選挙だけが変革の道ではない、ニヒリズムを
真に評価できない朝日新聞掲載論文の限界
昨日の『朝日新聞』の<私の視点・ウイークエンド>という記事の中に興味深い文章を見つけた。森巣博というオーストラリア在住の作家の「ニヒリズムを退けて投票を」という記事である。選挙の前日でもあり、棄権せずに投票に行きなさい、との呼びかけのようでもあるが、読んでいくとなかなか朝日的で面白い。
朝日新聞に限らず他の新聞もそうだが、自分達の言いたい事を、このように作家の先生や評論家を登場願って彼等の口から代弁させる場合が多い。かって朝日新聞には新右翼の『一水会』がよく登場していたが、これなどは朝日新聞は右翼の主張も紹介することによって、自らは左傾化しておらず中立と思わせるための工作だった。
さて前置きはこの程度にしてこの先生の文章を少々長くなるが紹介する。
「だれに投票しようがなにも変わらない。いまの日本にはそういったニヒリズムが蔓延しているのではなかろうか。ニヒリズムは無力感の裏返しだ。これが嵩じると、たとえばインターネット上の「2ちゃんねる」に匿名で憎悪の書き込みをすることにより、かろうじて世の中にぶら下がる、一群の人々となる」
「民主主義下では、国家と国民は共同正犯の関係で結ばれている。投票とは、国民として責務を果すことである。・・・・・・・結局、曲がりなりにも社会を持ちこたえさせえているのは論理だ。論理がなくてもいいなら、力の強いものたちのやりたい放題になってしまう。それゆえ、無知なくせに、変に悟ったふりをして逃避する連中が一番タチが悪いのである」
この文章になぜ興味を抱いたかと言えば、朝日新聞社は無知なる大衆は選挙に行こうとしない。しかし、選挙に行けばそれなりの役目(朝日新聞から見た場合の)を果すとでも考えているのだろう。
それは最後の文章の「明日は落とし前をつける日だ。上等じゃないのよ。さあ皆の衆、やってやろうじゃないか」のやや下品な言葉に全ては集約されている。
さて題字にも使われている「ニヒリズム」だが、日本語では虚無主義と訳され、「あらゆる権威や価値を認めない考え」を指す言葉でもある。確かにニヒリズムはこれまでは、敗北者への烙印とされてもきた。
それは世間から孤立していたからであり、何も他人に語れずに信用することも出来ずに、自己の信念だけを絶対視してきた。余りにも絶望感が高まりストイシズムと同居すると、それは容易に死を意識してテロに向かった。
しかし、時代はそのような“狼”の時代とは違うのだ。時代の閉塞した状況を突破する可能性をネットは持っている。つまり「2ちゃんねる」やこの私の<極右評論>に投稿する匿名者こそは、「かろうじて世の中にぶら下がる一群の人々」ではない
彼等はニヒリストかも知れないが、絶望の狭間で新しい思想と出会える。そして多くの仲間がいることを実感するのである。選挙などに頼る必要性は全く感じてはいない。そのような方法でしか世の中が変わらないとは思っていない。
選挙にいかないのは現状からの一時的な逃避ではあっても諦めではない。企業爆破犯の思想とは「反日」ニヒリズムだった。彼等はその時代に感じた閉塞した状況を突破する道を爆弾に求めた。
今のニヒリスト達はそれをネットに求める。そしてそれは一個の爆裂として散る事はない。互いに連動することによって新国家創造運動という維新革命に向かう。
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