2006年12月25日

西郷隆盛と維新の精神

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維新の精神とは何か―

 昨日は維新政党・新風の神奈川県本部主催の講演会に行ってまいりました。

  新風神奈川講演会  「西郷隆盛と維新の精神」


 今なお、「西郷さん」と親しまれ、「大西郷」と敬愛される西郷隆盛は、内村鑑三をして「明治元年の日本の維新は西郷の維新であった」と言わしめた偉人の中の偉人である。

 アジア侵略を狙うイギリス、アメリカ等の西洋列強はいずれも「覇道」の国であった。これに対して西郷は、武士道に支えられた「王道」の国・日本をつくろうとした。

 彼が生涯をかけて体現した「武士道」は今、精神的支柱を見失いかけている私達日本人に何を語りかけてくるのだろうか。

 講師略歴

 【講師】岡田幹彦先生
 昭和二十一年、北海道生まれ。國學院大学中退。
 月刊「明日への選択」に人物伝を連載。各地で講演活動。
 日本政策研究センター主任研究員。
 著書「西郷隆盛」「明治のサムライたち」「日露戦争」「東郷平八郎」
 「乃木希典」「小村寿太郎」「日本を護った軍人の物語」他

 久しぶりに聞き応えのある講演でした。丁度西郷隆盛と西南戦争を題材とした米国映画『ラスト・サムライ』(2003年)をテレビで観た後だっただけにより胸にジーンとくるものがありました。

 キリスト教徒でもあった内村鑑三氏は英語で日本を代表する人を5人紹介した著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛を最も偉大なる人物として取り上げました。

 その本をおそらくは読んだであろう米国人が、日本の武士道の素晴しさを世界に紹介してくれたわけです。世界的にヒットしたことからも分かるように、西郷隆盛の生き様というのは、主義主張・宗教・思想に関係なく人々の心を魅了するのでしょう。

 西郷隆盛をあまり勉強したことのない人でも、明治維新のドラマや映画などでは必ず登場するので、その一時代を築いた日本の指導者であったことは誰でも知っていると思います。

 講師の岡田先生が言われるには、戦前の日本の教科書においてはやはり最も偉大なる人物として教科書に書かれ、そのように教えられていたと言います。

 西郷隆盛の最後は西南戦争で官軍の総攻撃によって、同志と共に銃撃を受け壮絶な最期を遂げました。逆賊となって成敗されたことになってしまいました。

 普通このような最期となれば、その評価は良くなるものではありません。不平士族に乗せられて新政府、すなわち明治天皇に弓を引いたわけですから、悪く言われて当然なのです。

 しかし、西郷隆盛という人物はその後の日本の歴史の中でも、高い評価を受けてきました。ただ戦後は「征韓論者」として、日本が朝鮮半島、支那大陸へ向かったその思想の先導者のように言われ、あまり評価されなくなってきたのも事実でしょう。

 講師の岡田先生は西郷隆盛という人間について、二つの観点から大きな器の人間、いうなれば“太っ腹”ではあっても、心の優しい人物であったと語られました。

 一つは新政府軍に最後まで抵抗した庄内藩(現在の山形)の人々によってまとめられた「南州翁遺訓」です。西郷隆盛は敗者となった庄内藩士達に対して、「降参した者をそれ以上痛めつけるのは、人の道に反する」として、むしろ温かく迎え入れ、共に新しい時代を切り開く同胞としたのです。

 山形県の戦前の学校では、この「南州翁遺訓」を授業の中に取り入れてこれを多くの児童に学ばせたと言います。この遺訓には次のような西郷の言葉が残されています。

 「本当の文明国であるならば、未開の国に対しては慈愛の心を以って接し、懇ろに説き諭して文明開化に導くべきである。未開蒙昧の国であればあるほど残忍な仕方で接し、己を利してきた西欧は野蛮である」

 西郷隆盛は偉大な功績を倒幕運動の中で示してきたが、中でも勝海舟との江戸無血開城での絶妙なやり取りは後世に語り継がれる日本歴史の華であります。

 この時、西郷隆盛は江戸城総攻撃を前に、圧倒的優勢な立場にもかかわらず、勝海舟の言い分を殆ど丸呑みにした。そして他の者達がそれを批判すると兵をまとめて薩摩に帰るとまで言った。

 この江戸無血開城で彼、西郷隆盛が見せた見事なまでの成功の影には、先に紹介した「南州翁遺訓」の中の西欧は野蛮な国との思いがあった。

 西欧列強は揺らぎ始めた日本に目をつけ、フランスは幕府に―英国は討幕派に接近していた。もし、国内を二分するような戦いになれば、インドや支那のように日本もまた西欧列強の植民地になる可能性があった。

 そのような世界的状況を見抜いていたからこそ、勝海舟と西郷隆盛はそれまでの経緯やメンツを互いに捨て、日本の将来のために戦争を避ける手立てを考えたのでしょう。

 最後に何故西郷隆盛が「征韓論」を唱え下野して行ったのか?そのことについては時間がなくて、講師の先生も触れられなかったが、私の考えを書いてみたいと思います。

 西郷は自らの人生を賭けて、そして成功させた新政府に歯向かうことになった。自らを犠牲にしても後世に伝えなければと思ったこととは何であったのでしょう。

 明治維新の目的とは西欧列強から国を守ることにあった。しかし、国を守ったが結果的には進んで西欧化の道を求め、本当の国家の目指すべき道を見失いかけていた。

 そのことに対して西郷隆盛は自らの生命を差し出しても明治維新の大義を守らんとしたのではなかったのではないか。

 維新とは政治の世界においては、単なる変革を求めるのではなく、大変革を求める道でもあります。現代における維新を目指すには、まずこのような西郷隆盛のような純粋に大義に生きようと志す人間を一人でも多く輩出させなければならないと思いました。

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Posted by the_radical_right at 09:22│ mixiチェック │維新政党・新風 
この記事へのトラックバック
 現代思想は「構造主義に始まる」と言われるが、それ以前の19世紀的見方では  「
サルトル・実存主義vs.ストロース・構造主義【Empire of the Sun太陽の帝国】at 2006年12月25日 14:22
久々に月刊Will(二月号)を買って読んでみました。 ...
やはり差異の共有も出来そうにない【もののふのこころ】at 2006年12月25日 16:49
この記事へのコメント
ネタ違い失礼
色々漁っていたらこういうものを見つけました。
http://www.nihongo2.com/
ここの『日本の近現代史』は自虐史そのもの。
明治維新以降の日本を徹底的に悪者にしています。
どうしようもない。
Posted by TOM(薩摩製) at 2006年12月25日 21:02
戦前の道徳教育、修身は、武士道精神をつけるのにそれなりに重要ではないかと思いますね。


http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061201/srn061201033.htm


Posted by 意志を告ぐねこ at 2006年12月25日 19:54
TB、有り難うございました。

南州翁がどうして唱えてもいない征韓論の親玉になってしまったのかについては以下に詳細に書かれていました。

http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm (西郷の遣韓論)

今の日韓、日朝関係を考えると、遣韓論が良かったのかどうか、それは不明ですが、少なくとも南州翁が本物の”もののふ”とはどういうものかを体現してくれた尊敬すべき人物の一人であることは確かなことのように思います。
Posted by kousotsudr at 2006年12月25日 17:25
私がカナダ人の夫に贈った唯一の本が新渡戸稲造の「武士道」です。

それまで夫は日本人も韓国人も中国人も同じようなものと思っていましたが「武士道」で認識を変えました。

「ラスト サムライ」も私たち夫婦は一緒に三度も見に行きました。見る度に私の「日本人の血」が騒ぎました。

異国にいても日本人としての誇りを大切にしたいと思います。
Posted by Mrs. Lindsay at 2006年12月25日 15:01
5
瀬戸先生、皆様ご苦労様です。 武士道の精神美や秩序美を幕末まで貫き通した藩は薩摩と会津の両藩のみで、他の藩はとるにたらないと云われています。明治維新が薩・長ではなく、薩・会連合によって成されていたならば日本はどんな国に成っているのか、残念でなりません。
Posted by 防人2006 at 2006年12月25日 12:58
瀬戸先生が西郷南州翁についてのお考え、大変嬉しく思います。
 勝海舟・西郷南州共に武士道の体現者であった。真の武士道は常に庶民の最大幸福を基底にしたものであったと思います。逆に徳川家・島津家への忠誠が武士道であるとの考えであれば、江戸城の無血開城などとは到底考えられません。その基本は陽明学だったと思います。
ある方が明治以降「侍武士道」は無くなり、官僚武士道つまり「無責任、自己保全」が主流になったと述べておられますが、戦略無き戦術のみの流行、武士道の曲解が、変な日本にしてしまったのではないか、と考えます。
  戦後体制変革の最適の秋至る。
 維新政党・新風の発展=日本再生になると思います。  
 
Posted by Kankyo Fuzen at 2006年12月25日 11:41