2005年09月18日
国連改革を真に目指すなら、台湾追放決議の取り消しを訴えるべきだ。

国連創設60年の歴史の中で汚辱の一項は「台湾追放」だ。
国連は創設60周年を迎えた、加盟国は創設時の4倍近くの191ヶ国に膨らんでいる。現在、世界の何処かで大規模な国家間の紛争や戦争状態が起きた時、直ちに国連は行動を起こすことが可能である。
しかし、残念ながら国連が全く力を行使することが出来ない事が一つだけ想定される。それは共産中国による台湾への軍事侵攻である。中共はこれまで何度も「台湾が独立を宣言すれば軍事侵攻を行なう」と繰り返し述べている。
台湾はかって国連に加盟していたが1971年に追放された。台湾は中国の一部であるとの考え方から、中共が中国を代表するものとされ、中華民国(台湾)は追放、代わりに中共(中華人民共和国)が唯一の正当政府となりました。
世界平和を標榜する国連が、何の誤ちもなく、その開設以来の協力国だった加盟国を一方的に追放した。これは当時の世界情勢の中で1400万・台湾人が大国のご都合主義の犠牲にされたのである。
国連の60年の歴史に残された汚辱の一項である。ただ昔は民族は同一だったという、それだけをもって「中国は一つなり」という愚論の側にたったのである。
これが全くのまやかしであることは歴史が証明しています。毛沢東の共産軍から追われて逃げてきた蒋介石の軍閥が台湾を支配下に置いたのであって、台湾の人達が自由な意志に基づいて創った国家ではなかったのです。
中共と台湾は分裂国家と考えるか、或いは台湾は中国の一部ではなく、独立した国家と考えるべきなのか。その事についてはここでは触れない。
ただ、分裂国家とした場合、かっての東西ドイツや朝鮮半島のように国連はその加盟を認めていた。
分裂国家の再統一、と融合、新国家の誕生、そのことに国連が平和的な手段によって関わろうとするのは当然のことではないか。将来いかにして難問題を解決するのか<その責任の一端を担うのが国連としての本来の役割であった筈だ。
それを大国の思惑や都合によって、加盟国を国連外にたたき出すなど全く許されることではない。当時日本では「世界の大勢」とか「歴史の必然」などと言ってこれを歓迎した。馬鹿馬鹿しい限りであるが、それが情けなや日本の当時の世論であったのである。
さて、国連の60周年という節目の時を迎え、国連の包括的な改革を目指す動きが出ている。日本も安全保障常任理事国の枠を拡大して、その仲間入りを果たそうとしたが叶わなかった。
日本の戦略が挫折した背景には中共のなりふり構わぬ反対運動があった。日本はこの中共の反対運動に敗れた。例え今後どうような活動を行なっても再び中共によって阻止されよう。
であるなら、中共を牽制する目的を兼ねて、台湾追放を決めた1971年の国連総会での第2758号決議(アルバニア案決議)の破棄を国際社会に訴えたらどうか。
勿論日本単独ではやれない。これは米国との緊密な提携のもとに進めるべきである。もし万が一、共産中国が台湾に軍事侵攻を開始したとき、国連は中国の内乱騒動として、これを傍観する危険性もあるのだ。
2005年09月17日
極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (17)
選挙があって暫く休んでいた<連載>を開始します。現在ある出版社と、この『極右とは何か〜』の単行本の企画を進めております。なんとか、まとめて皆さんに読んで頂きたいものです。
>三郎さんへ
冷戦構造の残滓としての東アジア地域。特に共産中国と北朝鮮は日本にとっては仮想敵国であり、外交・防衛戦略上、この両国にどう対峙するかは最重要な国家的課題です。しかし、そうは言っても国民の意識にそれだけの認識と決意は残念ながら読み取れません。三郎さん達市民派の人は国家意識というものを軽視しているように思えてなりません。
日本の仮想的国は日本と違って、強固な国家意志を持っており、国家を軽視した<市民社会>の論理では到底立ち向かえる相手ではありません。
国家と市民社会との関係を更に深く論じるべきと思います。本来は対立する概念ではないと三郎さんも言われています。しかし、両者を対立させようとの勢力もあるのです。三郎さんも国家とは統治するもので、市民とは統治されてきたものと言った考えがあるように思えてなりません。
両者の間を抑圧と叛乱、統制と抵抗、協調と反目といった捉え方をしているのではないでしょうか?両者を対等に見るからそうなるのであって、国家の中に市民社会は内包されていると私は見るのです。
国家と市民社会にこれまでにない斬新な視点で切り込まれる、その試みと勇気は評価しますが、私にはこの問題は普遍的なものと考えます。
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後は続きでどうぞ。
続きを読む2005年09月16日
国土防衛の要、沖縄の基地問題を真摯に語れ!その��
日米安保によって守られ繁栄してきた戦後日本
日米政府は混迷していた米軍普天間飛行場の移設問題で、新たな海上施設の検討に入ったことを明らかにした。自衛隊も共同使用するもので、これを機に一段と自衛隊の役割は高まる。
さて、昨日からお伝えしているこの沖縄と米軍基地の問題であるが、本土復帰30年となった沖縄では「米軍基地がある限り戦後は終わらない。』と言った声も多数だ。しかし、緊迫する東アジア情勢を見た場合、沖縄こそは本土を防衛するにあたり、その戦略的価値は計り知れない。
この問題に頬かむりをして日本の防衛など考えられないし、ましてや私が提唱する『日米共同覇権構想』も、日米安保と沖縄の基地があって始めて成り立つものである。しかし、当の沖縄に於いては「自分達はこれまで犠牲になってきた。」という考えはあっても、「積極的に貢献してきた。」という考えは少数だ。
これは左翼が主導してきた米軍基地返還闘争によって、沖縄には特殊な心情が形成されてしまっているからだ。このような心情を放置したままでは、いくら沖縄が地理的に共産中国からの侵略の最前線に立っているとしても、それを跳ね返す気概は生まれてはこない。
戦争とは近代的な兵器がその勝敗を決定づけると考えられがちだが、それとは別に<国を守るという気概>が最も大切である。それにはしっかりとした日頃からの国家観なり民族として意識が重要である。
にも関わらずこれまで、日本政府はその点をなおざりにしてきた。今般の選挙においても、その辺りをどれほど訴えていたのか疑問に思う。民主党がまるで沖縄は日本政府の主権から離れても良いというようなマニフェストを出していた以上、この事については徹底的な批判が加えられて当然だった。
現在日本にある米軍基地は、米国が領土の侵略を目的として在るものではない。日本の敗戦という厳然たる事実は確かにあるが、それは日本と極東の平和と安全、共産主義国家(旧ソ連・中共・北朝鮮)からの日本の防衛を保障した日米安保条約の締結によって米軍に提供されたものである。
この認識が先ず第一であらねばならない。左翼や一部の新保守派は米軍によって侵略・占領されていると考える。そのような日本敗戦からの継続体制と見る限り、基地問題の正しい理解には程遠いものがある。
今更言うまでもないが、この安保条約とは片肺で米軍は日本の防衛に義務は負うが、日本は米国の防衛には義務を負わない。ただし、日本は日本を米軍が防衛するための必要な基地を提供することを条件として受け入れている。
これは発足当時の国力の差や諸般の事情を考えれば止む得ないものがあった。日本が基地を提供し、米軍は多額の軍費と米国人の生命をかけて相応してきた。この結果として日本の独立と繁栄が守られてきた事実を忘れてはならない。
よって、日米安保体制がある限り、基地問題とは戦争によって失った領土の失地回復の闘いではないし、またあってはならなかった。したがってそれは民族解放の闘いでも国家間の紛争でもなかった。
しかし、左翼はそのように見せかけることによって、日本人のナショナリズムをくすぐり、自らの勢力拡大に利用してきた。基地周辺の住民や沖縄の人達は「日本政府と米軍」ともう一つ「左翼反日勢力」によって二重に苦しめられてきたのである。
我々は国家の最大にして最高の至高である、「国土防衛」の最前線に立って戦ってこられた沖縄県民に心からの尊敬の念を表したい。と同時に沖縄の人達には誇りを持って頂きたいと願うものです。
基地とは日本国民の宝であり、それに関わる全ての人には等しく名誉が与えられなければならない。基地に関わる社会生活の不便さや環境問題については、国家は全責任を持たなければいけない。心からの対策、保護・補償は当然であり、手厚い財政的支援も当然であろう。
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