2005年08月27日

郵政民営化問題に欠けている視点を検証する。

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    郵貯・簡保資金を狙う国際ユダヤ金融資本の魔手
 
郵政民営化に関しては掛け声だけが踊り、最終的にどのように推移して行くのか、さっぱり国民には示されていないような気がしてならない。賛成する側も反対する側も抽象的な議論に終始して、本当に大切なことが論点として浮かび上がっていないように感じる。
 
例えば行政改革の本丸、あるいはサービス面の向上、「小さな政府」か「大きな政府」などの標語は盛んに飛び交っているが、本当に良い面だけなのか、全く不安材料は見当たらないのか?その辺りの検証が成されなければならない。
 
郵政民営化の狙いは幾つかあるが、中でも最終的には「同一競争条件化に置く」ということだろう。つまり、一般の金融機関と同列にするということだ。現在郵便貯金は満額政府の保証下にあるが、これを一般の金融機関と同等の扱いになる。
 
バブル崩壊後、民間金融機関は多額の不良債権を抱え深刻な金融危機に襲われた。この時政府は98年3月には1兆8千億円、99年3月には7兆5千億円の公的資金を与えこれを救済しピンチを乗り切った。
 
この時銀行に対して取り付け騒動から金融パニックの恐慌が起きなかった一番の原因は他ならぬ郵便局の存在にあった。我が国の金融資産の4分の1が郵貯・簡保であったために、大事にならずに済んだのである。
 
この点をどう評価して、今後の対策に生かして行くのか、その辺りの説明がまるでない。自由市場の原理にだけ任せておいて、果たして本当に大丈夫なのか。その国民の不安に対して政府は答えていないし、マスコミや野党の追及もおざなりだ。
  
我々<極右>は「郵政民営化」への無批判的な世論の動向を危惧する 。     
国際ユダヤ金融資本の餌食になって身包み剥がされる危険性に警鐘をならす。
 
写真は郵政公社
 
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Posted by the_radical_right at 12:53 │ mixiチェック

2005年08月18日

窮余の策『国民新党』をあえて評価すれば。

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大衆迎合主義批判と新党結成
 
ネットバブルの風雲児や著名な国際政治学者、料理研究家のカリスマ主婦やら才色兼備の大蔵官僚、政党を渡り歩く政界のマドンナ。
小泉流の候補者選びはまさに百花繚乱でマスコミの話題独占である。
 
このような著名な人達は冷徹な目で言わせて頂くなら、個人的な資質は確かに万人の認める所なれど、自民党という政党の枠の中に閉じ込められた時、それは員数の一人でしかなく、彼(彼女)らが持っている力を発揮できるのか、甚だ疑問に思えてくる。
 
大衆迎合主義(ポピュリズム)という言葉がある。別に政治学の勉強するわけではないので、これを解説することはしないが、小泉首相を批判する言葉として一部で使われてきた。
 
民意を敏感に感じ取って、それを政治に生かす手法が小泉流なのであろうか?実はその反対に信念を貫き、その方向に強引な手法で持ち込むのが小泉流である。今回の騒動を見ているとそう思えてくる。
 
この大衆迎合主義なる言葉は、国民的人気の高い政治家を批判する場合にマスコミや評論家が使用してきた。この手法を持っての政治運営は衆愚政治に繋がると言うが、これでは国民は愚民になってしまう。
 
常に自分を一段高い位置から下を見下ろそうとするマスコミ人や評論家諸兄には、しょせん選挙民は愚民としか見えないのだろう。しかし、何よりも世論を重視して戦う小泉流は時代を先取りしているのかもしれない。
 
さて、マスコミが冷やかに報道している綿貫、亀井先生らの『国民新党』について<極右>の視点からエールを送ろう。追いつめられて、もがき苦しんだ果ての政党であり、その意味からは選挙互助政党のようで、何の魅力も感じない人も多い筈だ。
 
先ずネーミングも古臭い、新党と名称しているのに古臭く感じるのはどうしてなのか?これまでも日本新党や保守新党が生まれては消えた。またその運命を辿るかもしれない。
 
私だったら、同じ国民という言葉を使うなら『国民新党』ではなく『国民の総意』(ナショナルコンセンサス)としただろう。新党というと、いかにも選挙のための急場の間に合わせにしか見えない。
 
しかし『国民の総意』とすれば、新しい社会運動を提唱したように国民の目には映った筈だ。どうせここまで追いつめられたのだから、<極右>的な政党を発足させて欲しかった。
 
選挙対策のための窮余の新党だが、もし消滅しなかったら、我々<極右>が参加する価値があるかもしれない。聞くところによれば綿貫先生は神官でもあるようだ。日本的世界観を具現するにはこれ以上の職はない。
 
更に注目すべきは民主党を離党して田村秀昭参院議員が参加したことだ。その理由を「自衛隊の位置づけを明確化し、自衛隊員に名誉と誇りを与えるため」と述べた。田村氏は自衛隊幹部学校長を歴任した実力者である。
 
我々は今の政党政治には何の興味もない。虚妄の60年とは無縁であり、国家存亡の危機に備えてただひたすらその日を待つのみである。しかし、意外にも早く我々<極右>が芽を出す日も近いのかも知れない。政治の混乱こそ、我々<極右>の到来を予言する。
 
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Posted by the_radical_right at 09:21 │ mixiチェック

2005年08月16日

この際、いっそ参院を廃止すればどうか

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小泉首相は「郵政民営化法案」が衆院で可決されたが、参院で否決されたため、民意を問うとして解散総選挙に踏み切った。
マスコミは造反派に対して自民党執行部が対立候補を立てる事態を“刺客”と称して面白おかしく伝えている。
 
小泉流の劇場型総選挙騒動で関心は高まっている。しかし、この選挙結果によっては日本の議会制民主主義制度を根本から見直す好機となるかも知れない。
 
これまで参院は「良識に府」などと呼ばれ、衆院のチェック機能を持つ使命担ってきた。それ故に「参院無用論」や「参院廃止論」が高まって来た時でも、その必要性が強調されてきたのだった。
 
しかし、小泉首相の今回の手法は参院の表決を全く無視したものである。一部の評論家がこの点を危惧して話はしているが、国民の声は今回の解散を支持している。
 
つまり、今回の選挙の結果によっては、増々「参院廃止」を求める国民の声が強まってくるかも知れないのだ。かって「良識の府」と尊称された参院の本来の使命が果たして現在の参院にあるのか?
 
政党化して二院制の意義などもはや有名無実のものとなっている。衆議院のカーボンコピーであり、無用の長物化してしまっている。政党政治の誤りをチェックできない、例えしたとしても軽んじられている参院に価値を見いだす事はできない。
 
郵政民営化は「財政再建」を至上課題とした行政改革の一環としての流れであるなら、この際いっそ参院を廃止してしまったらどうか。
 
私はかって(昭和57年9月)ある雑誌の原稿を依頼された。題は『参院は果たして必要か、否か』であった。当時全国区はお金がかかり過ぎるという事で、拘束名簿式比例代表制が導入されようとしている時だった。
 
この時私は次のような文を投稿した。
 
「参院全国区の改革は政党政治の発展に必要なものではなく、既成政党の野合という現在の議会制民主主義の矛盾を覆い隠そうとの茶番に等しい。」
 
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Posted by the_radical_right at 15:44 │ mixiチェック

2005年08月11日

宰相として最も相応しい人物 

 
        憂国の論客  石原慎太郎先生
 
石原先生はこの『サンデープロジェクト』の放映の中で、幾度も共産中国をシナと表現した。
この点について田原総一郎は「なぜ、そのような蔑称と受け取られる発言を繰り返すのか」と質問した。
 
石原先生は待ってましたとばかりに次のように答えた。
「偏見ではない、シナは清が滅んでシナ大陸が大混乱に陥ったときに、孫文が使った言葉であり、私は孫文を尊敬しており敬意を持って言っている。なぜ、この言葉を日本人が使うと差別発言とされるのか?私にはよくわからない。」
 
田原は「石原さんの考えはそうかも知れないが、相手が嫌がる言葉は使うべきでないと思う」とだけ反論した。
 
私はシナとは書かずに中国と書いてきたが、必ず共産という言葉を頭にして『共産中国』と表記してきた。
現在の中国とは共産党が支配する国家であり、そこには人権も言論の自由は勿論政治活動の自由もない。
そのような国家であり、日本はまずそのことを徹底して批判しなくてはならない。
 
共産中国の軍備拡張主義は共産主義思想と深く結びついているからこそ危険なのだ。覇権主義も同様である。古来からの中華思想も根底にはあるようだが、やはり共産主義という思想は根絶しなくてはいけない。
 
これまでの日本の政治家は共産中国が政治大国、軍事大国であったために批判をためらいがちだった。今日では経済大国ともなってきた。
今まで以上にきっちりモノを言わねばならないのに、大国におもねるような政治家しかいない。
 
石原都知事が反米ナショナリストであったことは、これまでの先生の言動からも分かる。しかし、その後発言は微妙に変化してきた。
これは何も信念がぶれたとか、そういうことではない。
共産中国の覇権主義や北朝鮮の「東京を火の海にする」などの発言にも出ているような東アジアの緊迫した情勢からの判断である。
 
これまで主張してきた横田米軍基地の返還にしても、日米の共同使用から始めるべきとしている。これなども非常に現実的な発言で、これまでのような反米論者から親米論者とは行かないものの、明らかに変わられたと感じている。
 
石原先生は政治家というより思想家であると思う。
これは誰しもが認めるところでがないのか。
はっきりした思想と哲学があって、それをベースに発言されてきた。
次次と出版される本は膨大な知的の蓄積と、それを基にした発想と強力な意思がなければ続けられるものではない。
しかし、最大の原動力となっているのは国家への使命感であろう。
 
石原先生はこのテレビの対談の中で戦後日本人は国を愛さなくなった。
昔から一緒にすんでいるのに隣人を愛さない。
いかにそのような人が多くなったかを憂いておられた。
 
社会全体が何か大切なものを忘れてしまっている。これはもう人々の心が凍り付いてしまったからかもしれない。
凍りついた日本人の心に自らが「太陽」となって、いつまでも暖かい光を当てていただきたい。
 
 
  
Posted by the_radical_right at 06:06 │ mixiチェック

2005年08月10日

誰が宰相として一番相応しいか!?

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田原総一朗に一喝!
 
今国民はどのような総理大臣を望んでいるのだろうか?
今回、新党の党首として名前が挙がったのが石原都知事である。
しかし、石原先生は衆議院選挙には出馬しないので総理大臣にはなれない。
だが、石原先生ほど総理にふさわしい人物は他にはいない。
わたしはかってテレビでの石原先生の発言に胸がすっきりしたのを今でも忘れない。
日曜の朝、田原総一朗の司会で放映されている「サンデープロジェクト」で、『憂国の志士・石原慎太郎VSリベラルの旗手・菅直人』の討論が行われたことがある。
石原先生は民主党を「吹き溜まりの政党で論評にも値しない」とばっさり切って捨てた。
そして「菅君にとって国家とは何か!」とその国家観を問いただした。
これは菅直人民主党代表(当時)が常々市民派の代表として、国家を蔑ろにしていると石原先生は苦々しく思っていたからだろう。
この突然の石原先生の挑戦に、菅はしどろもどろで何も答えられない。
司会の田原が見かねて「私達の戦前の時代には国家に対する忠誠が求められた、その結果が戦争・敗戦ということで、国家の価値がまったく一変してしまい…」などと国家の尊厳を傷つけるような話をはじめた。
石原先生は怒った顔で田原を睨みつけ「君、そんな自分の体験で国家を論じちゃダメだよ。国家とはそんなものじゃない」とぴしゃりと言った。
いつもは傲慢無礼な語り口の田原も返す言葉がなかった。
 
国家を語れる政治家が少ない―。
特に亀井静香議員などは「国家・国民のために」と言うが、しからばあなたにとっての国家とは何ぞや!?
 
極右は新国家創造運動を提唱しています。
石原先生こそ、現時点における希望の星であります。
 
 
  
Posted by the_radical_right at 12:03 │ mixiチェック