2006年02月10日

寛容はもはや限界、だから自由を掲げた!

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二者択一ならどうする?

「言論の自由」か「信教の自由」か

 小泉首相は外国人労働者の受け入れについて「外国人労働者が増えると必ず衝突が起きる」と発言したが、この点についていつもなら過剰反応を見せるマスコミや人権派団体は沈黙したままだ。

 これはネットにおいても明らかで、検索してもこの問題を取り上げているところは我が極右評論の友誼ブログ『侍蟻(=NPO団体「外国人犯罪追放運動」を主宰)』くらいなものである。人権派団体のブログ『多文化・多民族・多国籍社会・人として』においても、何も触れられてはいない。

 この沈黙はやはり昨今の西欧社会における移民暴動、ムハンマド風刺漫画騒動に見られる外国人労働者・移民問題の深刻さを表わしているのであろう。「外国人労働者が増えると衝突が起きる」との答弁は名言である。朝日などはこの名言をいつもなら“迷言”と批判する所だろうが、言葉も出なかったというべきか。

 今朝の産経新聞の社説にもこの風刺漫画問題が取り上げられていた。「宗教戦争にしてはならない」との題で書かれている。朝日新聞社説の「節度と寛容の心」からすれば、いくらかはましと言える。

 例えば、次のような文章があるからだ。
「この漫画を見てどう感じるかは個人の内的な問題である」
「掲載の適否はあくまでも報道機関が自主的に判断する。これは譲れない」
 
これは「報道の自由」を守るマスコミの最低限の論理だろう。

 しかし、産経新聞は同時に「ムハンマドをテロリスト扱いしたのは侮蔑以外の何ものでもない」とイスラムを擁護している。昨日も書いたが二者択一を迫られた時に、どちらにも軍配を挙げることの出来ない弱さを私は憂いる。

西欧のマスコミがこの漫画が刺激的であり、ある意味で侮蔑に繋がる事など承知のはずであったと思う。にも拘らず西欧のほとんどのマスメディアがデンマークの新聞社に共鳴して掲載した背景になぜ触れないのか?

 それは小泉首相の国会答弁「外国人が増えると衝突が起きる」と密接に通ずる事柄であるからだ。はっきりと書くべきである。。

「寛容が限界に達した」
からこそ「自由を守る」ために決起したのである。

 国内に400万人ともそれ以上とも言われるイスラム人口を抱え込むフランス社会は、フランス革命以来「自由・平等・博愛」の精神を国家の国是としてきた。そのフランス社会が今日直面しているのは、この国是が瓦解する危機でもある。

 イスラムに同情する人達に問いたいことがある。彼らは信教の自由を求めるが、果して他者の信教の自由は認めるのか?何も暴力とは物を破壊することだけを言うのではない。

 「自分たちの宗教の自由」を叫び、「相手の宗教の自由」を認めないのであれば、これも暴力というのではないのか?我々はこの問題を宗教上の争いとは考えていない。

 移民と外国人問題である。そこからこの解決の糸口を探らねばならない。西欧社会は移民・労働者問題で失敗して、国家の危機を招いてしまった。我々日本はその失敗を学ばなければならない。

 小泉首相の外国人労働者受け入れ慎重論を断固支持する。

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2005年11月15日

ポスト冷戦の新潮流としての《極右》

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西欧における《極右》の台頭と、その原因を「移民」以外に求めると

 今回のフランスの「移民暴動」において、この問題を追及してきた《極右》勢力が注目されている。確かに《極右》は外国人移民について、反対を表明し国民に訴えてきた。しかし、《極右》が支持を伸ばしているのは、《極右》が単に移民に反対しているからではない。

 外国人に対する抗議の受け皿としてだけ《極右》の存在はあるのでなく、体制そのものへの抗議の対象として存在感を増している。こうした移民に反対する国民の票は当初は右翼・国粋勢力に集まった。

 しかし、それは単なる一時的な現象でしかなかった。旧来の右翼はゴマンとあったが、それを国政レベルにまで、きちんと取り上げる能力を持ったのが、今日のフランスの《極右政党》であったわけだ。

 対してイギリスやドイツにおいては、フランスの《極右》政党のように、国民の不安や不信感を代弁することが出来なかった。彼らは頭を剃り上げてスキンヘッドにして、徒党を組んで暴力的な破壊活動を繰り返してきた。ドイツにおいても暴力的な集団はそれでも活動しているが、歴史修正主義者で著名な人達はその活動拠点をアメリカ大陸に移したほどである。

 オーストリアとベルギー、オランダにおいても、《極右》政党はそれなりの成功を収めつつあるが、この成功の秘訣も人種間の緊張関係だけが要因とは言えない。確かに外国人恐怖症を巧みに煽った雄弁家が成功に導いたという説も間違いではない。しかしそれが全てではない。フランスと同じように体制への抗議が票となって表われている。

 西欧における《極右》の伸張は移民の問題が有利に作用したことは否定するものではない。しかし、もう一つ東西冷戦構造の崩壊というイデオロギーの問題が実はそれ以上のウェートを占めていると私は分析している。

 それはポスト冷戦の新潮流として、この問題を考察することから始めなければならない。平成5年3月7日付の産経新聞に、ユーロ・コミュニズム全盛期の1977年、痛烈な社会主義批判を展開したフランス新哲学派の旗手、ベルナールアンリ・レビ氏のインタビューが掲載された。

 このインタビューの中でレビ氏は、インタビュアーがイデオロギーに代わる争点を質ねたことに対して、明確にイデオロギーの相違こそ焦点であると切り替えした。つまり、冷戦時代は民主主義対全体主義(共産主義)の拮抗であったのに対して、世紀末を迎えた現在には、まだ何と命名すべきかも分らない新しいイズムの拮抗が見られるとの指摘であった。

 それは一番近いのはナショナリズムであるが、帝政ロシアやラテンアメリカなどで派生した下からの体制変革運動としてのポピュリズムやトライバリスム(部族主義)などであり、今後これらが増殖すると思われる。この指摘には興味深いものがある。

今三位一体という言葉が流行していますが、「赤(旧共産主義者)」「黒(宗教指導者)」「白(民族主義者)」がこの新しい潮流に深く関わってくることは間違いない。今後《極右》はこの新潮流の中でその存在感を増していくことだろう。

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2005年11月14日

[フランス極右]伸張の理由は非暴力主義

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フランス《極右》 言論は過激暴力性に富むが行動はいたって慎重

フランスにおける「移民暴動」について、これを取り締まる政府や警察の動きは報道されているが、《極右》勢力の対応については報道がされていない。ネットでは一部の無責任な人達が、イスラム系の暴徒に対して、《極右》勢力が暴力で反撃することを期待するかのような書き込みもあったが、それはフランスの《極右》勢力の現状を余りにも知らなさ過ぎる投稿である。

フランスの《極右》はご存知のようにシラク大統領との決選投票にまで勝ち残った程の力を持っている。ドイツのネオナチ組織のように暴力的攻撃に出ることは殆どない。かってのフランスの右翼は爆弾闘争を行なうなど過激な路線をとっていた。しかし、このような過激な路線と決別することによってフランスの《極右》は再び息を吹き返したのである。

フランスの右翼勢力は60年代の初めアルジェリアの混乱のあと後退を余儀なくされた。以後時代錯誤的な武力闘争路線をとって国民から見放されたが、70年代に入り、右翼はこれまでの国粋主義的な傾向から大衆運動(ファシズム)へと移行し始めた。73年に行なわれた総選挙において、右翼全体の得票が3%にもならなかったと言う敗北感が、新しい運動の必要性を痛感したきっかけとなった。

80年代の後半になるとルペン党首が率いる《極右》政党・国民戦線は総選挙において、463万票、14・4%の支持を獲得した。この時フランス共産党は歴史的な大敗を期し、国民戦線の半分の支持も得られなかった。

昭和63年5月1日、労働者の祭典と云われるメーデーに、あえて国民戦線は首都パリにおいて10万人の大集会を開催した。フランスの若き英雄「ジャンヌ・ダルク」の銅像の前から宮殿に向け行進を開始した。

この時、極左勢力がこん棒などで武装して、国民戦線のデモ隊に襲い掛かった。第5共和国の崩壊を恐れるミッテラン大統領率いる体制派(保守連合から社共)は、左翼勢力をけしかけ、国民戦線つぶしに陰謀を張り巡らしていた。

しかし、4000人も動員された国家警察も極左の妨害を撥ね退けて、整然と進む《極右》のデモ隊を取り締まることは出来なかった。彼らは一糸乱れず整然と行進を続けた。

「フランスに栄光あれ!」「フランスをフランス人の手に!」

デモに参加しているのは、左翼の日当を貰って参加した労組員とは違う。彼らは赤旗だが、国民戦線の若者等の手にはフランスの三色旗の小旗がしっかりと握られていた。彼ら若者の心の中には「このどうしようもないフランスを我々の手で救い出そう」という熱烈な愛国心があった。

なぜ、フランスの《極右》は台頭したのか、日本のマスコミはこぞってその原因を経済の不振、失業者の増大、外国人移民の増加などに求めているが、それだけではない。それは《極右》勢力自体の意識の変化、とりわけ活動家の自己改革による所が大きい。政治を志すものにとって、一番大切なことは純真(ナイーブ)である。

不安や不満の捌け口を求めて《極右》政党に支持が集まったのでなく、その不安を取り除くだけの政策を掲げ、試練を乗り越えてきたからこそ今日がある。左翼の繰り返す挑発行為にも目もくれず、国旗を掲げ国歌を口ずさみ隊列を乱さずに行進できるのは、彼らには壮大な夢と浪漫があるからなのだ。

西欧の歴史は《極右》に希望という扉(とびら)を開いた。この扉を自ら閉めるような暴力的な反撃を《極右》はしない。彼らは静かに自らの次なる出番を待っている。

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2005年11月12日

ナチスに学べ少子化対策!

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人口減少に歯止めをかけたその政策は画期的なものだった。

猪口邦子少子化男女共同参画担当大臣が6日、民放テレビに出演して、女性の労働率が高い国は出生率も高い、と表図を示して説明したが、この表図には説明の内容(労働率が高いと出生率も高い)と、合致しない国(トルコ、メキシコ)などは意図的に外されていたことが判明した。つまり改竄した表図を示して国民に対してデマを流したようなもので、今後このテレビにおける「女性の就業率と出生率は正比例」とのデマ放送に批判が起きるのは間違いない。

さて、私はかつて深刻化する一方の我が国の出生率を引きあげる案として、「ナチスに学ぶ少子化問題」という提案をHP で行なったことがある。それをこのブログでも紹介させていただこう。

この少子化問題について、未だに有効な方法は示されていない。猪口大臣は所得水準の低い国をあえて隠してまで、何を訴えたかったのか?残念ながら具体的提案はなかった。保育所の増設や育児休暇の延長などの小手先の対策をいくら講じても解決されない。

余り知られていないが、戦前ドイツで政権を獲得したナチスは、世界史の中でも極めて稀な政策によって、人口の減少に歯止めをかけることが出来た政権だった。私はこのナチスの政策を取り入れるべきと訴える。この政策は猪口大臣の提唱とは全く逆である。「女性は家庭に!男性は職場へ!」がその基本理念であった。

1910年に出生率が30%を切り、1925年には20・7%、1933年には14・7%まで落ち込んだドイツでは、この人口減少は大きな社会的問題であった。ナチスはこの問題に先ず政権獲得と同時に取り組んだ。「ドイツ人は優秀で健康であらねばならない」とする人種政策は、民族的優位性を鼓舞することによって、人口を増加に転じさせたいとの願いが込められていた。

決して他民族を蔑視したり、排斥を目的としたものではなかった。人種学、遺伝学、医学などの専門家が集められ、この人口減小という難題に立ち向かった。そしてこの減少に歯止めをかけた歴史的に稀有な存在となった。

女性には結婚適齢期になると結婚準備金を貸し与える結婚奨励金制度を作り、女性が子供一人産むと四分の一が帳消しに、四人産めば丸々自分のものとなり返済する必要がなかった。実はこれは失業対策にも役立った。すなわち女性には職場から家庭へと目を向けさせたのである。

1938年7月には新しい婚姻法が施行された。画期的だったのは夫婦は3年以上別居していれば理由の如何を問わずに離婚が認められた。不仲の夫婦には子供など出来る訳がないので、早く離婚させ別人と結婚できた方が本人達のためでもあり、国家にも有益と判断したのである。

1935年には刑法175条が強化された。これは同性愛者を取り締まる法律で、当時のドイツには200万人からの同性愛者がいたが、警察長官のヒムラーは「同性愛者の行いは常に私的な行為で、自分たちには構わないで欲しいというが、ことは個人の問題ではない。民族の生死にかかわる問題であり、このまま続けば出生率が低下し続け、ドイツは50年後には列強としての力を失ってしまう」と述べ断固とした取締りを開始した。また、この年多子家庭には租税減免制度が導入された。

ナチス政権獲得前の1925年のドイツの人口比率はキノコ型の人口図で余りにも現在の日本に似ている。ナチズムが登場した時代は戦地に赴いた男性に代わって女性が職場に進出して定着していた。またそれまでの規範や価値観が喪失し、敗戦の挫折から国民の多くが無力感の中にいた。

そのような時代、ナチスは「女性は家庭を守ることに専念せよ!」と訴えて女性から大きな支持を受けた。ナチスの熱烈な支持者は「ドイツ・ウーマン」と名付けられた。

猪口大臣に「日本の女性は家庭に帰れ!子供を産め増やせ!」と呼びかけてはどうか。姑息な手段で解決できるほど、この問題は簡単ではない筈だ。

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2005年11月11日

ジハード(聖戦)が意味する非西欧

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民族紛争と宗教対立が激化、鍵を握るのはイスラム勢力

冷戦崩壊後の世界の特徴は既に衆目の一致するところ、民族紛争と宗教対立にあり、この二つは複雑に絡み合っている。旧ソ連、旧ユーゴは勿論、中東地域や西アジア、そしてこの度のフランスなど、世界の広い範囲において紛争は継続中である。

こうした紛争の大部分に共通する一つのキーワードは、それは紛争の一方の当事者が「イスラム勢力」という点である。ハンチントン・ハーバード教授は冷戦後の世界像の決定的な特質を「諸文明間の衝突」と捉え、もはや「西欧」が主役であった時代は過去のものとなり「非西欧」の台頭で、両者間の相互関係をより重視せざるえない時代になると述べてきた。

西欧において、「非西欧」を掲げる「イスラム勢力」は脅威そのものであり、今回のフランスの「移民暴動」は国内に多数の異民族=イスラム勢力を抱え込んでしまった以上、その脅威から逃れようにも逃れないという地獄へと突き落とされた。

「ジハード」(聖戦)という言葉に象徴されるように、イスラム教は強い非妥協性と政治性を持つ。世界中に12億人以上存在するといわれ、これは世界人口比で25パーセントに達する。

フランスは勿論キリスト教の国家だが、他の国と比較すればそれほどキリスト教に対して絶対的な信仰形態にはなかった。そのフランスは西欧社会においては今や最大の「イスラム教国」となった。移民の流入や改宗によってイスラム教徒は300万人もおり、プロティスタントを抜いてカソリックに次ぐ勢力となっている。

フランスはフランス革命以来、無宗教を国是としてきた。よって学校教育の場においてはそれは厳格に守られてきたが、近年イスラム教徒の女性の子供達はスカーフの一種であるへジャブを着用して登校し、学校当局と対立した。

90年代の初め南フランスのストラスブールで学校当局の命じたへジャブの禁止に抵抗する200人以上の生徒が登校を拒否、自宅で学習する事態となった。このような騒ぎの拡大を恐れたフランス政府は、より一層教育現場における無宗教性を強めたが、これに激しく反発するイスラム勢力は次第に学校から姿を消した。

学校に行かない子供達の就職率は極めて低く、不満が増大していたことは事実であるが、これは個人的な単なる不平不満で収まるような簡単なものではなくなった。過激なイスラムの呼びかけが次第に広がりを見せ始めている。

かってイスラム世界は、西欧キリスト教諸国に席巻され、長い間その植民地として苦難の道を歩まされてきた。この思いが若者に伝播してきた、イスラムの暴動は西欧への“反撃”と呼ぶべき位相を呈し始めている。

ヨルダンにおけるイスラム原理主義テロ組織の爆弾事件は、西欧社会に台頭するイスラムの若者に対する熱烈なる、ジハード(聖戦)への勧誘となるだろう。日本国内にも多数のイスラム教徒の不法滞在者が存在しており、我々《極右》もこの問題を重視せざる得ない。ただ、歴史的に我が国はイスラム諸国を植民地にした事実はなく、その点は彼らに強く主張しなくてはならない。

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Posted by the_radical_right at 09:33 │ mixiチェック