2005年08月20日
21年前、私も選挙に挑み金権田中追放を訴えた。
我が回想録『静岡市長選挙出馬』
連日の選挙報道で皆さんもいい加減ウンザリしているのではないか。
もうそろそろネタ切れのようにも思えるが、また隠し玉がいるなどと囁かれているので、ここは野次馬よろしく楽しみに待つとしましょう。
ところで、私も若い頃一度だけ選挙に出馬したことがある。今から21年も前の事です。当時私は32歳の若さだった、当時のポスターの顔写真を見ると本当に若かったとビックリする。
私が挑戦したのは昭和58年の統一地方選挙の年で、静岡市長選挙に立候補した。当時私は『日本憂国会』という右翼団体を主宰していた。黒塗りの大型宣伝カーに乗り、戦闘服に身をつつみ、誰一人知人などいない静岡市に乗り込んでの選挙でした。
告示日の2週間前にアパートを借りて、そこに隊員数名と寝泊りしての活動だったが、選挙期間が非常に長く感じられたのが今でも忘れられない。
今思うと青春の懐かしい想い出の一コマであった。
なぜ、静岡だったのか?それは当時日本の政界を牛耳っていたロッキード事件の刑事被告人・田中角栄の金権政治に対する批判活動の一環だった。田中角栄は5年の実刑判決を受けても政界を引退せず“政界のヤミ将軍”として君臨、数は力とばかりに田中派の膨張作戦を全国で行っていた。
丁度解散総選挙の直前の市長選挙で、この静岡県の選挙区では熊谷弘・戸塚進也の参院議員が田中派からの鞍替えを図っていた。この金権田中を政界からの追放を掲げての戦いであった。
「私は右翼団体を主宰するせと弘幸です。市民の皆様は我々の政治活動を見て驚いておられるようですが、今をときめく日本国総理大臣・中曽根康弘先生も、若かりし頃は右翼結社・青雲塾を主宰して、日の丸を掲げ当選したいわば我々の大先輩なのです。」
「国士・中曽根先生は行政改革によって散らかった部屋を大掃除して、床の間にかかった古い掛け軸、すなわち占領憲法ではなく、新しい憲法をかけよう。教育の正常化を成し遂げよう、それが戦後政治の総決算であり、自分の使命であると申しております。」
「国士・中曽根先生と私の考えは全く一緒です。ただ一つ違うのは、それは政界浄化・政治倫理についてです。すなわち田中角栄なる人物はただちに政界から追放されるべだと訴えているのです。私が今回この静岡市長選で声を大にして叫んでいるのも、実はこの国賊田中角栄が金権ごり押しによって・・・・・・・・・・・・・」
私は選挙期間中声をからして訴えました。勿論田中批判だけではない。
左翼陣営に対しても徹底的に論戦を挑み戦い続けた。
「左翼は靖国に参拝するなと言うが、ではあなた方は親が死んでも墓参りに行くなというのか。墓を作るなと言うのか。あなた方の子供はあなたが亡くなっても墓参りするどころか、線香一本もあげには来ないだろう。」
「戦争で確かに日本は負けました。でも日本だけが悪かったわけではありません。しかし『戦争に負けた』という事実だけで日本は悪役に仕立てられたしまった。このことが後の日本を狂わせてしまっています。だからこそ祖国のために命を捧げた英霊を国家が責任を持って守って行かなければならないと思います。それができないのなら、また日本はもう一度過ちを繰り返すことになるかも知れません。」
4人の候補者で争われた市長選挙で、諸派の私は3348票を獲得した。投票者の70人に一人が私に投票してくれた。全体得票総数の1・6パーセントであった。この右翼が獲得した得票率は戦後においては赤尾敏愛国党総裁に次いで多い数字だった。たぶんその後も破られてはいないだろう。
この選挙後の国会である法案が通過した、立会い演説会の廃止とポスター掲示の規制である。この年の地方選挙において、私のような右翼活動家が全国で金権田中追放を訴えて立候補したことが田中角栄の怒りに火をつけてしまったのだった。
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2005年08月19日
中露の戦略提携が異例の速さで実践段階へ突入!
米国抜きの南北朝鮮統一を視野に入れた策動
我が国が真夏の選挙狂乱に沸騰している最中、共産中国とロシアは戦略的な提携を、異例の速さで実践段階にまで発展させた。これは緊迫化する極東情勢を睨んだものであり、極楽島のアホウドリの祖国日本は、救いがたい奈落の淵へとまっしぐらだ。
共産中国の胡錦濤国家主席がロシアを訪問しプーチン大統領と会談したのは7月1日のことだった。この会談で両国は反米を前面に打ち出した「21世紀の国際秩序に関する共同宣言」を発表した。
この会談は表向きはシベリアにおける天然ガスの開発とそれをパイプラインを通して中国大陸に運ぶという経済面での協力関係を結ぶものだった。
しかし、真の狙いは米国を牽制することにあったのである。
共同宣言の中で「主権国家に社会・制度を無理やり押し付けてはならない」とあったが、マスコミはこれをイラクにおける米国の立場と解説した。
しかし、これはイラクのことを指すのではなく、北朝鮮を指すと我々は考えていた。
「独占と支配の悪弊を直さなければならない」と暗に米国の一極支配体制に代わる「新しい世界秩序の構築」を訴えていた。これは米国にだけそのような振る舞いを許さないとの宣言でもある。
つまり、北朝鮮に対する米国の先制攻撃に対する警告と、北朝鮮が暴発した場合、中露が積極的に介入するとの話し合いであったわけだ。
そして昨日の18日、共産中国とロシアは初の大規模な軍事共同演習に踏み切った。ウラジオストクを出発したロシア太平洋艦隊は朝鮮半島を包むように日本海を南下、中国の三東半島への上陸作戦を行う予定だ。
共産中国とロシアは朝鮮半島を勢力圏に組み入れ、米軍を韓国から追い出し二国による南北統一を視野に入れだしている。韓国の現政権はそれを半ば容認している。
しかし、韓国にはそのような米国抜きの祖国の統一に強硬に反対しているグループもある。今後米国と日本はそのような韓国内における反共産主義勢力との連携によって、この危機迫る極東情勢に対峙していかねばならない。
2005年08月18日
窮余の策『国民新党』をあえて評価すれば。
大衆迎合主義批判と新党結成
ネットバブルの風雲児や著名な国際政治学者、料理研究家のカリスマ主婦やら才色兼備の大蔵官僚、政党を渡り歩く政界のマドンナ。
小泉流の候補者選びはまさに百花繚乱でマスコミの話題独占である。
このような著名な人達は冷徹な目で言わせて頂くなら、個人的な資質は確かに万人の認める所なれど、自民党という政党の枠の中に閉じ込められた時、それは員数の一人でしかなく、彼(彼女)らが持っている力を発揮できるのか、甚だ疑問に思えてくる。
大衆迎合主義(ポピュリズム)という言葉がある。別に政治学の勉強するわけではないので、これを解説することはしないが、小泉首相を批判する言葉として一部で使われてきた。
民意を敏感に感じ取って、それを政治に生かす手法が小泉流なのであろうか?実はその反対に信念を貫き、その方向に強引な手法で持ち込むのが小泉流である。今回の騒動を見ているとそう思えてくる。
この大衆迎合主義なる言葉は、国民的人気の高い政治家を批判する場合にマスコミや評論家が使用してきた。この手法を持っての政治運営は衆愚政治に繋がると言うが、これでは国民は愚民になってしまう。
常に自分を一段高い位置から下を見下ろそうとするマスコミ人や評論家諸兄には、しょせん選挙民は愚民としか見えないのだろう。しかし、何よりも世論を重視して戦う小泉流は時代を先取りしているのかもしれない。
さて、マスコミが冷やかに報道している綿貫、亀井先生らの『国民新党』について<極右>の視点からエールを送ろう。追いつめられて、もがき苦しんだ果ての政党であり、その意味からは選挙互助政党のようで、何の魅力も感じない人も多い筈だ。
先ずネーミングも古臭い、新党と名称しているのに古臭く感じるのはどうしてなのか?これまでも日本新党や保守新党が生まれては消えた。またその運命を辿るかもしれない。
私だったら、同じ国民という言葉を使うなら『国民新党』ではなく『国民の総意』(ナショナルコンセンサス)としただろう。新党というと、いかにも選挙のための急場の間に合わせにしか見えない。
しかし『国民の総意』とすれば、新しい社会運動を提唱したように国民の目には映った筈だ。どうせここまで追いつめられたのだから、<極右>的な政党を発足させて欲しかった。
選挙対策のための窮余の新党だが、もし消滅しなかったら、我々<極右>が参加する価値があるかもしれない。聞くところによれば綿貫先生は神官でもあるようだ。日本的世界観を具現するにはこれ以上の職はない。
更に注目すべきは民主党を離党して田村秀昭参院議員が参加したことだ。その理由を「自衛隊の位置づけを明確化し、自衛隊員に名誉と誇りを与えるため」と述べた。田村氏は自衛隊幹部学校長を歴任した実力者である。
我々は今の政党政治には何の興味もない。虚妄の60年とは無縁であり、国家存亡の危機に備えてただひたすらその日を待つのみである。しかし、意外にも早く我々<極右>が芽を出す日も近いのかも知れない。政治の混乱こそ、我々<極右>の到来を予言する。
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