エジプトにおいて史上最悪の爆弾テロが発生した。外国人観光客を狙ったものではあるが、死者の大半はエジプト人である。
このような無差別テロ事件は今回が始めてではない。今から8年程前の1997年には日本人観光客も銃撃される事件が起きた。
その頃に私の書いた論文『イスラム原理主義過激派テロ事件の教訓!」
ー日本人にとっての最善の防止策とは?ーがあるので、三回連続で投稿させて頂きます。
1、狂信者であっても、精神異常者ではない。
2、「平和な時代になぜ・・・・」は世界とのズレを露呈
3、最善の再発防止策を考える。
の三部構成になります。
【第1部】狂信者であっても精神異常者ではない
エジプト南部の観光地ルクソールで外国人観光客を狙ったテロ事件が発生。日本人を含む60人もの人が死亡した。犯人はイスラム過激派の武装グループでイスラム原理主義者と伝えられている。
この事件の衝撃度は多数の死亡者もさることながら、一般観光客に対して問答無用とばかりに銃弾を浴びせる凄惨さと、命乞いをして跪く観光客に対して、頭にとどめの一発を撃つという残忍さにあった。
だからこそ「怒りの感情を抑えられぬ」だとか「犯人らには人間性のかけらもない」と言った論調がマスメディアを走った。今回のテロ事件を正当化する如何なる理由も見当たらない。
しかし、だからといってそのような感情論や常識論だけで今回の事件を見ていては、事件の本質を見失ってしまうのではないか。彼ら(犯人)は精神異常者ではない。彼らは狂信者であっても、精神病患者ではない。
エジプトのムバラク大統領は9月中旬カイロでバスが襲撃され、ドイツ人観光客9人が殺害された時、精神障害者の単独犯行だと発表した。これは意図的に彼らの行動を過小評価することで影響が広がることを避けようとしたことは間違いない。
しかし、その事が逆に今回の残虐な行動へとエスカレートしたとも考えられる。ここはどうしても、彼らの目的、その信奉するものを解明する努力がなされて当然だろう。彼らをこのような差別的殺戮に掻き立てるものは一体何か。そのことを解明せずしてテロの根絶などできよう筈もない。
今回の事件を報道するマスコミ論調の中で二つだけ気になったものがある。一つには「イスラム原理主義者というのは残酷なことを平気でやる非人間的な、特別な人」とする見方だ。しかし、これほどの誤解はないと考える。
何故ならば、このようなことは戦争状態の中ではしばしば行われてきたことだし、現実に旧ユーゴの内戦やアフリカなどでは日常的に見られるものだ。
また、イスラム教徒だけを残虐だとするのも検討違いだ。キリスト教徒もかつて同様のことをしていたし、新しいところでは我が国における地下鉄サリン事件も無差別テロであった。
何もイスラム原理主義者だから暴力的だとか、残忍なことを平気でやれるのではなく、およそ人間というのは、そのようなものであるという点を改めて再認識すべきである。
「人間の心というものは何だって可能だ。何故ならば全ての未来に加え、全ての過去が人間の心の中に潜んでいるのだから」
こう言ったのは英国の作家・コンラッドが書いた『闇の奥』という小説の中で、ヨーロッパ人の心の奥には空虚しかなく、狂信主義によって充足させられる恐れがあることを彼は指摘していた。
船乗りであったコンラッドは人間の心の奥にある暗闇は、船の中と同じような厳しい階級と秩序、規律ある社会によってのみ危険を取り除くことが可能だと考えた。
その後、ヨーロッパは第一次・第2次大戦、ファシズム・ナチズム、そして共産主義を生んだ。第2次大戦後も西独や英国のアイルランドにおいては無差別テロが相次いだ。これらはコンラッドが指摘したように、心の暗闇から噴出した衝動であった。だからこそ、一歩間違えば脆い社会に住む、心の空虚な人々の間に広まる可能性も持つのだ。
1916年、英国が16人のアイルランドのテロリストを処刑した時、詩人のイエーツは「恐るべき美が生まれた」と書いた。処刑されたテロリスト達は「ナベに湯をたぎらそう」と言い遺して逝った。現在も事態はまったく変わっていない。西欧・中東・南米とテロリストの死を�狃浙記瓩箸靴董△修海法峩欧襪戮�美」を感じる人がたくさんいるからだ。こういう人達にとっては自らもまた「湯の煮えたぎるナベ」を作ることにのみ人生を駆り立てていく。コンラッドは無意味な狂気だと断じたが、狂気の行動とは意味があろうが、なかろうが、結果に関係なく行われるものである。
いずれにしても、今回の銃撃テロは人間社会の根底に脈々と流れ続けている暴力的な飽くなき衝動と、その戦慄の行動を改めて想起させた。
(1997年11月)
