2006年02月22日
山崎・朝日の売国提携
靖国と日本の歴史に挑戦する
「国立追悼施設を考える会」
【国立追悼施設議連】 講師に若宮論説主幹
超党派の国会議員による「国立追悼施設を考える会」は21日、朝日新聞社の若宮啓文論説主幹を講師に招き勉強会を開いた。若宮主幹は朝日新聞の世論調査では追悼施設建設への賛成が反対の倍近くなっている。一方、小泉首相の靖国神社参拝には賛否が分かれていることに触れ、「首相は『施設にはまだ国民の理解が得られていない』と言うが、参拝の方が理解されていない」と述べた。若宮主幹はさらにシンガポールのゴー・チョクトン上級相、台湾の馬英九(マー・インチュウ)国民党主席が参拝に批判していることに触れ、「アジアで反対しているのは決して中国と韓国だけではない」と指摘した。
今朝の朝日新聞の4面下に小さく何故か遠慮がちに書かれた記事だ。本音としたら一面でやりたかっただろう。
「国立追悼施設を考える会」は反小泉首相に舵を切った山崎拓元副総裁が、小泉後の政局の主導権を握ろうとして、公明党や自民党内の親中・媚中派を結集して設立したものだ。
反日・侮日新聞社の頭目でもある、その朝日新聞社の論説委員を招いての勉強会とは恐れ入った。これで「国立追悼施設を考える会」の性格がはっきり国民の前に示されたと言えるのではないか。
朝日新聞社などの言論は戦後一貫して社会主義・共産主義を賛美するもので、旧ソ連や中共、北朝鮮などの独裁国家を理想の国家と崇めてきた。その意味では「マルクス・レーニン教」という擬似宗教の絶対的信者でもあった。
このような朝日新聞社と連携してまで政局の主導権を握り、その政治的野望を果たそうとする、これら山崎拓と公明党らの輩には、これまで以上の強い国民の監視の目が必要となってきた。
<追悼施設>議連、通常国会終了時をめどに中間報告
自民、民主、公明3党による議員連盟「国立追悼施設を考える会」が21日、国会内で会合を開き、6月の通常国会終了時をめどに施設建設に関する中間報告をまとめる方針を確認した。終了後、山崎氏は記者団に「これまでの講師のほとんどが靖国神社のあり方に疑問を持ち、追悼施設建設を是としている」と語った。 (毎日新聞) - 2月21日20時40分更新
靖国神社に反対しているような人物ばかりに話をさせておいて「これまでの講師のほとんどが靖国神社のあり方に疑問を持ち、追悼施設建設を是としている」とは、全く国民を小馬鹿にした発言である。
もう、このような輩には何も言うまい。我々はこのような売国的策動については世論に訴えながら、これを阻止するために共に協力して立ち上がろう。
「靖じて君国に献ずる精神」を我々は引き継がねばならない。先の戦争で祖国のために尊い生命を国家に捧げた兵士は、階級やその上下に関係なく全て「忠君愛国」の四文字を胸に刻み散っていったのである。
死―、これを好んで欲するものなど、いかなる時代においてもいなかったであろう。しかしながら、自分の死によって自分の本分(己の尽くすべき義務)が完全に果たし終えるものなら、死地に飛び込んでゆく。半世紀前の日本人には、そのような勇気を持った若者達が溢れていたのです。それは本当に日本人として素晴らしい姿ではありませんか?何時如何なるを問わず、笑ってその死地に奔つて顧みることがなかった勇敢さに、私たちは胸を打たれるのです。
それから60年後の今日、これほどの国賊や売国奴どもが英霊を罵倒し続け、共産主義者らの言いなりとなって、英霊を辱め国家を貶めようとばかりする。中韓などは「首相の靖国参拝は戦争を美化する」と反対するが、それは言い掛かりであり内政干渉である。
小泉首相は繰り返し戦争への反省と不戦の誓いをしてきた。それを諸外国からの圧力によって靖国神社を蔑ろにする「国立追悼施設建設計画」など、明らかな日本の歴史に対する冒涜以外何ものでもない。
今朝は書くことが多すぎたので迷いましたが、この問題を取り上げました。理由は一番心が傷つけられたからです。
竹島の日、二階経産相の訪中、政調会長訪中に中国反発、国連改革で日独・米連携強化。いずれもが重要な案件なので午後からまた投稿します。
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2006年02月21日
大陸に夢を見た若武者たち

「反中国講座」��
今回は満州の野を駈けた日本人について述べて見たい。
大正14年日本で発売されていた『日本少年』という雑誌に「馬賊の唄」という小説が連載されていた。支那大陸は当時の日本の若者にとっては夢の大陸でもあった。支那の広大な大陸に渡った主人公「山内日出男」少年が白馬に跨って悪を懲らしめ大陸を疾駆する熱血冒険小説である。
このような小説が大いに若者の心を捉えたのは、当時の国力膨張期における日本人一般のメンタリティーの顕現でもあった。馬賊の唄には有名な「海のかなたにゃ支那がある〜♪」一節がある。これを以ってして、当時の日本が支那大陸に攻め込むつもりだったと早とちりしないで欲しい。これはあくまでも冒険小説の中での話である。
しかし、このような小説に憧れ多くの日本の若者が満州の地に渡った。そして彼らの中には満州で群雄割拠していた馬賊の頭領にまで登りつめた人がいたのである。また、このように満州に渡った多くの日本人は“満州浪人”と呼ばれ、現地の人達に溶け込みリーダー的な存在となった。
もし現在、共産中国が言っているように、侵略者の手先として満州に渡っていたなら、彼らがそれだけの地位に就き尊敬を集めることなどなかったはずだ。数奇な運命を生きた彼らについて見ていくことにしよう。
では、そもそも馬賊とは何であったのか?ネットのフリー百科から取り出して見る。
馬賊(ばぞく)とは、騎馬の機動力を生かして荒しまわる賊。 清末から満州国期に中国東北部(満州周辺)で活動していた、いわゆる満州馬賊が有名。
馬賊というと「盗賊団」的なイメージが強いが、元々は自衛組織(土匪・匪賊)の中の遊撃隊的な組織であった。 というのも、当時の満州では清朝の衰退によって治安が悪化しており、盗賊がはびこっていた。 これに対抗するため民衆は自衛組織を作り、盗賊に対抗していたのである。 但し、満州内の混乱が進むにつれ、力を持った馬賊が本来の「自衛」を越えて盗賊的な行為も行なう場合があった。
馬賊の頭目にまでなった日本人の中でも伊達順之助、小日向白朗、薄益三の三名は特に有名である。伊達順之助は伝説で語られるほどの活躍を見せた。日本での出自はあの「独眼流」伊達政宗公の子孫というから物語としては最高である。馬賊の頭領となり後は関東軍に協力して敗戦の日に国民党政府工作員に捕まり銃殺されている。
小日向白朗は16歳で単身支那に渡り、陸軍密偵として蒙古潜入中に馬賊に捕われたが、才気と度胸で満州馬賊を束ねる大頭目にのし上がり、満州民衆の伝説的ヒーローになったという。小日向白朗は抗日運動に参加した馬賊に協力した。日本敗戦の日に逮捕されたが後釈放され北京で余生を送ったとされる。
薄益三も満蒙独立を掲げる馬賊や志士らを組織して、独立義勇軍を決起させるが、日本軍はこれを無視して彼は憲兵隊に捕まり国外退去となる。しかし日本で収監されるが、また満州に渡った。これら三名以外にも頭角を現わした人物はたくさんいるが、根本豪もその一人である。国民党軍に対抗して馬賊を組織して暴れまくった。
彼らの所属した馬賊とは統制の取れた戦闘集団で、一つの組織には少なくとも2000人以上がいたとされている。彼らは日本人でありながら中国名を名乗り、支那の土地に自らの骨を埋めようと決意した者達であった。彼らは満州の人達から「兄弟」と呼ばれていた。
このように馬賊に身を投じた日本人を日本軍の手先とする論がまかり通ってきたが、それは間違いである。彼らは軍部の手先などではなく、ただ夢と浪漫を求めて満州に渡ったのである。日本軍と蒋介石軍との戦争に巻き込まれ、ある者は皇軍に協力する道を選び、またある者は日本人でありながら自分の夢に投じたのである。
馬賊は日本の敗戦とそれに続く中華人民共和国の成立とともに終焉を遂げた。明治以来、青少年の血を湧かせた馬賊も、過去を舞台にした小説は別として、最早、青少年の血を沸かすことはない。しかし、我々は彼らが「侵略」的な意思を持ち合わせていなかった事実だけは確認しておきたい。
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外国人犯罪シンジケートを叩き潰せ!
盗難車輸出、パキスタン人逮捕
=5都県で被害16億円−埼玉県警
盗難車と知りながら輸出目的で買い取ったとして、埼玉県警捜査3課などは20日、盗品等有償譲り受け容疑で同県春日部市小渕、パキスタン国籍の中古車輸出業アシュファーク・アハマド容疑者(47)を逮捕、自宅などを家宅捜索した。同容疑者は車を解体し、横浜港から主に東南アジアに輸出していたとみられる。
県警の調べで、既に窃盗容疑で逮捕された日本人2人が2002年6月から昨年6月にかけ埼玉、群馬、千葉、栃木、東京の1都4県で自動車1029台(16億7700万円相当)の窃盗にかかわっていたことが分かった。
(時事通信) - 2月20日14時0分
今朝はこの事件から取り上げてみることにしたい。何故なら、このパキスタン人達の犯罪シンジケートについては、我々《極右》はもう十年ほど前からこの問題に取り組んで来たからです。埼玉県内にパキスタン人が目立ち始めたのは十年ほど前でした。丁度イラン人追放運動が山場を越え、代々木公園や上野公園から姿を消した頃でした。
我々は当時は『外国人犯罪対策本部』という名称でネット上でも、外国人による日本人被害者や迷惑を受けて困っている日本人達の相談を無料で受けておりました。現在その活動はNPO団体『外国人犯罪追放運動』に引き継がれております。
我々に相談してきたのは、埼玉県春日部市内の住民からでした。
「近所のアパートにイスラムの礼拝所が出来て、夜になるとたくさんのイスラム系の人達が礼拝に現れ迷惑している、何とかなりませんか?」というものだった。
このような宗教がらみの相談は先ず役所は受けない。最初から及び腰で話を真剣に聞くことなどしない。
我々は先ず実態調査に向かった。イスラムの礼拝所と聞いたので立派なモスクをイメージして行ったが、そこは閑静な住宅街のアパートであった。このアパートは以前は日本人が住んでいたが、イスラム系の人達が一人住み、二人住むようになって、最後には日本人は一人もいなくなってしまったと近所の人達から聞いた。
確かに夕方からスカーフを頭から被った女性や、毛むくじゃらの顔をしたイスラム系の人達がやってきて、そのアパートの一室からコーランを朗読するような唸り声が聞こえてきた。周りに住む人達にとっては耐え切れない騒音である。
我々は彼らに直接どこの国からやってきたのか、それを問い質した。彼らはパキスタン人であると答えたが、何せ余り言葉も通じないので会話にはならない。我々は役所に行き、本来、生活の場としてあるはずの住居の一部が宗教施設として使用されていることを告げ、何らかの措置を早急に取るように要請した。
実は我々は埼玉県内においては常に百人規模を動員する力を保持していた。『国家社会主義者同盟』という組織が初めて誕生したのも埼玉県であり、その母体となったのは部落解放同盟系の建設協同組合に虐められてきた地元の建設業者が集まって結成した新埼玉県建設業協同組合であった。
我々は配下の組合員から情報を収集し独自の調査によって、そのパキスタン人は数百名に上り、ほとんどが中古車解体業に従事していることを掴んだ。そして「パキスタン人の背後には日本の暴力団がいるよ」と忠告も受けたのである。
彼らは自動車解体業の看板を出しながら、実は裏では盗難車の売買という犯罪を行なっていたのである。そして、それは次第に拡大し裏ビジネスのネットワークは全国に広がり、この埼玉県が拠点となっていた。
彼らの手に渡った盗難車は夜の内に富山県へと運ばれて行き、2001年に富山県でパキスタン人と地元右翼団体が衝突して機動隊が出動する大騒動が持ち上がった。この背景にはパキスタン人が営業する中古車販売店が急増したことが挙げられる。全国のパキスタン人が集結、一触即発の状態となった。
当時の状況を記録していたものがあるのでお伝えしよう。『2ちゃんねる』掲示板に投稿されたものである。
富山県のイスラム信者が騒動を起し始めましたね。
自分たちの権利、自分たちの国の文化を主張する前に、ここは「日本」なので、日本の法律を尊守して欲し いものです。
全国の信者たちが集結した「小杉警察署」は、多くのイスラム系外国人が経営する中古自動車販売店がある地域の、所轄署です。この中古車販売店が増加してから、これらの店が建ち並ぶ、国道8号線「富山市西 本郷−下村白石−新湊」での追突事故が増加しています。原因は、中古車販売店に車を運び込むキャリアカー(自動車運搬車)の違法駐車です。最近では、死亡事故も発生しています。小杉警察者では何年も前に、これら販売店の経営者を、小杉警察者に集め、この違法行為をやめるように要請し、また違反した場合 には即刻取り締まると言い渡しました。しかし、何の改善も見られません。
今回の事件の発端は、このキャリアカーが国道に違法駐車し、そのせいで右翼政策団体の街宣車が通行できずにもめ、それが徐々に大きな騒動になっていったものだと聞いています。つまり、イスラム系の経営者が、日本の法律を守り、小杉警察者の違法駐車禁止の要請を守っていれば起きない事件だったはずです。私もよく、国道を使いますが、事件のあった白石の中古車店前には、しょっちゅう大型のキャリアカーが駐車しています。なんども危険な目にあいました。
どうぞ、自分たちの権利・文化・自分の国の法律主張する前に、ここ、日本の法律を守ってください。でなければ、また、同じ事件がどこかで起きますよ。
当時の私の投稿文もあるので掲載します。
「391 名前: 瀬戸弘幸 投稿日: 2001/05/28(月) 06:50 ID:XuqDmUTs
富山県でパキスタン人などのイスラム教徒が数百人結集して気勢をあげたという報道は、その原因がどのようなものであったにせよ、ついに我が国にもそのような事が現実に起きたという点で、極めて注目すべき事件ではないだろうか。ヨーロッパではキリスト教社会になだれ込んだイスラム教徒との間における軋轢は、宗教戦争、民族紛争などの様相を呈しながら“新たなる内乱”の時代を想起させるまでになっている。
昨今の日本においても『石原都知事やめろ!ネットワーク』のデモ行進に、明らかにイスラム教徒と思われる一団が参加しており、遠からず彼等だけの大規模な行動が起きることを予感させていた。
サルマン・ラシディー原作の『悪魔の詩』を翻訳した、五十嵐一筑波大教授が惨殺された事件を我々は忘れてはいけない。
そこには一神教の世界における“憎悪”の哲学の根深さを垣間見せ、無宗教の民と自他ともに認めてきた我々日本人も、もう蚊帳の外では有り得ないという現実に直面したのである。
急増を続ける外国人、とりわけ不法滞在者が公式でも30万人を越すという日本社会において、犯罪だけでなくこのような宗教問題も複雑な影を落とし始めてきた事に震撼する思いである」
ここに運ばれた盗難車は一旦はこのようなパキスタン人が経営する中古車店に隠され、そこからロシア船でロシアに運ばれ、そこから東南アジアや中央アジア方面に密輸される。
「密輸に関しては、華僑とパキスタン人が大きな役割を果たしている。
富山港でもロシア人向けの怪しげな中古車屋を経営していたのはパキスタン人だったし、盗難車を購入したとして逮捕されることが多いのもパキスタン人だ。
パキスタン人は伝統的に中古車貿易に強いらしく、シンガポールから西は彼らのネット ワークが強力だ。シャージャでも主役はパキスタン人だという。 しかし、東南アジアに関しては圧倒的に華僑のネットワークが強い。 東南アジアのどこに行っても、各国の経済を牛耳っているのは華僑だ」
↑上記は当時の専門家の声だった。
今回の事件で彼らの犯罪シンジケートが一網打尽とは行かないだろう。既に彼らは日本の社会に深く食い込んでしまっているからだ。イラン人は薬物犯罪のプロ集団として日本社会に浸透した。このような不良外国人問題は日本の将来に深い影を落としている。
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