左翼弁護士のナショナリズム観を論評す!
『mumurブログ』のサイトを以前紹介されたので見たが、そのコメントの多さに思わず驚いた。下のサイトに関して210のコメントが寄せられていた。
この左翼弁護士のブログに対する批評だが、皆さん、本当にしっかりしたコメントを書かれており感心した。そこで私もこの左翼弁護士のブログに厳しい批評を加えることにしたい。
澤藤統一郎の憲法日記
私はナショナリストではない。ナショナリズムそのものの価値を認めない。
ナショナルなシンボルの呪縛を排斥しなければならないと考えている。
サッカーの試合では絶対に日本を応援しない。
オリンピックでは、小国、新興国、第三世界の選手の活躍に拍手を送る。
日本人だから声援を送ることはあり得ない。
(以上、引用終了)
↑の記事は「米兵の強盗殺人事件に怒る」という題で書かれたものであるが、何故か冒頭にこのようなナショナリズム論が述べられている。
オリンピックやワールドカップ大会は普段はナショナリズムとは無縁な毎日を送っている我々国民に、ナショナリズムを再自覚、再認識させる機会である。
おそらくこの左翼弁護士も普通の日本人と同じようにナショナリズムを感ずるはずである。しかし、そこは永年左翼の闘士としてインターナショナルを背負って生きてきたと云う自負から、自らナショナリズムを封印しなくてはと、敢えてこのように「絶対に日本を応援しない」と書いているのであろう。
その意味では可哀想な人だと思う。多くの日本人が外国の選手を相手に健闘している姿を見て感動を覚えているのに、この左翼人は拍手を一緒に送ることも出来ない。
我々日本人が国家・民族という問題に否応なく直面するのは、海外旅行時のパスポート所持とオリンピックやワールドカップ大会時の日本選手に対する応援が双璧であろう。
日本政府の発行するパスポートがなければ、外国に入国できないという事実こそ、紛れもなく国家の一員という事実の再認識であり、如何に国家を批判したところで、国家が発行するパスポートによってのみ身分が保証される現実がある。
そしてオリンピックやワールドカップである。
各国の選手が死力を尽くし、その中で日本人選手が頑張って、その結果として日の丸が掲揚された時の感動は、改めて日本人の血が騒ぐことを自覚する瞬間である。これはその感動を共に分かち合える多くの人々がいて、始めて味わうことのできる心の昂りである。
これこそが、左翼が忌み嫌うナショナリズムであるとしたら、何とナショナリズムとは心地よいものなのだろう。
そして彼らが好むインターナショナルである。実はこれもナショナリズムを体現することにおいて、机上のものではなく本当のものとなるのである。全力で戦ったもの同士が勝敗の決した後に、共に讃え合い、肩を組み、手を握るシーンから我々はナショナリズムがインターナショナリズムに通底する、生きた現場を見ることによって学ぶのである。
ナショナリズムを体現できない者に、インターナショナルを語る資格などそもそもないと思わなければならない。左翼は何故に左翼と呼ばれるのか?
この左翼人のブログが全てを言い表わしているではないか。自らが日本人であることを嫌い、国を愛することを悪と思っている限り、彼ら左翼に未来などあろうはずがない。
ブログ・ランキング ←NIPPONを応援したい方はクリックを!
Posted by the_radical_right at 11:04│
mixiチェック
│
市民団体・極左動向
訳が分からないのは左翼弁護士先生が、ある部分においてはナショナリズムを容認している点です。以下は左翼弁護士先生のブログより抜粋。
>大国の横暴に対する抗議に有効である限りにおいて、ナショナリズムもまた良し。
>都知事・石原慎太郎よ、横須賀市民・小泉純一郎よ、米軍に抗議せよ。
要するに韓国のノ・ムヒョン現政権のようなスタンスなのでしょうか。
犯罪行為を糾弾するのに親米も反米も、左翼も右翼もないように思いますが。
「あきら様」が指摘されたように、「大国の横暴に抗する」には大国と同等に
武力行使権を有する必要がありましょう。
左翼弁護士先生のような方に言わせると、自衛隊のイラク派遣が対米追従だとの批判をされるでしょうが、「開国=大いなる攘夷への道」と成す戦略こそが必要です。
各位
コメントを有り難う御座います。
昔から言われてきたことですが、日教組は卒業式や入学式における日の丸掲揚や君が代斉唱には難癖をつけるくせに、オリンピックで掲げられる日の丸や国際競技における君が代斉唱に何も言わないのが不思議でしたね。
件の左翼弁護士先生は日本代表は応援しないし、日の丸や君が代を認めないのは良いとして、国旗掲揚・国家斉唱は国際的な儀礼として当然だと思います
以前、サッカー日本代表の中田英寿が「君が代ダサい」発言で右翼から批難されましたが、彼が君が代をどう思おうが彼の勝手です。問題は日本代表として国歌を斉唱していたか、どうか…だと思います。
ナショナリズムの強制とは「君が代・日の丸を好きになれ」というものであり、掲揚・斉唱などは「儀礼」「義務」の問題であり全くの別問題であると考えるのが当然でしょう。
某スペクターが日本の番組で「日本人は差別民族」と発言。橋田寿嘉子先生は「今の子達は共産主義の怖さを知らないから」と言われた。いつから我が国は白人の許しがたい有色人種差別虐殺を忘れたのか。共産主義の虐殺も。デーブは米国がやった『原爆投下』を忘れたのか。イエローモンキー、ゴーホーム!害人にこんな寛大な馬鹿国は世界どこにもない。竹島占拠の反日民族を今や大好き!とは死んで逝った日本兵は今頃墓場で泣いているだろう。他のサイトでユダヤでもめた。彼らに有色人種差別はないと。ユダヤ民族以外はみんなゴイム(獣)とする『選民主義』を知らぬらしい。子を殺し生き血を回し飲みする儀式や改宗したフリしてその宗教を乗っ取れ!子供に徹底教育させ医者弁護士にし、国家自体支配せよと。自由であるべきマスコミが言論弾圧し情報統制しては本末転倒。今や日本は在日朝鮮人や中国人への批判は禁止、TVは韓国人だらけ。いつ併合されたのか?
昔、70か80年代くらいのことですが、バレーボールブームのときに日本人の観客が、他国の国歌斉唱時に起立も静粛にもせず、ひいきの選手への声援ばかりをして、顰蹙を買っていたという話を聞きます。
この時代は、まだまだ左翼の力が強く、日本の国歌や国旗に敬意を表するという当たり前の事が出来ていませんでした。
自国の国歌や国旗に敬意を表することが出来ない人間が、他国の国歌や国旗に敬意を表すことなど出来るはずがありません。
一人一人がしっかりとしたナショナリズムを持つことこそが、インターナショナリズムにつながるという主張に賛成です。
「ナショナルなシンボルの呪縛を排斥しなければならない」とお考えなら、先進国で裕福な日本を脱出し、「小国、新興国、第三世界」に移住され、そこの発展に尽力されることを祈っております。
→かつて、岩倉使節団は渡欧した際、不平等条約改正(安政五カ国条約)を訴えたが諸外国の態度は「不平等条約を改正したければ、資本主義国になって出直して来い」と言う感じだったと言います。その後の明治政府の国策はこれに奮起した結果と言えるものでしょう。
こんにちは(^-^)/ mumurブログを御訪問戴き有難うございます。最後の方に、たわいのない荒らしに対するやりとりがあり、お見苦しかったと思います。さてエントリーについて、あちらでは述べませんでしたが、凡そ条約なるものは不平等なのは当然なわけで、日米地位協定も、我が国が国防を米軍戦力に依存してきたことから発生したものであります。これが改正のためには、九条改正が不可欠であります。→