東京地裁の偏向判決
日の丸・君が代を敵視
「反日・左翼教師」たちが東京都教育委員会に対して、入学式や卒業式における「日の丸掲揚時の起立、君が代の斉唱」はその義務がないことの確認を求める東京地裁の裁判において、彼等「反日・左翼教師」の訴えを認める判決が下された。
同じ「反日」を掲げる朝日新聞などは大喜びである。一面トップは勿論のこと、社説や社会面のトップでもこれを扱っている。このあまりにも常識を欠いた判決には唖然とするしかない。
朝日新聞は左翼の原告側教諭の「信じられない、夢のよう」との言葉を大きく掲載したが、我々愛国者にとってはこれは悪夢以外のなにものでもない。
この判決は「個人の思想・信条の自由」のみに焦点を当て、厳粛な学校教育の現場における式典という、その重要性については全く無視したものであった。
なぜ、東京都が学習指導要領を定めて、このような「反日・左翼教師」に対する罰則規定を定めて指導してきたのか。その公教育現場における左翼の跋扈に対して、これを容認或いは推奨するものと言わざるを得ない。
東京都の中村教育長は直ちに「このような誤った判決が判例とならないように」と控訴することを明らかにしたが、当然のことである。左翼は教育界だけでなく、司法の現場にも深く浸透し、このような国家に対する敵対的な活動を日夜続けていることに怒りを禁じ得ない。
これで石原都知事が3選出馬に向けた大義名分は掲げられた。石原都知事はこれを堂々と公約に掲げ、更なる教育現場における荒廃に立ち向かって欲しい。
『単一民族国家論」
昨日の「日本は単一民族国家」ということに対して補足説明をさせて頂きたいと思います。この「日本は単一民族」と書くと、必ず反発する人達がいる。
そのような人たちは在日朝鮮人や部落解放同盟、そして左翼や進歩的文化人や評論家などである。彼らは日本にはアイヌ民族もいれば、かつては日本の支配から独立していた沖縄(琉球王国)もあったが、それを大和民族が滅ぼしたので、元来は単一民族ではない―という批判である。
確かにそのような歴史過程を全面的に否定するものではないが、滅ぼしたという考えには同意しない。アイヌ民族に関しては長い歴史の中で、大和民族と融合されていったものであり、琉球においては元来は同じ民族であったものが再び合体したと考えています。
60年代当時、新左翼の全盛期に一部の過激派はアイヌシモリ独立を掲げ、道庁爆破などでマイノリティーのアイヌ民族解放闘争を繰り広げたが、その運動は全く広がりを見せずにすぐに消滅した。
アイヌ民族が存在することは否定できない事実としても、彼らは日本社会においてマイノリティーとしては存在していない。彼らは日本社会に同化しており、日本人としての自覚を持つ故に、そのような左翼の扇動に乗る者はいなかったのです。
これは江戸幕府や明治政府が、積極的にアイヌ民族との融和、同化政策を推進してきたためで、もし彼らを日本社会に同化させない政策を採っていたなら、また違った結果となっていただろう。そのように考えるなら、私は先人の叡智に学ぶべきところは大きいと感じました。
沖縄にしても同じです。米国の占領からの解放を求めた時に、それは琉球王国の独立ではなく、本土復帰であったことは歴史の示す通りなのです。沖縄においても民族問題は存在しません。
わが国において民族問題として存在するのは在日朝鮮民族問題だけであると言って良いでしょう。
朝鮮民族は日本社会においてはマイノリティーな存在です。歴史的な経緯もあって、左翼や人権派団体は常に彼らを抑圧と差別の犠牲者として祭り上げ、そのような構図こそ日本帝国主義がもたらした必然的行為であると批判してきました。
日本は戦前、韓国を併合しました。西欧列強の植民地支配のような一方的な搾取ではなく、共に栄えるという基本的な考えが根底にあり、それ故に日本人と同じように日本国籍が与えられました。移動や居住の権利も認めました。
朝鮮から日本に渡り住み着いていた朝鮮民族は200万人ほどであったと言われます。彼らは自らの意思で日本に来て生活していた人達であり、過去に問題とされたような強制的に連行された人々ではありませんでした。
この中から戦後、朝鮮半島に約140万人ほどは帰って行きましたが、60万人ほどは日本に残りました。元々これらの人々は日本国籍を有していたわけですが、日本政府は日本国籍から離脱させ、その代わりに特別に永住する資格を与えました。
つまり、自らの意思で日本に留まった朝鮮民族が日本に存在しているからと言って、日本が単一民族国家ではないという論法は認められません。彼らは元来が日本に居住する権利は認められていません。
それは戦後処理の一環として永続的な資格(決して権利ではない)が与えられているからに過ぎません。それを権利と誤解するから単一民族国家に反発するのです。
朝鮮民族もこの日本に存在する以上、日本は単一民族国家ではなく、複数民族国家或いは多民族国家という訳です。これは絶対に容認出来ることではないのです。
また、この単一民族という概念は『単一民族国家論』として述べられてきたものであり、そのような単一民族という呼び名こそが、国家としてのまとまりを見せ、国家という共同体に属しているという自覚が芽生え、民族としてのエネルギーを喚起することにつながります。
『単一民族国家論』が朝鮮民族や他の諸民族を敵視するために用いられて来た訳ではありません。我々の民族心を鼓舞するために使われてきた象徴的な言葉であると考えるものです。
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