2006年08月20日

徹底討論「靖国問題」

徹底討論「靖国問題」

 小泉首相が靖国神社を参拝した翌日の産経新聞社を除く朝日・毎日・読売の各新聞、それから各テレビ局は一斉に小泉首相批判報道を展開した。

 「浅慮な暴挙」(毎日)とか「支離滅裂で外交的挑発」(朝日)と最大の悪罵を投げつけ、扇動家とまで決めつけた。靖国参拝の意義よりも中韓の批判を優先させるいつもながらの報道ぶりだった。

 いまやマスコミ界は完全に反日分子によって牛耳られてしまったようだ。彼らは常々「自らの過去を洗い出し、歴史を正しく学ぶ事だ」と国民に説教を垂れてきた。

 そして「アジア諸国が今なお日本に疑いの目を向けるのは、自らの過去を忘れ対決してこなかったからだ」と決め付ける。もういい加減にして欲しいというのが、次代を担う若者の声だろう。

 3日後に実施された共同通信社の世論調査で、小泉首相の靖国参拝を支持する国民は過半数を超えていた。更に当日(15日)、靖国神社には昨年を上回る25万人もの人が参拝に訪れた。

 彼らマスコミは完全に国民の意志と反する行為を平然と行なっている。このような状況下において、今、我々は何を行なえば良いのか。その明確なる見取り図を共に描こうではありませんか。

 今朝は多くのテレビ局が「小泉首相の靖国参拝」について、討論を行なうそうなので、それらの報道を見ながら進めたいと思います。是非とも皆さんの考えをコメントして下さい。

政治テロ容認発言言

 今回の加藤紘一元自民党幹事長の実家が、右翼団体の構成員によって放火された事件に関して、多くの方々から賛否両論のご意見が寄せられました。

 この問題をなぜ取り上げたかですが「卑劣なテロ・言論に対する重大な挑戦」などと言った主張が当然予想された中で、これをあえて取り上げた真意について申し上げます。

 私の一番尊敬する石原慎太郎先生は、時には驚くような発言をして物議を醸してきました。例えば「北朝鮮のミサイルが落ちないと日本は変わらない」と著書の中で記しておられました。

 勿論、ミサイルが落ちたら大変なことになりますが、このように表現することによって、国民に警鐘を鳴らしているわけです。石原先生は北朝鮮外交における外務省の姿勢を厳しく批判して次のように述べた。

「爆弾を仕掛けられて当たり前だ」

 これは『建国義勇軍』というグループが、外務省の田中均外務審議官宅に不審物を仕掛けたことに関してのコメントでした。この「当たり前」発言が多くの人の度肝を抜きました。

 この発言に対してコメントを求められた平沢勝栄代議士なども「テロを容認する」と断じて、公人として不適切と指弾したほどだった。この時も私は石原先生を支持して掲示板に次のように投稿した。

「外務省高官一人の生命をそれほど重要視するなら、彼ら外務省によって身の安全を放置されてきたに等しい拉致被害者の生命については何と心得ていたのか」

「国家は拉致被害者を救い出す義務と責任があったはずだが、その不履行の繰り返しによって新たな犠牲を生み出しかねない事態へと国民を追い込んでいる。その怒りの矛先が爆弾事件を誘発したとは考えられないか」

 石原先生がテロを肯定ともとれる発言をしたのはこれが初めてではなかった。昭和35年の浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件に触れ「ああいう軽率な発言を繰り返す政治家はいつか刺されるだろうと思っていたら、その通りになった」とまで述べたことがあります。

 また、月刊『世界』については「あんな雑誌は天誅ものだな」と切り捨てたこともある。この「当たり前」発言に対して、当然世論の受け止め方は厳しかった。

 しかし、私はこの石原先生の勇気ある発言に感動すら覚えた。それは後に石原先生をよく知る人から次のように聞いたからでした。その発言の真意をこの時に知りました。

「政治とは生命を賭して行なうものであり、政治家はテロの標的になる宿命を背負っている事を、全ての政治家や官僚、そして国民に訴えたかった」

 この裏を返せば、己の政治は、常に都民並びに国民の生命財産を守るために行なっており、決して己の生命に危険が“及ぶ事”はないとする自負の表れでもあったのです。

 世論調査では70%以上の人がこの「当たり前」発言には批判的でした。しかし、だからと言って石原都知事自体が否定されたわけでもないのは当然でした。

 今回、当ブログにも批判はありましたが、賛同するコメントも多くありました。「極右などいらない」という意見があったので、普段はコメントを入れないような方が、逆に積極的に支援してくれたようです。

 数字がそれを如実に物語りました。 

《応援クリック数》
8月15日      7556

8月16日      8224

8月17日      8933

 これは私の主張を支持した数字ではなく、極右の存在を必要と思う人達の数字であったと思っています。つまり、現況の日本において、この「極右」の存在を皆さんが認めてくれたのではないかと思っています。

 私はこのブログを始めるにあたって書きました。

「中国は日本の極右と言うが、日本に極右など存在しないも同じだ!しかし、そこまで極右というなら極右を本当に台頭させようではありませんか!」

 最後に心配をして頂いた方に深く感謝申し上げます。

関連記事 BLOG侍蟻「加藤紘一宅放火テロ事件に思う」

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2006年08月15日

8・15声明「民族の復元力」を信じる!

803aeaa4.jpeg8月15日声明 

日本民族の復元力を

信じ
国家再建に挺身しましょう!

 枯れているように見える植物も、水を与えると見る見る間に生き返る。これは自然界における普段の営みであり珍しいことではない。

 この復元力はただ単に個体生命の維持に向けられたものではない。同時に種の保全と繁殖のためでもある。

 これは植物に限らず全ての生物に当てはまり、人類においてもそれは言えるでしょう。同一の言語や風習を共有する民族という存在も、その構成たる個々の人間を無視することは出来ない。

 即ち、その構成員たる個人を無視して民族は成り立たない。民族の復元力こそ、まさにこの一個人の力なのである。人間には病気になれば、それを自ら治そうとする力が存する。

 徳川幕府の末期、外圧の危機が迫る中で、日本民族は幾多の志士を輩出した。これをどのように説明すれば良いか―と考えた時に、この民族の復元力、その生命の神秘と結びつく。

 つまり死んだように見える植物や病気になった人間が甦ることが出来るのは、その中に生命への確かな息吹が常に内在されているからに他なりません。

 民族や国家において、確かに指導者は存在する。しかし、個人、個人の英雄的な戦いが行なわれて初めて民族は戦うことが出来たのです。

 その戦いに参加した多くの英霊が眠る靖国神社こそは、日本民族の復元力を具備した聖地である。全てはこの地より始まる。

 半世紀前の8・15敗戦によって、多くのものを失った日本ではあったが、民族の復元力は、その失ったものを奪還すべく内に秘めながら、不断の作用を続けてきた。

 今日の日本をどのように見るべきなのか!?

 外圧に屈する寸前にまで追い詰められた国家―、政治家の背信―、資本家の悪徳―、マスメディアの横暴と頽廃―!

 このような現状を直視した時、多少なりとも自己と国家・民族の将来を真面目に想う若者が感ずる義憤はあまりにも大である。

 この義憤は今インターネット上に燎原の火の如く燃え上がろうとしている!この義憤こそが日本民族に襲い掛かる国難から、日本を救い出す民族の復元力となる!

 我々は日本民族である!

 民族精神復権の情熱に根差した行動は、生命体として躍動する民族の願望に合致しており、必ずや我々は苦難を乗越え、最後の勝利を得ることになる!

その困難な戦いの中で、インターネットは増々重要な武器となった!

インターネットは≪憂國の戦場≫である!

我々はこの戦場において更なる戦いを組織して、国家の再建に挺身しようではありませんか!

 小泉首相の靖国参拝の映像を見ながら、この文章を投稿します。

               8月15日7時45分 瀬戸弘幸

 中国共産党は小泉首相の靖国参拝を「犯罪行為だ!」と報道しているようですが、中共のような犯罪国家に言われたくない。皆さんもそう思われたのではないでしょうか。

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2006年08月13日

「世界平和実現」に賭けた皇軍兵士

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8・15の世界史的意義 最終回

 「世界の平和実現」を目指しての聖戦であった。

 このエントリーも本日の5回目を持ちまして終了したいと思います。先の大戦について、3つの側面があると申し上げて来ました。一つは自存自衛の為の日米決戦。二つ目はアジア解放・民族独立を掲げた大東亜戦争。三つ目が共産主義との戦いです。

 中韓北が侵略戦争と呼ぶ満州事変、日中戦争は、ロシアの南下、ソビエト革命、共産主義の脅威という流れの中で検証していかねばなりません。これは「反中国講座・歴史編」の中で行なってきました。

 さて、実はもう一つ大きな戦争の大義がありました。この点については、これまで多くの人が語っておりません。戦後社会の中でそれは封印されてきました。

 その理由はそのことに触れることは天皇陛下の戦争責任論を呼び起こしたり、或いは日本の国体(国柄)そのものを危うくする危険性があったので、伏せられてきました。

 しかし、戦後既に半世紀以上が過ぎ去った今日、国民の若い層の一部ではありますが、祖国の再生を目指す息吹きが始まった以上、この問題を取り上げない訳には行かないでしょう。

 それは開戦における天皇陛下の詔書にあります。

 ・・・・抑々東亜ノ安定ヲ確保シ、以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕ナル皇祖考、丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ、朕カ拳々措カサル所、列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国と釁端(キンタン)を開クニ至ル洵に己ムヲ得サルモノアリ。豈(アニ)朕カ志ナルヤ・・・」          

 戦争を避けたかったが、やむ得なかったという悲痛なお心を察することが出来ます。しかし、同時に「以て世界の平和に寄与する・・・・」という箇所にも注目しなくてはなりません。

 この部分こそ実に世界史的意義と言えるものではないでしょうか。

 この戦争とは世界の平和を希求して行なわれたのです。皆さん方の中には「戦争を開始するに当たって世界の平和を願う」との考えに矛盾を感じられた方もおいででしょう。

 しかし、これは事実なのです。今では全く歴史の彼方に葬られた言葉として「八紘一宇」という言葉があります。八紘とは四方八方という周り、広く世界という意味です。正確には(四方と四隅)

 一宇の宇とは家を表します。これは神武(じんむ)天皇が、橿(かし)原宮で即位した際にのべたとされる『日本書紀』の言葉を由来としています。

 これは当時(戦前)の日本人なら誰でもが持っていた日本人としての精神(誇り)でもありました。日本の大理想というものは、この精神を広く世界に示すことにあったのです。

 日本的世界観とでも呼ぶべきものでしょう。世界観とは何かー今日はこの定義をここで述べようとは思いません。ただこれを最も簡単に要約するとすれば、漠然とした表現ながら次のようになるでしょう。

 「日本の目指したものは黄色・白人関係なく人類の共存共栄であった。この実現のために満州には王道楽土というスローガンの下に理想国家の建国を目指した。我が国は戦争によって争いのない平和な世界を作ろうとした。」

 連合国はこれを世界に覇権を求める暴挙としたが、日本が世界征服を企むほど愚かな民族でない事は彼らも分かっていた筈です。この世界平和という大理想を掲げた戦争こそ世界史に残る偉業なのです。

 日本兵は確かに「祖国日本」のために戦った。しかし、それ以上に死生を超越した信仰的な情念があった。それが「天皇崇拝」とも云うべき日本的なる世界観であった。

 我が国の戦前の軍隊が戦争という人間が極限まで追い詰められるその状況下においても、最も勇敢に死を恐れずに団結し戦えたのは、ただ単に権力で強制されたからではない。

 そこには、その信仰心の底流には「世界の平和を求めて」という崇高にして純粋なる大理想があったことを見逃しては行けない。靖国神社に眠る英霊こそ「未来につなぐ平和の使者」だったのです。

 ※昨日は6800人の応援クリックがありました。過去最高であった7月25日(富田メモ事件)の8600人には及びませんが、直接入力して頂いた方は前回は3700人だったのが、昨日は4500人もおられました。

 このブログをそれだけ多くの人がお気に入りに登録して頂いているわけで感謝致します。8月15日は過去最高の盛り上がりを期待しております。皆さん、どうか他の掲示板への紹介など宜しくお願いします。

 

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2006年08月12日

大義に殉じた日本兵

8・15の世界史的意義 その��

 アジア解放・民族独立の大義に殉じた日本兵

 前回のエントリーで特定アジアを支持する方のコメントがあり、白熱した激論が戦わされた。共産中国や韓国、北朝鮮にしてみれば、先の大戦は日本の一方的な侵略戦争で、自分達は被害者であり、世界史的な意義などトンデモナイと思っているのだろう。

 しかし、東南アジアにおける日本軍の戦いはアジア諸国のみならず、戦勝国もそれを認めている。展転社刊の『アジアに生きる大東亜戦争』の中からそれを紹介しましょう。

 米国の著名な国際政治評論家のオーエン・ラティモア氏は次のように指摘している。

「真珠湾以降最初の2年間の日本の勝利は、アジアの勢力をはかる古い標準を打ち毀し、手に負えなくなったアジアが残った」

「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀的構造を破壊した事である」

 日本軍によってシンガポールが陥落したという報道が伝えられた時、ロンドンに亡命していたドゴール将軍(後のフランス大統領)は、その日の日記にこう記した。

「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」

 我々日本人は戦後、大東亜戦争と呼ぶことさえも禁止され、学校の教科書では太平洋戦争と学ばされた。マスコミなども大東亜戦争とは言わずに太平洋戦争と言っている。

 インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイなどの教科書には、自国の独立と大東亜戦争について、かなりのスペースを割いて、ほぼ正確に教えているのとは対照的である。

 日本の教科書の中には左翼歴史教授によって、全くのデタラメな記事が掲載されてきた。かの家永三郎教授の如きは次のように書いていたのである。

「日本がアジアの諸民族を解放したのではなく、諸民族は抗日闘争という実戦過程の中で独立を勝ち取った」

 断言してもいい―!!日本軍の協力なしに独立運動を起こした国は何処にもありません。北ベトナムのホーチミンだって、日本軍兵士の協力を得て独立運動を戦っています。

 戦後の混乱の中で正確な数字は掴めてはいませんが、日本の敗戦を知った後も、自分の意志で祖国への帰還を拒否し、現地に残留した日本兵は2千人〜3千人とも云われています。

 これらの多くの日本兵はジャングルに入り、インドネシア、ビルマ、ベトナム、カンボジア、ラオスといった地域で現地の独立義勇軍に参加して戦ったのです。

 もし彼らが侵略のみを目的として現地に赴いていたとしたら、日本が敗戦した後も残って戦うことがどうして出来たでしょう。それに現地の独立軍も決して彼らを仲間として受け入れることなどなかったでしょう。

 日本兵の多くがアジアの解放と民族の独立を掲げた戦争であったからこそ、祖国に還ることも拒否して戦い死んでいったのです。この史的事実こそ大東亜戦争の大義であったのです。

 前回も紹介した『酒たまねぎURAホームページ』さんより、今日も一部抜粋してみましょう。

1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議の席上、セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相(後に首相)はこう演説した。
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱えている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」。
「我々アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である」と強調。ロシアなどが主張した日本分割案に真向から反対して、これを退けた。
そして、『憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ』というブッダの教えを引いて、対日賠償請求権を放棄し、各国にそれに続くよう呼びかけた。
インド、ラオス、カンボジアなどがこの呼びかけに答え、自発的に対日賠償請求権を放棄した。

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2006年08月10日

日本民族としての先覚意識

8・15の世界史的意義 その��

日本民族としての先覚意識 

 幕末の時代―、祖国は尊皇開国か尊皇攘夷かの激しい対立の中で維新を成し遂げた。この維新によって徳川三百年の長い沈滞の眠りから呼び覚まされた日本人は、急激な西欧化に戸惑いながらも、近代化への道をまっしぐらに進み国力を増大させた。

 西欧列強のアジア侵略、植民地化という時代の趨勢に抗して、わが日本国は天皇陛下の下に一つにまとまり、その魔手から免れることが出来た。

 やがて日清、日露の戦争に勝利し、東洋の君子国とも呼ばれ、西欧列強の仲間入りを果たした。しかし、西欧列強はそのような日本に対して封じ込め政策を開始した。

 特に米国は日本に対する圧力を強め、やがて米国との戦争は不可避の状況へと追いやられていった。満州国への米国の介入と国際世論に訴えた日本批判、ABCD包囲網ラインと称された日本封じ込め戦略の発動などによって、ついに我が国はハワイ真珠湾に対する攻撃によって米国に宣戦布告した。

 この戦争開始が不意討ちであり奇襲であるという理由をもって、我が国はこれまで一方的な悪者扱いを受けてきたが、自衛のための戦争開始においては、このような先制攻撃が許されるというのは、今や常識であり米国は9・11から、この先制攻撃を是とする方向を明確に打ち出した。

 さて、米国政府は日本の真珠湾攻撃を事前に察知し、それを実行させ、米国の世論を「対日参戦」へ導くために綿密な作戦計画が練られていたことは今や歴史の真実となっている。

 つまり、外交努力によって問題を解決するよりは、日本を追いつめ戦争を始めるように仕掛けたのは米国の方であったのだ。ただし、この場合の米国とは米国一般を指すのではなく、ルーズベルト大統領でさえも陰で操る闇の指導者達であったことは言うまでもない。

 ここでこの論議には深入りしない。
 ブッシュ政権後に米国の闇の勢力と共産中国指導部が結託して、日本に対する敵対的な政策を仕掛けてきた時こそ、我々《極右》は世界の多くの《極右=反ユダヤ勢力》と連帯して戦わねばならないだろう。

 話が横道にそれてしまいましたが、先の大戦を日本側が一方的に仕掛けた侵略戦争と言っているのは、特定アジアの中・韓・北の三ヶ国と米国の闇の勢力だけであるという認識を持たなければなりません。

 本題に戻ることにします。
 先の大戦を我々は三つの側面があったと分析しています。

� 崋�存自衛」の為の戦い

�▲▲献�解放・民族独立の為の戦い

�6�産主義との戦い

 このいずれをとっても世界史的に意義のあるものです。

 ��の共産主義との戦いは、これまで「反中国講座・歴史編」エントリーの中で詳しく述べさせて頂いております。

 これまでの戦争史観の中で、この共産主義との戦いがあまり重要視されてきていません。しかし、これを矮小化してしまうと大きな矛盾に行き着いてしまいます。

 アジア解放とは大東亜戦争の崇高なる理念でありますが、中国などからは日本の満州国建国や満州事変は侵略戦争との批判を受けています。これに対していくらアジアの解放や民族の独立を掲げても、当の中国がそれを否定する限り説得力を持ちません。

 先日もTVタックル(テレビ朝日)で三宅先生が「中国への戦争は侵略だったが、東南アジアなどでは…」と語っていたようです。やはり同じレベル、つまり大アジア主義では対抗できないと感じました。

 日本が中国大陸で戦ったのは大アジア主義でもなんでもなく、国際共産主義の脅威から日本を守る戦争であったと理解すべきです。現に三国軍事同盟も反共同盟として結ばれたものでした。

 支那大陸における戦争とは、旧ソ連の南下を食い止め、中国共産党による中国支配、満州侵攻を食い止めるための戦いであった。そう歴史の中に位置づけなければ、本当の意味での戦争の大義は失われてしまうでしょう。

 東南アジアやインドなどにおける日本軍の戦いと、支那大陸における戦いを区別して見ないと正しい戦争史観を綴ることは出来ません。この二つの戦いにも世界史的意義はありますが、今回は主に南方における戦いについて、その世界史的意義を求めていきたいと思います。

 大東亜戦争の歴史的考察の側面を見た時に、明治維新後の近代日本が宿命的に背負わねばならなかった道が、戦争という手段であったことを認めない訳にはいきません。

 左翼や似非平和主義者はこれを日本独自の侵略戦争と規定していますが、当時の世界を見渡せば、このような戦争は珍しいことではなく、当事者間の領土紛争を解決する手段として多用されていたのです。

 しかし、私は先の大戦に参加した多くの日本人兵士は、他国を侵略して植民地として、そこから経済的な収奪を目的とした戦争とは考えてはいなかったと思います。

 日本人としての国際社会への目覚めと、自らの意志と力量をもってアジアの解放、すなわち西欧列強をアジアから追放するという強い自覚と信念があったと思います。

この日本人の考えと行動、先覚意識こそ、世界史の中に刻み込まれる大きな意義であると考えるものです。

 それを我々に伝えるのが靖国神社『遊就館』なのです。

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Posted by the_radical_right at 08:50 │ mixiチェック