2006年10月20日

加藤紘一特集 北朝鮮利権に奔走した日々

583fb283.gifシリーズ・加藤紘一研究 ��

検証共和・リクルート、巨額脱税事件!

私設秘書と裏社会! 北朝鮮の利権と闇!

北朝鮮コメ利権で一挙両得を狙う

 お久しぶりの加藤紘一先生の登場です。加藤紘一氏は中川昭一政調会長の「核をめぐる論議は必要だ」に対して「今の雰囲気の中『核装備すると言ってはいけない』との国際感覚を持つべきだ」(大阪市内の講演)で強く批難したと産経新聞が17日に伝えました。
 
 北朝鮮が核を開発した責任の一端は日本の国会にもある、と民主党の長妻昭先生も認めておられます。どのような責任があったのか、かつて自民党の政調会長や幹事長を歴任した加藤紘一氏の北朝鮮との深い関係について紹介しましょう。

 これは前回紹介した続きです。いかに彼らが北朝鮮利権に熱心であったかが良く分かるものです。これはある調査機関が調査したもので、永田町関係者には配布されましたが、一般の国民の目に触れることはなかったようです。

1995年3月28日 与党訪朝団出発
自民党(渡辺美智雄、保利耕輔、中川秀直 首相特別補佐、麻生太郎 副幹事長、大木浩 参議院議員)
社会党(久保亘書記長、関山信之 政審会会長、深田肇 組織局長、渡辺鋭気 本部調査局長)
新党さきがけ(鳩山由紀夫代表幹事、管直人政調会長)計10名。

 3月30日、渡辺、久保、鳩山、金容淳の四党代表が「日朝会談再開のための合意文書」に署名。金丸・田辺訪朝団の「三党共同宣言」は事実上棚上げとなった。
(源・某政党議員秘書)

 1995年4月下旬 金容淳から「日朝交渉の再開拒否」の連絡あり。原因は米韓連合軍司令部による米韓合同軍事訓練の予定(4月下旬〜5月中旬)発表と韓国による「韓国型軽水炉」主張に反対。
(源・現代コリア研究所)

 1995年4月11日 参議院外務委員会で新進党の石井一二議員が、「与党訪朝団に北朝鮮工作員容疑者・吉田猛が「衆議院議員 加藤紘一事務所 吉田猛」の名刺を持参して同行したこと」について加藤を追求した。
 加藤紘一夫人の弟である杉浦幸男が出発の二日前になって急に行けなくなったので、平壌の地理に明るく言葉のできる吉田に行ってもらうことにしたと加藤は釈明したが、当初からの予定と推察された。
 1995年5月24日 国際貿易促進委員会会長・李成禄が「日朝友好学術文化フェスティバル」(10月、京都開催予定)打ち合わせの口実で関西空港到着(野中広務前自治相の秘書出迎え)。京都都ホテル宿泊(吉田猛出迎え)。
(源・某政党本部)

 同年5月26日 東京六本木全日空ホテル36階「シリウスの間」でコメに関する朝飯会開催。
 李成禄、渡辺美智雄、加藤紘一(司会)、久保亘(社会党書記長)、鳩山由紀夫ら7人が出席。
 李は金容淳(肩書なし)からの4通の親書(渡辺、加藤、久保、鳩山宛て)を提出し、正式なコメ援助要請発言を行った。これに即応して政府レベルでのコメ援助と日朝交渉再開で動き出した。
(源・現代コリア研究所)

 1995年6月13日 クアラルンプールで米朝交渉が軽水炉問題で最終合意。タ1995年6月21日 韓国から北朝鮮宛て援助米計15万トン決定。
 1995年6月23日 朝鮮アジア太平洋平和委員会副委員長・李種革代表団来日。
 6月24日、「霞友会館」で、李種革と川島・外務省アジア局長、上野博史・食糧庁長官が会談したが、日本側が耕地面積や食糧不足の事情を質問したことで対立し不調に終わる。
 李は無償援助要望。24日夜、加藤、渡辺と李の三者会談。26日午前、与党訪朝代表団及び加藤と李代表団員との懇談。
(源・政府外郭機関)

 1995年6月30日 合計30万トンの第一次コメ支援策決定(15万トン無償、15万トン有償=10年据え置き、金利2%、20年分割返済、金利3%。輸入金額に換算すると有・無償、合わせて約216億円)
(源・政府機関)

 李種革主催のパーティーに渡辺、加藤、鳩山、関山、深田、川島アジア局長と上野食糧庁長官が出席。
(源・政府機関)

 1995年7月 コメ輸送開始。

 1995年8月2日 李種革は再度コメ支援要請。加藤は同日「自由民主党 政務調査会 会長・加藤紘一」名で李種革宛てに2点確認のファックスを加藤事務所から送る
(源・X)

 1995年8月10日 李種革2点肯定の回答が加藤宛に届いた。
 しかし、産経新聞が8月2日と8日の2回、韓国の親朝鮮雑誌「マル」(8月号)に掲載された金容淳の問題発言(コメは日本が謝罪の意味で援助。コメは畜産と軽工業に使う)を掲載し、一挙に政治問題化した。
(源・現代コリア研究所)

 1995年9月1日 金容淳から第一回回答書くるも、事実を認めず。「デマ報道に惑わされるな」という内容。
 8月24日、渡辺、久保、鳩山、加藤の四氏連名で金容淳に釈明を要求する書簡を送った。
 9月1日、金容淳から第一回回答書が来たが、事実を認めず。
 1995年9月6日 朝鮮総聯通信が水害の被害報道開始。「7月31日から 8月18日の百年来の大雨で死者 68人、被災者 520万人、被害総額 150億ドル」
 1995年9月12日 日本政府は国連の援助要請に応じて、50万トンを北朝鮮に送ることを決定。
 金容淳から二度目の書簡が渡辺美智雄宛に届いた。
 これには感謝の言葉はなかったが日本側の立場に配慮する姿勢が少しは認められたとして、日本政府は追加援助を検討。
(源・某政党本部)

 1995年9月14日 与党側が20万トン(144億円)の追加支援決定。
(源・政府機関)

 同年9月30日 在北京 北朝鮮大使館で第2次コメ支援協議、外務省・別所浩郎出席
(源・政府機関)

 1995年10月3日 日本政府が北朝鮮から届いた 20万トンの追加支援に合意。(有償条件は第一次と同じ)
(源・政府機関)

 東京銀座。東武ホテルの「北朝鮮民主化と人権回復東京大会」で朝鮮民主統一救国戦線・朴甲東が「コメは北朝鮮では武器を作り、戦争を企んでいる特殊な人々の口にしか入らない戦争物資だ」と加藤の北朝鮮へのコメ援助の積極性を攻撃。
(源・アジア問題研究所)

 1995年11月25日〜12月3日の間「社会主義労働青年同盟(現「金日成社会主義青年同盟」)委員長・崔龍海以下5名が日青協との定期協議のため来日 。
 加藤紘一もしくは代理人が都内で2時間、崔と会談。(今村の紹介と推定)会談内容不明。
(源・公安機関)

 1996年1月 新党さきがけ・堂本暁子が訪朝し、金容淳書記と会談。

 1996年2月17日〜20日 社会民主党組織局長・元参議院議員が前官房長官・野坂浩賢の秘書・松原和範と共に訪朝して、金容淳書記と李種革 党国際部長と会談し、両党間の今後の交流の緊密化を約した。
 金容淳は「橋本自立外交」に期待。
(源・某政党)

 1996年3月28日 山崎自民党政務調査会長が記者団に対して「国交正常化への努力が交渉再開に結びついていない現状があり、これを繰り返すより政府がやった方がいい」と表明。
 1996年3月28日 加藤紘一幹事長が「産経新聞」のインタビューで、「北朝鮮との国交正常化について、昨年3月の与党訪朝団が政府間交渉が出来る素地を作った。今後とも政府に継続して努力してもらう。与党や自民党の対応については山崎政調会長が判断する」と、自民党による北朝鮮外交の中止の意向を表明した。

 北朝鮮に渡った支援コメは、貧しい人達には配布されないで、人民軍の腹を満たしただけだった。北朝鮮が現在核やミサイル開発に必死なのは、それを恫喝の道具に使おうとしているからである。

 わが国の政治家は、このような恐るべき国家を育ててしまった、その責任を痛感し反省しなくてはならない。我々は北朝鮮に対する援助について徹底的に調査することを要求したい。

ブログ・ランキング参加中! 応援よろしくお願いします! 

 

  
Posted by the_radical_right at 16:49 │ mixiチェック │政治・官僚・企業腐敗 

6ヶ国協議とならず者国家

346754fe.jpeg

ならず者国家と金正日

 6ヶ国協議はもはや障害に

 再度の核実験をほのめかす北朝鮮に対して、共産支那は唐家セン国務委員を訪朝させた。胡主席のメッセージを伝えたと報道されている。日・米・韓三ヶ国の外相会議もソウルで開催された。

 しかし、この一連の流れで我々が感じるのは、これでは北朝鮮というならず者国家に対して、何ら有効な対応がなされていないという失望でしかない。

 なぜならば、既に核保有を自他共に認めざるを得ない北朝鮮に対して、日本も含めて周辺国がやっていることは「6ヶ国協議に戻ってきてください」とのお願いにしか見えないからだ。

 一昨年9月、6ヶ国は共同声明を採択し、これを発表しました。

�)鳴�鮮はすべての核兵器と核計画を放棄し、核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)に早期復帰する。

�∧胴颪歪�鮮半島に核を持ち込まず、核兵器と通常兵器で北朝鮮に攻撃・侵略する意図がないことを確認した。

�K鳴�鮮は核の平和利用の権利を有すると発言し、他国はこれを尊重すると述べた。適切な時期に北朝鮮への軽水炉提供問題を議論することで合意した。  

 しかし、この後北朝鮮は核放棄よりも、「軽水炉の支援が先だ」と言い出して6ヶ国協議の場から姿を消してしまう。核放棄の約束など最初から守る気がなかったようだ。

 その後の経緯は皆様もご存知のように北朝鮮はこの約束を守るどころか、ミサイル発射、核実験と突き進んできた。この6ヶ国協議というのは、北朝鮮の核開発を断念させるために開催された。

 その意味からすれば、もう現時点において6ヶ国協議の目的は完全に失われてしまった。この間、何も行なわれてこなかったわけではない。 
 胡主席の訪朝、金総書記の訪中、今年3月における米朝のニューヨークでの会談などである。

 しかし、北朝鮮は共同声明発表後、6ヶ国協議へ復帰することはなく、ただ徒に時間だけが過ぎた。北朝鮮が核に固執しているのは、国家戦略であり、それは世界から孤立して、批判されるのを覚悟の上で進めてきたことだ。

 つまり、6ヶ国協議などは時間稼ぎをしてきたに過ぎない。北朝鮮に時間を与えれば、与えるほど彼らに精巧なミサイル開発と核弾頭の量産を許してしまうことになる。

 ならず者国家の指導者である金正日は現在どのように事態を捉えているのだろうか?次にそれを考えてみましょう。

 覚醒剤の密造・販売、偽タバコと偽札の製造・販売、このようなことを国家ぐるみで推進する国は、世界広しと言えど北朝鮮だけである。そうまでして稼いだ資金を投入してミサイルと核兵器が開発されてきた。

 これらの非合法な活動を行なうのは、我が国では暴力団となるわけですが、この暴力団が国を乗っ取ったようなものが北朝鮮なのです。暴力団に相当するものが、労働党であり朝鮮人民軍となります。

 数々の違法なビジネスはミサイル・核開発だけではなく、暴力団の親玉である独裁者・金正日一族の贅沢な暮らしと子分である朝鮮労働党や人民軍の忠誠心を維持するために使われている。

 北朝鮮の特徴は、この恐怖独裁体制を維持するためには、どのようなことでも平気で行なえるという、その驚愕のシステムにある。そしてそれをつくりあげた男こそ金正日である。

 そのように考えれば、この男ほど危険な戦略家、思想家は世界に存在しない。私はこの男を狂気に満ちた独裁者と早くから表現してきたが、この狂気の裏側には冷徹なニヒリズムを秘めているだけに、最悪の事態も我々は覚悟せねばなりません。

 7月8日、英国のフィナンシャル・タイムズは、金総書記のナマの言葉として次のような文章を書いた。

「わたしは世界中から批判の的になっている。しかし、わたしは自分が議論の対象になっているがゆえに、正しい道を歩んでいると思っている」

 この文章はかなり信憑性を持つと感じます。核実験で国際社会を挑発しながら、相手方の出方を覗っている。もう残り任期2年を切ったブッシュ政権の終幕を待って、新たな対米戦略を練っていることだろう。

 この独裁者はならず者であっても、単なる理性を欠いた狂人ではなく、その全く逆に孤立など恐れずに次なる手を考える冷静な判断力を持っている。

 共産支那(中国)なども、このならず者国家と同等の輩であり、中国など一切信用してはならない。6ヶ国協議などもう障害以外のなにものでもない。日本は米国との連携の中で北朝鮮を軍事的に封じ込める道を更に模索、強化すべき時である。

ブログ・ランキング参加中! 応援よろしくお願いします! 

  
Posted by the_radical_right at 08:11 │ mixiチェック │特定アジア(北朝鮮) 

2006年10月19日

「在日」と参政権、その深層を探る

46c99a97.gif

「在日朝鮮人」と参政権問題

アイデンティティと帰属意識にズレが

永続化することこそ酷な選択となる

日本政党に表敬訪問 民団中央3機関長
 鄭進団長ら中央本部の3機関長は5、6の両日、日本の3政党と友好団体を表敬訪問し、生活者団体として再発進することをアピールした。

 5日に訪ねた公明党では、太田昭宏代表、浜四津敏子代表代行ら幹部が出迎えた。鄭団長は「5・17は間違いだった。これからも民団は日本に住む永住外国人市民として民主主義を掲げ、生活者団体として努力を傾注する」と答えた。

 続いて民主党を表敬訪問し、鳩山由紀夫幹事長や大畠章宏組織総局長らと面談した。鄭団長は「総連の人たちも同胞だが、拉致、核、ミサイルなどの問題がある。総連自体も変わらなければならない。脱北者支援は継続して行う」と強調した。金廣昇議長は「韓国ではすでに永住外国人の地方選挙権が実施されている。日本も早期立法化を」と求めた。

 6日は社民党本部を訪問した。鄭団長が「在日同胞の再入国許可は不要ではないか」と質問すると、弁護士でもある福島瑞穂党首は「国際人権規約で在日の再入国許可は不要と言われている。法務委員会で質問したい」と答えた。日韓親善協会では斉藤十朗会長、越智通雄理事長と面談し、参政権獲得への協力を要望、日韓協力委員会では中曽根康弘会長とあいさつを交わした。(2006.10.18 民団新聞)

  韓国系の大韓民国民団はかつては「在日大韓民国居留民団」と名乗っていたが、1994年にこの居留という文字を削除している。実はこの居留という文字を削除したのは大きな意味を持つ。

 辞書によれば―、

 居留とは一時その土地に住むという意味を示す。

 居留地とは、国内の一部を限って、外国人の居住・営業のために指定した地域。中国では租界といった―とあります。

 つまり居留という言葉の意味は、一時とか一部という意味を持つもので、決して永遠とか永続的にという意味ではありません。彼ら韓国系の「在日朝鮮人」は1946年10月3日に「在日朝鮮人居留民団」を創立しました。

 この昭和21年という年は敗戦の翌年で天皇陛下が人間宣言をされ、東京裁判が開始された占領下の日本であった。彼ら「在日朝鮮人」が自らなぜ居留民と名乗ったか?

 それはまさに祖国に戻るまでの一時の間、仮の住まいとしての日本であったからだ。しかし、彼らはその創立から48年後に居留という言葉を捨てた。

 それでは彼らはなぜこの居留という二文字を消し去ったのか?彼らはそのことに対して果して説明をしているのであろうか。彼らはこの日本という土地に一時ではなく、これから先も長く居座ろうとしたからこそ、この居留という文字を捨てたのではないか。

 彼ら朝鮮人がこの日本の土地で日本人と同じように暮らすことが出来るのは、日本政府が彼らに対して特別永住資格を付与したからです。これは権利ではなく、あくまでも制度上の「資格」に過ぎません。

 我々日本人はこの日本に生まれたと同時に、この日本に住む権利がありますが、彼らは朝鮮半島に住む権利はあっても、日本に住む権利はないのです。

 これを未来永劫にわたって付与されるというのは、どう考えても容認できるものではありません。この特別永住資格の付与が果して朝鮮人の4世、5世にも付与するものとして当時考えられたのでしょうか。

 どのように考えても、それは2世、3世までのものであって、それ以降の在日朝鮮人に対しては付与すべきものではありません。その理由をこれから述べてみたいと思います。

 この民団が日本の公明党、民主党、社民党を訪問した目的は、彼らが求めている地方参政権にあることは間違いないので、今回はその点から考えてみることにしましょう。

 私の主張はもし外国人が参政権を主張するのであれば、それは日本国籍の取得が筋であるというものです。彼らが居留という文字を削除したことは、もう既に彼らには本国への帰国の意思はないと思います。

 ならば、何故に帰る祖国を持たない彼らが日本国籍を取りたがらないのか―。そのような人達に日本の政治に参加する資格が果してあるのか?

 彼らは外国籍を持ちながらも本国へ戻ろうともしない。本国への帰属意識に欠け、日本語を母国語としている。彼らが日本から離れない理由はただ一つしか考えられない。

 それは現在の暮らしが非常に恵まれているからだ。これは国家意識なき利己主義集団である。自分さえ良ければいいという、その典型的な人間達である。

 本国への帰属意識もないのに、口先では民族へのアイデンティティを主張する。しかし、それを実際にどうやって体現するのか?日本に生まれ4世、これから生まれるであろう5世の世代について考えてみたい。

 彼らを待ち受けるのは「アイデンティティ・クライシス」ではなかろうか。一体自分は何者なのか、何のために日本に生まれてきたのかと悩まずにはいられないだろう。

 問題なのはこのような問題を抱える彼らに参政権を付与することは、まさにその民族のアイデンティティと帰属のズレを永続化してしまうことになりはしないか。

 よく善意でこの問題を語る人がいます。税金も納めているし、日本人と何ら変わらぬ生活をしているのだから、地方参政権くらいあげても良いではないかという主張です。

 しかし、そのような善意こそ彼らにとって、本質的問題を先送りすることになってしまうのではないでしょうか。日本人として生きるのか、朝鮮人として祖国に戻って生きるのか。

 その選択を迫ってやることの方が非情には見えるが、彼らと我々日本人のためであると私は思います。参政権など絶対にやってはいけない。そのようなことに手を貸す政治家・政党は許されないのです。

NPO外国人犯罪追放運動を主宰する『侍蟻』ブログも応援して下さい。
警察雑誌『BAN
』への私の寄稿に関する紹介がなされています。
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/50538324.html

ブログ・ランキング参加中! 応援よろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 19:11 │ mixiチェック │外国人参政権問題・在日