「過ちは、二度とくり返しません」こそ不可解。
8月6日は、広島市民のみならず、私たち日本人が未来永劫、歴史が続く限り、語り継ぎ記憶しなければならない日である。
どうして広島をいつまでも記憶に留め忘れてはいけないのか。
反戦平和という「耳障りのよい言葉」やムードが一人歩きして、本当の意味での8月6日が無化或は風化してしまう危惧を持つのは私一人ではない筈だ。
また、同時に「平和宣言」です。「日本はかっての植民地支配や戦争で、アジア太平洋地域の人々に大きな苦しみと悲しさを与えた。私たちはこのことを申し訳なく思う。」との一説がある。
「過ちは二度と繰り返しませぬ」という言葉ほど馬鹿げたものはないし、この言葉が60年経った現在においても語られているところに、今日の社会が本質的な欠陥を抱え込んでいる証左でもある。
これでは、日本がアジアの人たちを苦しめたから原爆を投下されたと、当の日本人が主張しているのです。
米軍による無差別大量殺戮の犠牲となって、灼熱地獄の中で死んで行った同胞を、日本がアジアの人を苦しめたのだから、その罪を償わされたと言っているのだ。
戦後日本とはこのような自虐史観、東京裁判史観のみが正当化された時代である。
このような時代に我等は生まれたが、自虐史観がどれほど我等を傷つけてきたか、そして苦しませて来たかを戦後の支配して来た輩は考えたことがあるのだろうか。
8月6日の意味は二つある。その一つは原爆を投下され多くの日本人が殺されたという日であったという事。
そして、もう一つはその原因を「誤ちは二度と繰り返えしませぬ・・」としたことだ。
一体全体、何が過ちだったのか。原爆が投下されたことが罪の償いだったとは、これでは余りにも英霊を冒涜するものだ。
我等はわが国の悠久の歴史の中においてのみ、あの戦争と原爆投下を位置付け、現在の社会と対峙させうると考える。
そして、そこから祖国を建て直す。なぜなら我々<極右>以外に、この日本を立て直す者がいないと固く信じるからである。

