2006年12月26日

死刑制度と反対する政治家

67b19090.jpeg死刑制度と同制度反対政治家

福島瑞穂・亀井静香に問う

<死刑>確定者が急増 近く100人に達する勢い

 25日に4人の死刑が執行されたことで、収容中の死刑囚は94人になった。厳罰化の流れの中で死刑囚の数は増え続けており、近く100人に達する勢いだ。
 最近の死刑確定者の数を見ると、03年までは年間2〜7人程度だったが、04年14人、05年11人と急増。今年は既に、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚、オウム真理教の松本智津夫死刑囚、奈良女児誘拐殺害事件の小林薫死刑囚ら19人の死刑が確定した。

12月25日配信 毎日新聞

 「クリスマスの執行残念」=死刑廃止議連が会見−東京

 「死刑廃止を推進する議員連盟」の福島瑞穂社民党党首らは25日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「クリスマスに死刑が執行されたのは残念だ。年末のばたばたの中で執行するやり方は改善されるべきだ」と訴えた。

12月25日 時事通信社

 この二つのニュースについて考えてみたい。先ず今回刑が執行された死刑囚についてですが、3人についは事件発生が78年、75年、81年といずれも25年以上も前の事件です。

 判決が下されてから20年以上経過しているのではないでしょうか。もう国民の記憶から消えてしまっています。疑問に思うのはなぜこのように刑の執行が行われないのかです。

 法務大臣に就任した人が署名を拒んできたので、このような結果になったという意見もあります。このようなことを放置していたら国家の根幹をなす司法制度そのものが形骸化して、やがては瓦解してしまうのではないでしょうか。

 死刑制度というものがある以上、死刑の判決を受けた者に対しては、本人が再審を申し立てていない場合は、速やかにこれを行なわなければならない。それが当然のことであると思います。

 さて、「死刑制度を廃止する議員連盟」というものがあるらしい。誰が参加しているかはよく知りませんが、有名な方として国民新党の亀井静香先生と社民党の党首である福島瑞穂先生のお二人がおられる。

 社民党の福島氏は弁護士なのである意味納得はするが、犯罪を取り締まる側にいた亀井氏が死刑廃止論者というのは不思議な気もしました。

 このお二人に是非問いたいことがある。それは二つのケースについてです。このような場合も死刑を宣告されても執行せずにそれを生かしておく理由とは何か?

 一つは外国人による日本人殺害犯についてです。

 国家は日本人の領土を守るために自衛隊(国軍)を保持しています。また、国内においては国民の生命と安全を守るために司法制度(警察・検察・裁判)が機能しています。

 今回の刑の執行では96年に起きた4人の女性を殺害した死刑囚も含まれていました。しかし、これより4年前に起きた92年の中国人によるパチンコ強盗殺人事件はまだ刑が執行されていません。

 この二人の中国人はパチンコ店を襲い、日本人従業員三名をナイフで刺し殺し、日本人以外としては初めて死刑の判決を受けた第1号です。この中国人がまだ拘置所で生きていることに怒りを禁じ得ません。

 これを単なる刑事事件と捉えてはなりません。明らかに異民族による侵略的行為に他なりません。もし、この中国人に対する刑が執行されないなら、国民の生命と安全は常に異民族によって危険に晒されることにもなります。

 もう一つのことは、国家転覆を狙ったテロ行為の犯人達とその首謀者であるオウム真理教の麻原彰晃などに対するものです。亀井・福島両氏はこのような輩に対する死刑も反対するのでしょうか?

 もし反対するなら、二人が議会制度や民主主義、そのようなものについて、それを死守するという覚悟はないのでしょうか。人道という見地からの反対と言いますが、人道によって民主主義が危機に晒されても構わないと思っているのでしょうか。

 最期に一言

 死刑制度を廃止したら凶悪犯罪が減少するとでも言うのか?

 
それならそのデータを示して欲しい。でなければ、この「死刑制度」に我々は反対することなど出来ない。


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2006年12月25日

朝日新聞・反ナショナリズム宣言

朝日新聞・反ナショナリズム宣言

 久々のご登場となる、朝日新聞の電波男こと若宮啓文論説主幹である。彼の超電波記事が今日の朝日新聞に掲載された。「風考計」というコラムで書かれた「言論の覚悟」「ナショナリズムの道具ではない」という記事です。

 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。「キミには愛国心がないね」学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。

 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やり過ぎだ」と言ってかばったではないか。

 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。

 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も拘留されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。

 「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。

 いやはや―この男は骨の髄まで左翼思想に侵されているようです。夢にまで見てうなされて目が覚めたのでしょう。自分たちの左翼思想によって国家を牛耳ろうとしても、それとは反対に時代が動いて行くので、その焦りが夢の中にまで現われてしまったのかも知れません。

 彼、若宮主幹は言論の自由が認められている現在の社会を、素晴しい時代であると認識はしているようです。

 月に一度はこのコラムを書いて3年半、41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕されてもいただろう。

 しかし驚かされるのは、素直に言論の自由な社会に感謝するのではなく、ここでなぜか戦前の社会を持ち出してくる。発行禁止の処分を受けた―皇室の尊厳を冒すとして記者が起訴された―新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた―などなどである。

 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくもない。

 これって共産支那(中国)やロシアのことなのだが、なぜか、ここで急に日本の社会に目を転じるのであるから、どうにもこの左翼人は理解し難い。文は次のように続くのである。

 しかし、では日本の言論は今本当に自由なのか。そこにも怪しい現実も横たわる。靖国神社参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎瓶で脅かされる。

 加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧を狙う卑劣な脅しである。気に入らない言論に、一方的な批難や罵詈雑言を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。

 朝日新聞お得意のプロパガンダだ。確かに暴力を以って言論を封殺することは悪いことに違いはない。しかし、そこまでの行動に駆り立てるには、それなりの理由がある。

 その理由には一切触れずに、ただ暴力が悪いと一方的に言ってみたところで、何も解決しないでしょう―というのが我々の立場でもあるのです。

 このように書くと、また暴力を容認しているとか、肯定しているとか―と決め付けられてしまうので、この点については深入りしません。ただ次の文章には引っかかるものがあった。

 ここからは略して、その部分だけを表示していきます。

 彼は竹島問題で「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったらと夢想する」と書いたら、雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーで「国賊」「売国奴」「腹を切れ」などの罵声を浴びたことを問題にしている。

 彼には徹底的に欠けているものがある。それは自らの立場とその発言の重みである。自分のそのような「韓国に譲ってしまったら…」などという発言が、いかに国益に反し韓国を利する結果になるかを全く考えていない。

 言論人であるから、何を言っても許されるとしか思っていない。そこが分からないから、なぜ自らの会社の利益しか考えないで、小泉首相の靖国参拝を止めろと言った経済人の自宅に火炎瓶が投げつけられたのか、その理由が分からないわけだ。

 また、中共の主張ばかりを鵜呑みにして、靖国神社に眠る英霊を冒涜したが故に、実家に火を放たれた加藤紘一氏の事件が見えてこない。

 彼はこうも語っている。

 外国の主張に耳を傾けるだけで、「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。…略…狭い視野で国益を考えたらどうなるか、それはかつて争うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の重い教訓ではないか。

 …略…だからこそ、自国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない。

 そこまで「言論の覚悟」と題して言うなら、私も言わせてもらおう。

 朝日新聞社ののたまうジャーナリズムはナショナリズムの敵である!

 我々(ナショナリスト)は必ずや敵を殲滅するまで戦い続けることを宣言する!

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Posted by the_radical_right at 17:32 │ mixiチェック │偏向報道・反日マスコミ 

西郷隆盛と維新の精神

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シリーズ�グ歐契�党・新風

維新の精神とは何か―

 昨日は維新政党・新風の神奈川県本部主催の講演会に行ってまいりました。

  新風神奈川講演会  「西郷隆盛と維新の精神」


 今なお、「西郷さん」と親しまれ、「大西郷」と敬愛される西郷隆盛は、内村鑑三をして「明治元年の日本の維新は西郷の維新であった」と言わしめた偉人の中の偉人である。

 アジア侵略を狙うイギリス、アメリカ等の西洋列強はいずれも「覇道」の国であった。これに対して西郷は、武士道に支えられた「王道」の国・日本をつくろうとした。

 彼が生涯をかけて体現した「武士道」は今、精神的支柱を見失いかけている私達日本人に何を語りかけてくるのだろうか。

 講師略歴

 【講師】岡田幹彦先生
 昭和二十一年、北海道生まれ。國學院大学中退。
 月刊「明日への選択」に人物伝を連載。各地で講演活動。
 日本政策研究センター主任研究員。
 著書「西郷隆盛」「明治のサムライたち」「日露戦争」「東郷平八郎」
 「乃木希典」「小村寿太郎」「日本を護った軍人の物語」他

 久しぶりに聞き応えのある講演でした。丁度西郷隆盛と西南戦争を題材とした米国映画『ラスト・サムライ』(2003年)をテレビで観た後だっただけにより胸にジーンとくるものがありました。

 キリスト教徒でもあった内村鑑三氏は英語で日本を代表する人を5人紹介した著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛を最も偉大なる人物として取り上げました。

 その本をおそらくは読んだであろう米国人が、日本の武士道の素晴しさを世界に紹介してくれたわけです。世界的にヒットしたことからも分かるように、西郷隆盛の生き様というのは、主義主張・宗教・思想に関係なく人々の心を魅了するのでしょう。

 西郷隆盛をあまり勉強したことのない人でも、明治維新のドラマや映画などでは必ず登場するので、その一時代を築いた日本の指導者であったことは誰でも知っていると思います。

 講師の岡田先生が言われるには、戦前の日本の教科書においてはやはり最も偉大なる人物として教科書に書かれ、そのように教えられていたと言います。

 西郷隆盛の最後は西南戦争で官軍の総攻撃によって、同志と共に銃撃を受け壮絶な最期を遂げました。逆賊となって成敗されたことになってしまいました。

 普通このような最期となれば、その評価は良くなるものではありません。不平士族に乗せられて新政府、すなわち明治天皇に弓を引いたわけですから、悪く言われて当然なのです。

 しかし、西郷隆盛という人物はその後の日本の歴史の中でも、高い評価を受けてきました。ただ戦後は「征韓論者」として、日本が朝鮮半島、支那大陸へ向かったその思想の先導者のように言われ、あまり評価されなくなってきたのも事実でしょう。

 講師の岡田先生は西郷隆盛という人間について、二つの観点から大きな器の人間、いうなれば“太っ腹”ではあっても、心の優しい人物であったと語られました。

 一つは新政府軍に最後まで抵抗した庄内藩(現在の山形)の人々によってまとめられた「南州翁遺訓」です。西郷隆盛は敗者となった庄内藩士達に対して、「降参した者をそれ以上痛めつけるのは、人の道に反する」として、むしろ温かく迎え入れ、共に新しい時代を切り開く同胞としたのです。

 山形県の戦前の学校では、この「南州翁遺訓」を授業の中に取り入れてこれを多くの児童に学ばせたと言います。この遺訓には次のような西郷の言葉が残されています。

 「本当の文明国であるならば、未開の国に対しては慈愛の心を以って接し、懇ろに説き諭して文明開化に導くべきである。未開蒙昧の国であればあるほど残忍な仕方で接し、己を利してきた西欧は野蛮である」

 西郷隆盛は偉大な功績を倒幕運動の中で示してきたが、中でも勝海舟との江戸無血開城での絶妙なやり取りは後世に語り継がれる日本歴史の華であります。

 この時、西郷隆盛は江戸城総攻撃を前に、圧倒的優勢な立場にもかかわらず、勝海舟の言い分を殆ど丸呑みにした。そして他の者達がそれを批判すると兵をまとめて薩摩に帰るとまで言った。

 この江戸無血開城で彼、西郷隆盛が見せた見事なまでの成功の影には、先に紹介した「南州翁遺訓」の中の西欧は野蛮な国との思いがあった。

 西欧列強は揺らぎ始めた日本に目をつけ、フランスは幕府に―英国は討幕派に接近していた。もし、国内を二分するような戦いになれば、インドや支那のように日本もまた西欧列強の植民地になる可能性があった。

 そのような世界的状況を見抜いていたからこそ、勝海舟と西郷隆盛はそれまでの経緯やメンツを互いに捨て、日本の将来のために戦争を避ける手立てを考えたのでしょう。

 最後に何故西郷隆盛が「征韓論」を唱え下野して行ったのか?そのことについては時間がなくて、講師の先生も触れられなかったが、私の考えを書いてみたいと思います。

 西郷は自らの人生を賭けて、そして成功させた新政府に歯向かうことになった。自らを犠牲にしても後世に伝えなければと思ったこととは何であったのでしょう。

 明治維新の目的とは西欧列強から国を守ることにあった。しかし、国を守ったが結果的には進んで西欧化の道を求め、本当の国家の目指すべき道を見失いかけていた。

 そのことに対して西郷隆盛は自らの生命を差し出しても明治維新の大義を守らんとしたのではなかったのではないか。

 維新とは政治の世界においては、単なる変革を求めるのではなく、大変革を求める道でもあります。現代における維新を目指すには、まずこのような西郷隆盛のような純粋に大義に生きようと志す人間を一人でも多く輩出させなければならないと思いました。

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Posted by the_radical_right at 09:22 │ mixiチェック │維新政党・新風