謹賀新年 正月元旦
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。 瀬戸弘幸
2006年の幕開けに、どのようなタイトルでブログを書こうかと考えた末に、古くからのシンプルな言葉である「自由か、共産(独裁)か」に落ち着きました。
実はこの「自由か、共産か」こそが、私が政治思想を学びこの道に進むことになった、忘れることの出来ない言葉でもあります。私は東北の片田舎で農家の長男として生まれ、家業の農家を継ぐために農業高等学校に進学し、農業後継者として社会人の一歩を踏み出しました。
しかし、間もなく市街化区域と調整区域の線引きが行われ、家の農地の大半は宅地並み課税となる市街化区域に編入され、私は将来に渡って農業をやる道を閉ざされたのです。仕方なく私は市役所に勤務することになりました。臨時職員から正式な職員とはなりましたが、私が一番驚いたのは職場の雰囲気でした。
全く自由な意見が言えない暗い雰囲気でした。職場は左翼・社会主義者によって支配され、私はマルクス・レーニン主義の書かれた雑誌を無理やり学ばされたのです。
私の育った家には戦没者がいました。父の兄は中国で戦死したのですが、仏壇にはその写真が飾られ、朝食事の前には正座させられて拝まされました。おばあちゃんは玄関に掛けられた「戦没者の家」と書かれた表札をいつも布切れで拭き、真新しい輝きを放っていたのを覚えています。
そのような家庭で育った自分は、左翼がいう「先の大戦で死んだ日本の兵隊は人殺しだ。」という言葉に耐えられなかった。私は自民党に入党しました。当時田中角栄が総理の時代でしたが、参院選では企業ぐるみ選挙で大敗、共産党が躍進して「民主連合政府構想」を打ち出しました。
この頃(70年代)まさに「自共対決の時代」であり、自民党は歴史的な退潮傾向に歯止めがかからず、若かった私は祖国の将来に危機感を抱きました。当時、市役所には赤旗が乱立していましたが、大日本愛国党の宣伝カーがやってきて、「赤旗を降ろせ!共産主義者は出て行け!」とアジっていました。
私は東京日比谷で始めて愛国党の赤尾先生の演説を聞きました。東アジアの大きな地図がトラックの上に掲げられた。ソ連、北朝鮮、中共が真赤に染められ、日本は今にも赤い大陸に飲み込まれるような感じでした。私はもう居ても立ってもいられない気持ちで、ついに右翼政治活動を始める決意を固めたのです。
当時の政治信条はこの「自由か、共産か」でした。それ以外には何もなかったと思います。その後勉強を重ねて行く内に「反共運動」だけでは駄目なのかと思い始め、「YP体制打倒」を掲げる新右翼運動などにも共鳴を示し、幾多の変遷をへて現在《極右》として活動しています。
今思うに、「自由か、共産か」というシンプルな呼びかけこそ、戦後日本政治・思想の本義でありました。愛国党の赤尾先生の口癖は「近い将来、共産主義と自由主義の戦いになる。日米同盟があるからソ連も中共も攻撃してこないだけだ。左翼は自主独立を言うが、独立できても孤立するだけだ。中共とソ連は今仲違いしているが、あれは嘘だよ。中共を利用してソ連を牽制しようとしているが、裏では結託しているんだ。米国も日本も騙されている。最後は自由主義と共産主義の戦いだよ。」というものでした。
米国のブッシュ大統領は昨年11月中国を訪れた際に中国に対して「政治的自由と宗教の自由の必要性」を強く訴えた。今更皆様にこの言葉の意味する重要性を解説する必要はないでしょう。
一党独裁が国家の国是であり、国民に自由を認めない共産国家に乗り込んで、自由の尊さをハッキリと言明したのであった。自由とは人間の尊厳と切り離すことは出来ない。
対して胡主席は「中国国民は民主的選挙などの権利を行使している」などと応じるのが精一杯で、明らかに食い違う発言で対立点だけが浮き彫りになっていました。共産中国には自由というものがない。中国の国民が真の自由を獲得できるようになった時、脅威は薄らぐだろう。
しかし、ソビエト共産党の自壊を目のあたりにした彼らが、そう簡単には国民に自由を与えることはない。国民の自由への渇望が大きくなった時、その内憂の危機を「反日」へと転換、更なる危機を演出するのは間違いない。
それが激化した時、人民解放軍は東シナ海において、軍事的な冒険主義に出る可能性があるのです。日本の将来にとって今年は極めて憂慮すべき事態が発生するかも知れません。共に2006年を闘う不動の陣地をこのネット上に構築しましょう。
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