諸君等は日本民族の魂を継承するのです。新しい歴史を創るのです。それに起ち向うだけの気概を持ってください。生きがいのある使命感に生き通してください。頑張ってください。私は拓大を去っても、私の心は諸君らの上から離れる事はないでしょう。
(拓大教授・佐藤慎一郎先生の別れの言葉)
これまでの人生の中で様々な方と知り合い、たくさん貴重な話を伺ってきた。本も何冊か出版したので、全国の本を読んでくださった方から多くの資料を頂いた。それを現在整理している所だが、終戦間際満州国において共産軍(ソ連)の侵攻を目前に家族で自決した日本人のことを紹介したい。
『お別れの言葉』と題したA4の4ページのコピー文は、拓殖大学で教鞭をとられていた佐藤慎一郎氏の拓殖大学を去るに際して生徒達の前で述べられた最終講義(昭和51年1月24日)の録音テープの一部である。
このコピーを私に送って頂いた人の名前は残念ながら記録していなかったが、この最終講義を受けた当時は学生だった方から頂いたものである。今から15年くらい前のことであろうか。この言葉の中に感動した一文があるので紹介したい。
魂の継承―
弘前中学の私の先輩に岸谷隆一郎さんがおられる。終戦時の時には満州国熱河省次長(満州日系人では最高職)でした。8月19日ソ連軍が承徳になだれ込んで来た。岸谷さんは日本人居留民を集めて、「皆さんは帰国して、祖国の再建のために力を尽くしてください」と別れを告げ、数人の日系官史と共に官舎に引き上げた。
人々(日系人や満州人)が岸谷さんに再三に渡って「一緒に引き上げましょう」と促したが、岸谷さんは「そんなに言ってくれるなら…」と立ち上がって奥のふすまを開けた。そこには日満両国旗が飾られた仏壇があって、香が焚かれていた。仏壇の前には純白の和服姿の八重子夫人(42歳)が澄みきった顔で端座していた。その隣りには晴れ姿に薄化粧した玲子ちゃん(17歳)、明子ちゃん(15歳)の二人のお嬢さんが静かに座っていた。
人々は「せめて、奥様とお子さんだけでも、私たちに預けてください。必ずお守りしますから…」と頼んだが、「僕は満州が好きで好きでたまらない。だからこの辺りで日本人の一人くらい満州国と運命をともにする者があってもいいだろう」とポツンと云われた。奥さんも「色々お世話になりました。私は主人と行動を共にします」ときっぱりと云われた。
人々ももはやこれまでと別れを告げた。岸谷さんは人々を玄関から送り出し内から鍵をかけた。奥さんと二人の子ども達は窓から手を振って、人々にお別れを告げた。岸谷さんは一家はその後自決された。岸谷さんは45歳であった。



