
そのような国家であり、日本はまずそのことを徹底して批判しなくてはならない。
 
共産中国の軍備拡張主義は共産主義思想と深く結びついているからこそ危険なのだ。覇権主義も同様である。古来からの中華思想も根底にはあるようだが、やはり共産主義という思想は根絶しなくてはいけない。
 
これまでの日本の政治家は共産中国が政治大国、軍事大国であったために批判をためらいがちだった。今日では経済大国ともなってきた。
今まで以上にきっちりモノを言わねばならないのに、大国におもねるような政治家しかいない。
 
石原都知事が反米ナショナリストであったことは、これまでの先生の言動からも分かる。しかし、その後発言は微妙に変化してきた。
これは何も信念がぶれたとか、そういうことではない。
共産中国の覇権主義や北朝鮮の「東京を火の海にする」などの発言にも出ているような東アジアの緊迫した情勢からの判断である。
 
これまで主張してきた横田米軍基地の返還にしても、日米の共同使用から始めるべきとしている。これなども非常に現実的な発言で、これまでのような反米論者から親米論者とは行かないものの、明らかに変わられたと感じている。
 
石原先生は政治家というより思想家であると思う。
これは誰しもが認めるところでがないのか。
はっきりした思想と哲学があって、それをベースに発言されてきた。
次次と出版される本は膨大な知的の蓄積と、それを基にした発想と強力な意思がなければ続けられるものではない。
しかし、最大の原動力となっているのは国家への使命感であろう。
 
石原先生はこのテレビの対談の中で戦後日本人は国を愛さなくなった。
昔から一緒にすんでいるのに隣人を愛さない。
いかにそのような人が多くなったかを憂いておられた。
 
社会全体が何か大切なものを忘れてしまっている。これはもう人々の心が凍り付いてしまったからかもしれない。
凍りついた日本人の心に自らが「太陽」となって、いつまでも暖かい光を当てていただきたい。
 
 
  
Posted by the_radical_right at 06:06 │ mixiチェック │政局・動向 

2005年08月10日

誰が宰相として一番相応しいか!?

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田原総一朗に一喝!
 
今国民はどのような総理大臣を望んでいるのだろうか?
今回、新党の党首として名前が挙がったのが石原都知事である。
しかし、石原先生は衆議院選挙には出馬しないので総理大臣にはなれない。
だが、石原先生ほど総理にふさわしい人物は他にはいない。
わたしはかってテレビでの石原先生の発言に胸がすっきりしたのを今でも忘れない。
日曜の朝、田原総一朗の司会で放映されている「サンデープロジェクト」で、『憂国の志士・石原慎太郎VSリベラルの旗手・菅直人』の討論が行われたことがある。
石原先生は民主党を「吹き溜まりの政党で論評にも値しない」とばっさり切って捨てた。
そして「菅君にとって国家とは何か!」とその国家観を問いただした。
これは菅直人民主党代表(当時)が常々市民派の代表として、国家を蔑ろにしていると石原先生は苦々しく思っていたからだろう。
この突然の石原先生の挑戦に、菅はしどろもどろで何も答えられない。
司会の田原が見かねて「私達の戦前の時代には国家に対する忠誠が求められた、その結果が戦争・敗戦ということで、国家の価値がまったく一変してしまい…」などと国家の尊厳を傷つけるような話をはじめた。
石原先生は怒った顔で田原を睨みつけ「君、そんな自分の体験で国家を論じちゃダメだよ。国家とはそんなものじゃない」とぴしゃりと言った。
いつもは傲慢無礼な語り口の田原も返す言葉がなかった。
 
国家を語れる政治家が少ない―。
特に亀井静香議員などは「国家・国民のために」と言うが、しからばあなたにとっての国家とは何ぞや!?
 
極右は新国家創造運動を提唱しています。
石原先生こそ、現時点における希望の星であります。
 
 
  
Posted by the_radical_right at 12:03 │ mixiチェック │政局・動向 

2005年08月09日

解散総選挙・「郵政」だけではない。国家的な視点に立てば・・・

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    「郵政解散」という永田町論理から離れ国家的意味を考える
 
誰もが望まない真夏の選挙が始まる。政界“孤高の人”の決断はまさに電光石火のごとくであった。参院で否決されたら、解散総選挙には踏み切れまいとの予想は外れた。小泉首相の執念のなせるワザだ。
 
今回の選挙を永田町の権力闘争という現実面からは離れて、この日本という国家についてどのような意味を持つものなのかを考えてみたい。
小泉首相はこの度の解散総選挙を「郵政解散」と名付け、議会で否決されたものを、本当に国民が望んでいるかを問いたいとした
。
テレビを見ていたらこのように発言されていた国民がいた。
「郵政だけで後はみなリセットでいいのか?」
まさに正論ではないかと思った。懸案山積みの中で郵政だけに絞って選挙をすると言っても無理がある。
 
選挙を行うからには結果が出る。結果によって今後の動向を占うことも勿論大事だが、結果に関係なく経過の中で考えて見ることにしよう。
かっての日本の政界は左翼イデオロギーの社共とイデオロギー政党ではない自民党の戦いだった。
自民党はイデオロギーに対しては、常に現実的な経済政策で戦ってきた。
経済政策というより、現実としての「経済」をもって応えたというべきであったろう。
 
敗戦後の焼け野原からGNP世界第二位という経済的成功を見せ付けられて、その経済繁栄の味を一度味わった国民にとって、最大の関心ごとはイデオロギーではなかった。
関心ごとというのは何よりも「経済=今の生活を維持できるか」に在ったのである。
その結果が防衛などを蔑ろにしたことによって、共産中国や北朝鮮によって侮られる国家となってしまった。
 
今回もまた自民党は郵政という経済のキーワードを示して、国民に経済で選挙を戦おうとしている。確かに左翼イデオロギー政党は力を失った。
だが、周辺諸国による「外患」は激しさを増すばかりだ。
思想抜きの現実主義者の集団、これがこれまでの自民党であった。
しかし、時代は急激に変わりつつある。体制順応型政治の時代は終った。
これからの政治家は明確な国家意思を持たなければならない。
経済政策も大切だが、周辺諸国から侮りを受けない国づくりも大切である。
 
小泉首相が必ずや8月15日に靖国神社へ参拝することを信じている。
 
それが来るべき8月30日に告示される選挙において、明確な国家的ビジョンを示すことにもなるからだ。
後に予想される結果を踏まえたら当然ではないか。
民主党にも非公認組にも、そのことに賛同する人は多い。
 
イデオロギーと経済を超えて、国民の希望を結集する存在はナショナリズムしかありえない。
 
自民党とは、似て非なるナショナリストの群れである。
選挙後の日本の政界がナショナリズムを基にした政界再編となることを願う。
 
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Posted by the_radical_right at 06:33 │ mixiチェック │政局・動向