2006年01月16日
靖国神社と大アジア主義
「靖国神社」問題は将来の国家路線に直結する!
昨日は『新左翼評論』が主催した「第一靖国問題徹底討論会」に参加した。一部は午後の二時から「〜靖国神社の歴史観〜侵略戦争は何だったのか〜」第二部は当日急遽変更となって、「国立追悼施設」で意見を述べ合った。
かなりの方が参加されたが、靖国では首相参拝に賛成する人達、国立追悼施設では反対する人達、ネット上では右派系と称される方の数が圧倒的に多く、主催した『新左翼評論』様には少々不満が残るものとなったのではないか。
ブログ名の『新左翼評論』ということで、右派系の方々はかなり意気込んで参加されたと思う。しかし、新左翼や極左は間違っても右派系の人とネット上で議論することはありえない。彼らは最初から議論がかみ合わないことを知っており、無視しているのがこれまでの通例である。
この首相の靖国参拝に反対し、国立追悼施設に賛成しているのは、何も左翼だけではない。公明党やその支持母体の創価学会もそうである。しかし、このカルト宗教団体が我々と議論するなどはこれまで一切なかった。彼らは上層部より「相手にするな」と言われており、反対派と議論するという考えなど及びもつかないのである。
新左翼しても創価にしても、右派系の主張など、端から相手にしていない。自分たちの主張だけを語り合って満足してきた。しかし、市民派とかリベラル派などと称される方々の中には、ネット上で右派系の人間と論争する姿を見受ける事が出来る。
第二部の国立追悼施設問題では、そのような方が孤軍奮闘なされていた。しかし、昨日の討論会は多勢に無勢となって『新左翼評論』様は質問攻めで大変だった。これに気を落とさず、またこのような機会を設けて欲しい。ご苦労様でした。
さて、靖国・アジア外交問題は将来の我が国に取って大切なことである。この問題をウヤムヤにしておくことは出来ない。米中の覇権を賭けたパワーゲームの狭間で、確実に日本はどちらを選択するかを迫られてくる。
勿論、どちらにも与せずに孤高の地位を守る道もあるにはある。しかし、これはかなりのいばらの道となろう。核武装を視野に入れながら、余程の外交手腕を発揮しなければ国家の消滅を意味しよう。
現在の靖国・アジア外交問題の根底には、「日中を軸にしたアジア体制」を目指すグループと「日米による世界の新秩序」を目指すグループの暗闘がある。この対立はこれまでの戦後の50年体制と言われた、あの左右の対立を超えるほどの力学を持って進行している。
最悪の場合、そのねじれた政治の構図は、外国からの介入という事態ともなる可能性も否定できない。共産革命の夢破れた日本の「反体制左翼」の新しい目標にも据えられている。彼らの反米感情はその裏返しとして安易な米国抜きのアジア主義構築へと向かう。
戦前の大東亜共栄圏・大アジア主義は伝統的な国粋右翼の専売特許でもあったが、米国との対決だけに歴史は動き、この夢もまた未完となっている。「反体制左翼」と「伝統的国粋右翼」が日中による「東亜の新体制」で手を握る可能性も否定できない。
この政治的・思想的野合にくさびを打つものと言えば、それは「靖国神社」であることには誰も異論がないだろう。故に我々《極右》はこれを最大の戦いのシンボルとして掲げるものである。
仮に日本の為政者どもが「アジア主義」につながる路線を選択して、中国との関係を重視し強権を発動するなら、我々《極右》は国民大衆と共に決起する。その時、反撃の最後の砦となるのが「靖国神社」である。故に我々はここを死守する決意である。
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2006年01月15日
A級戦犯批判は米・中の共同謀議
なぜ、A級戦犯批判は突然開始されたのか?その背景を探る!
靖国神社にA級戦犯と左翼や偏向マスコミが呼ぶ方々が合祀されたのは1978年(昭和53年)のことであった。それから中曽根総理の1985年(昭和60年)まで歴代の総理(福田、大平、鈴木)は靖国神社に参拝を続けた。
吉田内閣から田中内閣までは何の問題もなかった。ただ三木総理が私的参拝と称したので、天皇陛下は公私の区別が出来ないということでその後参拝を避けるようになった。それから福田内閣の時にA級戦犯合祀が行なわれたわけだが、福田・大平・鈴木と外国からはクレームは一切なかった。
戦後総決算を掲げた中曽根総理は堂々と昭和60年8月15日の靖国参拝を公言し実際に参拝した。ところが、この時初めて中共からA級戦犯合祀に対する批判があって、翌年には公式参拝を断念してしまった。
昭和61年11月1日に私が主宰している「世界戦略研究所」発行の機関紙「世界戦略」は当時このように伝えていた。
「敗戦国家日本の“戦後総決算”に失敗した中曽根政権」
「米国・中共・韓国の内政干渉に屈した国辱外交」
ここで注目して頂きたいのは中共・韓国より前に米国が記されている点である。
ご存知のように米国のレーガン大統領とはロン・ヤスと呼び合うほどの仲の良さをアピールしていた。しかし、その内実はかなり複雑であった。当時日本経済は上り調子、それに比べて米国は旧ソ連との軍拡競争に疲れ果てていた。
確かに米ソは戦勝国で世界を分割統治して支配していたが、経済的には西ドイツと日本に追い抜かれようとしていたのである。冷戦の崩壊は米ソを裏で操るユダヤ金融資本の陰謀であったとする国際謀略本が書店に溢れていた頃でもある。西ドイツには東ドイツの併合で、日本にはバブル崩壊で、国力の低下を迫るというシナリオが裏で画策されていたという陰謀・謀略情報も乱れ飛んでいた頃である。
さて、当時の記事を紹介することにしよう。当時の世界情勢は旧ソ連に対して、米国と中共はある意味同盟関係にあったことを留意して欲しい。
「今回の靖国神社のA級戦犯合祀問題は中共から文句を付けられたことになっているが、それを裏でけしかけたのは米国である。米国はかねてから日本国内にナショナリズムが高揚することをニガニガしく思ってきた。実はこの動きは昨年秋に遡る。中曽根総理は昨年『靖国神社』を公式に参拝したが、その直前の8月6日、40回目を迎えた広島の原爆投下における平和祈念式典に参加、核兵器の廃絶を世界に向けて訴えた。
しかし、これは米国を刺激するものだった。これを聞いたレーガン大統領は前日の5日、わざわざ異例の記者会見を開き、原爆投下について『人類史上最大の戦争を終らせるために使用された』と肯定的な発言をした。
この一連の動きはこれまでの両者の関係を考えれば驚きの感を出ないが、とにもかくも中曽根総理の行動が米国を苛立たせたことは事実であった。
そして、中曽根総理はレーガン大統領に対して秋の国連総会に主席して『敵国条例』の撤廃表明の意向があることを明らかにした。外務省は既に演説の草案まで検討していたのである。
そこに突然ふって沸いたように起きたのが、中共からの『軍国主義復活論』であった。彼ら戦勝国の狙いはハッキリしていた。『余り調子にのると敵国条項を発動するぞ!』という脅し意外何ものでもなかった。
慌てた中曽根総理はレーガン大統領とこの事態を収拾するには、無念ではあるが『靖国参拝中止』を約束する他に手立てはなかった。今年の総選挙で歴史的圧勝を収めた中曽根首相が『近隣諸国への外交的配慮から…』と見送ったのはレーガン大統領との裏取引した背景があった為にどうにもならなかったのである」
この記事の後にはこの動向を見たゴルバチョフが日米中の経済同盟にくさびを打ち込もうとして、微笑戦術に転換して北方領土の墓参団の再開や自らの訪日を決めた。あるいは中曽根総理が米国の『知的水準』失言は内心米国に快く思っていない証左だ…などの記事が書いてある。
この記事の正しさは今でも確信をもっている。
当時外務省関係者からも内密に情報を得ていた。『敵国条項』撤廃発言で米国・中共からの圧力に屈して、その事態収拾のために「靖国公式参拝」を諦めざるを得なかった。
その時々の冷徹な国際政治の中で、日本の政策は変化を余儀なくされてきた。我々はこの事を努々(ゆめゆめ)忘れてはいけないのである。外務省OBの岡崎久彦先生(平成4年退官)は、2005年2月6日の読売新聞朝刊「地球を読む」の中で興味深い記事を残している。
「中曽根内閣の初めの二回の参拝の時は何も問題にしていない。問題として出したのは、戦後の総決算を標榜した1985年の中曽根総理の参拝以降である」 (ニュースソース)
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2006年01月14日
愛が溢れる靖国神社・討論会を前に決意を述べる!

靖国神社には人間愛が溢れている!
両親、妻、子供を愛し、そして故郷の友を愛し、
戦友を愛し、国家を愛して戦った人々の思いが
伝わる。「靖国討論会」に参加するに当たり、その
ことを肝に銘じて真摯な気持ちで臨みたい。
小泉首相の靖国参拝に反対している加藤紘一氏は、昨年、靖国神社の境内にある旧軍の資料を展示した「遊就館」を2時間にわたって見学した。靖国問題を「勉強する」のが目的といい参拝はしなかった。
加藤氏はこの後、「遊就館」はどう見ても軍国主義を賛美するものであり、靖国参拝は問題があるとテレビで発言し続けた。共産中国もこれに呼応するように同様な主張を繰り広げている。
一体、加藤紘一氏は何を見たのであろうか、人間魚雷艇やゼロ戦でも見てそのように思ったのかもしれない。しかし、目に映ったのがそれだけだとしたら、何と感受性に欠けた冷血漢であろうか。
靖国の御霊を何故肌で感じ、その霊魂と心を通ずることが出来なかったのだろうか。
先に大戦で亡くなられた方々の最後の手紙が遺稿集としてあるが、それには目が止まらなかったのか。読んでみようとも思わなかったのか。2時間も何を見て過ごしていたのだろうか?
妻子への遺書
陸軍兵長 鈴木泰治 昭和19年7月18日 マリアナ方面にて戦死 愛知県出身・26歳
《妻への便り》
元気で居る、おばあさんの面倒をよく見てやってくれ。今までよくやってくれた。お礼をいう。体に気を付けてぼつ〜仕事をしていてくれ、正恭さんも一緒に行く事になっている。二日目に出会った。何時になるか分からない。面会も出来ないかもしれない。では左様なら。
《我が子への遺書》
お国の為、また、お前達を守る為に、父は戦争に行く、勿論生きて帰るとは思わない。父無きとて、必ず素直に、そして丈夫に、大きく成って鈴木の家を継いでくれ。そして、一人の母は、お前を育てる為に、長い間、大変苦労していたのだ。十分孝行してくれ。
昭和19年5月2日 父 泰治
私がこれまで靖国神社を参拝していつも思ってきたことは、この人間の愛である。先ず私たちはこの世に生を受けた時、父と母の愛を受ける。そして大人になると同時に従い、その愛は隣人、友人、そして自分の生活する社会・国家へと移り変わっていく。
しかし、その根底にあるのは家族愛である。国家とはその家族の集合体であり、だからこそ家族愛は祖国愛に通じ、家族に報恩することは国家に報国する道となる。
自らの国を愛することは人として当然の道である。愛国心の喪失は国家にとっては憂いることであり、愛国心なき国家は滅びる。
愛というのは人間であれば誰でもが持っており、それは対象となるものに惜しみなく捧げられるものである。対象となりえるものは先ずは身の回りのもの、例えば家族や隣人、そしてそれはしだいに高次元なもの、つまりは民族愛・祖国愛にまで昇華して到達する。
つまり、愛というものは人間にとって最も尊い行為となる。私は明日『新左翼評論』が開催する「靖国討論会」に出るにあたり、この気持ちを大切にして臨むつもりです。
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