左翼のレトリックは実に巧妙である。一見、中道を装ってはいるようだが、その論に嵌れば誘導されてしまうので危険極まりない。
例えば対北朝鮮外交において朝日新聞も「対話とムチ」の必要性を提唱してはいたが、朝日新聞が一度として「ムチ」に言及したことがない事はかねがね指摘されている。
その実、こちらが見極める真贋を持てばそう恐くはない。つまり新聞を盲信しないということだ。そうすることで巷で喧伝される形骸化された左翼イデオロギーの虚しさが嫌と言うほど伝わってくる。
「愛民心」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
おそらく多くの人にとっては聞きなれない言葉であろう。
朝日新聞では『時流自論』なるコーナーが設けられているが、平成18年1月23日付の朝刊では「愛国心と愛民心」なるタイトルで昨今の世相を説くコラムが掲載されていた。執筆者は写真家にして作家の藤原新也氏。
皮肉にも、ここに朝日新聞の“相貌”が顕わにされているように思う。ここで、そのような妄言に徹底反論することで巧妙に仕掛けられた左翼イデオロギーを喝破するとともに、皆様が愛国心についてより一層造詣を深める一助となれば幸いだ。
コラムの冒頭は、門松や日の丸など正月行事において日本の伝統や愛国心が地に墜ちたことを嘆くタクシー運転手の言葉が紹介されているところから始まる。
確かに正月行事は簡略化されつつあり、年々正月らしさを失いつつあることは客観的な事実であるのかも知れない。しかし、それを以って即ち「伝統や愛国心の減退」と断じるのは早計ではないか。
大晦日や元旦など各地の神社へ初詣に向かう参拝客は毎年過去最高を記録しているし、箸を使い、家では靴を脱ぐ日本の伝統的習慣は生活様式が変われど脈々と生き続けている。
また、藤原氏は文中、「平成の日本人、とりわけ若者らはかつての時代のように愛国心に燃えるようなことはない」と述べているが、緊迫化する極東アジア情勢の変動を受けたせいか、インターネット上における若年層の保守傾向は著しい。Webサイトにとどまらず拉致問題や人権擁護法案、皇室典範改正案など種々の問題意識を基に、自発的に動員される人数は相当数に上る。
サッカーW杯における応援サポーターの数も国民的熱狂ぶりも、本大会出場さえも叶わなかった十数年前とは比較になるまい。
もとより藤原氏は国民の日本への帰属意識について思い違いをしていると感じざるを得ないのだ。我が国の根幹を成す「日の丸・君が代」「ご皇室の存続」について積極的反対・廃止論を唱える向きは国民世論として形成されていない。誰しも自身の自宅周辺など近隣住民に問うて見れば歴然としているだろう。
その意味で、我が国とていつナショナリズムの隆盛が再興したとしても不思議ではなく、その土壌は常に形成されているのである。
さらに藤原氏は「愛国心とは〔中略〕きわめて身近な愛情の相互補完の土壌の中において芽吹くものなのである」とし、その意味で「家族や隣近所の土壌が痩せ細っているこの国において、仮に年寄りが若者に愛国心を求めるとするなら、それは無いものねだりに過ぎない」と結ぶ。
確かに近年、家族崩壊が指摘されて久しく、親が子を、子が親を殺すような事例が後を絶たない。しかし、それこそマスメディアの報道を盲信した一例と言えよう。
小手先の小細工で成り上がったIT長者の若者が「カネが全て」と言い放つ一方で、マスメディアが注目しない健全な若者、マスメディアが注目しない健全な家族、マスメディアが注目しない健全な地域社会が多数存在することに注目すべきである。
終りに藤原氏が致命的な意味の取り違いをしているところに反駁することの虚しさと、そのような論説を掲載した朝日新聞の低劣さを感じずにはいられない。
そこにはこうある。
「愛国心を掲げる人たちは愛とは他者との相互関係において成り立つという基本的なことをも忘れている。愛国心、つまり『民が国を愛する』ということは即ち『国が民を愛する』ということと相応の関係であらねばならないわけである。親子の関係でなぞらえれば、親(国家)が子を愛するからこそ子(国民)は親を愛する。仮に『愛国心』という言葉があるなら、それに相応した『愛民心』という言葉とその行ないがあってしかるべきなのだ」
〔中略〕
「近年の国の行ないを思い起こしてみるに、国家は逆に民を欺いているのではないかとの感すらある」
もう、目を覆わんばかりの誤認だ!
国を愛する「愛国心」とは政府や為政者に対する愛では断じてない!
勿論、同胞をも含むであろうが、人対人、官対民というの関係のみで論じられるものでもないだろう。
東京都の石原慎太郎知事は自著の中で次の旨のことを述べている。
「政治家が真に政治を行なおうとする時、国家は必ずそれに応えてくれる。その関わり合いは愛し合う男女の間をさえ超えたものだろう」
愛国心とは形や数値に表わせるものではないし、理屈を超えたものだ。
分かり易い例えで「愛社精神」に擬えて言うなら、その会社に勤めている人間を含め、自社が社会に貢献してきたという歴史・伝統・業績を尊び、誇りに思うところから自社に対して愛情を滾らせる。自らがそれを受け継ぎ、より発展させ、やがて後輩に引き渡す―。そのような個々の使命感、奉仕精神の下に上下、横との信頼関係の発展・強化をもたらすのではないか。藤原氏の述べることは順序が逆なのである。
社内システムを愛するわけでもなければ、ましてや会社の建物・施設を愛するのとも訳が違う。
耐震偽装で官民一体による国民への背信行為があろうとも、上層部(政府)と社員(国民)の関係とは別次元の問題であると思っている。
愛国心ゆえに政府の弱腰外交を非難することもあれば、愛国心に基づいて政府の行動を熱烈に支持することもあるだろう。
最後に藤原氏は、契約社員や派遣社員なる「使い捨て雇用システム」を問題点として、そのような労働システムの横行を放置している国の長が、国民に愛国心を求めても「虫の良過ぎる話」と指弾した。
しかし、正規の雇用関係の下に社員を募集している会社はあるのではないか。昨今、話題にのぼるニート問題でも言われるが、そうした会社・職場を探さない側の“甘え”の問題でしかなく、愛国心と結び付けられるべき問題ではない。
何よりも精神科医のヒキコモリ男性に対するアンケートで、「徴兵制が施行されればどうするか」との問いに、8割以上が「喜んで行く」と答えたという統計に注目すべきだろう。国家が真に国家としての役割を果たそうとする時、国民は自らの使命感(愛国心)の基に、国家からの要請に自発的に応じるのだ。
崇高な精神たる「愛国心」の重要性を謳いつつも、その実、徒な政府批判に終始し、国民を誤った方向へ導かんとする朝日新聞の言論手法に騙されてはならない。
※今回は簡単なところで斬ってみました。
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