2006年07月24日

「奥野発言」を思い出し、再び闘う気概を高めています

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日本変革への願い 第二章

謝罪外交��

 現在『富田メモ事件』でネットで突然、藤尾正行元文部大臣や元奥野誠亮(せいすけ)法務大臣の二人の名前が登場しました。私は旧くから活動をしているので、この方々とは面識がありました。

 昭和63年5月15日号の機関紙に当時、奥野発言を取り上げていますので、これを紹介してみたいと思います。今更改めて言うまでもなく、この奥野先生の発言は、全くの正論でした。

 奥野先生は先の大戦について「侵略戦争ではなかった」と発言したために、これを暴言を吐いたと批判され、マスコミによって一方的に断罪された。

 中韓が日本の侵略戦争として批判する戦争については、自存自衛の戦い―、共産主義との戦い―、アジア解放・民族独立を掲げての戦い―という3つの側面がありました。

 戦争という国家の利害が相反する行為について、それぞれに言い分が異なるのは当たり前ではないでしょうか。それを一方的に日本だけが悪いなどと考える方が間違いなのです。

 中韓が、自分達が被害者の立場であるとして自国民に教えるのは勝手ですが、日本人にまでその通りに子供達に教えろなどと言うのは、ほとんど言いがかりというものでしょう。

 ところが、この時代は実はそのような事(中韓の主張)が正論で、現在我々が主張しているようなことは、とんでもないこととして糾弾されていたのです。残念ながら奥野法務大臣も辞めざるを得ませんでした。

 奥野発言は全くの正論なのに、それを発言できない。そのような雰囲気が作られていたのです。野党は道徳性や倫理性に欠けるなどと批判していましたが、日本人が敵対した国の倫理に従って、自己批判しなければならない「倫理上」の責任などあるわけないでしょう。

 互いに歴史に対する評価が違って、何の不思議があるでしょう。

 奥野大臣の率直な一言を、この時も鬼の首でも取ったかのように大騒ぎして、中韓に御注進し、外圧という虎の威を借りて殊更に「問題発言」にでっち上げてしまう。

 内憂外患という言葉はありますが、幾ら外に患い事があろうが、内が一致団結して事にあたれば道は自ずから開ける。しかし内憂ばかりは如何ともし難く、それこそ亡国の道に通ずる。

 今から約二十年も前のことですが、当時のことを思い出します。この頃は自分達の主張をどのように展開するか、その方法が分からずに迷っていました。当時、今のように自分の主張が展開できるなどとは正直言って思いもよりませんでした。

 現在は多くの方々の支援でこのような活動を展開できる事を心より感謝する毎日です。これまでの経験を少しでも生かしながら闘って行きたいと思っています。皆さん共に頑張りましょう。

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2006年07月12日

核武装より迎撃システムの完成を!

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日本変革への願い

第二章 外交・国防��

 

核武装は現実的な選択なのか?

 米国との同盟関係に見切りをつけ、日本独自で国家を守る道を考えるとなると、一つの選択肢として核武装論が考えられる。右派民族派や反米愛国主義を唱える人達から、現在この核武装を求める声が起きている。

 では、果してこの日本核武装論は現実的な選択肢になるのか?それとも机上の空論でしかないのか?そのことについて考えていきたい。先ず、これまでの世界の核戦略を見ていく事にしましょう。

 冷戦時代とは核を持つ超大国である米ソが睨み合った時代でした。この冷戦時代の核戦略が、如何に馬鹿げたものであるかは、米ソ超大国が共に経済的に疲弊の極度に達したことでも明らかです。

 ソ連は巨額な核戦略の維持費によって、共産主義体制そのものが崩壊した。また、米国は日本の経済力に追い上げられ、一時は日本に追い抜かれる危機に直面した。

 米ソ共に軍拡競争に疲れ、最終的にはソ連の崩壊で冷戦は幕を閉じたが、冷戦の真の勝利者は米国ではなく、日本と西ドイツであった。しかし、西ドイツはその後の統一ドイツの誕生によって遅れを取った。

 日本に対しては国際ユダヤ資本の金融戦略が発動され、日本はバブル崩壊という思いがけない金融パニックに陥ってしまう。それが米国に寄生するユダヤ金融資本の、日本経済弱体化戦略であったことは今や疑う余地もない。

 冷戦後、米国だけが超大国の力を欲しいままにしてきたが、ロシアの復権、共産中国の台頭などによって再び世界は熱戦の時代に突入した。そこでまた21世紀における核戦略が注目されている。

 現在、核の圧倒的優位を確立した米国が、何故に迎撃ミサイル網の開発に乗り出しているのか。それはかつての冷戦時代には通用した「相互確証破壊」という核抑止論が効力を失ったからである。

 冷戦時代に互いに核を増産し、双方が核には核で対抗するという、その恐怖の均衡は、理性的な国家間においては効力を有してきた。1962年のキューバ危機に際して、米ソが核のボタンを押さなかったのは、双方が核戦争を自制したからに他ならない。

 しかし、現在において自制の効かないテロリスト国家や共産中国のように、自国民が大量に死んでも自らは人口の多さで生き延びると平然と言い放つ事態となって、もうこれまでの相互確証破壊の論理は破綻した。

 よって今、求められているのは迎撃システムによって核を無力化する戦略なのである。鉄砲の弾を鉄砲の弾で撃ち落す位に困難とされてきた迎撃システムは、科学技術の進歩で驚異的にその精度を高めた。

 現在、核兵器は確かに安価な最終兵器とされてきたが、この核兵器を保有するだけではテロリスト国家には対抗できない。勿論、核兵器も必要だが、核弾頭の迎撃システムの開発もまた不可欠なのである。

 現在、この迎撃システムの完成を目指して共同開発しているのは、米国、日本、台湾などである。日本の科学技術がなければ米国一国だけでも開発は不可能とされている。

 核を持って威嚇をするような国に対して、これを撥ね退けるには、同じような核の保有だけでは抑止にはならない。核兵器と迎撃システムを完成させてこそ、真の国防体制が構築されるのである。

 米国と離れて核兵器を保有することは、そう簡単ではない。それよりもこれまでのように核の傘にいて、迎撃システムを完成させる方が先決であると思う。

 「史上最も成熟した二国間関係」にひびが入るような情況になれば、日本の核保有の道は避けられない。しかし、その時はそれで安心という事には絶対ならないという事も肝に銘じなければならない。

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2006年07月07日

専守防衛から先制攻撃へ

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日本変革への願い 第二章

専守防衛の思考を捨てよ��

迎撃システムより先制攻撃能力を持て!

 このシリーズは外交・防衛として外交問題から論じて行くつもりでしたが、北朝鮮のミサイル発射問題などもあり、防衛問題と外交問題を並列して行ないます。

 我が国の防衛論議は一言で表すならば「空虚」であり過ぎた。先ずはこの「空っぽ」な防衛論議が何故これまで問題にされないで来たのか。「国を守る」ということは、どのようなことなのか。そこから論を進めなければならない。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない、国の交戦権はこれを認めない。

 ご存知、日本国憲法第9条である。これに忠実に従えば自衛隊の存在は違憲的な存在となる。これを改め国軍として新たに創設しなければ、本来の意味における国防論議さえ出来ないはずだ。

 そうは言っても現実に自衛隊は戦力を保持しており、国家の安全のために機能している。だが、その機能はこの憲法が足枷となって、著しく低下していることも事実だ。

 日本の自衛隊の最大の問題は、装備の近代化や拡充、人員の増加にあるのではなく、もっと初歩的なところにある。それは<真の防衛手段>とは何か?という問題である。

 よく攻撃は最大の防御なり―という言葉もあるが、我が国の場合、相手から攻め込まれて初めて反撃ができるという対応しか出来ない。明白に侵略される脅威が存在しているのに、それを取り除くことが出来ない。

 自衛隊の基本的な考えは、他国から侵略を受けて、初めて自国の領域を守る為に戦うという専守防衛を基本としている。これは飽くまでも建て前であって、そのようなことはないという反論も出るかも知れない。

 何故ならば、小泉首相は長年タブーであったこの問題で、2003年に有事立法を成立させたが、解釈としては「先制的自衛権」を認めているとされる。

 自衛権とは日本の領域内に留まるものではないという議論はこれまでも為されてきた。しかし、この国会議論には決着がついておらず、憲法改正まで待たなければならない。

 しかし、それではもう遅過ぎるというのが皆さんの偽わらざる気持ちではないか。今回のようなミサイルに対して、迎撃システムを一日も早く完成させるというのも一つの考えではある。

 それよりも手っ取り早いのは、この専守防衛論からの脱却であり、先制攻撃を是とする考えを明確にすることではないか。今でも2005年7月22日の改正自衛隊法の成立により、発射の兆候なしにミサイルが飛来した場合、緊急対処要領に基づき防衛庁長官の権限によって現場指揮官への迎撃命令が可能とされた。

 日本の領域に入らなくともこれを攻撃と見なして応戦することが可能となっている。問題なのは領域内とか領域外といった距離的なものではないはずだ。

 これを更に一段進め、発射の兆候が見られた場合、それを破壊することが出来ると改正して、そのための能力を持つことである。今回の北朝鮮のミサイル発射から学ぶとしたら、そのこと以外にはない。

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2006年07月01日

毛沢東、日本軍に感謝の発言

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日本変革への願い 第二章

謝罪外交��

毛沢東は謝罪を求めなかった

 戦後60年の外交を語る時、一つの特徴として近隣諸国に対する謝罪外交がある。共産中国、韓国、北朝鮮の3ヶ国は半世紀も過ぎたにもかかわらず、執拗にことある事に謝罪を要求してくる。

 このように半世紀も過ぎているにもかかわらず、こうまで執拗に日本の謝罪にこだわるのは、自らが外交交渉の場において優位に立ちたいと願ってのことである。

 つまり歴史認識、靖国参拝、教科書問題など、本来は日本の内政問題であるはずのものが、ことごとく外交問題へとすり替えられてしまっている。このような現状を打破するのにはどうしたら良いのか?

 それを考えて行く前に、なぜこのような状況が生み出されてしまったのか?その最大の要因とは何であったのか?それを歴史を遡って検証してみたい。

 中国側が何時頃から、このように執拗な謝罪要求を繰り返すことになったのか?そのことについては実は昔からではなく、江沢民時代からその姿勢が強く見られるようになった。

 勿論、それ以前にもそのような中国側の主張はあったが、昔は日本側に感謝していたという驚くべき事実があった。それは日本社会党の佐々木公更三委員長が昭和39年に訪中した時の、毛沢東の言葉である。

 毛沢東はこの日本社会党の佐々木委員長に対して次のように述べた。

「皇軍の力なくして政権を獲得することはできなかった。我々は感謝している」

 これは当時の共産党幹部に共通した認識ではなかったか―。日本軍は支那事変で蒋介石の国民党軍と泥沼の戦いに入ってしまう。その間に力を蓄え、日本が敗れると一挙に蒋介石軍を台湾に追い払ったのが毛沢東率いる人民解放軍であった。

 毛沢東や中国共産党、人民解放軍にとって、日本の存在は自分達が政権を獲得する上で最も役立った存在に他ならなかった。勿論、これは日本社会党委員長へのリップサービスとの意見もあろう。

 しかし、ここまではっきり言わなくても、同じような主旨の話は、久原房之助や田中角栄にも語っている。少なくとも今日のように日本側に対して、こうも執拗に謝罪を要求するようになったのは、実は中国共産党も最近になってからである。

 実際に革命世代と称する日本軍と戦った世代よりは、戦争を知らない世代になるほどに「反日」の意識が強くなっている。これはお隣の韓国もそうである。

 日韓併合時代を知らない戦後生まれの方が、より「反日」意識が強い。それは日本においても言えるかも知れない。大東亜戦争で米国と実際に戦い、敗戦後、父島で捕虜生活を強いられた私の父から米国の悪口をあまり聞いたことがない。

 日本においても「反米」を唱える者は実際の戦争経験者よりも、左翼イデオロギーや国粋主義を唱える戦後世代の方がより先鋭化している。

 このように考えると、半世紀も経てもなお謝罪や戦争責任を追及する考えというものは、特定のイデオロギーとそれに同調する人達によって起こされたものであると考えざるを得ない。

 我々は未来を見なければならない。いつまでも過去にこだわっていては何も得るものがない。しかし、そのような考えとは反対に、あくまでも過去にこだわる人達がいる以上、歴史の検証は避けられないのも事実だ。

 我が国では何人かの政治家が、この戦前の歴史観を述べただけで、マスコミや左翼政党からの集中砲火を浴び、辞任や退任を余儀なくされた。次回はその最初の例となった奥野発言について考えてみることにしたい。

※全く別問題ですが、大阪で監禁・婦女暴行で逮捕された在日韓国人について、日本名でしか報道していないマスコミがありますが、常連の朝日、毎日、NHKはいつもながらの報道です。

http://www.asahi.com/national/update/0630/OSK200606300135.html

途中変更する場合もあるので全文引用しておきます。

旅行カバンで女性運び、監禁・暴行 42歳男を逮捕

2006年06月30日19時53分

 若い女性を旅行カバンに入れて自宅マンションに拉致、監禁し性的暴行を加えたうえ、現金を奪ったとして、大阪府警は30日、大阪市浪速区の無職山元平和(ひらかず)容疑者(42)を強盗強姦(ごうかん)とわいせつ目的略取、監禁などの容疑で逮捕した。似た手口の事件が5月に大阪市内で発生しているほか、同容疑者は神戸市でも同様の事件を起こしたことをほのめかしているという。府警は捜査本部を設置し、連続強姦事件とみて調べる。

 捜査1課などの調べでは、山元容疑者は4月中旬、大阪市内のワンルームマンションに窓ガラスを割って侵入、帰宅した20代の女性の両手を粘着テープで縛り、性的暴行を加えた。持ってきた大型旅行カバンに女性を押し込んで自宅マンションまで連れ去り、2日間監禁。女性のキャッシュカードで引き出すなどした計28万円を奪った疑い。監禁中に女性が聞き出した家族構成や出身地などの情報が、容疑者の特定につながった。

 5月上旬には同市内で20代の女性が6日間監禁され、約20万円を奪われる事件が発生。両事件の遺留物のDNA型が一致している。同容疑者は「経営していた会社が倒産し、食べていけなくなった。女性を支配下に置きたかった」と供述しているという。

この山元なる男の本名は金平和です。しかし、平和とは朝鮮語でも意味は平和なのかな?知っている人教えて下さい。

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2006年06月27日

変革への願い[外交・防衛]

日本変革への願い 第二章

外交と防衛を語るにあたって

 日本は変わり始めたのか?そのように聞かれれば、確実に変わり始めていると答えることが出来るだろう。これまでのマチガイにようやく気がつき始めた。しかし、気付くのに60年もの歳月を要してしまった。

 また、せっかく変わろうと動き始めた歴史の歯車を逆に戻そうとする動きも見られる。その反動勢力の動きが現在強まっており、油断がならない状況ともなっている。

 これまでの日本外交と防衛を言い表わすならば、外交は「謝罪」であり、防衛は「非武装」ということになるだろう。日本の戦後の外交とは現実を見据えるのではなく、過去の戦前の歴史にばかりに翻弄されてきた。

 確かに戦後の日本は平和で安定していた。国民はその平和を享受してきたが、それを「非武装中立」をお題目にして唱えてきたからだと勘違いしている人もいる。

 憲法9条によって平和が保たれたなどと語っている人は、もう一度戦後の冷戦という時代を振り返ってほしい。米ソが激しく対立し、世界を分割支配してきた。日本は米国支配の側に組み込まれていたことが、平和を享受してこれた要因であった。

 平和を有り難く享受してきたが、そのためか、平和とは何であって、それを守るべく術をすっかり忘れてしまった。外交、防衛問題を語る上で重要な視点は、我々日本人が戦後忘れてしまった二つの点にある。

 外交については戦前の正しい歴史観であり、防衛については国を守るべく術である。しかし、我々日本人はようやくこの点に気がつき始めた。目覚めてきたと言っても過言ではないだろう。

 日本<変革への願い>第2章においては、この二つの視点をもう一度再検証しながら、戦後の謝罪外交の誤ちと防衛問題の認識不足を問いかけることにしたいと思います。

 これらの点については、ネット・ブログを閲覧している人達にとっては釈迦に説法なれど、この二つの問題がしっかりと変わらなければ、本当の意味で戦後が終って、改革元年がやってきたことにはならないでしょう。

 今年は国政選挙はありませんが、自民党総裁選挙が9月に行なわれます。反日勢力はアジア外交の確立とか靖国神社のA級戦犯分祀を主張しておりますが、これこそ旧態依然のままで戦後体制の延命を図る策謀に他なりません。

 自民党総裁選挙に我々《極右》は介入することはありませんが、その前段階で旧体制が総力戦で繰り広げるであろう、この思想戦争には果敢に参戦するつもりです。共に闘いましょう。 

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