2006年04月06日

対中戦略論 靖国・イラクから東シナ海へ


第二次日中戦争の緒戦は

944c3156.jpeg既に始まっている!

靖国・イラク・東シナ海


 イラク及びインド洋をはじめ国際貢献の名において我が国の自衛隊が海外で活躍されている中、万一、戦死者が出たらどうするか―。

 日米同盟が強化され、今後我が国の自衛隊はより広範な活動を求められつつあり、自衛隊の地位を明確に位置付けるべく体制の整備は急務と言えるだろう。

 自衛隊の地位…国のために戦い亡くなった者を靖国神社に祀れるか―。平成13年の小泉政権の発足以降、小泉純一郎首相が一貫して靖国神社参拝にこだわるのはそうした事態に備えたものであることは言うまでもない。

 とすると、中国が靖国問題を口実に内政干渉を強める背景には日本が靖国神社にA級戦犯を奉っている云々よりも、日本が��真に戦える国�瓩吠冕討垢襪海箸魘欧譴討い襪箸いη愀覆�読み取れる。

 国の為に尊い生命を捧げた者らを手厚く奉るのは国家として当然の責務だ。その国家としての最低限の責務さえ履行されなければ、危険と背中合わせで国際貢献に赴く自衛隊員らに申し訳ない。

 我が国が中東の石油に国家生存の多くを依存している以上、中東の安定に寄与することは紛れもなく国家防衛の為の行動であることはイラク派遣決定の際に再三議論されたことではなかったか。ここ最近、イラクからの撤退時期をめぐるマスコミ報道が盛んだが、民主化と安定が定着した上で米・英・オーストラリアと共に撤退するのが同盟国としての責務であると思う。

 確かに「危険な任務を継続せよ、などと軽々しく言うべきではない」とする批判もあるだろうが、その手の批判はもう旧い。イラク派遣に象徴されるように、今や日本の外交の主役は、戦後から続いた文官(背広)から戦闘服に銃を持った武官の時代に移ったというのが一般的な認識だ。

 自衛隊派遣の直前、二人の外務省職員が武装グループによって殺害されたが、今後、危険地帯におけるいかなる活動も�狎鐺�のプロ�瓩燭觸乎帖�自衛軍が担わねばなるまい。

 確かにイラクにおける自衛隊の任務も危険がつきまとう。しかし、それを警固するオーストラリア軍はそれ以上に危険な状況で任務に従事しており、米英軍に至っては治安維持活動の中で多くの犠牲が生じているが、危険に向き合うことが軍隊の存在意義である。

 時代が国際テロとの戦いに向かう中、日本のみが同盟国の枠組みから外れることは許されない。未だ国家の体を成さない日本に対し、時代は国家たり得ることを要求している。

 武力の保持や交戦権を放棄した憲法九条の改正について、かねがね小泉首相は自身の任期中には「行わない」ことを明言してきたが、その布石は着々と積み上げられてきた。

 戦後日本の�犹篝源��瓩箸瞹葫蕕気譴討�た自衛隊に「軍隊である」という明確なバックボーンとアイデンティティを付与し、日本国におけるその地位を明確にすることが急務ではあるが、現段階でさえ世界各地で国際貢献に従事する自衛隊員にもしも犠牲者が出た場合、戦没者として靖国神社に祀るべく環境整備に努めることは中国からの内政干渉が熾烈さを極める中、憲法改正以上に重要、急務であったと言えるかも知れない。

 その意味で中国や韓国が反日カードとしてきた靖国問題を無力化させた小泉首相の功績は憲法改正に匹敵、あるいはそれ以上のものだったのではないだろうか。日本が中韓の圧力に屈して時々の首相が靖国参拝を取り止めるようになったのは何も半世紀前の戦争に敗れたことが直接的要因ではない。

 日本のマスコミが焚き付けたことによって中韓が日本の教科書検定や首相の靖国参拝について内政干渉を始めたのは昭和五十年代も半ばを過ぎた頃だった。要は時の政府、政治家が外国からの圧力に右往左往しただけの話であり、敗れたことは事実としても、半世紀前に日本が戦争に踏み切ったことや戦争に踏み切る経緯、それ以前の歴史について何ら批難される謂れはない。

「東京軍事裁判」史観からの脱却と中国軍との対峙!

 9月に任期を迎える小泉首相の後継が靖国参拝に赴く道は開かれた。中韓が内政干渉の口実とする「東京軍事裁判」の見直しは至上の命題であろう。

  人道に対する罪を問い「平和と、通例の戦争犯罪」で日本人を裁いたとされる東京裁判だが、原子爆弾の投下や東京大空襲に見られる民間人の大量虐殺など日本軍は一切行っておらず、かの軍事裁判は戦勝国の見方によって裁かれたということは今や多くの方々が共有し始めた認識ではないだろうか。

 また、日本人の手によって裁かれた戦犯は一人もおらず、日本人が靖国に赴いて戦没者に哀悼の意を捧げるのは当然である。そこへ内政干渉を強める国に対する反発を呼び起こし、さらに終戦までの歴史の一切を断罪した東京裁判まで立ち返らせたことも靖国参拝強行の結果だろう。

 あそこ(靖国神社)に祀られているのは決して戦争犯罪人などではない―。その事実を日本国として明確化して、その認識の共有をしなくては今後も、日本国が存立する上で必ずや出るであろう戦没者の位置付けも明確にならないと思うのだ。

 ガス田掘削に見られるように、中国が東シナ海で不穏な動きを続けていることから、数年後には日中が軍事衝突する事態も日増しに現実味を帯びてきている。
「そんな馬鹿なことが…」
 今は誰もがそうした認識を共有してはいないだろう。

 しかし、かつて我々の先人達は「そんな馬鹿な」状況下で超大国と戦火を交えたではないか。明治維新を経て近代国家を創設して間もなく我が国は清国、続いてロシアとの開戦に踏み切った。世界はおろか当の日本人でさえ大国に勝てると思った者がどれほどいたのだろうか。

 あの戦争で我が国は朝鮮半島の独立を守ろうとし、帝政ロシアの南下を防ぎ、統治下においてはインフラ整備と教育の拡充で今日の韓国と台湾に近代化をもたらした。やがて満州国を建国して、五族共和、王道楽土の実現を夢見たが欧米各国と権益が衝突して大東亜戦争(俗に言う太平洋戦争)へと突入。

 歴史は綿々と続いており、外国からの圧力に屈して歴史を断絶させてはならない。事後法によって一方的に進められた東京裁判史観とはその実、戦勝国史観に過ぎず、日本人が独自の手による戦争史観を構築しなければ新たな歴史を生み出すことは不可能だろう。

 十年以内には中国人民解放軍との交戦も予想される中、第二次日中戦争の緒戦は既にここから始まっている。日本の侵略と戦い、人民を守ってきた「抗日」を立党、建国の理念とする中国共産党はたとえ一つの小競り合いに敗れでもすれば十数億の民を統治している存在意義を失うだろう。まさに日中双方にとって、ここが正念場だ。

            世界戦略研究所・研究生 A 投稿

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Posted by the_radical_right at 06:40 │ mixiチェック │特定アジア(中国・歴史認識) 

2006年04月05日

満州は中国の「もの」ではない!

94978c24.jpeg「反中国歴史講座」 �亜�

満州は中国に支配されている(遊就館)

 先週テレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演した安倍官房長官に対して、コメンテーターの一人が靖国神社の遊就館について、次のような質問を浴びせた。

「遊就館は大東亜戦争を肯定しており、満州国は現在中国政府に支配されているとの主張がありますが、どう思われますか?」

 安倍官房長官は「直接そのことには関しては知らないが、言葉の前後には天皇のお言葉があり…」と続けたら、その言葉が終らぬ内に、司会者の田原総一郎氏が「それじゃ、天皇陛下が最大の責任者」とか何とか発言してうやむやとなってしまった。

 このことについて考えて見よう。満州は古来、漢民族の領土ではなく、漢人は万里の長城以北を「北秋」の地として蔑称していた。漢人にとって万里の長城以北の住人は蛮人であり、紛れもなく異民族であった。

 よって、これを現在の漢人を主体とする共産党政権が支配していると書いても、それは何ら間違いではなく、正しい歴史認識に他ならない。逆にこの質問者に問いただしたいことがある。

 例えばウイグル自治区やチベット自治区、更には内モンゴルは歴史上古来からの中国領土と言えるのか?もしそれらは侵略され支配されたとするなら、何故日本が建国に係わった満州国だけが例外となるのか、納得の行く説明が聞きたいものだ。

 むろん、満州国を日本の「もの」であると主張するつもりはない。しかし、これまでの『反中国歴史講座』で幾度も述べてきたように、満州における日本の立場や権益は、日本人が満州の住民から奪い取ったものではない。

 満州は義和団事件の発生後、ロシアの侵略を受け、事実上ロシアによって支配されて植民地状態にあった。それを日本が日露戦争に勝利して、その結果としてロシアから譲り受けたものであった。

 そのような歴史的な経緯があったからこそ、孫文は内田良平ら支那革命を支持した日本の右翼(国士)に対して、日本との共同による新しい国創りを認めたのである。ここから大アジア主義理想は具体化して行った。

 また、馬賊の張作霖は山本条太郎満鉄総裁に、蒋介石は田中義一首相に、それぞれ満州における日本の優先権を認めたのである。このような歴史の事実がある以上、満州国が日本の肝いりで建国されたとはいえ、そこには十分な理由が存在したのである。

 今日からまた反中国歴史講座を再開します。

 
結果的に満州国の失敗は、その後の日本軍国主義の支那侵略の象徴として喧伝され定着してしまった。しかし、それは一方的に侵略などと批判されるものではなかった。

 現在、我が国の伝統的な右翼の中には、米国との連携よりはアジア主義に則って中国との友好関係を樹立すべきと主張する人も見られる。であるなら、それは取りも直さず、アジア主義者が掲げた「理想の国家」=「満州建国」を正しく捉えなければならない。

 侵略思想の結果としての満州建国ではなく、大アジア主義の構想としての満州国建国であったことを知らねばならない。そのような観点から今後書き進めていきたいと思います。特に石原莞爾の思想などについても考えてみることにします。

 この企画はあくまでも歴史の検証であり、かつてのアジア主義を今日の東アジアへと回帰させる意味はまったくありません。私はもう日本は支那大陸には係わるべきではなく、米国や豪州との連携の中で東南アジアやインドとの友好関係を築くべきとの考えであります。

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Posted by the_radical_right at 19:34 │ mixiチェック │反中国講座 

金丸訪朝後の利権漁りと野中の「北朝鮮擁護」発言

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金丸訪朝後の動きと北朝鮮利権

 昨日、故金丸信副総裁と野中広務元自民党幹事長の北朝鮮訪問をお伝えしたが、もう15年以上も前のことなのに、かなりの反響があった。それだけあの訪問で我々日本人が受けた衝撃の深さが分かるようだ。

 「戦後45年間の償い」まで認めたが、この間、日本が北朝鮮に対して償いをするようなことを果たしてやったのか。国内左翼は日米同盟による北朝鮮敵視政策を指すが、これはとんだお門違いである。

 もし、日米同盟がなかったら、日本はソ連や中共、北朝鮮によって支配され、今頃は文字通りの「収容所日本列島」の中で暮らすことを余儀なくされていたはずだ。我々は朝鮮語で土井党首マンセーを叫ばされていただろう。

 今日はこの訪朝後の金丸や野中の動きについて検証することにしよう。

 金丸が脱税容疑で家宅捜索を受けた時、金庫から無刻印 〔 品質保証がないもの 〕 の金の延べ棒がたくさんでてきた。国際市場において無刻印の延べ棒は北朝鮮のものだけだ。

 金丸が所有していた金の延べ棒は金日成主席から贈られたものであることは間達いない。この件については東京地検でも調べたはずだ。しかし、金丸がその金の延べ棒を、どこから手に入れた物かは遂に明らかにされなかった。

 もし、この時に徹底的に取り調べ、それが北朝鮮の金日成から贈られた物であることが公表されていれば、その後の日本社会にも大きな影響を与えたはずであった。何故それを金丸は自供したとされるのに、伏せられたのかは最大の謎だ。

 金丸は日本における当時の建設利権を牛耳っていた。彼がこの北朝鮮利権に目を付けないわけがない。建設族である金丸信とその秘書であった次男の信吾は、北朝鮮の「川砂利」とスケソウダラの輸入というすぐに銭になる利権に目を付けた。

 91年5月に名古屋空港より日朝直行便で金丸信吾が、大阪砕石工業所幹部、新日本産業の吉田猛(あの加藤紘一事務所の名刺を持っていた事で有名になった「北朝鮮のエージェント」といわれている男)など川砂利利権に関わった連中と一緒に訪朝していた。

 後に北朝鮮へのコメ無償援助についても、加藤紘一の暗躍と、その利権について一部マスコミが追及したが、そのルートをつけたのも金丸だったのである。

 野中の訪中後の言動も最後に上げておきましょう。

 平成11年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について。

「確かにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(拉致疑惑で)先方と話をすれば、『三十六年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人間を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」
(11月24日付読売新聞)

 平成11年12月5日(幹事長代理当時)、NHKの報道番組に出演し北朝鮮に対する食糧支援について。

「隣国が困っているのに、援助をせず、心を通わせないで、拉致問題をはじめとする日朝間の課題が本当に解決するのか。日本の平和と安全のためにも、何らかのトビラをあけていくことが(戦争を知る)我々世代の責任であり、政治家の責任だと思う」
(12月6日付読売新聞)

 引退したからといって、野中が許されざる国賊政治家であった以上、これを我々国民が許すことは出来ないのだ。この人物については、当時徹底取材しており、また別の機会にお伝えしたい。

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Posted by the_radical_right at 07:16 │ mixiチェック │特定アジア(北朝鮮)