2005年07月23日

極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (9 )

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      目指す国家観は新国家主義と国家社会主義経済
 
>田原さん、三郎さんへ
 
私の目指す政治体制は国家主義と経済は国家社会主義です。
この二つを総称して国家全体主義でも構いません。
先ほど賢者による独裁政治も利点があると述べましたが、しかしこれはあくまでも理想であって、終極的な目標です。
経済的には国家社会主義ですが、これを詳しく説明することは困難さもあります。とりあえずは漠然としたものとして捉えて欲しい。
資本主義の悪い部分を常に変えていく努力が必要です。
戦前、国家社会主義者はマルクス社会主義者とはまた違った意味で戦ってきました。
しかし、彼らは戦前の社会で全く不遇な時代を過ごさざる得ませんでした。
つまり全く理解されることなく来たという事です。
私は不遇の時代にあって理解されなかったことと、そのものが持つ価値とは関係ないと考えるものです。
そもそも経済とは国民の幸せのためにあるべきもので、一部の選ばれた者のためにあるのではない。
国家社会主義者の役割とは今日の資本主義に対して、常に反省と示唆を与え続けるものである。
つまり、資本主義の市場経済の行き過ぎに対する最終的な歯止めとしての役割です。
 
>三郎さんへ
 
民主主義を否定したり軽視する立場ではありません。現状における国家を運営する最良の手段として評価します。
しかし、将来もそうあるべきとは思いません。賢者のことですが、民主的手続きによって選ばれし人のことを指しています。
 
>三郎さんへ
 
私は国家主義者ですから、まずは国家ありきです。
三郎さんはこの国家が公共性の名の下に、自立した個人を押さえつけるような社会を嫌っているように感じました。
また目覚めた民衆による一層の政治への参加が、成熟した民主主義国家においては最善であるとの主張と思います。
さて、昨夜の続きですが、しからば国家とは何かということです。
その定義から入りたいと思います、互いの国家観はかなりの部分で違うでしょうが、三郎さんと相通ずる所があるかも知れません。
国家とそこにある国民との関係は一言ではいえないが、簡単に要約して短い文章で表すなら次のように私は定義します。
 
人間は一人では生きられない、集団を形成するものです。
集団は内部の平穏と秩序を保つ必要性から、権力の発生を必然としました。
それが長い歳月の経過と共に歴史的な存在としての共同体すなわち国家の誕生を見ました。
この国家に生まれた者は国家の一員となり、国家の一員として生きることを運命付けられます。
国家の基礎が堅固であり、国民の自覚が明確で、国家に対する忠誠が強い国家ほど、国家の集合体である国際社会において主要な地位を築くことが出来た。
また、これと正反対に国家に対する忠誠心が薄く、国家を蔑ろにした時、国家意識が希薄になった国家は衰退しやがて滅亡した。
 
             国家は「運命共同体」
 
>みなさんへ
 
この社会の中で一人で生きることは出来ない。誰もが人の助けによって生きている。社会から逃避した浮浪者であっても、残飯をすてる社会があってこそ生きていけるのでしょう。
この当たり前の社会の鉄則が我々は忘れかけているのではないか。
現代社会に欠けているものは「共同体意識」です。民族としての一体性も希薄になりかけています。
では何故こうなったかと言えば、それは個人主義への偏重と地域社会の崩壊が挙げられます。
民主主義は個人の人権を必要以上に大切にしてきました。
人類の普遍的な価値とされ、「共同体思想」はないがしろにされてきました。
 
※この辺りのことについてさらに興味のある方は、私のサイトに「現代の視点」をお読み下さい
 
http://www.strategy.co.jp/text/0004.html
 
 
 
 
 


Posted by the_radical_right at 07:40│ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争