シリーズ�グ歐契�党・新風
維新の精神とは何か―
昨日は維新政党・新風の神奈川県本部主催の講演会に行ってまいりました。
新風神奈川講演会 「西郷隆盛と維新の精神」
今なお、「西郷さん」と親しまれ、「大西郷」と敬愛される西郷隆盛は、内村鑑三をして「明治元年の日本の維新は西郷の維新であった」と言わしめた偉人の中の偉人である。
アジア侵略を狙うイギリス、アメリカ等の西洋列強はいずれも「覇道」の国であった。これに対して西郷は、武士道に支えられた「王道」の国・日本をつくろうとした。
彼が生涯をかけて体現した「武士道」は今、精神的支柱を見失いかけている私達日本人に何を語りかけてくるのだろうか。
講師略歴
【講師】岡田幹彦先生
昭和二十一年、北海道生まれ。國學院大学中退。
月刊「明日への選択」に人物伝を連載。各地で講演活動。
日本政策研究センター主任研究員。
著書「西郷隆盛」「明治のサムライたち」「日露戦争」「東郷平八郎」
「乃木希典」「小村寿太郎」「日本を護った軍人の物語」他
久しぶりに聞き応えのある講演でした。丁度西郷隆盛と西南戦争を題材とした米国映画『ラスト・サムライ』(2003年)をテレビで観た後だっただけにより胸にジーンとくるものがありました。
キリスト教徒でもあった内村鑑三氏は英語で日本を代表する人を5人紹介した著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛を最も偉大なる人物として取り上げました。
その本をおそらくは読んだであろう米国人が、日本の武士道の素晴しさを世界に紹介してくれたわけです。世界的にヒットしたことからも分かるように、西郷隆盛の生き様というのは、主義主張・宗教・思想に関係なく人々の心を魅了するのでしょう。
西郷隆盛をあまり勉強したことのない人でも、明治維新のドラマや映画などでは必ず登場するので、その一時代を築いた日本の指導者であったことは誰でも知っていると思います。
講師の岡田先生が言われるには、戦前の日本の教科書においてはやはり最も偉大なる人物として教科書に書かれ、そのように教えられていたと言います。
西郷隆盛の最後は西南戦争で官軍の総攻撃によって、同志と共に銃撃を受け壮絶な最期を遂げました。逆賊となって成敗されたことになってしまいました。
普通このような最期となれば、その評価は良くなるものではありません。不平士族に乗せられて新政府、すなわち明治天皇に弓を引いたわけですから、悪く言われて当然なのです。
しかし、西郷隆盛という人物はその後の日本の歴史の中でも、高い評価を受けてきました。ただ戦後は「征韓論者」として、日本が朝鮮半島、支那大陸へ向かったその思想の先導者のように言われ、あまり評価されなくなってきたのも事実でしょう。
講師の岡田先生は西郷隆盛という人間について、二つの観点から大きな器の人間、いうなれば“太っ腹”ではあっても、心の優しい人物であったと語られました。
一つは新政府軍に最後まで抵抗した庄内藩(現在の山形)の人々によってまとめられた「南州翁遺訓」です。西郷隆盛は敗者となった庄内藩士達に対して、「降参した者をそれ以上痛めつけるのは、人の道に反する」として、むしろ温かく迎え入れ、共に新しい時代を切り開く同胞としたのです。
山形県の戦前の学校では、この「南州翁遺訓」を授業の中に取り入れてこれを多くの児童に学ばせたと言います。この遺訓には次のような西郷の言葉が残されています。
「本当の文明国であるならば、未開の国に対しては慈愛の心を以って接し、懇ろに説き諭して文明開化に導くべきである。未開蒙昧の国であればあるほど残忍な仕方で接し、己を利してきた西欧は野蛮である」
西郷隆盛は偉大な功績を倒幕運動の中で示してきたが、中でも勝海舟との江戸無血開城での絶妙なやり取りは後世に語り継がれる日本歴史の華であります。
この時、西郷隆盛は江戸城総攻撃を前に、圧倒的優勢な立場にもかかわらず、勝海舟の言い分を殆ど丸呑みにした。そして他の者達がそれを批判すると兵をまとめて薩摩に帰るとまで言った。
この江戸無血開城で彼、西郷隆盛が見せた見事なまでの成功の影には、先に紹介した「南州翁遺訓」の中の西欧は野蛮な国との思いがあった。
西欧列強は揺らぎ始めた日本に目をつけ、フランスは幕府に―英国は討幕派に接近していた。もし、国内を二分するような戦いになれば、インドや支那のように日本もまた西欧列強の植民地になる可能性があった。
そのような世界的状況を見抜いていたからこそ、勝海舟と西郷隆盛はそれまでの経緯やメンツを互いに捨て、日本の将来のために戦争を避ける手立てを考えたのでしょう。
最後に何故西郷隆盛が「征韓論」を唱え下野して行ったのか?そのことについては時間がなくて、講師の先生も触れられなかったが、私の考えを書いてみたいと思います。
西郷は自らの人生を賭けて、そして成功させた新政府に歯向かうことになった。自らを犠牲にしても後世に伝えなければと思ったこととは何であったのでしょう。
明治維新の目的とは西欧列強から国を守ることにあった。しかし、国を守ったが結果的には進んで西欧化の道を求め、本当の国家の目指すべき道を見失いかけていた。
そのことに対して西郷隆盛は自らの生命を差し出しても明治維新の大義を守らんとしたのではなかったのではないか。
維新とは政治の世界においては、単なる変革を求めるのではなく、大変革を求める道でもあります。現代における維新を目指すには、まずこのような西郷隆盛のような純粋に大義に生きようと志す人間を一人でも多く輩出させなければならないと思いました。
ブログ・ランキング!応援クリック御願いします!
http://strategy.co.jp/「国民の総意」
