2005年08月08日
経済難民の受け入れは失敗に終わった。英国テロ事件の背景
人道的配慮から受け入れた経済難民が非人道的テロの犯人
ロンドンの爆破テロ事件で、ソマリア出身の容疑者が逮捕・起訴された。
英国には200万人程のイスラム系の移民が住んでいるが、今回の犯人はその中でもかなり異色であった。
多くの移民は旧植民地国から労働を目的として移り住み、そのまま居座ってしまった人たちである。
しかし、今回のソマリア系の犯人は難民として英政府が受け入れた人だった。
1993年頃、アフリカ大陸の東端にあるソマリアは内戦に明け暮れていた。
30万人以上の国民が飢餓に苦しむ中、国際社会は部族間の闘争と国連からの援助物質の略奪を阻止するために、米国を含む国連平和維持軍が派遣された。
しかし、ソマリアの武装勢力はこれを母国への侵略と見なして激しく抵抗した。
当初は装備面で劣る武装勢力は簡単に掃討されると国際社会は考えていた。
しかし、ソマリア武装勢力の地の利を生かしたゲリラ的戦術に翻弄され多くの死傷者を出してしまう。
特にソマリアの民衆が米軍兵士の遺体を市中引きずり廻している映像が報道され米国社会に衝撃を与えた。
米国は直ちに撤退を決意したが、この光景は米国民には忘れないものとなった。
このソマリアから多くの難民が国外に流出したが、それらの経済難民を英国社会は受け入れた。
人道的な考えからこのような人々を受け入れたのに、結果的には裏切られた思いであろう。
確かに日本にはこのような異民族は少ない。しかし、そこには移民の受け入れや流入に強く反対し運動してきた我々<極右>の存在があったことは言うまでもないだろう。
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2005年08月07日
北朝鮮封じ込め・日米と韓に温度差、今後の展開に注視
ならずもの国家(金王朝)への制裁発動なるか
北京で行われてきた6ヶ国協議は失敗に終わった。北朝鮮という国家は金王朝体制の存続にのみに固執しており、そのためには核問題では絶対に譲れなかった。
米国が最期まで平和的な核開発の放棄にまで言及してきたのは、北朝鮮がこれまで平和開発のためと称してきた原子炉で、核兵器の開発を進めて来たからに他ならない。
米国や日本が北朝鮮に対して、核開発を放棄して国際社会への義務を果すように強く求めてきたが、北朝鮮の態度はいつも挑戦的であり、今回の結末はある程度予想されたものだった。
今後の推移だが、これで日米は2国だけで北朝鮮という“ならずもの国家”に対峙することになった。
日米と他の共産中国やロシア、韓国との温度差は明らかだった。
ノ・ムヒョン韓国大統領には米国や日本と協調して北朝鮮に対処する考えは全くない。
ノ・ムヒョン政権には北朝鮮を核保有国家と認め、その立場を韓国側も「南北民族が団結して解決」する方向性に持っていきたいようだ。
つまり、韓国も言葉の上では北朝鮮の核保有を批判しているが、韓国内で台頭している若い世代の反米的な気運にこれを利用しようと考えている。
つまり、米軍を朝鮮半島から追い出した後の共産中国やロシアに対する戦略的な対抗手段として、北朝鮮の核兵器は有効性を発揮する。
発揮するどころか、それは必要不可欠のものになる。
韓国が北朝鮮の核の平和利用の道を閉ざす考えをとらないのは、南北に分断された国家の統合を視野に入れているからだろう。
韓国抜きの日米だけの北朝鮮封じ込めは極めて困難となる。
未だにイラク情勢は混沌としており、ラムズフェルド国防長官が語っているような「2正面作戦」は取りにくい。
イラク情勢が今後どうなるかによっては劇的な展開も考えられないではない。
しかし、その時も韓国の出方を慎重に見守ることになろう。
韓国はイラクにも軍隊を派遣しており、米国との協調体制に見切りをつけた訳ではない。
北朝鮮封じ込めという事になれば、米軍は日本よりも韓国軍との連携は最重要であり、その見極めが今後の最大の注目点となるのではないか。
2005年08月06日
8月6日の意味を今日に問う
「過ちは、二度とくり返しません」こそ不可解。
8月6日は、広島市民のみならず、私たち日本人が未来永劫、歴史が続く限り、語り継ぎ記憶しなければならない日である。
どうして広島をいつまでも記憶に留め忘れてはいけないのか。
反戦平和という「耳障りのよい言葉」やムードが一人歩きして、本当の意味での8月6日が無化或は風化してしまう危惧を持つのは私一人ではない筈だ。
また、同時に「平和宣言」です。「日本はかっての植民地支配や戦争で、アジア太平洋地域の人々に大きな苦しみと悲しさを与えた。私たちはこのことを申し訳なく思う。」との一説がある。
「過ちは二度と繰り返しませぬ」という言葉ほど馬鹿げたものはないし、この言葉が60年経った現在においても語られているところに、今日の社会が本質的な欠陥を抱え込んでいる証左でもある。
これでは、日本がアジアの人たちを苦しめたから原爆を投下されたと、当の日本人が主張しているのです。
米軍による無差別大量殺戮の犠牲となって、灼熱地獄の中で死んで行った同胞を、日本がアジアの人を苦しめたのだから、その罪を償わされたと言っているのだ。
戦後日本とはこのような自虐史観、東京裁判史観のみが正当化された時代である。
このような時代に我等は生まれたが、自虐史観がどれほど我等を傷つけてきたか、そして苦しませて来たかを戦後の支配して来た輩は考えたことがあるのだろうか。
8月6日の意味は二つある。その一つは原爆を投下され多くの日本人が殺されたという日であったという事。
そして、もう一つはその原因を「誤ちは二度と繰り返えしませぬ・・」としたことだ。
一体全体、何が過ちだったのか。原爆が投下されたことが罪の償いだったとは、これでは余りにも英霊を冒涜するものだ。
我等はわが国の悠久の歴史の中においてのみ、あの戦争と原爆投下を位置付け、現在の社会と対峙させうると考える。
そして、そこから祖国を建て直す。なぜなら我々<極右>以外に、この日本を立て直す者がいないと固く信じるからである。
