辻元清美先生、小泉首相に靖国参拝で
「ムハンマド風刺漫画抗議行動のように、国際問題になる」
靖国神社への公式参拝にあたり、小泉首相は次のような談話を発表しています。
「わが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意をささげたいと思います」
「私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊(みたま)の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることにあらためて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考えてきました」
この首相の言葉はそのまま小泉純一郎という人間の『心の中にある』ものだ。ところが、『心の自由』ですむのなら、と題して朝日新聞は14日に「靖国問題の迷路」としてこれを取り上げた。
その記事の内容は、「国家の解体を目指す政治家」と自称する社民党の辻元清美議員の国会質問を援護したものになっている。
小泉首相は靖国参拝への批判を「心の問題」だと突っぱねてきた。辻元氏は切り込んだ。「総理是非『心の問題』の迷路から抜けていただけないか」
第一「心の自由」はみなにあるが、それを行動に移した時に責任が生じる。靖国参拝は首相個人の問題とは別次元の話になっている。
迷路から抜けていただけないですか?とは、まさしく“迷言”である。世迷言と言い直しても良いだろう。因みに世迷言とは自分の思うようにならない場合の愚痴とか他人を罵って使う言葉の意味でもある。
迷路に踏み込んでしまったと思っているのは、辻元先生と朝日新聞社の方であって、小泉首相のこの問題に対する姿勢は一貫している。ただ、何度も同じことを訊く偏向新聞社にあきれ果て、「心の問題」として突っぱねているだけである。
個人の問題とは別次元の話というのは、共産中国と韓国からの批判を指すのであろう。
第二として辻元氏は次のように質問している。「民族対立、歴史的な恩讐といった国際紛争の原因は、要は心の問題だ。価値観の対立の問題だ。心と心のぶつかりあいにいかに折り合いをつけていくかが「政治の役割」だ。日中、日韓の両国民の「心のぶつかりあい」でそれをどう解きほぐしていくかという観点に、首相の関心は向かない。
要するに辻元氏と朝日新聞社は戦争や国際紛争など「心の問題」だとおっしゃりたいらしい。「心が通い合えば戦争はなくなる」とでも言いたいのだろう。であるならば、その方法は明示されているのか?もし我が国だけへの一方的な譲歩を求めるものならば、それは互いに「心が通じ合う」とは言えないだろう。
私もこの質問をテレビの映像で見ていたが、いつから辻元先生はこんなセンチメンタルな乙女に変身してしまったのか?
かつては勇ましく「拉致被害者救出よりも北朝鮮への賠償が先だ」などと語っていたのに、まるで最初は別人のような質問だった。
しかし、最後の方になるとイスラム教預言者ムハンマドの風刺画掲載に対する激しい抗議行動を 引き合いに「心の問題を軽く扱うと大きな国際問題になる」と甲高い声で追及し、 参拝中止を求めた。
ところで毎日新聞は11日にムハンマド風刺画の最後に、このようなことを書いていた。
「誰も反対し得ない「表現の自由」を楯に転載を続ける欧州メディアとこれを許容する世論。非寛容が国際政治の構造を変えるという点で「心の問題」を掲げた靖国神社参拝で悪化する日中関係と通底するものがある」(グローバル・アイ:風刺画の波紋、非寛容が変える国際秩序)
朝日新聞も負けてはいない、次のように書いている。
「信仰上の、思想上の真実をそれぞれが貫き通そうとすれば、争いはいつまでも終らない。比べようのないものを比べようとする限り、人々は迷路の中をさまよい続けることになる。心や価値の問題は棚上げして比較的可能な利益の次元に、対立を絞り込む。政治的な共存はそういうやりかたで、常に暫定的に実現されるほかない」
長くなるのでそろそろまとめに入ろう。辻元先生と反日マスコミはことある事に、小泉首相の靖国参拝を止めさせて、中韓の主張に日本を従わせようと必死である。そうとでも考えなければ西欧の風刺画と絡めてこんな議論が起きるわけがない。
信仰を重視する立場から言えば、イスラム教徒と小泉首相には共通点がある。その反対に政治的主張を重視するなら欧米メディアと中韓は重なる。大きな国際問題になると心配して、その責任を頑迷に靖国参拝にこだわる小泉首相にあるとの指摘であれば、辻元先生や反日マスコミはムハンマド風刺画で暴徒化したイスラム社会にこそ問題があるとしなくてはならない。
しかし、毎日新聞社の記事は明らかに欧州メディアとそれを許容する世論を非寛容と批判している。そして、その非寛容さが小泉首相の「心の問題」と通底していると批判する。もう論理構成が支離滅裂ではないか。
この非寛容とする言葉は、これまで移民反対、不法就労外国人追放を訴える我々《極右》に人権派と左翼が投げつけてきたものだ。寛容の精神とは彼ら反日勢力のお題目でもある。
現在欧州で問われているのは、果して欧州はイスラム移民と折り合えるのか、である。
今、東アジアで問われているのは、理不尽な中韓の主張に屈するのか、跳ね返すのか、の二者択一の選択である。この二つの難しい問題を調子良く結びつけようと思うから、矛盾したことを平気で口にして、書いてしまうのである。
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