真夏の風物詩、反戦特集を嗤う。
政治に関心を持つようになってから、この8月という月は何故か苛立つ。
いまや夏の風物詩となった感さえある「反戦特集」である。
今年は戦後60年という節目の年でもあり、例年以上に騒々しい。
国内だけではない、共産中国などもシャカリキになって「日本軍国主義復活論」を声高に伝えている。
国内においては例年通り朝日新聞を筆頭に反日マスコミが、戦争の悲惨さのみを拡大した感情的な反戦平和論を唱えている。
笑ってしまったのは『憲法を変えて戦争に行こう』という岩波書店の単行本の宣伝である。
地方紙などは1ページ買取の全面広告だ。これは逆説で『憲法を変えて戦争に行こう』の題名の後に「という世の中にしないための18人の発言」とある。
この18人の執筆者は井筒和幸、井上ひさし、姜尚中、吉永小百合などおなじみの方々ばかりだ。
この反日知識人の頭には憲法改正=戦争という単純な図式しかない。
左翼の戦略破綻と新たな策動
左翼にはかっては理想郷があった旧ソ連である。
しかし、そのソ連は瓦解しマルクスレーニンは歴史の彼方に沈みかけている。
左翼の戦略は米軍を追い出し、ソ連軍の侵攻を誘い、国内を混乱させそれに乗じての暴力革命によって政権を奪取するものだった。
しかし、それはもう諦めるしかない。
そこで戦略の転換を図った。それは日本国を貶めて国民を弱体化させ、共産中国の属国化への道を切り開くことである。
反日勢力の反戦平和・日本軍国主義復活論が共産中国と連動した動きとなっているのはそのためである。
かって一億の日本国民が民族的運命を賭して戦った戦争を、こうもいとも簡単に悪として全面否定する姿は醜悪そのものだ。
我々<極右>は一切の戦後的制約から自由であり、戦後60年を無視する。
新国家創造運動こそ真正なる義務
マスメディアの60年の大罪は許しがたいものがある。
この毎年夏に繰り返されてきた反戦特集は、悲惨な戦争体験を思い出させる格好の材料として利用されてきた。
戦争とは悲惨なものである。そんなことは小学生のレベルでも分かる事だ。それは戦争の属性であり、しかたがない面を持っている。
戦争をことさら悲惨さと決め付けるのは、むしろ戦争そのものの意味をぼかしてしまう。
今我々が学ばなければならないことは一つしかない。
それは平和な時代が60年続いたが、これは何も「平和憲法」があったからではないし、反戦平和のデモがあったからでもない。
米ソ超大国の世界分割支配体制が磐石だったからに過ぎないのだ。
今21世は大きく変貌を遂げた、もう平和を空念仏のように唱えていても平和な時代は続かない。
今や我々自身の手によって平和は勝ち取らなければならない。
そのための我々自身の手による国家創造運動は開始された。
<極右>こそが、この国家創造運動の先頭に立たねばならない。
