2006年01月01日
「自由か、共産(独裁)か」原点に返って
謹賀新年 正月元旦
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。 瀬戸弘幸
2006年の幕開けに、どのようなタイトルでブログを書こうかと考えた末に、古くからのシンプルな言葉である「自由か、共産(独裁)か」に落ち着きました。
実はこの「自由か、共産か」こそが、私が政治思想を学びこの道に進むことになった、忘れることの出来ない言葉でもあります。私は東北の片田舎で農家の長男として生まれ、家業の農家を継ぐために農業高等学校に進学し、農業後継者として社会人の一歩を踏み出しました。
しかし、間もなく市街化区域と調整区域の線引きが行われ、家の農地の大半は宅地並み課税となる市街化区域に編入され、私は将来に渡って農業をやる道を閉ざされたのです。仕方なく私は市役所に勤務することになりました。臨時職員から正式な職員とはなりましたが、私が一番驚いたのは職場の雰囲気でした。
全く自由な意見が言えない暗い雰囲気でした。職場は左翼・社会主義者によって支配され、私はマルクス・レーニン主義の書かれた雑誌を無理やり学ばされたのです。
私の育った家には戦没者がいました。父の兄は中国で戦死したのですが、仏壇にはその写真が飾られ、朝食事の前には正座させられて拝まされました。おばあちゃんは玄関に掛けられた「戦没者の家」と書かれた表札をいつも布切れで拭き、真新しい輝きを放っていたのを覚えています。
そのような家庭で育った自分は、左翼がいう「先の大戦で死んだ日本の兵隊は人殺しだ。」という言葉に耐えられなかった。私は自民党に入党しました。当時田中角栄が総理の時代でしたが、参院選では企業ぐるみ選挙で大敗、共産党が躍進して「民主連合政府構想」を打ち出しました。
この頃(70年代)まさに「自共対決の時代」であり、自民党は歴史的な退潮傾向に歯止めがかからず、若かった私は祖国の将来に危機感を抱きました。当時、市役所には赤旗が乱立していましたが、大日本愛国党の宣伝カーがやってきて、「赤旗を降ろせ!共産主義者は出て行け!」とアジっていました。
私は東京日比谷で始めて愛国党の赤尾先生の演説を聞きました。東アジアの大きな地図がトラックの上に掲げられた。ソ連、北朝鮮、中共が真赤に染められ、日本は今にも赤い大陸に飲み込まれるような感じでした。私はもう居ても立ってもいられない気持ちで、ついに右翼政治活動を始める決意を固めたのです。
当時の政治信条はこの「自由か、共産か」でした。それ以外には何もなかったと思います。その後勉強を重ねて行く内に「反共運動」だけでは駄目なのかと思い始め、「YP体制打倒」を掲げる新右翼運動などにも共鳴を示し、幾多の変遷をへて現在《極右》として活動しています。
今思うに、「自由か、共産か」というシンプルな呼びかけこそ、戦後日本政治・思想の本義でありました。愛国党の赤尾先生の口癖は「近い将来、共産主義と自由主義の戦いになる。日米同盟があるからソ連も中共も攻撃してこないだけだ。左翼は自主独立を言うが、独立できても孤立するだけだ。中共とソ連は今仲違いしているが、あれは嘘だよ。中共を利用してソ連を牽制しようとしているが、裏では結託しているんだ。米国も日本も騙されている。最後は自由主義と共産主義の戦いだよ。」というものでした。
米国のブッシュ大統領は昨年11月中国を訪れた際に中国に対して「政治的自由と宗教の自由の必要性」を強く訴えた。今更皆様にこの言葉の意味する重要性を解説する必要はないでしょう。
一党独裁が国家の国是であり、国民に自由を認めない共産国家に乗り込んで、自由の尊さをハッキリと言明したのであった。自由とは人間の尊厳と切り離すことは出来ない。
対して胡主席は「中国国民は民主的選挙などの権利を行使している」などと応じるのが精一杯で、明らかに食い違う発言で対立点だけが浮き彫りになっていました。共産中国には自由というものがない。中国の国民が真の自由を獲得できるようになった時、脅威は薄らぐだろう。
しかし、ソビエト共産党の自壊を目のあたりにした彼らが、そう簡単には国民に自由を与えることはない。国民の自由への渇望が大きくなった時、その内憂の危機を「反日」へと転換、更なる危機を演出するのは間違いない。
それが激化した時、人民解放軍は東シナ海において、軍事的な冒険主義に出る可能性があるのです。日本の将来にとって今年は極めて憂慮すべき事態が発生するかも知れません。共に2006年を闘う不動の陣地をこのネット上に構築しましょう。
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2005年12月31日
「YP体制」の終焉を宣言したブッシュ大統領
皆さんは、今年に起きた内外のニュースの中で一番印象に残っているものは何でしょうか?私は5月9日にモスクワで開かれた「対独戦勝60周年式典」での映像シーンでした。この式典には戦勝国と敗戦国という、異なる歴史観を持つ53ヶ国の首脳が列席しました。
当初ドイツや日本においては、戦勝国の勝利の祝典となるこの式典の参加を疑問視する声も挙がりました。しかし、ロシア側のスローガン「記憶と和解」に込められた意味を善意に解釈して出席を決めました。
しかし、式典はやはりドイツや日本が危惧したように「和解」を演出すると云うよりは、戦勝国の威信を誇るような形で始まりました。先ず席順ですが、戦勝国である米露のブッシュ、プーチン大統領夫妻を中心に、中国・フランスの首脳が左右に着席しました。
敗戦国のドイツや日本、イタリアは端の方に席次を与えられていました。実はこの式典参加に一番熱心だったのは共産中国の胡錦濤国家主席でした。彼はこの式典で戦勝国側の一員としての立場を世界中に誇らしげに示そうとしていたのです。
しかし、この胡錦濤国家主席の思惑はものの見事に失敗しました。式典が終わって首脳陣が一斉に席を立ち上がった時、小泉首相が足早に米国のブッシュ大統領に近づきました。胡錦濤国家主席などには目をくれず、満面の笑みでブッシュ大統領に握手を求めたのです。
ブッシュ大統領の方もこれまた満面の笑みを浮かべて、この小泉首相の握手に応えました。ドイツの首相の笑顔も両者の間で写し出されていました。これに対して次に映し出された、胡錦濤国家主席の顔は仏頂面そのものでした。
世界はこの戦勝国の60周年式典の中で、戦勝国米国と敗戦国日本の固い絆を見せ付けられたのでした。プーチンや胡錦濤が頭に描いた自らの権威を世界に示そうとした、その思惑は完膚なきまでに砕かれたのでした。
さて、右翼・民族派は戦勝国による戦後の支配体制をYP体制と呼び、この「YP体制粉砕」を闘いの最大のスローガンとしてきました。YP体制とはルーズベルト、チャーチル、スターリンの米英ソ三巨頭が会して1945年2月に決めた「ヤルタ協定」を指しますが、このヤルタ協定によってソ連の対日参戦やヨーロッパの分割が秘密裏に行われたといわれて来ました。
このヤルタ協定によって戦後の世界は呪縛されてきたと言っても良いでしょう。しかし、この「ヤルタの合意」について当事者の米国のブッシュ大統領は「歴史上最大の誤り」と新たな歴史観を示したのです。これは重大なニュースでした、先人の功績を否定したのです。
戦勝国のロシアや中国はYP体制の正当性に固執しますが、ブッシュ米国大統領はYP体制に自ら終止符を打つ考えを明らかにしました。それもこのロシアの式典に出席する2日前にラトビアの首都リガで演説、ソ連によるバルト併合や東欧支配を「史上最大の過ちの一つ」として戦勝国の責任を認めました。
「ヤルタの合意」はソ連の対日参戦とそれと引き換えに北方領土を与える密約もこの時されたと云われており、小泉首相がブッシュ大統領にこの時感謝の意を込めて握手を求めたのは当然の事だったのです。たぶん小泉首相は事前にこのブッシュ大統領から、この「ヤルタ合意」を否定する考えを聞いていたのかも知れません。
右翼・民族派が戦後一貫して叫んできた、「YP体制」はブッシュ大統領によって否定され、その根拠を失いました。後はこの「YP体制」の正当性に固執するロシアや共産中国に対する新たな戦いの陣地を構築しなくてはなりません。いつまでも反米を唱える愚を捨てる時なのです。
今年は本当にありがとう御座いました。よい新年をお迎えください。なお、正月もブログは休みません。迫り来る戦争の危機の中で、祖国は存亡の岐路に立たされています。休み返上で共に将来を語り合いたいと思います。
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2005年12月30日
海洋権益を死守するために法整備を急げ!
一触即発、偶発的軍事衝突に備え、法整備を急げ!
日中の軍事衝突の危険性が最早言葉の上だけでなく、実際に起きる可能性について言及しないわけには行かない。周知の如く共産中国は日本側の排他的経済水域内で石油ガス開発油田の試掘を行ないパイプラインによって既に中国本土への送油を開始した。
この中国側の油田開発に対して、日本政府は共同開発を申し込んできたが、中国側はこれを一切無視して事態は話し合いでの解決は不可能となった。
この事態を受け日本政府もようやく重い腰をあげ、対抗上「帝国石油」に対して日本側海域での試掘を許可した。これには自民党の海洋権益特別委員会(武見敬三委員長)がまとめた「海洋構築物の安全水域に関する法律」の提出が重要となる。
また同じような海洋権益関連法案を民主党も提案しており、両党は早急に協議してこれを国会に提出、この法案の早期成立を目指すべきである。なぜならば、この法案が成立されないうちに不測の事態が発生した場合、日本の政界は混乱して、自衛軍(自衛隊)による対処が躊躇される恐れがあるからだ。
この法案の賛否は記名投票で行ない、誰が親中国派であるかを見極める“踏み絵”としなければならないだろう。何故ならこれは不測の事態に備えた法律であり、日中の利害が対立した場合、各政治家がどのような行動に出るのか、しっかりと見極める必要がある。
日本側が試掘作業に入れば、共産中国の人民解放軍は現場に艦艇や航空機を出動させると今から威嚇している以上、日本側にはそれに当然対抗できる装備を万全にしてからでないと危険で作業に入れない。
中国側の軍事力を伴う妨害工作に対して、しっかりとした対応を決めた法整備は急がなくてはいけない。この法案を一日も早く成立させることが大切であるが、その時、国論が分裂するような事があってはならない。一部の売国者は中国軍の味方をして不穏な動きに出るかも知れないので、その時の準備も怠ってはならない。
この海域は日本の法律では海上保安庁が守る事になっているが、果してそれで十分なのか?自衛軍(海上自衛隊)が守るのが当然ではないのか。
そのことも含めて、中国侵略軍が攻撃をかけて来た時に、どのように対処すべきかを、今から国民にも問いかけを始めるべきだ。一触即発、偶発的戦争の危機の中で、今我々《極右》は日本国民が一丸となって断固戦うべきと訴えるものである。
