2005年11月14日
[フランス極右]伸張の理由は非暴力主義
フランス《極右》 言論は過激暴力性に富むが行動はいたって慎重
フランスにおける「移民暴動」について、これを取り締まる政府や警察の動きは報道されているが、《極右》勢力の対応については報道がされていない。ネットでは一部の無責任な人達が、イスラム系の暴徒に対して、《極右》勢力が暴力で反撃することを期待するかのような書き込みもあったが、それはフランスの《極右》勢力の現状を余りにも知らなさ過ぎる投稿である。
フランスの《極右》はご存知のようにシラク大統領との決選投票にまで勝ち残った程の力を持っている。ドイツのネオナチ組織のように暴力的攻撃に出ることは殆どない。かってのフランスの右翼は爆弾闘争を行なうなど過激な路線をとっていた。しかし、このような過激な路線と決別することによってフランスの《極右》は再び息を吹き返したのである。
フランスの右翼勢力は60年代の初めアルジェリアの混乱のあと後退を余儀なくされた。以後時代錯誤的な武力闘争路線をとって国民から見放されたが、70年代に入り、右翼はこれまでの国粋主義的な傾向から大衆運動(ファシズム)へと移行し始めた。73年に行なわれた総選挙において、右翼全体の得票が3%にもならなかったと言う敗北感が、新しい運動の必要性を痛感したきっかけとなった。
80年代の後半になるとルペン党首が率いる《極右》政党・国民戦線は総選挙において、463万票、14・4%の支持を獲得した。この時フランス共産党は歴史的な大敗を期し、国民戦線の半分の支持も得られなかった。
昭和63年5月1日、労働者の祭典と云われるメーデーに、あえて国民戦線は首都パリにおいて10万人の大集会を開催した。フランスの若き英雄「ジャンヌ・ダルク」の銅像の前から宮殿に向け行進を開始した。
この時、極左勢力がこん棒などで武装して、国民戦線のデモ隊に襲い掛かった。第5共和国の崩壊を恐れるミッテラン大統領率いる体制派(保守連合から社共)は、左翼勢力をけしかけ、国民戦線つぶしに陰謀を張り巡らしていた。
しかし、4000人も動員された国家警察も極左の妨害を撥ね退けて、整然と進む《極右》のデモ隊を取り締まることは出来なかった。彼らは一糸乱れず整然と行進を続けた。
「フランスに栄光あれ!」「フランスをフランス人の手に!」
デモに参加しているのは、左翼の日当を貰って参加した労組員とは違う。彼らは赤旗だが、国民戦線の若者等の手にはフランスの三色旗の小旗がしっかりと握られていた。彼ら若者の心の中には「このどうしようもないフランスを我々の手で救い出そう」という熱烈な愛国心があった。
なぜ、フランスの《極右》は台頭したのか、日本のマスコミはこぞってその原因を経済の不振、失業者の増大、外国人移民の増加などに求めているが、それだけではない。それは《極右》勢力自体の意識の変化、とりわけ活動家の自己改革による所が大きい。政治を志すものにとって、一番大切なことは純真(ナイーブ)である。
不安や不満の捌け口を求めて《極右》政党に支持が集まったのでなく、その不安を取り除くだけの政策を掲げ、試練を乗り越えてきたからこそ今日がある。左翼の繰り返す挑発行為にも目もくれず、国旗を掲げ国歌を口ずさみ隊列を乱さずに行進できるのは、彼らには壮大な夢と浪漫があるからなのだ。
西欧の歴史は《極右》に希望という扉(とびら)を開いた。この扉を自ら閉めるような暴力的な反撃を《極右》はしない。彼らは静かに自らの次なる出番を待っている。
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2005年11月13日
極右とは何か〜懐かしの2ちゃんねる論争 (28)
懐かしの2ちゃんねる論争〜『文明の衝突』 その��
私が2ちゃんねるで様々な方と「政治思想板」で論争していたのは、まだ20世紀末の時点であった、この当時最大の関心ごとと言えば、冷戦の崩壊で揺れる世界が今後どのように変貌して行くかであったが、この時に登場した『文明の衝突』は衝撃的なもので、様々な角度からこの『文明の衝突』について議論が沸騰したものである。
>皆さんへ
21世紀に予想される最悪のシナリオと言えば『文明の衝突』ではないか。これは米国のハーバード大学教授のサミュエル・P・ハンチントン教授が近未来の世界を予言するとして出版されたものです。教授によれば「イデオロギーの対立の後にくるのは、西欧対非西欧の文明間の対立だ。」と述べられています。これは我々も注目すべき予言の書であると思っています。
また、教授はアメリカ文明と中国(支那)文明はやがて衝突するが、その時日本はいずれかにつくか選択しなくてはならない、運命の時がやってくるとも述べています。
勿論この予言の書を我々日本人が鵜呑みにすることはありません、しかし無視することも出来ません。なぜなら、米中の対立を睨んで我が国には既に体制内保守派と反体制左翼に「日中を軸とした東アジアの新体制」を目指す戦略が発動されたと見ているからです。
Re 小川 文明の衝突と日本の未来 2000・01・05
文明とは元来衝突するものであろう。今日の情報化の波の中で閉ざされたままの文明などないだろう。故に衝突、もしくは接触は自然なことである。そこで危惧されるのはその接触の程度である。衝突のようにダイナミックに起きるのか、それとも侵蝕のようにじわじわやって来るのか。
僕が思うのは、世界のそれぞれの人々の平和を思う、望む気持ちは基本的人権の浸透により相当なものであって、そんなに野蛮人はいないだろう。だから衝突の可能性は低いと考えます。
中国対米国と言えども両者の首脳陣はダイナミックな変化を導いてしまうほど短絡的な政策は実行しないでしょう。数々の対立はあるが、慎重さを肝に銘じて行動するでしょう。私達一般人が衝突だ、戦争だと騒ぐのは、どこかしら対岸の火事を期待する無責任さがあるのではないか。文明を基準とする、世界を理解するアプローチには何ら反対しないが、しかしその方法によって世界を見渡した時、即ち衝突が待っていると言うのはいささか疑問です。
現在世界中で散在しているまさに色々な問題があるとしたら、文明を土台とするパラダイムはだいぶマクロ的な視野だと思います。僕もその本はまだ読んでいないので単純には批判できませんが、今思うところでは、文明比較による方法はマクロ的な故にその成果もまた曖昧になるのではと懸念いたします。
>小川さんへ 瀬戸弘幸 2000・01・06
確かに西欧社会の基本的人権思想は広く世界中の人達の支持を受けています。しかし、だからといって、現在問題となっている民族間の紛争が解決されるとはとても思えません。
チェチェン紛争におけるロシア軍の首都侵攻に、西欧社会は人権問題を持って牽制しましたが、ロシアはこれに強く反発しました。またロシアの国民はこの強権的制圧を支持しています。人権思想は西欧社会の押し付けであると考える人が存在する限り、人権思想がこれらの問題を解決する特効薬にはなりえないでしょう。
>中国と米国・・・・・・・ から始まる文について。
考えても見て下さい。天安門事件の時、共産党主導部は、何のためらいもなく座り込んでいる無抵抗の学生を戦車でひき殺しました。共産党の一党独裁恐怖政治を安易に考えるのは危険すぎます。
>私達一般人が衝突だ、戦争だと騒ぐのは・・・・・・の文について
文明の衝突を期待しているわけではなく、それが起きないようにどのように回避して行くのかの道を探るために討論を呼びかけました。現在、インドネシアの群諸島でキリスト教徒とイスラム教徒による殺戮が続いています。これまで平和に暮らしていた筈なのに、住民はなぜある日を境に突然なぜ殺しあうのか?この事実から我々は目を背けることは出来ない筈です。
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2005年11月12日
ナチスに学べ少子化対策!
人口減少に歯止めをかけたその政策は画期的なものだった。
猪口邦子少子化男女共同参画担当大臣が6日、民放テレビに出演して、女性の労働率が高い国は出生率も高い、と表図を示して説明したが、この表図には説明の内容(労働率が高いと出生率も高い)と、合致しない国(トルコ、メキシコ)などは意図的に外されていたことが判明した。つまり改竄した表図を示して国民に対してデマを流したようなもので、今後このテレビにおける「女性の就業率と出生率は正比例」とのデマ放送に批判が起きるのは間違いない。
さて、私はかつて深刻化する一方の我が国の出生率を引きあげる案として、「ナチスに学ぶ少子化問題」という提案をHP で行なったことがある。それをこのブログでも紹介させていただこう。
この少子化問題について、未だに有効な方法は示されていない。猪口大臣は所得水準の低い国をあえて隠してまで、何を訴えたかったのか?残念ながら具体的提案はなかった。保育所の増設や育児休暇の延長などの小手先の対策をいくら講じても解決されない。
余り知られていないが、戦前ドイツで政権を獲得したナチスは、世界史の中でも極めて稀な政策によって、人口の減少に歯止めをかけることが出来た政権だった。私はこのナチスの政策を取り入れるべきと訴える。この政策は猪口大臣の提唱とは全く逆である。「女性は家庭に!男性は職場へ!」がその基本理念であった。
1910年に出生率が30%を切り、1925年には20・7%、1933年には14・7%まで落ち込んだドイツでは、この人口減少は大きな社会的問題であった。ナチスはこの問題に先ず政権獲得と同時に取り組んだ。「ドイツ人は優秀で健康であらねばならない」とする人種政策は、民族的優位性を鼓舞することによって、人口を増加に転じさせたいとの願いが込められていた。
決して他民族を蔑視したり、排斥を目的としたものではなかった。人種学、遺伝学、医学などの専門家が集められ、この人口減小という難題に立ち向かった。そしてこの減少に歯止めをかけた歴史的に稀有な存在となった。
女性には結婚適齢期になると結婚準備金を貸し与える結婚奨励金制度を作り、女性が子供一人産むと四分の一が帳消しに、四人産めば丸々自分のものとなり返済する必要がなかった。実はこれは失業対策にも役立った。すなわち女性には職場から家庭へと目を向けさせたのである。
1938年7月には新しい婚姻法が施行された。画期的だったのは夫婦は3年以上別居していれば理由の如何を問わずに離婚が認められた。不仲の夫婦には子供など出来る訳がないので、早く離婚させ別人と結婚できた方が本人達のためでもあり、国家にも有益と判断したのである。
1935年には刑法175条が強化された。これは同性愛者を取り締まる法律で、当時のドイツには200万人からの同性愛者がいたが、警察長官のヒムラーは「同性愛者の行いは常に私的な行為で、自分たちには構わないで欲しいというが、ことは個人の問題ではない。民族の生死にかかわる問題であり、このまま続けば出生率が低下し続け、ドイツは50年後には列強としての力を失ってしまう」と述べ断固とした取締りを開始した。また、この年多子家庭には租税減免制度が導入された。
ナチス政権獲得前の1925年のドイツの人口比率はキノコ型の人口図で余りにも現在の日本に似ている。ナチズムが登場した時代は戦地に赴いた男性に代わって女性が職場に進出して定着していた。またそれまでの規範や価値観が喪失し、敗戦の挫折から国民の多くが無力感の中にいた。
そのような時代、ナチスは「女性は家庭を守ることに専念せよ!」と訴えて女性から大きな支持を受けた。ナチスの熱烈な支持者は「ドイツ・ウーマン」と名付けられた。
猪口大臣に「日本の女性は家庭に帰れ!子供を産め増やせ!」と呼びかけてはどうか。姑息な手段で解決できるほど、この問題は簡単ではない筈だ。
