「反日デモ」 「靖国神社」 「中国脅威論」
今年の日中関係は日本を米国から切り離し孤立化させて、東アジアの覇権を牛耳ろうとする共産中国とそれに屈しないという日本側の攻防でもあった。近年になく日中関係が対立を深刻化させた背景とは、戦後60年という節目の年にあたり、戦勝国の仲間である中国が内外に対して、それをことさらのようにアピールした結果が、今年を象徴する日中の対立を浮き彫りにしたとも言える。
60年経って形骸化した国連の改革において、日本はドイツ、インド、ブラジルなどと組んで常任理事国入りを狙ったが、戦勝国の支配継続を目論む中国は全土において「反日デモ」を組織した。
この「反日デモ」は当初自然発生的に起きたものと言われたが、その後の沈静化ぶりを見れば、仕組まれた官製デモであることは明らかだった。もし、日本に対する反発から自然発生的に起きたのであれば、その後も引き続き行なわれたはずである。
また、デモのコース上にあった中国人経営の日本食の看板を上げた飲食店が破壊されたが、もし、本当に民衆の間で反日感情が爆発していれば、中国に進出している日本企業が真っ先に狙われたことだろう。
一説には「反日デモ」の拡大に恐れをなした共産党指導部が、必死になって抑え込んだというが、確かにそれを全面的に否定するものではない。しかし、共通のスローガンの書かれた旗や看板、若い世代だけの参加者などを見れば、これが最初から組織されたものであることは容易に推測できた。
共産主義者によって組織化されたものである以上、それはコントロール化されており、「反日デモ」の拡大を恐れたというより、目的を果たし終えたので終息させた、と言った見解の方が正しいだろう。
あの「反日デモ」の最大の狙いが、日本やドイツなど敗戦国の常任理事国阻止にあったことは明らかであった。彼ら共産党指導部の狙いは思惑通りに達成された。ただ、誤算は「反日デモ」の様子が世界中に放映された点であろう。
中国という国家が本当に信頼できる国家なのか?そのことに世界の多くの人は疑いの目を向けた。特に直接攻撃の的となった日本人にとってはショックであったに違いない。
これまで中国の巧みな宣伝工作などによって、友好ムードを抱かされてきた人達の目が一気に覚めた。彼ら共産主義者の凶暴さ、狡猾さを思い知らされたのである。その意味では日本の国民にとっては彼らの正体と本質を見ることが出来ただけでもプラスであった。
「靖国神社」問題というのは、内政干渉であり、断固撥ね付けるべきで、彼らの主張に一歩も譲る必要などない。靖国神社問題とは戦争で祖国のために散った兵士の霊魂を崇める神聖な場所であり、彼らの介入を許すことはそれこそ傍若無人な共産主義者を土足で踏み入らせるようなもので万死に価する。
この「靖国神社」については別な国立追悼施設の建設を唱える愚か者もいるが、先の前原民主党代表の訪中で、「靖国神社」問題はそれが解決しても、次にはまた新たなる難問を突きつけることを暗示した。
つまり、「靖国神社」への参拝はしないと公言している前原代表との会談を拒否した事実は、「靖国神社」だけが問題でないことを自ら白状したようなものだった。国立追悼施設の建設など税金の無駄遣い以外何ものでもない。
「中国脅威論」については「東アジア共同体」、「東シナ海の油田開発」を抜きに論じることは出来ない。共産中国の軍事的脅威に警鐘を鳴らしているのは、軍事弱国の日本ではない。日本の政治家が「中国脅威論」を口にしたからと言って、日本だけが脅威に晒されていると勘違いしてはいけない。
「中国脅威論」を唱えているのは、世界最大の軍事大国である米国に他ならない。日本はその同盟国として、米国の軍事関係者や戦略研究所に同調しているだけである。この事実をまずしっかりと見ていかなければならない。
東アジアや東シナ海においてヘゲモニー(覇権)を握るのは、共産中国ではなく米国である。そのヘゲモニーの交代を迫っているのが、共産中国=人民解放軍である。この覇権を賭けた衝突の危機が日増しに高まっている。
我々《極右》は共産中国の覇権交代には絶対反対であり、力の衰えつつある米国を<日米共同覇権構想>によって助け、共産軍を迎え撃つ戦略を国家の基本となすべきとの考えを訴えてきた。
