2005年11月20日
日米同盟は共産中国の崩壊を目指す!
中国や北朝鮮の脅威に対する日米同盟ではない!
自由社会の『戦士』としてのアジア解放同盟なのである!
小泉首相の「日米同盟が緊密なほど、中国や韓国、国際社会と良好な関係を作れる」と言った事に対して、テレビに出演した評論家やコメンティーターなどは「米国に言いなりになり過ぎる」とか「アジアで孤立してしまう」などと喚きたてている。
左翼青年(26歳の共産党員)のブログを見ていたら、次のような文章があった。
『日米同盟支持をする人の傾向ってどんなのよ?と思いながらめったに足を踏み入れない右派ブログを転々とする。主な主張はやはり「中国・北朝鮮の脅威のための日米同盟」というところのようだ』
確かに日米同盟が共産中国や北朝鮮の脅威から日本を守るために必要不可欠なものであることは自明の理である。しかし、それ以外の理由を見つける事が出来ない点では、この26歳の共産党員のレベルとテレビで喋りまくる評論家に大きな違いはない。
中国共産党の胡錦濤国家主席と会談したブッシュ米国大統領は「言論と宗教の自由」を求めた。京都での小泉首相との会談でもブッシュ大統領は「中国は民主化の道半ばにある」と間接的表現ながら批判した。
対して台湾を「民主化を成功させた国」と評価した。日米が堅固たる同盟関係を築き、対処すべく問題こそは正に共産主義独裁国家なのである。この最も重要な視点が全く日本においては語られていない。
米国や日本は自由主義社会である、対して中国や北朝鮮の社会には人間の基本的な人権である自由が存在しない。日本と米国がやらなければならないことは共産主義者が支配する暗黒の大陸へ、自由の火を灯すことである。
日米が共産中国に政治的な変革を迫り、それを実現した時、21世紀の世界史に、偉大な寄与を成した国家として記される。その時初めて靖国問題も歴史認識問題も解決する。全ては共産主義との戦いに他ならないのだ。
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2005年11月19日
[移民政策]強権秩序なる幻影を追う
フランスでの移民暴動によって我が国では外国人労働者の導入に慎重な姿勢を示す向きが一段と強まりつつある中、移民政策の推進を説く者らの動向に注意しなければならない。
移民政策を推進する向きは政財界をはじめ人権派・市民派を称する知識人、学者の中にいくらでもいるが、その一挙一動が世間の注目と支持を集め、「ポスト小泉」の呼び声も高い現東京都知事・石原慎太郎氏の存在を外すことは出来ないだろう。
ここでは議員時代より移民政策に言及した石原慎太郎氏の発言を糾すことを主題としているが、同時にそれは石原氏に対する熱烈な支持でもあるとご理解頂ければ幸甚である。
石原慎太郎が育った町
神奈川県・逗子―。
少し以前になるが、探訪がてらにこの町に二度ほど赴いたことがある。石原氏の原作『弟』がドラマ化され、その舞台となったことでご存知の方も多いだろう。
そこは言うまでもなく石原氏が少年期を過ごした地であり、政治家として、または作家として、あるいは思想家としての「石原慎太郎」を醸成した原点を一端でも知ることが出来ればと思ったからだ。
電車にて神奈川県入りし、横浜を過ぎる―。
横須賀に米軍基地があるためだろうが、車内でも米軍関係者と思しき外国人の姿がよく目につく。黒人の父親と日本人の母親に手を引かれる少女…リュックを背負った白人の少年…制服姿の米軍将校…女性兵士もいる。
逗子に着いて思ったことは、見知らぬ人間に対しても気軽に声をかける気風・気質があるということだった。港が近く、昔から外国人の往来があったことに加え、米軍関係者がいることが多分に関係しているのだろうか。
バスに乗り継ごうと路線図を見ていると、老女が気さくに話しかけてきた。
「このバスは○○方面に向かうのよ。祭日は本数が少ないんじゃないかしら」
東京では一度もなかったことだ。
海沿いに位置するレストランに入っても同様にそれを感じた―。
チェーン店『デニーズ』でウェイトレスが注文をとりに来る。接客態度は東京のそれと何ら変わらないが、どこか親近感をもって接してくれた。レジで勘定を終えた時も店員が「有り難う御座いました」の後に��何か一言�瓩鬚�けてくれる。
「お車でお越しでしたか?」
単に店員と客の間で交わされる言葉の他に、自然体でそこに会話が生じる。これも東京ではまずなかったことだ。
読売会館で開催された治安問題のシンポジウムで石原慎太郎氏が語っていたことを思い出す。
「泥棒に狙われやすい町というのは住民同士が挨拶を交わさない町だ。対して泥棒に狙われにくい町というのは住民同士がきちんと挨拶を交わしている。
僕は思うんだけど、同じ日本人同士なんだからねぇ、何かこう…『どうしたの?』とか、気軽に話しかけることをしても良いと思う」
海岸通りで太陽に照らされ、眩く光る海面を見ながら思ったことは「やはりここは石原慎太郎が育った町である」ということだった―。
田舎だが、どこか開放的で言ってしまえば余所者を受け入れる土壌がある。しかし、逆に言えば、余所者に気軽に声をかけるということは警戒感を忘れていないということだ。東京など都会の場合、こうした地域性が失われたことが犯罪者が跋扈しやすい状況を生み出したと言えよう。
さて、我が国が外国人労働者導入に踏み切るに際し、中国のように犯罪者予備軍など不穏な連中ばかりを送り込んでくる国に対しては「いつでも戦争をする」という実行力が要求されるが、そうした強硬姿勢を常々示すのが石原氏だ―。
憲法改正の必要性を述べた石原氏に対し、社民党の福島瑞穂が「戦争をしているわけでもないのに…」と反論する。すかさず石原氏は「戦争は既に始まっている」と断じ、北朝鮮からのテロ工作(覚醒剤密輸)の事例を挙げた。
さように「強い国家」であることは移民政策を行なう上での前提条件とさえ言えるが、共産中国に加え、北朝鮮までが核保有を宣言した今日、周辺国との戦争は核武装さえ視野に入れねばなるまい。
国家の尊さと国防の重要性を説く時、石原氏が弄する過激なまでの言辞は多くの人を頷かせるが、我が国にそれを実行する力が現実のものとして備わらない以上、移民政策をはじめ諸々の国家理念や国家方針も所謂、絵空事に過ぎないのである。
以前、ある勉強会の席上で話が移民政策の議題になった折、国際政治学者の藤井厳喜氏に「石原氏の移民政策についてどう思うか」を問いただしてみた。藤井氏は即座に「反対です。石原氏は軽率な発言をした」と述べてくれたのだが、我が国の保守と称される層の識者が何を憚ってか、石原氏の移民発言に異を唱えないのか、慨嘆している。
然るに、ある種、諸刃の剣ともなりかねぬ石原氏の発言を支持するとともに時に厳しく批判することさえ厭わぬというのが我々『極右』が位置すべきところだと信じてやまない。これこそが国民の総意であると同時に、世論の畏怖心が最たる形で噴出したものであるということを―。
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2005年11月18日
右翼逮捕で思った革マル派の終焉
公安警察のデッチ上げを叫ぶのに、被害届(捜査協力)は矛盾ではないのか?
警視庁公安部は17日、<極左>の革共同・革マル派の車輌を破損させた疑いで、右翼団体員13人を逮捕した。(産経新聞)この事件は今年5月3日の憲法記念日に起きた。
先ずこの事件に対する革マル派の公式サイトに掲載されてある「改憲阻止を訴える全学連の行動に国家権力が仕組んだ襲撃を糾弾する」を見て頂きたい。
『5月3日、「憲法記念日」のこの日、有楽町マリオン前において、憲法改悪に反対する街頭情宣にとりくんでいたわが全学連と革共同革マル派の情宣隊にたいして、乱闘服で身を固めた反共右翼約20団体50〜60名が襲撃してきた。この襲撃事件は、警視庁公安部公安第二課、丸の内警察署、第一機動隊、反共右翼の四者が綿密に仕組んだ作戦にもとづいてひき起こした謀略的な破壊攻撃にほかならない。国家権力は、改憲の大濁流に抗して唯一改憲阻止の闘いを革命的に推進しているわが全学連と革共同革マル派にたいする憎悪をむきだしにし、右翼をファシスト突撃隊として、白昼公然と衆人環視のもとで改憲反対運動を破壊するという画歴史的な攻撃をうちおろしてきたのだ』
更に詳しく知りたい方はアドレスを紹介しよう。http://www.jrcl.org/
何故この問題を今回取り上げたかといえば、今回の事件が反体制<極左>の終焉を意味する出来事であったからだ。
この事件を革マルは右翼と公安警察が仕組んだ攻撃だと主張してきた。しかし、今回右翼団体員が逮捕されたのは、革マルが国家権力に被害届を提出したという事に他ならない。仮に被害届けは出さなかったにしても、捜査協力は絶対していると思もう、それ以外には考えにくいのだ。
確かに被害届を受けなくとも警察官が逮捕することはできる。しかし、このような場合は現行犯逮捕であり、警察官の目の前で事件が発生した場合、警察官は即座に逮捕することも可能だ。
この事件において、事件発生以来半年を経過してから、関係者が逮捕されたということは、革マル派が公安警察の調べに協力した結果として、逮捕状が執行されたと見るのが妥当だろう。
『わが全学連と革共同革マル派は、今回国家権力と右翼とが一体となって仕掛けてきた謀略的な破壊攻撃にたいして断固として反撃するものである』
この革マル派の言ってきた反撃の手段が、公安警察への被害届出があったなら、これほど笑える話は最近ではめったにお目にかかることなど出来ない。
革マル派のナンバー2と称されてきたダラ幹ことJR労組の松崎明は既に権力と一体となって、自らの保身に奔走している有様である。この松崎明に対して、死刑執行を宣言した同じく<極左>の中核派も内部崩壊の状況に襲われている。
今回の事件は戦後史における<極左>運動の終焉を象徴する事件として記憶に留めたい。
このブログでこの記事を取り上げるにあたって、私には忘れられない記憶がある。1975年11月26日から12月3日まで全国の公務員がストライキ権を求めてストに突入した。国鉄の国労と動労もストに参加したので全国で列車はストップした。利用者が怒って暴動一歩手前となり、労組も慌ててストライキを止めた。
この時、「鬼の動労」と言われたのが革マル派の松崎明動労委員長であった。山形県米沢市はこの動労の東北のストライキの拠点となった。当時私は23歳であったが、この米沢の動労の拠点に仲間と共に殴り込みをかけ私は逮捕された。
すぐ釈放されたが、略式起訴され罰金刑を受けて、前歴者リストに記載されてしまったのである。国家権力の転覆を叫ぶ<極左>はこの時は被害届を出さなかった。代わりに被害届を出したのは日本国鉄道であった。この当時の<極左>にはまだ反権力思想があった。
