2006年01月29日

極左が支援するテント生活者の裁判

極左が支援する野宿テント生活者の行政サービス

 大阪地裁のトンデモ裁判官による、公園に野宿するホームレスに住民登録を認める判決に波紋が広がっている。大阪市においては1月30日に大阪の靱(うつぼ)公園と大阪城公園に居座るテント生活者に対する強制排除が予定されていた。

 公園にテントを張って住むホームレスが公園に住民票を移すことを裁判所で認めてしまったことを、このテント生活者を支援している者達は「画期的な判決」として、この判決を根拠に反対活動を強めている。

 実はこのテント生活者を支援しているのが極左勢力の「釜ヶ崎パトロールの会」である。彼らのブログからそれを見てみてみよう。 

扇町公園での住民登録を求める山内さん裁判の判決がきのう、大阪地裁で下されました。
全面勝訴です!以下、ご報告と、引き続きの支援の呼びかけです。
<当日レポート>
1月27日、朝10時から靱公園現地で行われた靱・大阪城公園のテント強制排除に反対する集会と対市庁デモを大阪・東京・名古屋の仲間たちとともにやり抜き、そのまま大阪地裁10階1007号法廷へと傍聴に押しかけた。30席程度の傍聴席はすぐ満杯になり、他の仲間は廊下で待ち受けるかたちとなった。山内さんは、最前列に座る。

正直、「あまり期待はできないけど、いい負け方ができれば」などと思っていた。
昨今の情勢にくわえ、靱・大阪城の行政代執行手続きの中止を求める要請が地裁に却下されたばかりという状況で、とにかく裁判所の判断はあてにできない、という思いが染み付いていたのだと思う。

 ↑上記の極左のコメントでも明らかなように彼らにも予想外の判決であったようだ。今回のトンデモナイ判決は次のようなものだった。

「テントを占有権限を有するものとは認められないとしても、同所在地は、客観的にみて、原告の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心として、生活の本拠たる実体を具備している」と認め、「法にいう住所とは、生活の本拠を指すものであるから、転居届に住所として記載された場所が客観的に当該届出をする者の生活の本拠たる実態を具備していると認められる限り、市町村長は、当該転居届を受理しなければならない」

 占有権限を持たない者が行政サービスを受ける権利があるとの判決は、不法に入国した外国人犯罪者が、行政サービスを受ける権利があるとの主張にまで飛躍するだろう。

 既にこの判決後、極左勢力の支援を受けるテント生活者が、大阪市役所に住民登録に訪れた。この問題は死に絶えようとしている極左を蘇生させるだけの意味しかないだろう。

 山谷にしても釜ヶ崎にしても、かつては極左の活動拠点となって機動隊との衝突も繰り返され、暴力革命の予行演習の場と化したこともあった。しかし、今は見る影もない。彼ら極左はテント生活者が貰う生活保護費にたかって生き延びようとしているのだ。

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2006年01月28日

[住所認定]偽装結婚及び不法入国者増加の温床を断て!

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 大阪市北区の公園で野宿生活するホームレス男性が、北区長を相手に住民登録を認めるよう求めた訴訟で、大阪地裁の西川知一郎裁判長は二十七日、「公園のテントでも生活の本拠と認められる」と述べ、住民票転居届不受理処分を違法として取り消す判決を言い渡した。(1月28日付 世界日報より)


偏向判決を糺せ!

 大阪府大阪市北区の公共施設たる公園を野宿テントによって不法占拠したホームレスの住所登録を認める初の判決が下された。
 この裁判の背後には人権派市民団体の暗躍があったであろうことは間違いない。
 そして憂慮すべきは、こうしたホームレスの住民登録が中国人との偽装結婚の温床となることである。事実、住民登録させたホームレスと就労目的の中国人が偽装結婚するようなケースは後を断たない。
 役所のチェック機能が正常に機能していて、そうした犯罪行為を見抜けるのであれば東京・東大和市で起きた十一人の女性との�狃乎沈験茘畛�件など早期に摘発が可能であっただろう。
 籍を入れた女性と数日後に離婚し、また別の女性と籍を入れる事を繰り返す…そのような不可思議な実態が長きに渡って横行していたのが書類社会の実態なのである。

 さて、判決によると西川知一郎裁判長は「生活の本拠としての実態があると認められる限り、転居届を受理しなければならない」と述べたが、この判事が先頃、不法入国の中国人に対する退去強制処分の取り消しを言い渡す判決を下したことに見られるように、特定の思想・政治的信条に基づいた見解を司法に反映させている感が否めない。
 「占有権を有することとは別である」としているが、事態は公園という市民にとって寛ぎの場である公共施設に不法に居座った者の問題にとどまらないのである。
 この度のような判例が各地で相次いだ結果、不法入国外国人という日本での滞在資格を有さない外国人であっても、生活実態さえあれば日本での生活を認めるべきという拡大解釈に直結するだろう。
 
 大阪市ならびに北区は即刻、控訴に踏み切るべきだ!
 
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2006年01月22日

改憲阻止で左翼が内部崩壊!

24716370.jpg改憲阻止で左翼が「二十労組」問題で分裂へ

 現在、共産党・新左翼・連合を含む日本の左翼勢力の間で「二十労組」なる存在が注目を集めている。この「二十労組」なる言葉を始めて目にしたのは、ガイドラインの法案に反対して左翼が集会を開催した2000年春であった。

 「ザ・シンポジウム 新ガイドラインの発動を阻止しよう!」をスローガンに2000年3月4日、東京で開かれた集会には海員組合、全国港湾、国労、航空労組連絡会など、陸海空港湾労組二十団体が呼びかけ、全国から約千三百人の労組員が参加した。

 この後この「二十労組」は有事法制反対大集会(2003年)やイラク派兵反対集会(2004年)と活発に動き、彼ら左翼の協力者である「反戦平和団体」や市民運動、宗教団体などを結集し拡大してきた。

 ところが、彼らが最大の闘争目標を憲法改正阻止に定めて全国の労組や市民団体に呼びかけ、更に運動が高まりを見せようとした矢先に、まず連合がこの戦線から、脱会ではないが距離をおく姿勢を見せ始めた。

 「二十労組のなかには、われわれが容認できない団体もある」と指摘し、中央段階では一線を画す考えも明らかにした。(連合通信より)

 更に日本共産党は『赤旗』で党員に次のように呼びかけた。

「憲法改悪反対の世論と運動が高まるなかで、憲法問題での共同のとりくみや平和運動に、各地で「とめよう戦争への道!百万人署名運動」や「憲法9条―世界へ未来へ 連絡会」(「9条連」)、「報復戦争に反対する会」などを名乗る団体が潜りこんできています。これらは一体どんな団体なのか、見てみましょう。」

 日本共産党が主張するには、この団体は「中核派・革マル派」のようなニセ左翼暴力団だというわけだ。

「市民団体を装って憲法運動に接近する「中核派」「革マル派」は、まじめに憲法改悪に反対する立場に立っているのではありません。その最大のねらいは、日本共産党の打倒であり、民主的な運動のかく乱・破壊です。」

 この『赤旗声明』以来、改憲阻止運動からの新左翼追放が始まった。ここまでだったら、これまでいくつも見てきたパターンであったが、実は今回は共産党内部から、これを批判する主張が飛び出した。

 『さざなみ通信』というサイトで、日本共産党の正式なサイトではないが、自分達は共産党の党員で複数で運営していると説明している。
(以下に引用、抜粋)

2006/01/02 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合 20代 自営業
 まず、改憲情勢にもとめられることは何かといえば、社民と日共の対立の歴史ではなく、共闘であり、新左翼党派への日共党派の排除ではなく共闘であるだろう。
 反対する陣営が、対立していて、改憲に勝てるわけがない。これが、本質であろう。

 赤旗声明を受けて、中核と革マルに対する排除に賛同する意見がにわかに出てきているので、わたしのほうからびしっと反論しておきたい。
 まず、本質があって現象があると主張され、中核とカクマルの歴史的党派闘争を本質だとし、これをしたじきにだして、二十労組の陣形に参加している、中核・核マルをひとつの現象にすぎにいものだとして、この二十労組の陣形を否定しようという人がいるが、この人は短絡的なスターリン主義的弁証法でしかないといえるだろう。

 この人からすれば、どんなものだって、本質があって現象があるとし、実態を本質と現象と安易にとらえて、現象から本質をみるということはありえないということのようだ。

 だが、現実にあるのは、二十労組の連携であり陣形である。実際、この人が本質としてあげた党派対立を媒介として、今新たな事件的なものが発生している事実はない。  

 実際かつての中核とカクマルのあの対立は、なくなっており、たとえば中核派はカクマルを大衆や組合の力で包囲しながら、倒すというように、路線をかえていると思われる。
 またカクマルは、JR総連というカクマル最大の組織の分裂をかかえているのが実情ですらある。

 これが、現在の中核とカクマルの本質であり基底なのである。

 そのうえで、二十労組は、中核・カクマル(JR総連が割れる前からかかわっていたが)の歴史的対立を乗り越えて、形成されているということなのである。

 したがって、二十労組という現実がすでにあるのに、中核と核マルをいれれば、事件を起こすというのは、言いがかりだということである。

 しかも、二十労組は、日の丸・君が代・有事法制反対運動から培われてきた運動体であり、その部分には、共産党だけではなく、民主・社民をも包括する運動体として広範囲な労働組合が賛同しているのである。しかし、日本共産党指導部は縄張り争いと、自分たちのなかに食い込まれることを警戒して、あの声明をだしてきたものだというのが実際のところなのである。

 また社民党の一部には、共産党と同様に、二十労組の陣形とは独立して、運動をとっていこうという主張するものもいる。しかし、それは、自分らの党派の囲い込みが、二十労組ではできないからだという裏返しにしかなく、それ自体が、社共共闘の壁をぶち壊していくものにしかならないということがいえるだろう。

 はっきりいえば、有事法制六万人集会は二十労組の高揚で実現したが、その後のイラク反戦運動から今日までの経過によって、日本共産党などは自分らの票田獲得のためには自分ら独自の集会でないとだめだと切り替えをはかってきたものだといえよう。つまり、二十労組の陣形を取りやめるための策動を日本共産党指導部は展開しているということなのである。しかし私は、それは改憲反対運動の分裂でしかなく、矮小化でしかないと思うのである。

 しかしながら、赤旗声明にそうような意見をのべているのは、中核と核マル系の労働組合や市民団体に対する難癖でしかなく、はっきりいえば、日本共産党指導部の新左翼党派との縄張り荒いを後押しするものでしかないということであろう。 私は、そんなことをしている暇はなく、その無用な難癖をする暇があれば、改憲を策動しかけている側との対峙や、改憲に反対するすべての人々を手を結ぶ運動へシフトしたほうが、よほど生産的だと思うしだいなのである。いつまでも、党派の縄張り争いは、票田獲得とはわけがちがうから、やめるべきだろう。

左翼の反戦集会に、極左暴力集団が参加していた事を認め、排除するのではなく、彼らとも共闘しようとの意見が堂々と述べられている。これまでだったら考えられない事だ。この共産党の内ゲバの今後が注目される。

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Posted by the_radical_right at 17:14 │ mixiチェック

2006年01月11日

左翼弁護士のナショナリズム観を論評す!

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 『mumurブログ』のサイトを以前紹介されたので見たが、そのコメントの多さに思わず驚いた。下のサイトに関して210のコメントが寄せられていた。
この左翼弁護士のブログに対する批評だが、皆さん、本当にしっかりしたコメントを書かれており感心した。そこで私もこの左翼弁護士のブログに厳しい批評を加えることにしたい。


澤藤統一郎の憲法日記

私はナショナリストではない。ナショナリズムそのものの価値を認めない。
ナショナルなシンボルの呪縛を排斥しなければならないと考えている。
サッカーの試合では絶対に日本を応援しない。
オリンピックでは、小国、新興国、第三世界の選手の活躍に拍手を送る。
日本人だから声援を送ることはあり得ない。
(以上、引用終了)

 ↑の記事は「米兵の強盗殺人事件に怒る」という題で書かれたものであるが、何故か冒頭にこのようなナショナリズム論が述べられている。

 オリンピックやワールドカップ大会は普段はナショナリズムとは無縁な毎日を送っている我々国民に、ナショナリズムを再自覚、再認識させる機会である。
 おそらくこの左翼弁護士も普通の日本人と同じようにナショナリズムを感ずるはずである。しかし、そこは永年左翼の闘士としてインターナショナルを背負って生きてきたと云う自負から、自らナショナリズムを封印しなくてはと、敢えてこのように「絶対に日本を応援しない」と書いているのであろう。

 その意味では可哀想な人だと思う。多くの日本人が外国の選手を相手に健闘している姿を見て感動を覚えているのに、この左翼人は拍手を一緒に送ることも出来ない。

 我々日本人が国家・民族という問題に否応なく直面するのは、海外旅行時のパスポート所持とオリンピックやワールドカップ大会時の日本選手に対する応援が双璧であろう。

 日本政府の発行するパスポートがなければ、外国に入国できないという事実こそ、紛れもなく国家の一員という事実の再認識であり、如何に国家を批判したところで、国家が発行するパスポートによってのみ身分が保証される現実がある。

 そしてオリンピックやワールドカップである。

 各国の選手が死力を尽くし、その中で日本人選手が頑張って、その結果として日の丸が掲揚された時の感動は、改めて日本人の血が騒ぐことを自覚する瞬間である。これはその感動を共に分かち合える多くの人々がいて、始めて味わうことのできる心の昂りである。
 これこそが、左翼が忌み嫌うナショナリズムであるとしたら、何とナショナリズムとは心地よいものなのだろう。

 そして彼らが好むインターナショナルである。実はこれもナショナリズムを体現することにおいて、机上のものではなく本当のものとなるのである。全力で戦ったもの同士が勝敗の決した後に、共に讃え合い、肩を組み、手を握るシーンから我々はナショナリズムがインターナショナリズムに通底する、生きた現場を見ることによって学ぶのである。

 ナショナリズムを体現できない者に、インターナショナルを語る資格などそもそもないと思わなければならない。左翼は何故に左翼と呼ばれるのか?
 この左翼人のブログが全てを言い表わしているではないか。自らが日本人であることを嫌い、国を愛することを悪と思っている限り、彼ら左翼に未来などあろうはずがない。

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Posted by the_radical_right at 11:04 │ mixiチェック

2005年12月29日

左翼書評家に問いただしたいこと

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     見果てぬ夢を追い続ける共産主義者の世迷言

 

この極右ブログに書評日記・パペッティア通信なるブログからのトラックバックを良く見かける。暇な時に読ませて頂いたが、思想的には左翼傾向の人のようだ。何故左翼の方が立て続けにトラックバックするのか、それは知らない。http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/20051226/

 

私はこの「新共産党宣言」という書籍は読んだことはない。

 

 

 

支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ!プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかに失うなにものもない。われわれの獲得するものは全世界である。万国の労働者団結せよ!<『共産党宣言』>

 

↑の「共産党宣言」なら知っている方も多いだろう。極左と極右の違いは「失うなにもない」という言葉と「万国の労働者団結せよ!」のインターナショナル志向で明らかだ。「失うなにもない」は土地やお金などの主に財産を言い、経済的な尺度からのものである。

 

にわか成金の資本家であるライブドアの堀江社長は株主総会で株の無配当の見直しを迫られ次のように答弁した。

「大株主である私は4億円の配当を受けられるが、そのうちの4ぶんの1は税金で国家にもって行かれてしまう。そんなことを皆さんは良いと思うのですか?」

 

左翼や資本家は国家に対する忠誠心や責務を軽んじて、国家的観念が希薄である。対して我々《極右》は「個々の利益は国家の枠の中でしか認められない。」という国家至上主義であり、それ故に崇高なる国家の将来像を掲げ“新国家創造運動”に邁進することを誓った。

 

「失うものは、財産ではなく、国家である。」これこそが我々の思想の根源である。故にそれを失わないために闘うのである。

 

さて、話を書評日記に戻そう。難解な文章で凡人の私にはよく理解できない。しかし、民主主義という言葉がやたら目につく。民主主義と共産主義とは相容れない筈なのだが。

 

民主主義は手段の一つであり、その目指す社会は「自由で平等」であろう。しかし、この二つは経済的には相反するものだ。故に「自由か、それとも平等か?」と言った身も蓋もない現実があるのだ。だが共産主義社会はそれよりも残酷である。

 

「自由か、平等か?」という二者選択以前の問題として、「不自由で平等でない社会」が出来上がってしまったのだ。この上に貧しさまで加わっては「自由で豊かな」西側社会に取り込まれてしまったのは当然であった。

 

共産主義と民主主義は交わらないもので両立など出来ない。ソ連の最後の指導者ゴルバチョフは「国内に民主主義を徹底させる」と就任演説で述べて、その通りに徹底させたおかげで国家は崩壊した。

 

天安門広場に集まった学生・青年は無残にも戦車によって轢き殺された、彼らの最後の叫びは「民主化要求」であった。共産中国は民主主義を武力で抹殺したことにおいて、堅固なる独裁体制を築いている。

 

最後に左翼の書評家先生に尋ねたい。あなた方は今でも共産主義の未来を信じているのですか?万国の労働者団結せよ!の古びたスローガンにいつまですがり、見果てぬ夢を追い続けるのかと……。

 

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