2006年02月05日

『国家』は我々現代人だけのものではない!

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写真:東ティモールで活躍する自衛官ら

『平和を願う』前に考えて欲しいことがある!

 

「平和主義を唱える愚かさと敗北主義」の投稿について、『平和を願う主婦』さんから以下のコメントがあったので、ここで答えておきます。


わたしは議論をするために書き込んだわけではありません。
あまりにも身勝手な主張をしているサイトを見て、読まれる方が洗脳されてしまうのをおそれました。戦争の悲惨さを多くの人が真摯な気持ちで語り合うときに、この言葉はいかがなものでしょう。
>この相手に無条件で従うことは、
>実は戦争で失うもの以上のものを
>我々が失うということになります
人の命が一番大切ではないのですか?生きているからこそ、精神もあるのであって、命を無くして一体何が残るのですか?
あなた方の主張を見ていると、再び日本が過ちを犯すようになると思います。何よりも平和を希求することが大切で、それを理想とすることに何のためらいがあるのでしょう。
Pby 平和を願osted う主婦 at 2006年02月04日 13:35


 このようなコメントは例え議論を前提にしない批判のみを目的としたものであったとしても歓迎します。今後もよろしくお願いします。

 戦争で失う最大のものは尊い人命であることは言うまでもありません。
 しかし、我々はそれ以上に失ってはいけないものがあると確かに書きました。そこに疑問を抱かれたのでしょう?それが精神だと言うなら、肉体が消滅した後に精神が宿る所があるのですかとの素朴な疑問も分かります。
 我々《極右》は現在ある、この日本という国家が今、現時点で生活している者だけに与えられているとは思いません。この国家の為に尊い生命を投げ出した者、そしてこれからこの国家に生を受けるであろう者、そのような仏典用語で言えば輪廻の世界にあるのだと思います。
 よって精神とは肉体にのみあるのではなく、国家がある限り未来永劫に渡って受け継がれていくものであると考えます。そのようにして我々は日本人としての精神を受け継いできたのだと思います。
 『国敗れて山河あり』ではなく�犢餘匹┐道害呂覆鍬瓩慮什漾�我々は日本国の将来を案じて戦争の犠牲となられた戦没者の慰霊に応えなくてはならないと思います。

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Posted by the_radical_right at 11:59 │ mixiチェック │教育・日本人精神 

2006年02月04日

「反中国講座」�� 共産主義との戦い

bbd89580.jpeg『反中国講座』�� 

 シベリア出兵と共産主義の南下阻止




 前回、日本は日露戦争によって満州に帝政ロシアが持っていた権益の譲渡を受けたことを記した。支那大陸に兵を送ったわけでもなく、戦争をして奪い取ったものではなかった。清国との講和によって権益を得たのである。

 日露戦争の敗北が一つの契機となって、ロシアにおいてはレーニンが率いる共産主義革命が起きた。この革命が世界中に伝播することを恐れた英国やフランスは、日本と米国に出兵することを強く要請した。この要請に応じて日本はシベリアに出兵。日本がソビエト共産軍と対峙するのに重要な拠点は満州であった。

 日本は日清講和条約で得た満州における権益を守備する兵隊を駐留させていた。清国は各地の叛乱を鎮めることが出来ずに崩壊状態に。当時、満州は名目的には袁世凱政府の支配下とされたが、実効的な支配が及んでいるとは言えなかった。

 日本は国際社会の要請によって共産主義と戦うためにシベリアに出兵。その後撤兵したが、満州に持つ権益を保持し、共産主義の南下を食い止めるため、支那大陸を分割支配していた地方軍閥の協力を得ながら共産主義と対峙して満蒙国境沿いに展開していた。

 国民政府の蒋介石は共産党と戦闘中だったため、日本軍との戦いを避けていたし、張学良も抵抗らしい抵抗はせず、地方軍閥もほとんどが日本軍と手を結んで地方を政権固めする途を選んでいたのである。

 このように見てくると、現在、中国側が日本は当初から支那大陸の支配を目指して大軍を送り込んできたとする説は、あまりにも歴史を歪曲したものであることが分かる。日本共産党は靖国神社が戦争を賛美しているとして以下のような記事を掲載している。

「靖国神社は、日本の戦争を『自存自衛』の戦争、白人(欧米)の支配から『アジアを解放』するための『正しい戦争だった』としているのです。しかし、この戦争は、最初から、他国の領土を奪うことが目的でした。日本は、1931年に中国東北地方に攻め込んで以来、戦争を中国全土に広げ、太平洋戦争に拡大する前年には、下の地図のとおり、中国から東南アジア、インド、オーストラリア、ニュージーランドまでの広大な地域を『日本の生存圏』などとして、支配を広げることを決めていました」(良識派氏のコメント投稿より引用)

 ↑上記の中にある「1931年に中国東北地方に攻め込んで以来、戦争を中国本土に拡大…」の記事は明らかに説明不足で意図的ですらある。日本軍は他国の領土を奪うことを目的で支那大陸に行った訳ではないことは、これまでの検証で明らかである。

我々《極右》は、先の大戦の大義を

「自存自衛」の戦争!

「アジア解放・民族独立」の戦争!

「国際共産主義との対決」の戦争!

と三つ挙げる。よって支那大陸における戦争とは侵略戦争ではない。

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Posted by the_radical_right at 19:57 │ mixiチェック │反中国講座 

平和主義を唱える愚かさと敗北主義

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平和主義は理想主義とは違う、それは敗北主義だ!

 昨日は少し冷静さを欠いた文章を書いてしまったが、今日は昨日のような感情的文章ではなく冷静さを取り戻し、社民党の唱える「平和憲法論」「自衛隊違憲・非武装中立論」に反論を加えておきたい。

 多くの考え方の違う民族や人種が、互いに生活圏を構成し生存している今日の社会において「平和」というものが、いかに脆いものであるかを、我々は冷戦崩壊後の世界で嫌というほど見てきた。湾岸戦争、ユーゴ内戦、チェチェン紛争、アフリカ諸国の内戦、またイスラム原理主義組織によるテロももう戦争の範疇に入る規模となっている。

 我が国の憲法には「諸国民の公正と信義に信頼し、武力を放棄した」とあるが、これを平和憲法と称して旧社会党やマスメディア、あるいは進歩的文化人らは我が国は平和の守護者であらねばならぬという主張がまかり通ってきた。

 しかし、平和な社会などは実に脆く、崩れ易いものであるかが証明されつつある。我が国の周辺を見渡しても先軍政治を掲げ、核武装の野望を捨てようとしない北朝鮮、近年異常な程までに軍事費を伸ばし軍事拡大路線を突っ走る共産中国。

 これらの国家は断固とした軍事優先の思想によって指導されており、彼らは迷うことなく戦争を遂行する確固たる信念を有している。それが何故なのかの議論はここではしないが、もう既に軍事力を持たない平和などは所詮は理想に過ぎず、現実には有り得ないことがはっきりしてきた。

 米国から押し付けられた占領憲法の前提には、世界は平和を求めており、自ら仕掛けなければ戦争など起きるはずがないという考えがあったが、この大前提は既に崩れている。
 北朝鮮工作船の日本領海侵犯、共産中国原潜の日本領海侵犯…この二つは明らかに侵略行為に他ならない。

 相手が戦争を起こしてきたらどうするか?
 かつてはそのような事はありえないと護憲派は言ってきた。しかし、現実に日本の領海は侵犯されているではないか。相手が侵略してきたら断固として戦う他に方法はないだろう。

 護憲派は絶対平和を唱えているが、おそらくは日本が他国から侵略されても、ただ何もせずに白旗を揚げた方が良いとでも考えているのだろう。その方が犠牲が少なくて済むとも彼らは言っている。

 ところが、この相手に無条件で従うことは、実は戦争で失うもの以上のものを我々が失うということになる。その辺りの事が分からないと議論にすらならない。

 戦争には勝つか負けるかの二つに一つしかないように思われがちであるが、実は勝つことが出来なくても、簡単には降伏しなかったということが、実は大切であり、それが後に大変生きてくることなのだ。

 私は戦前の日本がそうであったと思っている。確かに原爆の投下によって無条件降伏となり、多くの犠牲を払うことにはなったが、日本人の精神を相手(米国)は認めざるを得なかった。それが戦後の奇蹟的な復興に繋がったと思っている。

 物理的な敗北は期したが、精神的な敗北は免れたからこそ、日本は世界第二位の経済大国にまでなり得た。抵抗する精神さえ無かったら、国家は消滅していただろう。大切なのは物ではなく心だ。

平和主義を唱えることは理想主義でなく敗北主義であると我々《極右》は考える!

相手に対してだけでなく、自らに対しても敗北することなのだ!

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Posted by the_radical_right at 08:05 │ mixiチェック │9条・国軍 

2006年02月03日

社民党など消えてなくなれ!それが日本のためだ!

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社民党など早く消えてなくなれ!

 今更、社民党の「自衛隊は違憲状態」を取り上げるのも何だと思うが、やはりこの亡国政党は取り上げざるを得ない。その理由は私怨に尽きるといっても過言ではない。私は若い頃は地方公務員であった。この当時の市役所の職場と言えば自治労や社会党左派の社会主義協会やその青年組織である社青同が支配する“自由なき”職場だった。

 私は左翼が嫌いだった。なぜそうなったかは、生まれ育った環境にもよるものだろう。朝起きれば祖母が仏壇の前で、戦死した父の兄の写真を見つめ正座して線香をあげる。幼い頃の私はいつも隣りに座らされていた。

 家の玄関には戦争に徴集され亡くなったことを証明する「戦没者の家」と書かれた小さな看板(プレート)が掛けられていた。祖母はそれが何よりの誇りだと言っていたのを聞いて育った。

 本来なら我が子が戦争で亡くなっている訳だから、国に対する恨みつらみの言葉が一つくらいあっても当たり前だと思ったが、祖母は全く逆に「国のために戦い死んだ、こんな名誉なことはない」が口癖だった。

 自分が幼少の頃のことで忘れられない光景がある。近くに東北本線があるが、その沿線に多くの人が列をなして座りこんでいた。皆ゴザを敷いてそこで座っている。その人数はとても多く、驚くほどの人だかりであった。一体何が始まるのか?私には全く分からなかった。

 やがて列車がやって来た。まだ蒸気機関車の時代である。皆が一斉に立ち上がる。座り込んで頭を下げている人もいた。誰からとなく「天皇陛下、万歳!」の大合唱が始まった。私が昭和天皇をこの目で見た初めての日でした。

 昭和天皇は列車から身を乗り出して、帽子を片手に持ちながら左右に大きく振って、皆の万歳三唱に応えておいでであった。人々は列車が遠く離れて見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

 これは後に昭和天皇が全国を廻り、国民を激励して回った“全国行脚”と知りました。

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 私が市役所に入った時、余りにもその異質な職場の姿に仰天した。壁にはこのような文字が大きく書いてあった。

日の丸の旗は侵略の旗

君が代は侵略の歌

軍人は人殺しであり

天皇は人殺しの張本人

 私は5年ほど市役所にいたが、右翼活動家となった。彼ら左翼系労組と旧社会党が許せなかった。彼らを日本という国家から追放したかった。彼らはやがて自滅の道を歩み始めた。

 今回社民党が先祖返りをしたのは、前原民主党との違いを強調して、来年夏の参院選での再生を期すためとしている。こんな党に生き返られてはたまらない。最後の引導を渡す参院選挙にしたいものだ。

 今朝の社民「自衛隊は違憲状態」の新聞を読んで思わず冷静さを失った。皆さん感情丸出しの文章でお許し下さい。     瀬戸弘幸

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Posted by the_radical_right at 09:16 │ mixiチェック │9条・国軍 

2006年02月02日

進出であって侵略ではなかった[正しい歴史観講座]

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『反中国講座』��

「進出」であり
「侵略」ではなかった!


 朝日新聞社が旧文部省時代の昭和57年6月に、教科書の検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報道した誤報事件を契機に、共産中国、韓国、北朝鮮らが騒ぎ出して満州への進出が「侵略である」との考えが半ば日本では定着してしまった。

 日本軍が支那本土にいたことは間違いないが、それは植民地支配を目指してのものだったのか、或いは進出と表現すべき軍隊の派遣であったのか?このことをしっかりと再検証しなくてはならない。後に分かった事であるが、この「侵略」から「進出」への書き換えは全くの誤報であった。にも拘らずあれだけ中国や韓国が強烈に反発した背景には、逆にそう書き換えられていたとしても仕方がない要素がたくさんあったと見るべきではなかったかと思う。

 つまり、極東軍事裁判によって日本は支那大陸に植民地を求めて軍隊を送ったと断罪されたが、それは戦勝国の一方的主張であり、また違った歴史の真実があったのではないのか?我々はまずそのことから歴史を見つめ直す必要がある。

 例えば、現在、日本の自衛隊はイラクにおいて人道復興支援を行なっている。現地においては一部の過激派はこれを日本の侵略と捉えるかも知れないが、現在のイラク政府はそのような立場はとっていない。しかし、また旧サダム政権が万が一にも復活したら、これは日本軍の侵略とされてしまうだろう。

 つまり、時の政権の移り変わりによって、その行為は180度違ってくることも事実なのである。このような視点から見るなら満州に60万人もの軍隊がいたとしても、それが即侵略的行為であったとは言えないだろう。

 明治時代に遡る―、支那大陸は満州族が支配して清国と名乗っていた。清国は朝鮮を属国と考え、帝政ロシアは朝鮮に対する野望を抱いていた。日本は自国の安全のために朝鮮の中立性と自立を望んでいた。しかし、朝鮮の李王朝はすでに五百年も続いており、官僚腐敗と国土の荒廃、さらに清国とロシアの脅威によって国家が崩壊寸前で、自らの力で運命を切り開く能力はなかった。

 日清・日露戦争とはそのような状況の中で起きたものであり、日本は多大な犠牲を払ってこの戦いに勝利したのである。日露戦争の勝利で得た最大のものは、当時ロシアが清国・満州に持っていた様々な権利であった。これを日本は清国との協議の中で譲渡を受けたものである。

満州に関する日清条約の要約(1905年12月22日)(明治38年) 

 第1条 清国政府は露國が日露講和条約第5条及び第6条により日本国に対してなしたる一切の譲渡を承諾する。

  第2条 日本国政府は清露両国間に締結された租借地並びに鉄道施設に関する原条約に照らし、努めて履行すべきことを承諾する。将来何ら案件の生じたる場合には随時清国政府と協議の上これを定むべし。

このように見てくれば、確かに日本は満州に様々な権利を有することになったが、これは日本が直接支那大陸に戦争を仕掛けて奪い取ったものでないことは明らかだろう。

明日はシベリア出兵について触れる予定である。なぜ、日本が60万人もの大軍を露満国境に貼り付けていたのか?それも他国への侵略とは全く関係のない、国際連盟からの要請によるものだった。

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Posted by the_radical_right at 18:03 │ mixiチェック │反中国講座