<戦後>に死を宣告する新国家創造運動に起ち上がろう
マスメディアはあいも変わらずに<戦後>なる言葉をタレ流し続ける。そこには敗北から来る反省というという面にだけ力点が置かれてきた。
この論理の前提には、「もしこの反省を忘れてしまうと、日本には再びファシズムへの道を歩み出す勢力が台頭する」というのだ。
ならば私は問いたい、ならば<戦前=ファシズム>とはそれほどに悪の道なのかと。正確に言うならばわが国においては戦前=ファシズムではなかった。軍部独裁=ファシズムではないのだ。ファシズムとは大衆運動であり、日本においては戦前はファシズムは大きな勢力にはなり得なかった。
戦勝国は第二次世界大戦の勝利を世界に向けて宣言したが、それは次のような言葉によって発せられた。「我々はファシズムによって蹂躙されてきた国民を解放した。」
わが国は戦前ファシズムによって国民は蹂躙されており、戦勝国によって国民は解放された。このように戦勝国は考えて主張してきた。
<戦前>と<戦後>とはこのような論点によって分けられてきたことを先ず理解しなくてはならない。つまり戦前と戦後という歴史の断絶の中には、戦争における勝敗という物理的な事実は存在するが、その対立・戦争への概念とはあくまでも思想の対立が前提にあったと見るのが正しい歴史の見解である。
つまり、敗戦という物理的な事実の前に厳然と存在した、思想の対立こそ再び決着をつけなければならない問題なのである。
20世紀という時代を簡潔に総括するならば「社会主義と民族独立の世紀」と言えるでしょう。この社会主義には二つの社会主義があった。
一つはマルクスレーニンの左翼社会主義。もう一つは民族主義(ナショナル)を基盤とした国家社会主義。
前者はソビエトという史上初の社会主義国家を誕生させ、資本主義国家の英米と結び、民族社会主義国家(イタリア・ドイツ)を打ち破った。しかし、あっけないほどに滅亡してしまった。
一方後者について言えば、民族主義を基盤にした国家社会主義は第二次世界大戦によって完膚なきまでに叩き潰された。しかし、今ヨーロッパで再び<極右>は甦りつつある。
※<極右>とは戦前の国家主義とは全く同義語ではない、しかしその思想的後継者であることに違いはない。
わが国においても十年前、<極右>を名乗るものは、異端の右翼の道を選んだ我々ほんの少数者でしかなかった。過激な危険分子や排外主義者として批判され続けてきた。
しかし、今自らを<極右>と名乗る若者がいかに多いことか。ネット検索で<極右>と打ち込むとその数は膨大なものになる。
私は<極右>の連帯をこのネット上で呼びかけたい。
我々<極右>こそが、この戦後なる言葉を清算する唯一の勢力である。
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