2005年08月26日

ネット社会における新たな大衆運動の可能性について

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『大衆社会と新国家創造運動への期待』
 
 社会変革期における大衆運動を成功に導くためには、今日の大衆社会をいかに領導していくかにかかっている。そのためには大衆社会というものをよく熟知しなければならない。
 
 大衆社会とはこれまでは主観的には疎外化された社会であった。少なくともここ5年前まではそうであった。しかし、現在の歳月の流れはかなりのスピードで進んでおり、昔は10年一昔と言ったが、現在においてはこの10年は5年と半分になったと考えるべきだ。
 
 と言うことは、これまでとは全く違った社会が出現したことになる。それがこのインターネット社会である。昼間会社において科学技術文明の奴隷となって、機械やPCに駆使されて人間性を喪失し疎外感を味わってきた。
 
 家に帰っても、その疎外感を癒すものはなかった。しかし、人間本来の本能からくる欲求として、人間性の回復と精神の自由を止めることはできなかった。
 
 これまで社会を動かしてきたと自負してきたのは巨大なマスメディア群であった。彼らは自らがこの社会において選ばれた者と勘違いして、大衆を操り虚偽の情報をタレ流し、誤った方向に国民を導いてきたのだ。
 
 現在政党支持率の中で、無党派が一位を占めるが、この事とマスコミの情報操作は因果関係を持つ。社会の傾向は益々画一化していったが故に社会、政治からの逃避、疎外感を抱く若者が多くなっていた。
 
 しかし、このインターネット社会はそれを革命的に打ち破ろうとしている。なぜならば、我々<極右>のような現在においては極めて少数なグループであっても、このインターネットによって政治的な主張を展開できるからだ。
 
 これまでの大衆社会は、個人と政党や団体の距離はかけ離れていた。しかし、帰宅してパソコンを見るだけで、たちどころに自らの希望する政治集団とアクセスすることが可能となった。
 
これまでは選挙こそが社会を変革させうる唯一の「政治」であると錯覚されてきたが、このインターネット社会では「大衆の声を結集する」という新たな政治変革への希望が提示された。
 
我々<極右>勢力は明確なる世界観と政治理念を持って、大衆社会のヘゲモニーを握らなければならない。
 
旅先(名古屋)のインターネットカフェ喫茶から全国の同志に発信す!
                     <極右>活動家・瀬戸弘幸
 
  

Posted by the_radical_right at 12:03 │ mixiチェック │青年に告ぐ! 

2005年08月25日

極右とは何か?2ちゃんねる大論争 15

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>国家社会主義ってナチスでしょう。それにもう滅んだ思想じゃないの?

 

確かに国家社会主義ドイツ労働者党はありません。しかし、そのイデオロギーまで消滅したわけではありません。国家社会主義ドイツ労働者党は滅びましたが、それとて国民の支持がなくなったからではなく、戦争に敗れてその党派を継ぐことが法律で禁じられてきたからです。

日本における国家社会主義は戦前・戦後と影響力は大きくはありませんでしたが存続してきています。右翼の世界からは“異端の右翼”として排斥され続け、不遇な運命を余儀なくされてきました。

しかし、この場合の不遇な運命とは価値には関係ありません。国家社会主義の新しい使命と役割については、社会の発展とともに変化を遂げ、現在においては益々顕著となってきた個人主義をいかに克服するかに、その歴史的な使命が期待されていると解釈しています。

 

>三郎さんへ

 

社会主義の定義について述べよ、ということなので考える処を述べさせて頂きます。

 

そもそも社会主義思想とは産業革命以降、急速に発達した資本主義社会において、資本家階層の競争主義、自由主義の傾向に対して、疎外された労働者階層の要求によって生まれた。それは一つには労働者階層の貧困化(経済的疎外)に対する保障の要求であり、もう一つは資本家階層の決定権の独占(政治的疎外)に対する参加の要求であった。

しかし、産業社会の発展という未来の構図を読み取ることが出来ずに、現実的な単なる利益分配を求めての運動に終始した。初期資本主義の矛盾が実は産業社会自体に起因する矛盾であるのに、その矛盾を解決するための手段が「生産手段の社会化」として強調され過ぎた。

 

この点をもっとも重視したのがマルクスであり、「生産手段の社会」が社会主義の中心概念となってしまった。このようにマルクス社会主義は定義づけられるのではないでしょうか。この社会主義と国家社会主義との違い、今日的な意味については、これから追々述べることにします。

 

>ナチズムを信奉するような者とはまともな議論はできない。

 

何度も説明しておりますが、ナチスについては同じく第二次世界大戦を共に戦った同盟国として、戦後民族の正史を綴る闘いを続けるネオナチにエールを送っていると考えてください。ナチスの歴史的な評価についてはドイツ国民並びに、歴史修正主義者の闘いを見守る立場です。

それよりも、ここで述べたいのは、国家社会主義の新しい定義についてです。

これまで社会主義の対立概念は資本主義でした。しかし、今日の社会主義の対立概念として、私は個人主義を挙げます。我々の掲げる国家社会主義は利己的な個人主義を克服する透徹された理論として新たなる歴史的な使命感を与えられたのです。  (つづく)

 

<極右>の理論的な主柱として3つのスローガンを掲げて行こうと考えております。現在肉付けを急いでおります。

��         自然の再生と共存

��         経済の再生と発展

��         共同体の再生と国家の再興

 

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Posted by the_radical_right at 12:03 │ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争 

2005年08月24日

『世界戦研』を<極右活動>の拠点として再構築を図る

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若者に夢を語る!

「一台のパソコンが国家を変える」
 
 昨夜は浅草の居酒屋で20歳代の若者5人と納涼会を開いた。この店の近くに浅草木馬座があり、そこで昨夜新右翼関係者のトークがあるので、それを彼らが覗いて見たいということだった。
 
 統一戦線義勇軍の針谷氏のトークだったらしい。この統一戦線義勇軍はかって創設時には私も加わっていた。
 
 一水会(代表鈴木邦男氏)は団体加盟ではなく会員が個人的に参加した。
北方領土奪還青年委員会(木村三浩氏)大日本皇心塾(勝又塾長)、それに私が主催していた『世界戦略研究所』の4団体で結成された。
 
 反米愛国・抗ソ救国のスローガンで、一時代を築いた過激な活動であった。
 
 さて、この時私が主宰した『世界戦略研究所』は若手民族派の勉強会として立ち上げたものであり、機関紙の発行、単行本の発売、後援会の開催など活発に展開した。しかし、参加資格が民族派団体に所属している人を主に対象としての勉強会であったため、やがて活動は休止し最近では細々と続けてきたに過ぎない。
 
 今回、私は極右の活動家として再び若者に呼びかける決意を表明しています。となれば、当然その呼びかけに応じて参集する若者も出よう。そこで新たな<極右組織>を立ち上げるのではなく、現在の『世界戦略研究所』を<極右組織>に衣替えを図り『世界戦研』という名称で新たに再起動することにしました。
 
 現在『世界戦略研究所』に集う20歳代の若者6人を中心に再編成を図り、これから訪ねてくるであろう<極右>志願者に夢と希望を与えるべく急ピッチで体制の構築を行う予定です。
 
 現在、自らを<極右>と名乗る若者は驚くほど増えています。日本の右翼はこれまで<極右>を毛嫌いしてきました。「我々を人種差別主義のナチスと一緒にされてはかなわない」といったところでしょうか。
 
<極右>の目指す政治運動の最終目標は革命(維新)による政権樹立です。それを2020年としました。このプログラムを早急に始動させます。
後15年しかありません、この限られた歳月の中での新国家創造運動を成功に導かねばなりません。
 
 私が昨夜若者に話をしたことは一つです。
 
 「我々には現在組織もお金もない。あるのは机の上にあるパソコン一台だけだ。しかし、この無機質なるパソコンが最大の武器となる。やがて一台のパソコンは国家を変える」
 
 「パソコン画面からあらゆるものを学び、そしてそれを伝えよ。我々が学ぼうとしているように、まだ見ぬ相手もまた学ぼうとしていることを忘れるな」
 
 「何が一番大切ですか?」との質問に私は答えた。

「それは感性だ」

 <極右>の未来は10代、20代、30代前半の若者に握られている。
私は命ある限り諸君らと共にありたいと願う。そして2020年輝ける未来を見ながら散っていきたい。
 
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Posted by the_radical_right at 09:04 │ mixiチェック │我々の闘いの軌跡 

2005年08月23日

国家の衰退をもたらす経済の自由化と市場開放

「ほんの一握り」のアメリカンドリームの体現者の影に何千万人の絶望者が存在する。それでも米国は衰退しない。しかし日本は別だ、国家の瓦解は既に始まった。
 
「官から民へ」その標語だけが新聞、テレビなどのマスメディアを駆け巡っている。経済の国際化、より一層の市場の自由化、それらのスローガンも声高に叫ばれ、まるでこのままではその流れの中に一飲みされてしまいそうな勢いで迫りつつある。
 
自民党が郵政反対派の選挙区に擁立したのは外資系証券会社の女性重役であり、同じく外資系証券会社と結ぶことによって、巨額の資金を得て一躍時代の寵児となったライブドアの堀江社長。このような人達は現在の資本主義市場における所謂“勝ち組”であり、マスコミは彼らを時代を切り開く先駆者として持ち上げている。
 
多くの一般大衆はこのような“勝ち組”に対して羨望の眼差しで見つめている。あわよくば自らもそのような成功者となりたいという願望をマスコミは上手にくすぐる。しかし、これらの成功者は現代社会において、極めて少数であり、それは何百万の中の一人に過ぎない。
 
現在の日本の経済社会が米国をお手本として進んでいることは今や誰の目にも明らかだろう。では米国とはそれほどに立派な国家なのか?
外の世界から見る米国という社会は自由と平等と豊かな国に見えるが、その実情は人種差別と貧富の差が拡大する絶望と退廃の国に他ならない。
 
貧しい国を捨てて米国に流入はしたものの、袋小路の「出口なし」であったら、麻薬と暴力とセックスに溺れるしかないのが悲しいかな現実である。しかし、米国の白人社会にはそのような国家を変えていこうとする宗教的なルネッサンス運動が始まっている。
 
よって近い将来後戻りがなければ再び建国の精神を樹立して困難を克服しよう。つまり、「ほんの一握り」のアメリカン・ドリームの体現者の影には、何千万人もの絶望者が存在しているが、そのような経済的な絶望者に対して、新たなる希望を与えられる国家であることも事実なのです。
 
翻って日本はどうか?日本は見事なまでに町人と成り下がり、一億総国民がカネに目がくらみ、中でも度が過ぎる人達は意味もなくヘラヘラ愛想笑いしながら商道を語るのみである。
 
国内において貧富の差があっても、国家がそれなりの栄光と誇りを持つなら国民宥和の道を選択して団結する方途もある。しかし、日本のような場合、商人国家に成り下がり、その余りにものアキンドぶりに世界から顰蹙をかっているような国が、益々一部の富める者と大多数の貧しき者とに分離したら一体どうなってしまうのか。
 
公共性という言葉が片隅に追いやられ、利益追求だけが前面に出てくる社会の到来は、やがて国家の衰退をもたらす。堀江社長のような「僕の国家観は世界は一つ」(今朝の産経新聞)のような言動は、まさしく日本という国家の衰退を彼らなりに読み取ったからであろう。
 
我々<極右>は新国家主義を掲げる。個人の利益追求は、国家の枠組みの中でのみ許される。この鉄則を絶対の論理として掲げ国家の衰退阻止ために闘う。
 
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Posted by the_radical_right at 06:52 │ mixiチェック │日米関係 

2005年08月22日

時代の変革期における既成政党と<極右>の相違点

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      変革期における政治・思想の哲学とは何か?
   本当の意味での「非常時!」はこれからやって来る。
 
 
歴史の変革期に直面した祖国の命運の危機は、大袈裟に言えば今回の解散総選挙のドタバタに見ることができよう。まるで維新の往時を彷彿させるに似ている。
 
中世的な派閥力学の泥沼の安寧が破られ、かって開国か攘夷かで激しく揺れ動いた幕末期の再来にも見てとれる。小泉開国派は外資系証券会社の女性部長や外資系証券に転換社債を引き受けさせ、その資金で日本放送の乗っ取りを策したライブドアの堀江社長など、そのメンバーを見ても明らかに開国・開放派だ。
 
対して攘夷派は小林興起前議員の「郵政民営化は日本国民の大切な郵貯を外資に差し上げるものだ。」との主張の通り開国反対、鎖国攘夷派と言ったところか。
 
この戦いは現在のところ開国・開放派に有利に展開しているようだ。一般大衆は商業マスコミのタレ流すワイドショー的な番組に惑わされ、ことの本質から目を逸らされて踊らされてしまっている。
 
今日の事態を時代の寵児ともてはやされている堀江社長は「非常時だ!」と語った。確かに変革の激動は祖国の岸に押し寄せている。国家の命運を左右するものは、政治家の理念であり、精神であり、行動力である。
 
しかし、今その気概を感じさせる政党、政治家が果たしているのか?
変革とは容赦なく過去の政治・経済・文化・思想・宗教全ての体制そのものを突き崩すものでなくてはならない。
 
しかるに今提唱されている変革とは、利己的世界観の中にあって、変革の歴史的な使命とは関係なく、ただ議会で勝敗を争うに過ぎない。
 
このようなまやかしの変革騒動に組する訳にはいかないが、全く無関心を装うのも問題だろう。今一般大衆が「政治」に参加する道は、この選挙の機会くらいしか与えられていないからだ。
 
変革には興味があっても革命(維新)には怯える既成政党には我々<極右>は関心を持たない。「非常時」とは大衆社会の危機を指すのではなく、国家の危機的状況を指すのだ。私はまだその段階には至っていないと考える。
 
国家が危機に瀕した時こそ非常時であり、その時は国家の権威を解せぬ政治家は必要としない。外国からの脅威とは今問題となっているような経済開放の声などとは比べようもない筈だ。
 
外国からの脅威が現実のものとなった時、支配される危機に直面した時、その時は選挙など何の意味もないだろう。外国の武力的な脅威に直面した時、銃口から政権が生まれることを歓迎する。
 
この意思を今の時点で明確に表明することの出来る勢力こそ<極右>である。
 
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Posted by the_radical_right at 10:01 │ mixiチェック │青年に告ぐ!