日経「捏造報道」その��
日本経済新聞社はなぜ、質問に答えないのか?
私は日本経済新聞社に対して「富田メモ」報道に関し、質問状を送付した。今月2日のことである。別に期限をきっている訳ではない。しかし、昨日までに何の返答もない。
質問状は郵便配達証明書で送付されており、翌日には配達されたことが東京中央郵便局からの通知で確認されている。しかし、日本経済新聞社からは何の対応もない。
この点ついて考察してみたい。これは極めて異例な対応である。私は25年以上ジャーナリストとして多くの会社、政治家、マスコミ関係各社に対する取材を行なってきた。
これまでこのように完全に無視した会社や個人はお目にかかったことは無い。この極右評論でも前にソニーや博報堂に関して書いたことがあり、それぞれ質問状を送付するなり、取材を申し入れた。
ソニーは文書で二回に渡って回答したし、博報堂は広報部より電話連絡があって担当者が質問に答えています。では、何故に日本経済新聞社は私の質問を無視しているのでしょうか?
梨の礫(つぶて)という言葉があります。
意味は「投げられた礫のように、便りをやったのに返事のないこと。「梨」は「無し」に掛けたもの。「いくら使いをやっても―だ」 というものです。
礫(つぶて)とは投げられた小石という意味です。つぶてとは飛礫とも書きます。私は彼らに投げつけた礫が返ってくることを心待ちにして準備をしています。
それは投げ返された礫=小石の受け皿です。皆さん、池に小さな石を投げたことを思い出してみて下さい。水面上に小石が落ちたその瞬間から、小さな波紋がやがて水面全体にに広がっていきます。
この波紋が広がることを日経新聞社は恐れて回答することが出来ないのです。
私は別に難しいことを質問しているわけではありません。例えばどのような人物に依頼をしてそれを検証し、先帝陛下のお言葉としたのか、その推論と報道を質問しているのではないのです。
極めて簡単なことです。
1.いつ頃、どのような形で富田夫人から入手したか?
この事について考えてみましょう。これについて、何故答えようとしないのか、それは答えたくとも答えられないのでしょう。
その理由について考察してみます。その前に皆さんは覚えておいででしょう。この富田メモを取り上げた7月31日の朝日新聞社が発行する雑誌『AERA』についてです。
この『アエラ』には冨田夫人の言葉として次のようにハッキリ書かれており、以後その記事が訂正されてもいません。
「昨年秋ごろ、日経新聞の記者が久しぶりに自宅にやってきた。懐かしさも手伝って、一周忌のCDロムを見せ、日記の現物と自分も読んだ事がない『輪ゴムのメモ』を手渡したという。今回の昭和天皇の発言はこの中にあった」
日経新聞社の7月20日の報道では「メモは88年4月28日付で手帳に張り付けてあった」と報道している。そしてメモを入手した期日はどこにも書いてありません。
この7月20日は一面トップ、3面、社会面も使って「富田メモ」を報道しているのに、その肝心の入手日が見当たらないのです。
新聞社に勤務する人間なら、誰一人として知らない人がない原則がある。それは「何時、誰が、何処で何を、如何した」が報道の基本なのである。ところが一番肝心なところが抜けているのだ。
何故なのだろうか?
ここで若手民族派学生団体の「皇国史観研究会」がすっぱ抜いた驚愕の事実と照らし合わせて見なければならない。
「われわれは『日本経済新聞』はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している」(中国共産党の言葉)
今回のいわゆる「昭和天皇メモ」をスクープした日本経済新聞の杉田亮毅社長(以下敬称略)がメモ報道の3ヶ月前になる4月13日に訪中して、中共の国務委員である唐家旋と会談した時に言われたものだ。(皇国史観研究会より引用)
日本経済新聞社はなぜかこの事実(杉田社長の訪中と会談)を隠してきた。この4月の訪中以降に「富田メモ」を入手したと読者の問いに電話で答えているとネットでは流されてもいる。
つまり、昨年であれば日経新聞社は「富田メモ」を知っていた事になるし、5月であれば知らなかったことになる。
いずれにしても、事は日経新聞社だけの問題ではなくなってしまう。だからこそ、彼らは答えられない。
本日、私は改めて文書による回答を求めて、第二回目の質問状を送付します。
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「反日」で結ばれた新聞社と中国共産党
