2006年02月11日

他ブログの批評に答える

476ce449.jpeg政治的イスラムの攻撃性を甘く見てはいけない!

 『三輪のレッドアラート』というブログで「極右評論」で取り上げた風刺漫画問題について批判的に批評している。誤解に基づく箇所もあるが、考え方に相違があるようだ。ここで再度我々の見解を述べることにしたい。

 「信教の自由」は人間の普遍的な権利であり、これを否定するつもりはない。また「表現の自由」と「報道の自由」も民主主義社会では重要である。ここで節度を求められるのは「表現の自由」である。

 「表現の自由」は相手を中傷、冒涜するものであってはならない。ここで風刺漫画には、どこまで表現の自由が許されているのか?正直言って西欧社会では大統領や英国の王室も風刺漫画にされているので、その善悪の判断は難しい。

 しかし、「言論・報道の自由」は全く別である。私は「言論・報道の自由」を論じている。風刺漫画で書かれたことで憤慨し、暴力的な破壊活動に発展した場合、それは報道する事が新聞社としての責務である。

 西欧諸国の多くの新聞社がそれを報じたが、それは当然であった。もしそのことが混乱に拍車をかける行為で間違いだとするなら、それはイスラム教の暴力に屈することになる。

 さて、産経新聞は「宗教戦争にしてはならない」と社説で述べた。これがイデオロギー間の闘争であったら、同じように注意を促がしていただろうか。左右が激しくイデオロギーで衝突しても、同じような主張にはならないだろう。

 なぜ、このようなことを書くのかと言えば、西欧社会にはイスラム過激派や原理主義を宗教とは見ずに、イデオロギー集団であるとする見解が広まっているからだ。

 9・11を起こしたイスラム過激派の犯人等はヨーロッパに住んでいた。彼らは自らの役割を西欧と近代一般への反抗にあると自覚した宗教的な人間集団を基礎とする一つのイデオロギーであるとの指摘だ。

 政治、文化、経済の全てにおける西欧の圧倒的な優位と、それとは逆なムスリム社会の停滞、そこから全ての西欧の価値を憎悪して破壊するイデオロギーが生まれたとの説だ。

 フランスの移民暴動、英国における地下鉄爆破事件、スペインの列車爆破事件を目の辺りにしてきた西欧人が、大切にしてきた人権思想とリベラルな価値観が、この新しいイデオロギーによって挑戦を受けていると考えたとすれば、今回の騒動は理解できる。

 イデオロギーは経済やテクノロジーの変化にも対応する。イスラムがもはや敬虔な信仰者でないと、西欧社会が感じ始めた時、彼ら西欧人が考えるのは自分達の価値観を守る戦いである。

 今日の危機を招いているのはムスリムのルサンチマン(被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること)である。イスラム教の指導者は、信徒を暴動に導くのではなく、そのことへの解消に努力しなければならない。

 我々《極右》はテリトリーこそ守らねばならないと考える。イスラムは西欧社会においては、西欧の価値の中でこそ生きるべきであると考える。日本社会においてもそれは同様に守ってもらわなければいけない。

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Posted by the_radical_right at 20:13 │ mixiチェック

2006年01月07日

極左評論による『極右評論への疑問』に徹底反論する!

 このほど極左評論なるブログにおいて、「極右評論への疑問」と題した当ブログに対する批評がなされたので、この疑問に正面からご回答させて頂こう。
 以下は記事の引用である。

極右評論への疑問
ランキング上位に極右評論http://blog.m.livedoor.jp/the_radical_right/というブログがある。
そもそも名前だけでも対立している訳だが、勿論思想的にも大きく相違がある。

まず、極右評論での先の西村眞梧氏の逮捕についての評論では、西村氏の犯罪を政権中枢の陰謀のように表現している。

それ自体の真実はわからないが、極右評論管理人の西村氏への期待は並外れではないか?

そもそも西村氏は拉致問題を取り込む素晴らしい政治家というまでは理解できる。だが、極右評論では非弁活動や先の刀剣友の会(西村氏が会長)のテロ事件なども踏まえた上でも拉致問題を取り込めば、政治家としてふさわしいと考えているようだ。

非弁活動やテロ団体の会長、それだけでも政治家としてふさわしい訳がない。全く呆れた話であるわけだ。

これからも注視していきたい。
(以上、引用終了)

 
まず最初に、立場は違えど「極左評論」の方々が言論による普及活動に務めておられる点を尊重するとともに、敢えて自身らのブログにおいて我々を取り上げてくれたことに敬意を表したい。
 しかしながら疑問に思うのは、極左評論諸氏は拉致問題への取り組みに一定の評価を示しておられるが、真の極左であるならばソ連邦の崩壊さえ「西側のデマである」と言うくらいのスタンスを示してほしく思った。拉致事件があそこまで公になった今となってはどうにもならぬが…。然るに極左を標榜しつつも、その実、極左過激派に比して至極真っ当な意見を述べておられるところが、我々が極左評論諸氏に敬意を表する所以でもある。アドレスに「aikokusha」を用いているところも非常によろしい。

 さて、本題に入ろう―。
 「極右」なる表現について、実は自らが標榜し始めたと言うよりは中国からの批判によるところが大きい。中国が石原慎太郎東京都知事や西村眞吾議員を批判するにあたって、度々「極右政治家」なる表現を用いる。この両先生が極右でも軍国主義者でもなく、その実、至って中道的なスタンスの愛国者であることはかねがね指摘されていることではあるが、それほど中国共産党から恐れられている両先生を尊敬するが故に我々は「極右」なる名称を冠した。
 
 西村眞吾先生の逮捕が「
政権中枢の陰謀である」との主張については、多くのブログ・サイトで報道され、そのような論説が支持を集めていたので言及したに過ぎない。
 
 ご指摘の通り、我々は主権国家として当然の主張さえ出来なくなった状況下において、至極真っ当な意見を述べられる西村議員に強い期待を寄せている。
 罪は罪として厳しく指弾、処罰されるべきとしても、政治家として、あるいは人間としての人生全てが否定されるべきなのだろうか。
 反対勢力は鬼の首をとったかの如く、西村議員が逮捕され、罪状を認めた事実を騒ぎ立てるが、それでも支持者の間で西村議員の功績は少しも色褪せることはないだろう。
 我々が西村議員を支持する理由は何も「拉致問題に取り組んでいるから」という一点のみではない。日本国を取り巻く状況を総体的に見て、西村議員のような政治家が台頭しなければならないと考えるからだ。
 
 最後に極左評論諸氏が事実を歪曲しているのは西村議員を「刀剣友の会」会長としている点である。正しくは「最高顧問」だったのではないだろうか?
 そして「テロ団体の会長、それだけでも政治家としてふさわしい訳がない」と論じているのは順序が逆である。
 一人の政治家が最高顧問を務めていた刀剣愛好団体がテロ事件を起こしたに過ぎないのだ。
 
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Posted by the_radical_right at 15:46 │ mixiチェック

2006年01月04日

匿名投稿批判に反論する

     お笑い番組でも許せない「匿名投稿」への批判発言

昨夜、7時から放映されたバラエティー番組「太田光が総理になったら」という番組を見た。この手の番組を私は余り見ないが、やはりタイトルにひかれたからだろう。

この中でインターネットについて、これを免許制にしてはどうか、というフザケタ議論が行なわれていた。私が意外に思ったのはこの免許制にすべきだと真剣に主張しておられる人達がおいでであったことだ。

彼ら免許制に賛成する人達は、現在のインターネットにおける報道について問題視している。掲示板における書き込みが名誉毀損や人権侵害にあたり、それを防止する手段として、誰が書き込んだかを判別できるようにすべきだとの主張である。

彼らは掲示板で名誉を毀損されたり、人権侵害される事件が相次いでおり、もはや許せない状況であり、これを止めさせるには、そのような方式しかない、としている。

この問題は巨大掲示板2ちゃんねるにおいて幾度も論争されてきたことである。いわゆる匿名での投稿についてだが、インターネットの初期における頃から、この匿名ということについての批判はあった。

結論から先に申し上げれば、私はこの匿名について批判したことや否定的なことを言ったことは一度もない。ただし自分は最初から実名での投稿にこだわってきた。それは自分が曲がりなりにも活動家としてプロを自任している以上、それが相手と議論した時の最低の礼儀と思ってきたからです。

しかし、一般の人までそれを強要する必要は全くないと考える。その理由は一つしかない。それは自由に書くということは人間が持つ普遍的な権利であると考えるからです。

では、それでは何を書いても構わないのか?という議論があることも事実です。それに対しては名誉毀損や営業妨害などの刑法があり、それを適用すれば済むだけの話でしょう。今は昔と違いプロバイダーは捜査当局の協力要請があれば応じることになっており、犯行はすぐに露見することになっています。

このように書くと必ず、書かれてしまった後では名誉の回復は困難になってしまうと反論が出ます。つまり書かれた後では遅いと言うわけです。しかし、これは殆どのマスメディアに共通することで、そのようになれば何も書けないし、報道できないことになってしまいます。

実はこれを主張するのは一般市民の側ではなく、権力者でありそれを擁護するのが大手マスコミだという事が問題なのです。長々と書いてきましたが、この点に注目して欲しいという事を申し上げたかったわけです。

大手マスコミやその関係者、評論家などのマスコミ人は、かってインターネットは便所の落書きだとバカにしていました。匿名投稿は出所不明の怪文書のようなもので信頼に足らないものだと決め付けてきました。

我々はこのマスコミの態度を手厳しく批判してきました。告発文書の場合、名前を明かせない人もいます、しかし、だからと言ってそれが嘘であるとは言い切れません。それを調査してその真実を報道するのが報道機関としての役目なのです。

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Posted by the_radical_right at 17:51 │ mixiチェック

2005年12月28日

筑紫と鳥越の右派ブログ批判に反論する

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     “鬱積した不満”や歴史健忘症からの共産中国批判ではない!

 今年も残すところ僅かに三日となった。師走の何かと気ぜわしい中で、皆さんはいかがお過ごしなのでしょうか。先ずはいつも応援頂いている皆さんに感謝申し上げます。昨日夜懇意にしている新聞記者からメールが届いていました。

「お久しぶりです。《極右》ブログの躍進おめでとう御座います。ネットのブログについては、新聞社の中では一種タブー視されてる部門です。新聞社の社説や報道にに真っ向から反対する主張が上位を独占しており、正直言ってしまえば新聞社から見れば目障りな存在なのでしょう」

「しかし、このような現象を誰も真剣に考えようとはしない。新聞社の配信したニュースに批評を加えているだけだから、自分達(新聞社)の方が上だ位にしか見ていなかったと思います。しかし、今回の《極右》の躍進はどうもショックのようです」

「中国との対決は最早避けられない、とする歴史観から備えを呼びかける主張は不気味であり、新聞記者の中には恐怖感や畏怖感を持ったものもいるようです。なぜ、そのような主張が受け入れられるのかに戸惑っているようです」

 彼らのうろたえぶりが想像できるようだ。新聞社の人間は自分達の考えこそが正しく、それに異を唱えるものなど考えなれないのだ。うぬぼれもここに極まれりと云ったところだ。

 さて、この記者に限らず最近新聞やテレビにおいて、政治ブログに対する関心が高まっているようだ。私は見逃したのだが筑紫哲也と鳥越俊太郎両氏の対談番組があったそうだ。

 「特集・ネットVS報道」という番組の中で、鳥越俊太郎氏の話がブログで紹介されていた。

特集後半の「ネット」「報道」「ジャーナリスト」「ブログ」などの文字が画面のアチコチにちらつくサブリミナル効果満点の筑紫と鳥越俊太郎と「ネットに詳しい」らしい時事通信記者との対談で鳥越が「(日本の)ネットやブログはナショナリストな傾向にあるんだよね、中国に対する鬱積した不満とかさ・・・」(要約)とチクチク噛み付いていたがその鬱積した不満とやらにアンタらみたいな反日媚中ジャーナリストもどきが大いに貢献している自覚はないらしい。
ネットやブログがこれだけ浸透した理由はさっきも触れたが、付け加えるならばそれは既存メディアやジャーナリストもどきが抱いていた「無知な民衆を我々が善導してやる」と言った傲慢な姿勢への反発とメディアリテラシーが根付いた事と決して無縁ではない。

       http://blog.livedoor.jp/deathtron/

 中国に対する批判が“鬱積した不満”とまるで躁鬱患者のように切り捨てるのには驚いてしまう。しかし、このような感覚は実は共産中国の受け売りそのものである。

 何故なら、かって中国の人民日報は「戦争責任を忘れた日本人は歴史健忘症に冒されている」と病人扱いで論評していたからだ。発想は殆ど同じと言って良い。

 我々《極右》は躁鬱でも健忘症でもない。正気である、正気であるからこそ、共産主義の脅威に勇気を持って立ち向かって行けるのである。

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Posted by the_radical_right at 10:31 │ mixiチェック