2006年02月13日

腐朽する日本官僚制度

                         腐朽する日本官僚と不正の防止

 昨日の政治討論番組の中で官製談合が取り上げられていた。日本の官僚制度の腐朽をこのままに放置しておくことは出来ない。話を聞けば聞くほどその思いにかられた。

 我が国は他国と比較にならないほどの役人天国である。あらゆる組織が官僚どもに乗っ取られていると言っても過言ではない。その官僚制度が今、腐朽して土台からボロボロになりつつある。

 国家は財政危機の中で喘いでいるというのに、高級官僚と言われる人達は、そのようなことはお構いなしに、第二の職場でわが世の春を謳歌している。それを可能にしているのが、各省が発注する公共工事に群がるゼネコンや電気・設備業者である。

 今回の官製談合で無駄に使われた国家予算は防衛施設庁、文科省だけでも数千億円の規模というから驚きである。全ての省庁で行われていると仮定すればゆうに数兆円の規模に達するらしい。

 各省庁の外郭団体と天下りの実態、この公務員制度の改革なくして国家の再興は考えられない。全て既得権の上に胡座(あぐら)をかき、自分等が権益を貪ってきた。まるで国家にたかる寄生虫のような存在である。

 我々はこれまで日本の官僚を悪と見なしてきた。それは彼らの能力は抜群であり、計画を作りそれを推進する力はそれなりに評価できる。
 しかし、社会的弱者に対する“共感”という人間として当然兼ね備えていなければならない部分に欠けていると見たからだ。

 彼らは学歴社会における最優秀者であり極めて知能が高い。彼らからすれば、社会的弱者というのは、知能において劣っている学歴競争社会における敗北者である。

 彼ら高級官僚は極めて冷酷である。しかし、成功者即ち金持ちには平気で“媚びる”ことができる人種でもある。この官僚の思考に従えば、強者は増々強者となり、弱者は増々弱者となる。

 本来はこの強者と弱者との差を縮めるのが政治の使命であるが、この官僚制度が邪魔になって、政治はその力を十分に発揮することが出来ない。故にそのツケは常に庶民に回されてきた。

 地方自治法には地方公務員が市民の意向に沿わない不正な行為をした時にはリコールで辞めさせることの出来る制度がある。これを国家公務員においても早急に確立しなければならない。憲法には「公務員を任免するのは国民の固有の権利」と書かれているが、これは死文化している。

不正をいかに阻止していくのか

 国民側には免職する権利があるが、その方法はない。検察庁や公正取引委員会もそれなりにやってはいるが、いつも氷山の一角を摘発しているに過ぎない。ここは専門のチームを発足させ、監視を強めるべきである。

 この種の事件の罰が軽いのも問題だ。懲役刑を重くして財産の没収などを考えるべきである。特別の法廷を設立しても良かろう。公務員を罷免することが国民固有の権利とされているなら、これをその根拠にすればいい。

 官僚だけに限定して人民裁判制度(言葉は相応しくないが)のようなものをつくり、一般の告発によって役人を法廷に引きずり出す。これまた一般から選ばれた裁判員や陪審員が判決を下す。刑罰は懲戒免職と財産の没収、懲役刑に関しては従来の裁判所が行う。

 これくらいの厳しい制度を設けないと、この種の犯罪は撲滅できない。
官僚制度とは上は権力と癒着して、下は左翼系労組の牙城でもある。このような官僚天国を何とかしなくてはならない。

ブログランキング    ←応援お願いします!

  

Posted by the_radical_right at 06:56 │ mixiチェック │政治・官僚・企業腐敗 

2006年02月12日

自衛隊に国軍の誇りを!

f36d655c.jpeg「遭難」救助にも生命賭して活躍する!

自衛隊を「憲法違反」呼ばわり!

 私は今日は福島市に帰っていたわけだが、お隣りの二本松市の安達太良山で山岳スキーに行った4人が下山せず、とのニュースが!
 遭難かと思われたが無事救出された。先ずはホッとしたが、この遭難事件と今回の社民党の「自衛隊違憲」宣言が重なった。

 実は平成元年の頃の話だが、日頃、議会で自衛隊の存在に文句ばかりつけていた社会党の市会議員が夏山で「遭難」し、出動した自衛隊員に救助されるという事件がありました。このことを思い出しましたが、本当に腹立たしさが残りました。

 この議員は自分の政治信条から自衛隊員の救助を拒んだ訳でもなく、また、その後の議会活動で自衛隊員に対する偏見を改めた訳でもありませんでした。この�狢臉萓賢瓩麓�衛隊の救助活動は「無かったこと」にしたかったのです。

 実際に自分が救助されていながら、その「事実」を認めようとしなかったこの市会議員を、当時私は取材しました。確かに意地悪い質問だったかも知れません。しかし、私は自然災害の度に正に生命を賭した活動に、あまりにも新聞社や政治家が冷ややかな視線しか見せないのが許せなかった。

 かつて自衛隊員は休日に外出する時に、制服を着て町を歩くのも遠慮がちだった。成人式の式典に出席するにも左翼団体が大騒ぎして、それに自治体が迎合して参加することもかなわなかった。

 しかし、ここにきて自衛隊員に対する国民の「まなざし」は変わりつつあるのは事実であった。着実に国民の信頼を勝ち得てきた。しかし何故、今、社民党は急に「自衛隊違憲」などと言い出したのか?

 北朝鮮への経済制裁に踏み切れば、北朝鮮は宣戦布告と見なすと脅している。この時期に社民党がこのような決定をしたことは、重大なる反国家的行為である。私はどうも北朝鮮からの工作の臭いを感じる。

 自衛隊員の皆さん、日本民族の叡智は必ずや、真の国軍創設に至るに違いありません。もう少しの辛抱です。あなたたちの地道で献身的な活動・任務が正当に評価される日はそう遠くはありません。

 我々《極右》は若き自衛隊員に国軍としての誇りを一日も早く与えたいと願う。それが我々の目指す新国家創造運動でもあります。

ブログランキング   ←支援クリックお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 20:03 │ mixiチェック │9条・国軍 

社民党「自衛隊違憲」の馬鹿ばかしさ

4145b5af.jpeg社民党の呆れた「自衛隊違憲」宣言

 社民党は昨日の党大会で、自衛隊は「違憲状態にある」との綱領を採択した。旧社会党時代、それまでの「自衛隊は憲法違反」という主張を変えさせたのは、突然飛び込んだ自民党からの連立政権の誘いだった。

 万年野党として存在感が薄かった旧社会党。お手本としてきたソビエト社会主義国家も瓦解して、打ちひしがれていた彼らにとって願ってもない事だった。彼らは党是をかなぐり捨てて権力の座に飛びついたのである。

 そして今日、国民から見離されたこの党の選択は先祖返りだった。自衛隊をまた憲法違反と規定して日本国家の弱体化を狙い、共産中国や北朝鮮の侵略に手を貸す売国的な輩である。

 私はこの社会党が主張してきた「自衛隊反対!」の運動の中で辛い思いをしてきた人を見てきた。それは自衛隊員の息子で小学校時代の同級生S君であった。彼はお父さんが福島市の駐屯地に転勤してきた関係で、5年生の時に私たちが通う学校に転向してきた。

 日教組の先生が何かにつけて、このS君に辛く当っていた。それが彼の父が自衛隊員であることと関係があったことは、それとなく分かったが、当時の私にはどうすることも出来なかった。私が親しくすると私にも虐めが始まった。

 この日教組の先生の口癖は「勉強しないと自衛隊員くらいにしかなれないぞ」だった。まるで自衛隊員になる人が馬鹿ばかりのような悪口三昧である。このような先生に私は反発を強め、おかげで余計虐められた。

 私が成人式に出席した時である。福島市の県営体育館に大勢の人が集合していた。一台のマイクロバスが近づいた。福島市の自衛隊の駐屯地から成人式に出るためにやって来た同じ20歳の自衛隊員達であった。

 このマイクロバスが到着するや、赤旗を振りかざした集団がマイクロバスを取り囲んだ。社会党の青年組織・社青同の連中だった。自衛隊員はバスを降りる事が出来ずに、そのまま帰るしかなかった。

 米国では小学校の低学年の生徒に、「将来何になりたいか?」と訊くと「兵隊さんになりたい」と答える子どもがたくさんいるという。なぜ米国が強力な国家なのか。それは近代的な兵器を揃えているだけではないのだ。

 現在の占領憲法を平和憲法と呼び、理想的な至上のものであると信じて疑わない人々にとっては、自衛隊こそ存在してはならぬ余計な存在の最たる存在なのだろう。

 我々《極右》は日本の国家にとって余計な存在、無くなってしまった方が良い存在の最たるものこそ、社民党であると考える。消えてなくなれ社民党!

ブログランキング  ←支援クリックお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 09:46 │ mixiチェック │9条・国軍 

2006年02月11日

他ブログの批評に答える

476ce449.jpeg政治的イスラムの攻撃性を甘く見てはいけない!

 『三輪のレッドアラート』というブログで「極右評論」で取り上げた風刺漫画問題について批判的に批評している。誤解に基づく箇所もあるが、考え方に相違があるようだ。ここで再度我々の見解を述べることにしたい。

 「信教の自由」は人間の普遍的な権利であり、これを否定するつもりはない。また「表現の自由」と「報道の自由」も民主主義社会では重要である。ここで節度を求められるのは「表現の自由」である。

 「表現の自由」は相手を中傷、冒涜するものであってはならない。ここで風刺漫画には、どこまで表現の自由が許されているのか?正直言って西欧社会では大統領や英国の王室も風刺漫画にされているので、その善悪の判断は難しい。

 しかし、「言論・報道の自由」は全く別である。私は「言論・報道の自由」を論じている。風刺漫画で書かれたことで憤慨し、暴力的な破壊活動に発展した場合、それは報道する事が新聞社としての責務である。

 西欧諸国の多くの新聞社がそれを報じたが、それは当然であった。もしそのことが混乱に拍車をかける行為で間違いだとするなら、それはイスラム教の暴力に屈することになる。

 さて、産経新聞は「宗教戦争にしてはならない」と社説で述べた。これがイデオロギー間の闘争であったら、同じように注意を促がしていただろうか。左右が激しくイデオロギーで衝突しても、同じような主張にはならないだろう。

 なぜ、このようなことを書くのかと言えば、西欧社会にはイスラム過激派や原理主義を宗教とは見ずに、イデオロギー集団であるとする見解が広まっているからだ。

 9・11を起こしたイスラム過激派の犯人等はヨーロッパに住んでいた。彼らは自らの役割を西欧と近代一般への反抗にあると自覚した宗教的な人間集団を基礎とする一つのイデオロギーであるとの指摘だ。

 政治、文化、経済の全てにおける西欧の圧倒的な優位と、それとは逆なムスリム社会の停滞、そこから全ての西欧の価値を憎悪して破壊するイデオロギーが生まれたとの説だ。

 フランスの移民暴動、英国における地下鉄爆破事件、スペインの列車爆破事件を目の辺りにしてきた西欧人が、大切にしてきた人権思想とリベラルな価値観が、この新しいイデオロギーによって挑戦を受けていると考えたとすれば、今回の騒動は理解できる。

 イデオロギーは経済やテクノロジーの変化にも対応する。イスラムがもはや敬虔な信仰者でないと、西欧社会が感じ始めた時、彼ら西欧人が考えるのは自分達の価値観を守る戦いである。

 今日の危機を招いているのはムスリムのルサンチマン(被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること)である。イスラム教の指導者は、信徒を暴動に導くのではなく、そのことへの解消に努力しなければならない。

 我々《極右》はテリトリーこそ守らねばならないと考える。イスラムは西欧社会においては、西欧の価値の中でこそ生きるべきであると考える。日本社会においてもそれは同様に守ってもらわなければいけない。

ブログランキング   ←支援クリックよろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 20:13 │ mixiチェック │ネット・ブログ 

情念として甦る“愛国心”

3dc28a8c.jpeg
写真:靖国神社の『遊就館』に展示されている零戦

「建国記念の日」愛国心について

 本日2月11日は「建国記念の日」です。国民の祝日に関する法律第二条で、「建国を偲び、国を愛する心を養う」とあります。日本の歴史の中で、今日ほど国民の間で“愛国心”が軽んじられている時代はないと思います。

 あなたがもし「明日戦争が起きたら、戦場に赴く事が出来るか?」と問いかけられたら、先ず真っ先に何を思うでしょうか。家族のことでしょうか。友人のことでしょうか。そして死と向き合うかも知れません。誰しもが「戦争は嫌だ」と思うでしょう。

 私は戦後生まれの日本人であり、戦争の悲惨さも残酷さも知りません。有り余る自由と豊かさの中で育ってきました。このような自分が戦争と愛国心を論ずることなど、実際にそれを経験した人からすれば、不謹慎なことと批判されるかも知れない。

 なぜならば、我々戦後世代の日本人にとっては戦争などと言われても漠然としたもので、それは書物や映像からしか知り得ていない。確かに日本は平和であった…しかし戦争は世界中で行われてきた。

 我々はそれをテレビニュースで見てきたが、やはりその感想も「戦争はいやだな…」という本心からのつぶやきだった。それは誰しもが思う人間としての本音だろう。

 今から半世紀前、我々の先輩は戦場に赴き多くの若者が死んで行った。彼らも現在の若者達と同じように本音としては「戦争はいやだった」でしょう。しかし、彼らは戦場に赴き戦った。

 では、なぜ我々の先輩は戦争に参加して、自らの命をかけて戦ったのか―。それを観念的に捉えるのではなく、実感から捉えたいと考えた時、靖国神社はなくてはならないものです。

 靖国神社は亡くなった人達の最後の手紙を遺稿集として発行している。この遺稿集を読むと、彼らの愛国心が痛いほど伝わってくる。国家とは家族の集合体であることが理解出来る。

 そして、かつての教育の素晴らしさを認識出来る。戦後の教育とは国家を批判の対象としてしか教えず、国家に報恩することは罪悪と見なして攻撃した。国家とは終局的には破壊の対象でしかない、という左翼思想の教えである。

 では、我々戦後世代にとって「国家」とは一体何であるのか?これを抜きに愛国心を語ることは出来ない。ましてや戦争で自らの命を賭けて戦うことなど不可能である。

 我々は先ずそれを知らなければならない。それを知ることによって戦後社会と戦後教育の誤りに気がつく事になり、本当の意味で「祖国」に目覚めることが出来るだろう。

 この難問題を解き明かしてくれるのも、また靖国神社なのです。靖国神社に祀られた戦没者を国家の為に戦った「殉教者」と自分の目で見れるようになった時、我々は真の祖国を感じ、そして自分の胸の内に「日本人の魂」を甦らせることが出来るのです。

 それは知識を会得するという行為とは根本的に違うものであり、自分の心に中に一気に情念として燃え上がるものなのです。

 私は右翼活動を20代から30代中頃までやっていました。街宣カーを止め多くの人々に呼びかけてきました。特に「建国記念の日」は、一日数十箇所で演説しました。当時を思い出し再現させていただきます。

「皆さん、日教組はこの国旗・日の丸は人殺しの旗であり、国歌・君が代は人殺しの歌であり、靖国神社の英霊は戦争犯罪者であり、天皇陛下はその戦争犯罪の責任者であると罵倒してきました。そのような教育を受けて育った私が、何故、今この場で堂々と日の丸を掲げ君が代を歌い、靖国神社に眠る英霊を敬い、天皇陛下には礼を尽くさねばならぬと訴えているのでしょうか?」

「それは我々は日本人(ニッポンジン)であるからです。この日本に生まれ、日本人を父と持ち母と持ち、この日本で育った真の日本人であります。我々の帰るのはこの日本の大地しかありません。だからこそ愛国心が今この心の中に甦ってきたのです…」

ブログランキング    応援よろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 09:17 │ mixiチェック │教育・日本人精神