2005年12月29日

左翼書評家に問いただしたいこと

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     見果てぬ夢を追い続ける共産主義者の世迷言

 

この極右ブログに書評日記・パペッティア通信なるブログからのトラックバックを良く見かける。暇な時に読ませて頂いたが、思想的には左翼傾向の人のようだ。何故左翼の方が立て続けにトラックバックするのか、それは知らない。http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/20051226/

 

私はこの「新共産党宣言」という書籍は読んだことはない。

 

 

 

支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ!プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかに失うなにものもない。われわれの獲得するものは全世界である。万国の労働者団結せよ!<『共産党宣言』>

 

↑の「共産党宣言」なら知っている方も多いだろう。極左と極右の違いは「失うなにもない」という言葉と「万国の労働者団結せよ!」のインターナショナル志向で明らかだ。「失うなにもない」は土地やお金などの主に財産を言い、経済的な尺度からのものである。

 

にわか成金の資本家であるライブドアの堀江社長は株主総会で株の無配当の見直しを迫られ次のように答弁した。

「大株主である私は4億円の配当を受けられるが、そのうちの4ぶんの1は税金で国家にもって行かれてしまう。そんなことを皆さんは良いと思うのですか?」

 

左翼や資本家は国家に対する忠誠心や責務を軽んじて、国家的観念が希薄である。対して我々《極右》は「個々の利益は国家の枠の中でしか認められない。」という国家至上主義であり、それ故に崇高なる国家の将来像を掲げ“新国家創造運動”に邁進することを誓った。

 

「失うものは、財産ではなく、国家である。」これこそが我々の思想の根源である。故にそれを失わないために闘うのである。

 

さて、話を書評日記に戻そう。難解な文章で凡人の私にはよく理解できない。しかし、民主主義という言葉がやたら目につく。民主主義と共産主義とは相容れない筈なのだが。

 

民主主義は手段の一つであり、その目指す社会は「自由で平等」であろう。しかし、この二つは経済的には相反するものだ。故に「自由か、それとも平等か?」と言った身も蓋もない現実があるのだ。だが共産主義社会はそれよりも残酷である。

 

「自由か、平等か?」という二者選択以前の問題として、「不自由で平等でない社会」が出来上がってしまったのだ。この上に貧しさまで加わっては「自由で豊かな」西側社会に取り込まれてしまったのは当然であった。

 

共産主義と民主主義は交わらないもので両立など出来ない。ソ連の最後の指導者ゴルバチョフは「国内に民主主義を徹底させる」と就任演説で述べて、その通りに徹底させたおかげで国家は崩壊した。

 

天安門広場に集まった学生・青年は無残にも戦車によって轢き殺された、彼らの最後の叫びは「民主化要求」であった。共産中国は民主主義を武力で抹殺したことにおいて、堅固なる独裁体制を築いている。

 

最後に左翼の書評家先生に尋ねたい。あなた方は今でも共産主義の未来を信じているのですか?万国の労働者団結せよ!の古びたスローガンにいつまですがり、見果てぬ夢を追い続けるのかと……。

 

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Posted by the_radical_right at 11:48 │ mixiチェック │市民団体・極左動向 

2005年12月28日

筑紫と鳥越の右派ブログ批判に反論する

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     “鬱積した不満”や歴史健忘症からの共産中国批判ではない!

 今年も残すところ僅かに三日となった。師走の何かと気ぜわしい中で、皆さんはいかがお過ごしなのでしょうか。先ずはいつも応援頂いている皆さんに感謝申し上げます。昨日夜懇意にしている新聞記者からメールが届いていました。

「お久しぶりです。《極右》ブログの躍進おめでとう御座います。ネットのブログについては、新聞社の中では一種タブー視されてる部門です。新聞社の社説や報道にに真っ向から反対する主張が上位を独占しており、正直言ってしまえば新聞社から見れば目障りな存在なのでしょう」

「しかし、このような現象を誰も真剣に考えようとはしない。新聞社の配信したニュースに批評を加えているだけだから、自分達(新聞社)の方が上だ位にしか見ていなかったと思います。しかし、今回の《極右》の躍進はどうもショックのようです」

「中国との対決は最早避けられない、とする歴史観から備えを呼びかける主張は不気味であり、新聞記者の中には恐怖感や畏怖感を持ったものもいるようです。なぜ、そのような主張が受け入れられるのかに戸惑っているようです」

 彼らのうろたえぶりが想像できるようだ。新聞社の人間は自分達の考えこそが正しく、それに異を唱えるものなど考えなれないのだ。うぬぼれもここに極まれりと云ったところだ。

 さて、この記者に限らず最近新聞やテレビにおいて、政治ブログに対する関心が高まっているようだ。私は見逃したのだが筑紫哲也と鳥越俊太郎両氏の対談番組があったそうだ。

 「特集・ネットVS報道」という番組の中で、鳥越俊太郎氏の話がブログで紹介されていた。

特集後半の「ネット」「報道」「ジャーナリスト」「ブログ」などの文字が画面のアチコチにちらつくサブリミナル効果満点の筑紫と鳥越俊太郎と「ネットに詳しい」らしい時事通信記者との対談で鳥越が「(日本の)ネットやブログはナショナリストな傾向にあるんだよね、中国に対する鬱積した不満とかさ・・・」(要約)とチクチク噛み付いていたがその鬱積した不満とやらにアンタらみたいな反日媚中ジャーナリストもどきが大いに貢献している自覚はないらしい。
ネットやブログがこれだけ浸透した理由はさっきも触れたが、付け加えるならばそれは既存メディアやジャーナリストもどきが抱いていた「無知な民衆を我々が善導してやる」と言った傲慢な姿勢への反発とメディアリテラシーが根付いた事と決して無縁ではない。

       http://blog.livedoor.jp/deathtron/

 中国に対する批判が“鬱積した不満”とまるで躁鬱患者のように切り捨てるのには驚いてしまう。しかし、このような感覚は実は共産中国の受け売りそのものである。

 何故なら、かって中国の人民日報は「戦争責任を忘れた日本人は歴史健忘症に冒されている」と病人扱いで論評していたからだ。発想は殆ど同じと言って良い。

 我々《極右》は躁鬱でも健忘症でもない。正気である、正気であるからこそ、共産主義の脅威に勇気を持って立ち向かって行けるのである。

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Posted by the_radical_right at 10:31 │ mixiチェック │ネット・ブログ 

2005年12月27日

中国の軍事攻勢を迎撃する国家戦略とは

7127c791.jpeg  「反日デモ」 「靖国神社」 「中国脅威論」

 今年の日中関係は日本を米国から切り離し孤立化させて、東アジアの覇権を牛耳ろうとする共産中国とそれに屈しないという日本側の攻防でもあった。近年になく日中関係が対立を深刻化させた背景とは、戦後60年という節目の年にあたり、戦勝国の仲間である中国が内外に対して、それをことさらのようにアピールした結果が、今年を象徴する日中の対立を浮き彫りにしたとも言える。

 60年経って形骸化した国連の改革において、日本はドイツ、インド、ブラジルなどと組んで常任理事国入りを狙ったが、戦勝国の支配継続を目論む中国は全土において「反日デモ」を組織した。

 この「反日デモ」は当初自然発生的に起きたものと言われたが、その後の沈静化ぶりを見れば、仕組まれた官製デモであることは明らかだった。もし、日本に対する反発から自然発生的に起きたのであれば、その後も引き続き行なわれたはずである。

 また、デモのコース上にあった中国人経営の日本食の看板を上げた飲食店が破壊されたが、もし、本当に民衆の間で反日感情が爆発していれば、中国に進出している日本企業が真っ先に狙われたことだろう。

 一説には「反日デモ」の拡大に恐れをなした共産党指導部が、必死になって抑え込んだというが、確かにそれを全面的に否定するものではない。しかし、共通のスローガンの書かれた旗や看板、若い世代だけの参加者などを見れば、これが最初から組織されたものであることは容易に推測できた。

 共産主義者によって組織化されたものである以上、それはコントロール化されており、「反日デモ」の拡大を恐れたというより、目的を果たし終えたので終息させた、と言った見解の方が正しいだろう。

 あの「反日デモ」の最大の狙いが、日本やドイツなど敗戦国の常任理事国阻止にあったことは明らかであった。彼ら共産党指導部の狙いは思惑通りに達成された。ただ、誤算は「反日デモ」の様子が世界中に放映された点であろう。

 中国という国家が本当に信頼できる国家なのか?そのことに世界の多くの人は疑いの目を向けた。特に直接攻撃の的となった日本人にとってはショックであったに違いない。

 これまで中国の巧みな宣伝工作などによって、友好ムードを抱かされてきた人達の目が一気に覚めた。彼ら共産主義者の凶暴さ、狡猾さを思い知らされたのである。その意味では日本の国民にとっては彼らの正体と本質を見ることが出来ただけでもプラスであった。

 「靖国神社」問題というのは、内政干渉であり、断固撥ね付けるべきで、彼らの主張に一歩も譲る必要などない。靖国神社問題とは戦争で祖国のために散った兵士の霊魂を崇める神聖な場所であり、彼らの介入を許すことはそれこそ傍若無人な共産主義者を土足で踏み入らせるようなもので万死に価する。

 この「靖国神社」については別な国立追悼施設の建設を唱える愚か者もいるが、先の前原民主党代表の訪中で、「靖国神社」問題はそれが解決しても、次にはまた新たなる難問を突きつけることを暗示した。

 つまり、「靖国神社」への参拝はしないと公言している前原代表との会談を拒否した事実は、「靖国神社」だけが問題でないことを自ら白状したようなものだった。国立追悼施設の建設など税金の無駄遣い以外何ものでもない。

 「中国脅威論」については「東アジア共同体」、「東シナ海の油田開発」を抜きに論じることは出来ない。共産中国の軍事的脅威に警鐘を鳴らしているのは、軍事弱国の日本ではない。日本の政治家が「中国脅威論」を口にしたからと言って、日本だけが脅威に晒されていると勘違いしてはいけない。

「中国脅威論」を唱えているのは、世界最大の軍事大国である米国に他ならない。日本はその同盟国として、米国の軍事関係者や戦略研究所に同調しているだけである。この事実をまずしっかりと見ていかなければならない。

 東アジアや東シナ海においてヘゲモニー(覇権)を握るのは、共産中国ではなく米国である。そのヘゲモニーの交代を迫っているのが、共産中国=人民解放軍である。この覇権を賭けた衝突の危機が日増しに高まっている。

我々《極右》は共産中国の覇権交代には絶対反対であり、力の衰えつつある米国を<日米共同覇権構想>によって助け、共産軍を迎え撃つ戦略を国家の基本となすべきとの考えを訴えてきた。

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Posted by the_radical_right at 10:25 │ mixiチェック │特定アジア(中国・軍拡)