2005年11月23日

満州国に殉じた日本人一家に日本魂を見た

諸君等は日本民族の魂を継承するのです。新しい歴史を創るのです。それに起ち向うだけの気概を持ってください。生きがいのある使命感に生き通してください。頑張ってください。私は拓大を去っても、私の心は諸君らの上から離れる事はないでしょう。    
(拓大教授・佐藤慎一郎先生の別れの言葉)

 これまでの人生の中で様々な方と知り合い、たくさん貴重な話を伺ってきた。本も何冊か出版したので、全国の本を読んでくださった方から多くの資料を頂いた。それを現在整理している所だが、終戦間際満州国において共産軍(ソ連)の侵攻を目前に家族で自決した日本人のことを紹介したい。

 『お別れの言葉』と題したA4の4ページのコピー文は、拓殖大学で教鞭をとられていた佐藤慎一郎氏の拓殖大学を去るに際して生徒達の前で述べられた最終講義(昭和51年1月24日)の録音テープの一部である。

 このコピーを私に送って頂いた人の名前は残念ながら記録していなかったが、この最終講義を受けた当時は学生だった方から頂いたものである。今から15年くらい前のことであろうか。この言葉の中に感動した一文があるので紹介したい。

魂の継承―

 弘前中学の私の先輩に岸谷隆一郎さんがおられる。終戦時の時には満州国熱河省次長(満州日系人では最高職)でした。8月19日ソ連軍が承徳になだれ込んで来た。岸谷さんは日本人居留民を集めて、「皆さんは帰国して、祖国の再建のために力を尽くしてください」と別れを告げ、数人の日系官史と共に官舎に引き上げた。

 人々(日系人や満州人)が岸谷さんに再三に渡って「一緒に引き上げましょう」と促したが、岸谷さんは「そんなに言ってくれるなら…」と立ち上がって奥のふすまを開けた。そこには日満両国旗が飾られた仏壇があって、香が焚かれていた。仏壇の前には純白の和服姿の八重子夫人(42歳)が澄みきった顔で端座していた。その隣りには晴れ姿に薄化粧した玲子ちゃん(17歳)、明子ちゃん(15歳)の二人のお嬢さんが静かに座っていた。

 人々は「せめて、奥様とお子さんだけでも、私たちに預けてください。必ずお守りしますから…」と頼んだが、「僕は満州が好きで好きでたまらない。だからこの辺りで日本人の一人くらい満州国と運命をともにする者があってもいいだろう」とポツンと云われた。奥さんも「色々お世話になりました。私は主人と行動を共にします」ときっぱりと云われた。

 人々ももはやこれまでと別れを告げた。岸谷さんは人々を玄関から送り出し内から鍵をかけた。奥さんと二人の子ども達は窓から手を振って、人々にお別れを告げた。岸谷さんは一家はその後自決された。岸谷さんは45歳であった。

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 岸谷家で働いていた王君は、主人の自決の覚悟を察知して、日本刀を隠したり「不好、不好」(こりゃいかん)と泣きながら訴えたという。王君は岸谷さん一家の自決を見届けると、直ちに李民生庁長に急報し両手に拳銃を構えながら、夜通し遺骸を見守っていたという。満州国の李民生庁長らは、ソ連軍の侵攻という混乱の中で、岸谷さん一家のために最高の寝棺を買い整え、承徳神社の境内に鄭重に葬った。

 私は戦後の知識人の数々の背徳の中で、清純な自己をはっきりと貫き通した岸谷さんの姿に、日本民族再生の息吹を感じてほっとします。

 何時のことだったか、テレビである特攻隊の生き残りの人々に質問していた。     

「あなたは敵艦に体当たりすれば、日本は勝てると思いましたか?」

「いや、敗けると思いました」

「敗けると知っていて、なぜ特攻隊として行ったのですか?」

「私たちが行かなかったら、日本そのものが駄目になっていたでしょう」と淡々と答えていた。

 民族の生命を守るということは、そういうことなのです。


Posted by the_radical_right at 10:52│ mixiチェック │特定アジア(中国・領土) 
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<html> <font size="5">樺太の殉難乙女の史実を忘れるな。ロシアが日本に侵略の認知要求。国として舐められると、こういう事になる </b></font> <font size="2">  太平洋戦争末期の1945年8月8日、ロシア(旧ソ連)...
樺太の殉難乙女の史実を忘れるな。国として舐められると、こういう事になる【屋根の上のミケ】at 2005年11月23日 11:02
この記事へのコメント
>屋根の上のミケさま
リンクに貴サイトを加えさせていただきました。
Posted by 極右評論管理者 at 2005年11月26日 20:14
>屋根の上のミケ様へ

若い頃に「氷雪の門」の映画を見て、涙が止まらなかった事を覚えています。
たしか、勝共連合という団体が作った映画だったと思います。この団体は統一教会が母体となって活動していました、霊感商法などで世間の批判を集めましたが、私は彼等の活動は評価しています。日本人拉致問題も彼等の機関紙「思想新聞」が事件発生当初より報道していました。大手新聞社の多くは無視していた頃です。もう一度「氷雪の門」を観てみたい。あの映画に映し出されていた9人の乙女はまさしく大和撫子だった。

スーダンの件ですが、スーダンは米国の経済制裁を受けている国です。実はこの石油の採掘権を持つ日本人のNGO団体があり、私も相談に乗っています。日本政府も資源外交には真剣に取り組むべきと思います。今月末にはこのNGOの団体と自民党の政治家がスーダンに行くようです。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年11月23日 18:04
日本人は、日本人としての誇りを取り戻さねばならないと思います。
Posted by 屋根の上のミケ at 2005年11月23日 11:04