
【第2部】
2番目に気になったのは「平和な時代になぜ…」という新聞の見出しであった。添乗員として死亡した娘さんの母上が「平和な時代になぜこんなことが…」と絶句して思わず涙した、との書き出しで始まる報道記事であったが、このタイトルこそが世界の常識と日本の非常識を現わすものではないか。
娘さんを亡くされた親族には本当に気の毒ではあるが、現代は決して平和な時代などではない。日本のマスメディアが勝手に現代をそのように創り上げてしまった。
冷戦が崩壊した時、マスコミは挙ってこれで人類が永年待ち望んできた恒久平和な時代がやって来たなどと散々書きたてた。
しかし、我々は冷静に国際情勢を分析、このようなマスコミの論調を厳しく批判し、冷戦の崩壊は熱戦(ホット・オブ・ザ・ウォー)の時代の始まりであると強く主張した。
これまで米ソの力によって押さえつけられたり、旧ソ連の中で抑圧されてきた真のナショナリズムが台頭する時代であり、一歩間違えば世界各地において民族紛争という名の戦争が勃発すると予想した。旧ユーゴ内戦や旧ソ連邦内の民族紛争によって、それはその後証明されることに。
更に“国境なき時代”に突入し、各民族が混在するようになった今日、各民族間の紛争は従来の国と国の対決といったものから、一国の中において行われるものとなる。特に多民族国家の場合、その可能性は常に内在されており、何時噴出するか分からない恐怖に怯えながら暮らすことになる。
確かに、ここ半世紀の日本は平和であった。しかし、これとて日本が主体的に創り出した平和では決してない。たまたま平和な時代が半世紀間も続いたというだけであって、これは世界の状況から見れば奇跡に等しいことであった。
日本人は平和とか安全とかいったものは、願ってさえいれば叶えられると勝手に誤解しているようだ。平和、平和と空念仏のように唱えてさえいれば、平和な時代が続くなどと思っているのは本当におめでたい話だ。
日本は平和であっても、一歩外に出てしまえば、そこは平和とは程遠い世界であることをもっと認識しなければならない。そのことを常に啓蒙するのが新聞社の使命であるべきなのに「平和な時代になぜ…」などというタイトルを掲げるこの不勉強さと言うか、世界観のなさには驚かされる。
マスコミがこの種の事件の時に決まって掲げる暴力反対、テロ根絶のスローガンだが、それは何の解決にもならないということを肝に銘じるべきだ。死を覚悟し、それを恐れない人間を前にした時、言葉など何の意味も持たない。
エジプトでの観光客襲撃事件に限らず、このようなテロ事件を考える上で重要なのは、その戦慄さや残酷さでは決してない筈だ。テロ事件を引き起こすグループの思想的背景や政治的な意味、それらを分析することによって、防止策を考えるべきであろう。
この観光客襲撃の場合とは異なるが、日本人そのものが標的とされるテロ事件が発展途上国で発生することがある。日本側は現地の開発に役立つことを願っての援助をしているが、相手側は必ずしもそうは受け取らない。テロ事件というのは、起きてしまってからではもう手遅れなのである。だからこそ起きる前にその可能性を探り分析を進めなければいけない。
この様な事件が起きる都度、考えさせられることだが、日本にはこのようなテロ事件の発生を予測し、その原因を分析する専門機関が存在しないという点だ。確かに外務省はそれなりの調査、分析はしていると思うが、どうも頼りにならない。
観光客襲撃を起こしたイスラム原理主義一つを例にとっても、果たして外務省に彼らとパイプを持つ外交官がいるだろうか。
そのような人物がいるとは思えない。かつてアフガニスタンでゲリラ側の一員として戦った日本人がおり、その人に伺った話だが、日本に帰国してきた時にマスコミや民間の調査機関から問い合わせはあったものの外務省の関係者は一人も来なかったと言う。
一番生々しい情報を持っている人物であるから、本来ならばこのような人物にいち早く接触して然るべきなのに、全く接触がなかったというのだから呆れ果てるしかない。
(この記事は1997年11月のものである)
あれから約8年…イスラム過激派のテロは各地で勃発している。



