日本変革への願い 第二章
謝罪外交��
現在『富田メモ事件』でネットで突然、藤尾正行元文部大臣や元奥野誠亮(せいすけ)法務大臣の二人の名前が登場しました。私は旧くから活動をしているので、この方々とは面識がありました。
昭和63年5月15日号の機関紙に当時、奥野発言を取り上げていますので、これを紹介してみたいと思います。今更改めて言うまでもなく、この奥野先生の発言は、全くの正論でした。
奥野先生は先の大戦について「侵略戦争ではなかった」と発言したために、これを暴言を吐いたと批判され、マスコミによって一方的に断罪された。
中韓が日本の侵略戦争として批判する戦争については、自存自衛の戦い―、共産主義との戦い―、アジア解放・民族独立を掲げての戦い―という3つの側面がありました。
戦争という国家の利害が相反する行為について、それぞれに言い分が異なるのは当たり前ではないでしょうか。それを一方的に日本だけが悪いなどと考える方が間違いなのです。
中韓が、自分達が被害者の立場であるとして自国民に教えるのは勝手ですが、日本人にまでその通りに子供達に教えろなどと言うのは、ほとんど言いがかりというものでしょう。
ところが、この時代は実はそのような事(中韓の主張)が正論で、現在我々が主張しているようなことは、とんでもないこととして糾弾されていたのです。残念ながら奥野法務大臣も辞めざるを得ませんでした。
奥野発言は全くの正論なのに、それを発言できない。そのような雰囲気が作られていたのです。野党は道徳性や倫理性に欠けるなどと批判していましたが、日本人が敵対した国の倫理に従って、自己批判しなければならない「倫理上」の責任などあるわけないでしょう。
互いに歴史に対する評価が違って、何の不思議があるでしょう。
奥野大臣の率直な一言を、この時も鬼の首でも取ったかのように大騒ぎして、中韓に御注進し、外圧という虎の威を借りて殊更に「問題発言」にでっち上げてしまう。
内憂外患という言葉はありますが、幾ら外に患い事があろうが、内が一致団結して事にあたれば道は自ずから開ける。しかし内憂ばかりは如何ともし難く、それこそ亡国の道に通ずる。
今から約二十年も前のことですが、当時のことを思い出します。この頃は自分達の主張をどのように展開するか、その方法が分からずに迷っていました。当時、今のように自分の主張が展開できるなどとは正直言って思いもよりませんでした。
現在は多くの方々の支援でこのような活動を展開できる事を心より感謝する毎日です。これまでの経験を少しでも生かしながら闘って行きたいと思っています。皆さん共に頑張りましょう。
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