大衆迎合主義批判と新党結成
ネットバブルの風雲児や著名な国際政治学者、料理研究家のカリスマ主婦やら才色兼備の大蔵官僚、政党を渡り歩く政界のマドンナ。
小泉流の候補者選びはまさに百花繚乱でマスコミの話題独占である。
このような著名な人達は冷徹な目で言わせて頂くなら、個人的な資質は確かに万人の認める所なれど、自民党という政党の枠の中に閉じ込められた時、それは員数の一人でしかなく、彼(彼女)らが持っている力を発揮できるのか、甚だ疑問に思えてくる。
大衆迎合主義(ポピュリズム)という言葉がある。別に政治学の勉強するわけではないので、これを解説することはしないが、小泉首相を批判する言葉として一部で使われてきた。
民意を敏感に感じ取って、それを政治に生かす手法が小泉流なのであろうか?実はその反対に信念を貫き、その方向に強引な手法で持ち込むのが小泉流である。今回の騒動を見ているとそう思えてくる。
この大衆迎合主義なる言葉は、国民的人気の高い政治家を批判する場合にマスコミや評論家が使用してきた。この手法を持っての政治運営は衆愚政治に繋がると言うが、これでは国民は愚民になってしまう。
常に自分を一段高い位置から下を見下ろそうとするマスコミ人や評論家諸兄には、しょせん選挙民は愚民としか見えないのだろう。しかし、何よりも世論を重視して戦う小泉流は時代を先取りしているのかもしれない。
さて、マスコミが冷やかに報道している綿貫、亀井先生らの『国民新党』について<極右>の視点からエールを送ろう。追いつめられて、もがき苦しんだ果ての政党であり、その意味からは選挙互助政党のようで、何の魅力も感じない人も多い筈だ。
先ずネーミングも古臭い、新党と名称しているのに古臭く感じるのはどうしてなのか?これまでも日本新党や保守新党が生まれては消えた。またその運命を辿るかもしれない。
私だったら、同じ国民という言葉を使うなら『国民新党』ではなく『国民の総意』(ナショナルコンセンサス)としただろう。新党というと、いかにも選挙のための急場の間に合わせにしか見えない。
しかし『国民の総意』とすれば、新しい社会運動を提唱したように国民の目には映った筈だ。どうせここまで追いつめられたのだから、<極右>的な政党を発足させて欲しかった。
選挙対策のための窮余の新党だが、もし消滅しなかったら、我々<極右>が参加する価値があるかもしれない。聞くところによれば綿貫先生は神官でもあるようだ。日本的世界観を具現するにはこれ以上の職はない。
更に注目すべきは民主党を離党して田村秀昭参院議員が参加したことだ。その理由を「自衛隊の位置づけを明確化し、自衛隊員に名誉と誇りを与えるため」と述べた。田村氏は自衛隊幹部学校長を歴任した実力者である。
我々は今の政党政治には何の興味もない。虚妄の60年とは無縁であり、国家存亡の危機に備えてただひたすらその日を待つのみである。しかし、意外にも早く我々<極右>が芽を出す日も近いのかも知れない。政治の混乱こそ、我々<極右>の到来を予言する。
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