2005年11月26日

我々の『純正憲法改正試論』��

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 それでは次に『日本国憲法』(以下、現憲法とする)へ目を向けてみよう。現憲法は、『大日本国憲法』(以下、帝国憲法とする)第73条に基づく改正憲法であるという体裁をとっている。しかし、この憲法が手続き上、帝国憲法の改正憲法であるということと、両者の法的連続性とは直結しないのであって、所謂「八月革命説」のように、手続きの如何を問わず日本の敗戦によって全く新しい憲法が制定されたのだとする有力説がある。事実、両者の間には憲法上の大きなギャップがあり、それを連続したものとして認識することは確かに容易ではない。

 では何故現憲法は帝国憲法の改正憲法の体裁をとらねばならなかったのであろうか。このことが、現憲法の本質にかかわる重要なポイントなのである。というのも、我が国は大東亜戦争終結に際して、ポツダム宣言を受託し、これによって「新秩序が建設さられ、且つ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証ある迄」(ポツダム宣言第7条)連合国軍によって占領されることになり、その占領目的達成の一手段として帝国憲法の改正が利用されたものだからである。

 この現憲法制定の経緯は既に多くの者の手によって検証されているが、その多くは現憲法肯定の立場から、その憲法的問題点を軽視するきらいがある。しかしながら、国際法上(ヘーグ陸戦条約)禁止されているはずの被占領国の憲法変更をGHQが強行することによって生じた憲法上の問題は軽視されて良いものではない。

 当時、我が国の主権は連合国の手によって制限されており、日本国民自らが憲法を制定する権力を完全に掌握していなかったばかりか、その憲法制定のため政治的決定は全てGHQの影響下においてなされ、その手続上の不備を隠蔽するために日本国政府に強圧を加え、現憲法の改正憲法として成立せしめた事実を鑑みる時、現憲法の実体は我が国独自の純粋な憲法たる完全性・至高性を備えているとは言い難い。

 従って、その条文がどのように規定されていようとも、我が国の憲法実体には主体的政治決定がなされていないため、常に主体性なき形で「解釈改憲」を繰り返さざるを得ない宿命を背負っていることは間違いない(これこそが、戦後60年間の現憲法の歩みであり、またこの憲法が「押し付け憲法」「占領憲法」とされる所以でもある)。この恐るべき事実を無視して、現憲法を「平和憲法」であるとし、日本国民自ら創り上げた「民定憲法」だとして、「護憲」こそ絶対不変の正義だと我々は教え込まれ、信じ込まされてきたのだ。だが、我が国はあの大戦でポツダム宣言を受諾して以来、今日至る迄、少なくとも憲法的には全く独立していないのである。本来、サンフランシスコ対日講和条約によって主権を恢復した時点で、我が国は自らの手で憲法を制定(改正)すべきであった。それが実現されなかったことは、まさに民族の一大痛恨事であり、当時の為政者に対し大いなる義憤を覚えざるを得ない。

 とまれ、とは言うものの現憲法の実体の方は第9条の関連だけでも過去大きく分けて3回変化した。1回目は朝鮮戦争の勃発の時である。日本を反共の防波堤たらしめる必要性から、米国はそれまでの弱体化政策を改め、同時に警察予備隊の創設を命じ、再軍備させた。2回目は日本の主権回復に際して日米安保条約が締結された時である。この
時、我が国は独立国として必要な自存自衛の軍備を米軍の手に委ねた。そして、3回目は米ソの冷戦構造が消滅した時である。この時から、各地の復興支援や後方支援など海外での国際協力活動を要請されるようになった。

 これらは何れも我が国の憲法実体が伴わぬがゆえに、同盟国の政治的決定を用いてしか変化させ得なかったのだが、その都度、我が国の政府は「解釈改憲」を以てこれに臨み、この重大な憲法の変遷に柔軟かつ着実に対応してきた。しかしながら、これが憲法実体と憲法条文の著しい乖離を惹起せしめ、憲法問題は神学論争的な誠に奇妙な状況に陥ってしまうこととなった。そして、第9条の問題に限らず、現憲法は様々な問題においてその欠陥を露呈する結果となったのである。

 昨今の改憲論議は言うなればその延長線上に現われたものである。戦後60年、憲法の実体に対する国民的怠慢から、この瑕疵ないし欠陥を放置し続けてきた当然の帰結として、憲法条文の改変を余儀なくされているに過ぎない。けれども、それは本末転倒である。国の最高法規たる憲法が同盟国の政治的決定によってしか「解釈改憲」されず、それを追認するために憲法条文を改変するのではなく、我々は断固とした姿勢を示す必要があると確信し、ここに主体的憲法の改正試論を表明するものである。(つづく)
                             極右評論・皇道翼衛軍

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2005年11月25日

我々の『純正憲法改正試論』��

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 憲法とは何か?

 何よりも初めに我々はこのことを考えなければならない。何となれば、我々はややもすると成文憲法に示された文字の羅列のみを憲法であると考え、その条文の解釈を以って総てことが足りると思い込む傾向があるからだ。しかし、憲法とは単に成文化された一法典のみを示すのではなく、その背後に泰然と存する“憲法の実体”というべき法規範全体を含む概念であることを十分に理解しなければならない。

 例えば、『日本国憲法』はその第98条に、自ら「国の最高法規」であると規定するが、この最高法規性はこの条文に規定されて初めてその性質が生じるのではなく、正に“憲法の実体”の至高なるが故に、それを成文化した『日本国憲法』が国の最高法規性を帯びるのである。

 このように、本来憲法の条文に示されるものは、総てその憲法実体に由来するものでなければならない。即ち、憲法実体が憲法条文に先立って存在するという事実が、この際重要な意味を持つのである。このことは、成文憲法を持つことなくして強固な憲法実体を維持している英
国の例を見れば容易に理解することが出来よう。実のところ、我が国の憲法問題の紛糾は専らこの憲法実体を憲法条文との齟齬から発生していると言うべきなのであるが、問題はここにいう憲法実体が何によって形成されるかということである。

 一国の憲法は、その最高法規性から、他の一切の法令をそれに従属せしめる。ここに憲法の憲法たる所以が存するのであるが、それ故に、その本質は強制力であり、その力は国家の始動的権力(主権)に由来する。そして、この主権を掌握する者(憲法制定権力)が一定の政治的
決定を下し、その政治的決定によって形成される法規範が憲法実体である。つまり、国家主権の掌握者―憲法制定権力―の政治的決定に基づいて形成された法規範が実体的憲法であり、それを憲法という名の法典として成文化したものが我々の目にする成文憲法なのである。

 このように考えてゆくと、憲法の問題を考える場合、その条文に示される諸規範が、どのような政治的決定に基づくものなのか、またその憲法制定権力が正当かつ完全なものなのかという憲法実体に関する考察が重大な意味を持つことが明らかになろう。

 したがって、憲法改正もその意味するところが憲法実体と憲法条文の乖離を更正するための単なる条文の変更を示すのか、それとも憲法実体の変更を伴う憲法全体の改正を示しているのか、ということを明確に捉えることが肝要である。そして、我々の憲法改正は『日本国憲法』制定にまつわる政治的混乱に起因する様々な憲法の瑕疵・欠陥を是正し、更には我が国の存立確保と発展を強固にするために必要な新たな政治的決定を反映する全面的かつ革新的な改正でなければならない。
                         極右評論者・皇道翼衛軍

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Posted by the_radical_right at 13:27 │ mixiチェック │9条・国軍 

青年に告ぐ!愛国者は悪党であってはならない。

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私はインターネット上ににおいて《極右》の言論活動を呼びかけている。《極右》政党や政治団体の結成を呼びかけるものではない。あくまでも《極右》的な心情を持つ多くの若者に呼びかけ、その連帯の輪が広がることを願うものである。

最近、《極右》とは何か?これまでの右翼と何が違うのか?と言った質問が寄せられることが多い。「貴殿のブログを見ていると、これまでの右翼や保守とは違う点は何となく分かるような気がするが、根源の所は同じなのでしょう。」という質問もあった。

そこで今日は《極右》の心情について述べさせて頂くことにしたい。

簡単に一言でいえば《極右》とは愛国の心情を持つ者(愛国者)であり、その愛国の心情を持つという点では、右翼も新右翼も新保守も違いはないだろうし、今日ネット右翼と呼ばれる人達も同じであると考えます。

※ネット右翼という言い方は蔑称なのか、それとも普通の一般語なのか、正直いってよく知らないので、意見を聞かせて欲しい。

違いをここで取り上げるよりも、愛国心そのものについて考えて見ることにしたい。

よく左翼の知識人は右翼、愛国者を批判する時に、18世紀に活躍したイギリスの思想家サムユエル・ジョンソンの著書の中にある次の有名な言葉を引用する。『愛国心は悪党の最後の隠れ場所』この言葉は今日でもしばしば引用され、愛国者(ナショナリスト)を批判する時に用いられてきた。

ジョンソンの時代はナショナリズムという言葉の概念はしっかりしたものではなかった。ただ言えることは、当時イギリスではオランダ、スペインに代わって七つの海を支配する世界の植民地化に乗り出した頃であった。

後に左翼が帝国主義の批判として、この愛国心と植民地主義を無理やり結びつけて拡大解釈されて一般化して行ったと考えられる。ジョンソンが「愛国心は悪党の隠れ場所」と表したのは、この点を指したのではなく、国内政治状況下において、自らを愛国者(パトリオット)と称した者を、たまたまジョンソンの目には悪党に見えたからであるとの説が正しいようだ。

ジョンソンは死んだが、この“迷言”だけが、何故か一人歩きして“名言”となってしまった。実はこの言葉を逆手にとって「愛国者はならず者」論を正当化しようとする者が多すぎる。

真の愛国者が“悪党”である筈がない。国家のために全霊を尽くそうと思うもののどこに“悪”があると言うのか?この点を履き違いているものがいる。自分たちだけが日の丸を掲げ、街宣車を乗り回しているからと言って愛国者を気取り、しかも、ならず者(乱暴者)であって許されると考えるのは自らの無能をさらけ出しているのと同然だ。

この「愛国心は悪党の最後の隠れ場所」という言葉にしても、愛国心そのものを悪と規定しているわけでなく、それを悪巧みの手段として使う連中を批判したものであることは言うまでもない。

近代世界史の中で西欧列強の植民地化に勇敢に戦い、第二次世界大戦の敗戦にも屈せず、祖国を再起させたのは、これは紛れもなく愛国者=戦前の右翼であった。

しかし、戦後の右翼は政府・財界の番犬と化し、ヤクザ者を後ろ盾にして、企業や自治体からの<金もらい右翼>に成り果てた。この右翼の動向に批判的な学生によって提唱されたのが<新右翼>運動であった。しかし、この運動もしだいにその熱気を失っていった。

次に表われたのが新保守派と呼ばれる人達であるが、彼らは愛国者ではあるが、右翼と呼ばれることを極端に嫌う。彼らは体制派であり、そこからの変革を目指しているに過ぎない。

では最後に《極右》について語ろう。《極右》思想は古くからあり全く新しいものではない。しかし、ある意味では国家の前衛と目指すものであるから、それは今時点では一番新しい政治思想とも言える。

我々《極右》は日本国民が誰しもが持っている愛国心を最も先鋭に表現する。右翼と呼ばれる人達が行なっているような愛国心の専有には反対である。《極右》は愛国の心情を持つ多くの若者に呼びかけ、やがては前衛的行動によって新国家創造運動の先頭に起つ使命感を抱いて闘い続ける。

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Posted by the_radical_right at 09:07 │ mixiチェック │青年に告ぐ! 

2005年11月24日

極右とは何か〜懐かしの2ちゃんねる大論争  (30)

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懐かしの2ちゃんねる大論争〜『文明の衝突』 その��

>匿名

>その時日本がそのいずれかを選択しなければならない、運命の時がやってくるというのだ。  (ハンティントン教授)

この点について中矢伸一氏の著書より抜粋して紹介します。

日本はアメリカやヨーロッパのような西側文明圏でもなく、かといって中国や東南アジア、イスラム諸国にも属さない特殊な国である。日本は世界の歴史の中でも珍しい「一国一文明」の文化圏が確立されている。

西欧対非西欧という未曾有の対決の構図の中で、日本のみが埒外にあって、経済力と成熟した文明をもって存在することは、不幸中の幸いであったかも知れないとハンティントン教授は述べている。

そして、日本の取るべき選択とは、アメリカの庇護から離れて「一国一文明」としての自らの特殊性と役割を自覚し、自立して、孤高なる「日本文明」を掲げて、皆から尊厳される文化・文明に磨きをかけ、国際社会の中でかけがえのない第三勢力、すなわち「地球規模の調停者」として生きていく道を模索するのが最善の策ではないだろうか、と問いかけているのである。

>瀬戸

ハンティントン教授は「日本文明」という言葉を使うが、そもそも日本に確固たる文明が存在することを、日本人自身が自覚できていないという悲劇がある。現代の学者やインテリ層、マスコミなどは、日本が世界史的に見ても極めて珍しい、悠遠な歴史や文化(日本独自の文明)を有する国であることを認めたがらない風潮があります。

これは戦後一貫して左翼日教組が行なってきた徹底した「自虐史観」の植え付けが功を奏しているところに原因があるようです。結果そのプログラム通りに、今の若者たちは日本や日本人であることに「誇り」を失い、「根無し草」となり、自分さえよければという「個人主義」に走ってしまうようです。

「公」の中での「個」という大切な関係を見失って迷走している。我々日本人が、世界でも稀な「一国一文明」としての役割と自覚を持つには、どうしてもこの「自虐史観」からの脱却は不可欠のように思います。

>名前・私は 投稿日・2000・2・18

ハンティントンは世界に9つの文明があって、イデオロギーや経済よりも文明が原動力になってこれからの世界は動くと言っています。韓国は中国文明で、タイやチベットは仏教文明です。しかし、日本は日本だけで独自の文明を持つ唯一の国家だとハンティントンは言っています。冷戦終了後、日本でもナショナリズムが盛んになっているのも、ハンティントンの文明の衝突の時代の一つの流れと見ています。

ハンティントンの『文明の衝突』論は現代世界を理解するうえでの道しるべだと思います。彼の本は、米中戦争で日本が選択を迫られるところで終わります。まだ、読んでいなかったら、ぜひお読みください。また現代についてあふれんばかりの生々しい情報が入っています。英語人口が減りつつあるとか。ユーゴの分析とか。

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Posted by the_radical_right at 14:10 │ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争 

2005年11月23日

我々の『純正憲法改正試論』

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 自由民主党の『立党50年記念大会』での演説で小泉純一郎首相は「平和のうちに世界の変化に対応できる改革をしなければならない。これが政権政党である我々の責務である」と述べたが、これほどまでに日本国の行く末を暗示し、国民に危機意識の共有を問うた演説を我々は他に知らない。

 日本側の状況に関係なく、北朝鮮がミサイル一発でも射ち込んでくれば否応なく戦争は始まってしまうだろう。
 ミサイル一撃で天下泰平の世が、即戦時体制になることを誰もが分かっていながら先制攻撃に踏み切れないでいる。

「平和のうちに―」「世界の変化に対応できる―」
 国際テロとの戦いの一環として我が国の�犒蛎皚瓩�インド洋およびイラクに展開するに際し、特例的な時限立法の下、他国の軍隊に護られながら活動する様は主権国家として尋常な姿・形ではない。

 数年前―、北朝鮮の独裁者・金正日の長男が我が国への不法入国で摘発された時、誰もが��正体不明の外国人�瓩寮蟻里鯤�かっていながら日本国政府として公式には認められぬ事態に歯痒さを感じたはずだ。
 同様に、自衛隊が明らかに軍隊の体を成しながらも日本国家の軍隊として容認されぬ現状に誰もが不安と不満を募らせている。
 国家が国家としての体を成していないが故に、起こり得る現実に偽りの仮面を被せてきたのがこの半世紀間であり、国家はそのための便宜上のものとして存在してきたのが実情ではなかったか―。
 然るに現行憲法の施行から半世紀以上を経て、日米同盟を基軸とした安全保障体制の下、我が国に課せられた国際的責務と国際社会から寄せられた期待は大きく、現実逃避することは許されなくなった。
 今やらねばならない―、間に合うかさえも分からない―、しかし、それでもやらねば、なお間に合わない。
 ここに我々の『純正憲法改正試論』を発表させて頂こう。

第一章 序説
 ここ数年、憲法改正の気運が高まっている。政府の憲法解釈に限界を感じ、最早改憲は避けがたいものであると考える人々が増加しつつある。
 我が国の存立確保と発展のため、時代の要請に応じた改憲が行なわれることは、もとより当然である。むしろ、昭和21年の制定以来、内外の情勢の絶え間ない変化にも拘らず、『日本国憲法』を金科玉条として不毛の神学論争を続けてきたことの方が異常だったと言えよう。
 そもそも、昨今にわかに巻き起こった改憲気運は、我々日本人が長い間信じ込まされてきた国連絶対主義の幻想の崩壊に伴なう、現実への引き戻しによってもたらされた、一種の覚醒の所産である。それ自体は、国民の正当な責務への目覚めであって、大いに歓迎すべきことである。しかし、その根底に存在する本質的問題に目を向けるとき、我々はこの気運を無条件に受け容れることはできない。
 なぜなら、昨今の改憲論議の中心は正に第9条の問題をどうするべきかという点にこそあり、しかもそれが単に自らを米国の世界戦略に合致させるためのご都合主義に基づいているからだ。
 憲法は国の最高法規である。そして、それは純粋に我が国の存立を発展のために制定されるべきものである。したがって、『日本国憲法』の改正は、まずこのことを確実に踏まえた上で、世界の安全を指向する「崇高な理想」に基づいて行なわなければならない。いやしくも、欺瞞と恥辱に紛れた戦後政治の誤謬(ごびゅう=間違い、誤り)を糊塗し、あまつさえ第2の占領憲法制定への道を突き進むようなことがあってはならないのである。
 このような観点から、私は巷間の誤まれる改憲論の蔓延を深く憂慮し、ここに純正なる憲法改正のための一考察を試みることにした。(つづく)

                『極右評論社』加盟 皇道翼衛軍 記

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Posted by the_radical_right at 20:34 │ mixiチェック │9条・国軍