2006年01月06日

擬似権力・朝日新聞社を糾弾する!

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     亡国マスコミが錯覚する擬似権力への道

 朝日新聞社の社説「首相年頭会見、わたしたちこそ理解できぬ」については、「思わず理解できないのは、お前達がアホだからだ」と返してやりたいくらい腹が立った。しかし、彼らはアホではない、高学歴者ぞろいである。彼ら新聞社に勤める人達の内面を考察してみたい。

 新聞社に大学を出て就職する人は最初から、権力志向ではない。どちらかと言えば反権力志向が強いと見られる。しかし、次第に彼らは権力の魔力に取り付かれてしまう。

 本来、持つべき社会の木鐸としての立場を忘れ、いつの間にか自分達が世の中を動かしているという錯覚に陥ってしまう。それが社説の次の箇所から読み取れる。


「理解出来ない…とは新聞社の社説も念頭に置いてのことだろう。全国の新聞のほとんどが参拝をやめるように求めているのに『理解出来ない』と口をとがらせるよりも、少しは�犖析誠有瓩蕕琉娶�に耳を傾けてはどうか」

 これは謙虚さに欠けた物言いであり、自分達が政治家より上だという思い上がりを感じる文章でもある。まるで自分達が理解できるようにしなくてはいけない、と決め付けているが、それこそ権力者の考えそのものであろう。

 一昨日、マスコミは今や我が国の第四権力であると書いたが、これは故秦野章氏の著「何が権力か」の中で、そのような意見もあると紹介したもので、私は彼らマスコミは権力にはなり得ないと思う一人だ。

 現代の日本社会に蔓延ってしまったマスコミだが、いかに強い影響力を有するように見えたところで、決して権力に成り得るほどの代物(シロモノ)ではない。なぜならば、権力とは統一された一つの社会を組織的に支配するものであり、その存在の前提として、当然のことながら責任の主体が明確にされなければならない。

 その責任の主体を明確にすることをおざなり、もしくは拒否して、民衆を支配するなどおよそ不可能である。民衆を支配できない(民衆から支持されないと置き換えても良い)権力は、本来の権力とは言いがたい。

 かりに社会において、現在の権力が実質的な支配権を失った時、必然的に民衆は次の権力を求める。力を失った権力は民衆に対して責任能力を有しないわけだから当然のことである。

 では我が国のマスコミがそのような立場となれるのか、再度言うが民衆の支持があって初めて支配は可能となる。民衆から支持されているという大いなる錯覚を持ったマスコミ集団にその資格はない。

 「全国の新聞のほとんどが…」と言うが、それがどれ程の力なのかと問いたい。終戦より米国の占領政策が始まれば、それまでの報道姿勢を一変させ、権力の代弁機関の一端を担ってきた。そこには国家に忠実でなければと言う骨っぽさは微塵も感じられなかった。

 テレビ報道に至ってはもう論外と言う他はない。その時々の興味本位の馬鹿騒ぎネタや低俗番組を次々と世に送り出し、国民の良心を麻痺させる役割を果たしてきた。いうなれば日本のマスコミは汚物に群がる蝿のごとく、頽廃文化の病原菌を無差別にばら撒くという大罪を犯してきたのである。

 明日以降はこの亡国マスコミの許すべからざる罪科の一端を、愛国心との関係で論じて見たい。何故マスコミ人には愛国心が欠如しているかだ。

 私は昨日朝日の社説を見て、怒りが込み上げて来るのを抑えられず、午後には靖国神社へ参拝に出かけた。いつもながらの参拝客で溢れていた。

 我々は決して他人のためには死ねない。しかし日本という国家のためには死ぬ事ができる。何故ならば、全身全霊を捧げることの出来る存在、それは国家というものしか見当たらないからだ。かつて我々の先輩は特攻隊となって敵の艦隊に突撃して死んでいった。これは日本という国家のために尊い生命を捧げたのである。

 我々《極右》はその行動を神聖なものとして受け止め、その意志を今に継ぐ闘いを続ける。新しい年が憂国の志士たちにとって、飛躍の年となることを祈り靖国を去った。  
(写真は昨日・靖国神社にて)

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2006年01月04日

開戦前夜・朝日新聞の今と昔

ed740507.jpg反日マスコミが主張する「開戦前夜」

 朝日新聞の正月の社説で一番興味をひかれたのは「まるで開戦前夜のような言葉が躍るインターネットや雑誌が溢れている」との箇所であった。このような情勢に朝日新聞社は危機感を抱いているという事を訴えてたかったのだろう。

 しかし、開戦前夜であろうが、なかろうが、世界中の国々が国益をかけて激しく衝突してきたのが、人類の歴史ではなかったのか?60年前祖国は世界最大の軍事国家である米国と戦った。敗れはしたが米国をして「二度と戦いたくない国」と言わしめた程、日本の兵士は勇敢に戦った。

 確かに戦後60年日本は平和の中で経済的な繁栄を謳歌してきたが、では一体この平和な社会を勝ち取り守るために、我々日本人がどれほどの努力をしてきたのか。自信を持って平和のために尽くしてきたと言える日本人は少ないだろう。

 左翼は口を開けば反戦平和をお題目のように唱えてきたが、それは旧ソ連や中共の手先となって、日本の赤化革命を引き起こすためにスローガンとして来ただけの方便に過ぎなかった。左翼が平和憲法を守ってきたから、日本が戦争にならなかった。そんな論法を信じる者は今の若者の中では少数派に過ぎない。

 日本が何故戦争と無縁で過ごせたかは、米ソ世界分割統治という情勢の中で、たまたま日本が米国の支配圏の中にあったからで、ヨーロッパ社会も東西に分割されたが、線引きがハッキリしていたので戦争にはならなかった。しかし米ソの世界分割線が曖昧な地域において紛争は行われてきた。

 冷戦崩壊後においては主に旧ソ連が支配していた地域において、戦争は勃発した。共産主義の頚木が外れ、これまで押さえ込まれていた民族が独立を求め蹶起したからである。パンドラの箱が開き、各民族が宗教勢力と結び、互いに憎悪して果てし無き戦争状態を引き起こした。しだいに沈静化したユーゴのような地域もあるが、チェチェンのように泥沼に陥っている所もある。

 では、今日朝日新聞社はどのような情勢分析として「開戦前夜に似ている」などと社説で煽ったのか?この社説を読んでいくと、まるで日本の国家主義や排外思想による中国批判が戦争の原因のような錯覚を持ってしまうから怖い。

 今、共産中国から軍事的な脅威や威嚇を受けているのは日本であり、日本側から相手国(中国)に脅威を与えるような行動や威嚇をしたことは一度もないはずだ。日本の領海に対する原子力潜水艦の侵犯事件、日本の領空侵入を試みるような演習に対するスクランブル警戒、日本の領海周辺における調査船の出没、いずれも中国から仕掛けられているものである。

 朝日新聞に問いたいのは、共産中国の人民解放軍がなぜこのような動きを見せているのかについてである。その原因と分析を試みて日本国民に警鐘を鳴らすのが、日本国の新聞社として当然の責務なのではないのか?

 さて半世紀以上前、朝日新聞社は日本の大東亜戦争突入へ向けて進軍ラッパを吹き鳴らしていた。

 『日本民族は如何なる民族精神を把握して、国外より来たらんとする怒涛を克服し、国内に勃発せんとする狂爛を征服して、光明の彼岸に到達せんとするのか。極東平和の維持は何よりも脅威されない充実した国防によって守られる』

 今、我々《極右》は同じ事を主張しているのに、それを批判する根拠とは何か。勇気を忘れた負け犬根性としか私には思えない。

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 これまでは主張を一方的に述べて来ましたが、今後は双方向性を追及して見たいと考えております。コメントにはなるべく時間の許す限り応じて行きますので、皆さんも遠慮なく書き込みをお願いします。春にはHP(世界戦略)もより充実させるように現在計画中です。
何か、良いアイデアのある方は教えて下さい。参考にしたいと思います。
  
Posted by the_radical_right at 06:52 │ mixiチェック

2005年10月19日

左翼偏向新聞「東京新聞」の社説は単なる悪口

『東京新聞』の「靖国参拝強行」の社説に驚愕!

小泉首相の私的な靖国参拝に対して我が国のマスコミは大騒ぎだった。産経・読売を除けば殆どが批判的な紙面で埋め尽くされた。このようなマスコミ報道は今に始まったことではないが全くあきれ果てるばかりだ。

共同通信社が17、18両日に実施した緊急電話世論調査では「参拝して良かった。」とする人が48・1パーセントで「参拝すべきではなかった。」の45・8パーセントを上回ったと報じた。しかし、昨日の新聞やテレビの報道は全く逆の報道ぶりだった。テレビなどは反対の意見を述べる人しか取り上げない局もあった。

今年8月15日に靖国神社を参拝した人は過去最高の20万人を突破した。この事実をもうお忘れになっている。反対派の主張だけを並べて垂れ流す、このいつもの偏向報道には怒りを通り超し虚しさを覚えてしまう。

朝日新聞や毎日新聞は最初から見る気はなかったが、地下鉄の駅で『東京新聞』を買い、その社説を読んで驚いてしまった。一体全体、これほどのお粗末な社説がなぜまかり通るのか?

「改革の機運も台無しにした。」とのタイトルで約900文字の分量であるが、その中に何とこれだけの否定的で口汚い文言が、これでもか、これでもかと使われていた。

【意地張って・聞く耳持たぬ・尻拭い・見苦しい・侮られた・待ち望んでいたわけでない・児戯に似る・開き直る・筋違いも甚だしい慢心だ・気色ばんだ・批判をかわす・非倫理性がここに際立つ・必要以上に刺激・アジア外交を滞留・ことごとく白紙に・落胆・慢心やメンツ、台無し・理解に苦しむ、まことに嘆かわしい・権力に従順】

よくもまぁー、これだけの文言を並べたててくれたものである。短い文章にこれだけの量を入れたら、どんな文章を書いても否定的で暗いものになってしまう。そこでこの言葉を使って一つの文章を作成してみることにした。

「ソ連の崩壊後、日本の左翼や反日マスコミは落胆した。自らの描いた日本左翼革命はことごとく白紙になった。これまで国民の声など聞く耳もたぬとばかりにソ連や北朝鮮の権力に従順だった彼らは、見苦しいほどに豹変した。」

「日本を貶めて弱体化させ共産中国の属国化への道を開こうと方向転換した。まさに児戯にも似た開き直りであり、筋違いも甚だしい。そんなことを国民は待ち望んでいたわけではない。」

「ソ連の崩壊・解体を究明することなく、方向転換して批判をかわすなど余りにも非倫理性が際立つとは思わないのか。これでは真に東アジアの平和と安定を求める国民を侮り、台無しにしてしまうだろう。中国や韓国を自らの報道で必要以上に傷つけ、まことに嘆かわしい限りだ。」

「マスコミは自分達が世論を代表していると錯覚している。これこそ驕りで慢心と言えよう。ソ連(マルクス主義)が消滅したのに意地を張ってメンツだけで左翼思想を守ろうなどとは見苦しい。自らの思想的破綻を国民に尻拭いさせるような行為は許しがたい。」

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Posted by the_radical_right at 08:00 │ mixiチェック

2005年09月11日

「2ちゃんねる」の匿名はニヒリスト、朝日新聞の掲載文章を分析する『ニヒリズムを退けて投票に』

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       選挙だけが変革の道ではない、ニヒリズムを
      真に評価できない朝日新聞掲載論文の限界
 
昨日の『朝日新聞』の<私の視点・ウイークエンド>という記事の中に興味深い文章を見つけた。森巣博というオーストラリア在住の作家の「ニヒリズムを退けて投票を」という記事である。選挙の前日でもあり、棄権せずに投票に行きなさい、との呼びかけのようでもあるが、読んでいくとなかなか朝日的で面白い。
 
朝日新聞に限らず他の新聞もそうだが、自分達の言いたい事を、このように作家の先生や評論家を登場願って彼等の口から代弁させる場合が多い。かって朝日新聞には新右翼の『一水会』がよく登場していたが、これなどは朝日新聞は右翼の主張も紹介することによって、自らは左傾化しておらず中立と思わせるための工作だった。
 
さて前置きはこの程度にしてこの先生の文章を少々長くなるが紹介する。
 
「だれに投票しようがなにも変わらない。いまの日本にはそういったニヒリズムが蔓延しているのではなかろうか。ニヒリズムは無力感の裏返しだ。これが嵩じると、たとえばインターネット上の「2ちゃんねる」に匿名で憎悪の書き込みをすることにより、かろうじて世の中にぶら下がる、一群の人々となる」
 
「民主主義下では、国家と国民は共同正犯の関係で結ばれている。投票とは、国民として責務を果すことである。・・・・・・・結局、曲がりなりにも社会を持ちこたえさせえているのは論理だ。論理がなくてもいいなら、力の強いものたちのやりたい放題になってしまう。それゆえ、無知なくせに、変に悟ったふりをして逃避する連中が一番タチが悪いのである」
 
この文章になぜ興味を抱いたかと言えば、朝日新聞社は無知なる大衆は選挙に行こうとしない。しかし、選挙に行けばそれなりの役目(朝日新聞から見た場合の)を果すとでも考えているのだろう。
 
それは最後の文章の「明日は落とし前をつける日だ。上等じゃないのよ。さあ皆の衆、やってやろうじゃないか」のやや下品な言葉に全ては集約されている。
 
さて題字にも使われている「ニヒリズム」だが、日本語では虚無主義と訳され、「あらゆる権威や価値を認めない考え」を指す言葉でもある。確かにニヒリズムはこれまでは、敗北者への烙印とされてもきた。
 
それは世間から孤立していたからであり、何も他人に語れずに信用することも出来ずに、自己の信念だけを絶対視してきた。余りにも絶望感が高まりストイシズムと同居すると、それは容易に死を意識してテロに向かった。
 
しかし、時代はそのような“狼”の時代とは違うのだ。時代の閉塞した状況を突破する可能性をネットは持っている。つまり「2ちゃんねる」やこの私の<極右評論>に投稿する匿名者こそは、「かろうじて世の中にぶら下がる一群の人々」ではない
 
彼等はニヒリストかも知れないが、絶望の狭間で新しい思想と出会える。そして多くの仲間がいることを実感するのである。選挙などに頼る必要性は全く感じてはいない。そのような方法でしか世の中が変わらないとは思っていない。
 
選挙にいかないのは現状からの一時的な逃避ではあっても諦めではない。企業爆破犯の思想とは「反日」ニヒリズムだった。彼等はその時代に感じた閉塞した状況を突破する道を爆弾に求めた。
 
今のニヒリスト達はそれをネットに求める。そしてそれは一個の爆裂として散る事はない。互いに連動することによって新国家創造運動という維新革命に向かう。
 
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Posted by the_radical_right at 15:21 │ mixiチェック

2005年06月13日

反日朝日新聞が共産中国と連携

     歴史を歪める反日マスコミが中国と連携
 

朝日新聞などの反日偏向報道が、単に日本国内の汚染に止まらず、外交問題にまで発展する事態を招いたことは、かつての教科書問題、従軍慰安婦問題で明らかだ。そして今度は小泉首相の靖国参拝を巡って、敵意丸出しの報道を続けている。
 朝日新聞社にはかつて「親ソ連派」「親中国派」が存在し、その人々の「思想」によって、日本の国益を損なうどころか、始めから損なうために、シンパシーを抱くそれぞれの共産国の立場で報道がなされて来た。
 ソ連崩壊後は「親中国派」の天下となり、「親ソ連派」は「親北朝鮮派」に衣替えを図ったと云われている。朝日新聞の反日分子どもはロシア・中国の「反ファシスト勝利60周年」を祝う記念行事に照準を合わせ、歴史を歪める攻勢を更に強めようと企てている。
  
Posted by the_radical_right at 08:40 │ mixiチェック