2006年03月06日

戦術と戦略の違いも分からない東京新聞記者

5bda4378.jpeg

朝鮮半島の統一と大国の思惑を見抜く!

それこそが「戦略外交」というものだよ、東京新聞さん!

 昨日紹介した「東京新聞社」の論説室に掲載された小林一博記者の稚拙な文章に対する批判を多くの方から頂き、篤く感謝申し上げます。

 今朝はこの文章に対する本格的批判から始めたいと思います。この文章は「10年先を見据えて」というタイトルで、日本の外交戦略が問われているかも知れないと書き始める。

 しかし、その内容はただ隣国と仲良くすべきだという一方的な文章である。確かに短く文字数の制限があったのかも知れないが、これでは冷徹な国際情勢を見通す眼力もなければ、戦略的な思考の欠片も感じられない。

 お隣の国だから恩を売っておけば、必ず感謝されるからそうすべきだ。このような論法は二国間にしか通用しない戦術論でしかなく、およそ戦略的な意見とは思えない。

 どうもこの記者は<戦術>と<戦略>の何たるかさえも理解していないようだ。戦術と戦略の違いは軍事的によく用いられる用語である。所謂「戦術核兵器」とか「戦略核兵器」である。

 この場合の戦略とは全地球規模で眺めた場合の安全保障や軍事力の展開、あるいは計画・構想などを指す。戦術とは個々の戦場での限られた軍事目標に対する行動を指す。

 軍事ではなく外交や経済における両者の違いは、およそこの軍事で使われる場合と大差がない。二国間や話題を限定した場合、これを戦略というのは荷が重過ぎるだろう。

 戦略とは大局的見地に立って策定する統合的・全体的な計画や手段である。一方、戦術は対症療法的で部分的・実戦的な計画や手段である。こう見てくると小林記者の「日本の外交上の戦略」などの書き出しが、いかに大袈裟なものかが理解できよう。

 そのように見てきた場合、日本は戦略的思考に立てばどのような提案が可能なのか?その前にどのように10年後の朝鮮半島を予想するかであろう。朝鮮半島の問題は分断国家統一へのプロセスがどうなるかに絞られてくる。

 それにはいくら朝鮮民族が主体的になそうとしても、周辺大国がこれを傍観するはずはない。その点を見間違えると大変なことになる。朝鮮半島はその地政学上の重要性から大国の思惑に翻弄されてきた。

 今日の分断国家の悲劇もそこに由来する。誕生の経緯もそうだが、冷戦崩壊後の世界で、東欧社会主義国家が次々に崩壊する中でも、北朝鮮が生き延びてこられたのは、米露中の三大国の利害が一致したからである。

 本来のシナリオは北朝鮮内部で民主化運動が起き、それをサポートしながら、金日成親子を「チャウシェスク」にしてしまえば、何のことはなかった。しかし、その流れを止めたのが、当時の米露中の思惑だったのである。

 この当時の思惑はまだ消滅していないからこそ、史上最悪な国家は今なお生き延びている。いや、生かされていると言っても過言ではない。統一朝鮮を警戒するのは中露共通の認識だし、米国も既得権益を簡単には捨てられない。

 韓国の国連事務総長立候補は、このような複雑な情勢の中で、彼らが挙げて見せたアドバルーンである。彼らは大国の動きを探る一つとして様子を伺ったに過ぎないのだ。

 おめでたいのは東京新聞社のこの小林記者であろう。何も分からずに知ったかぶりして、たかが一回だけソウルで会見して何が分かったのか。今の新聞記者の知的レベルが分かっただけ、収穫はあったと言うべきかも知れない。

ブログランキング参加   ←応援クリックお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 08:08 │ mixiチェック │偏向報道・反日マスコミ 

2006年03月05日

韓国の手先・東京新聞社

362f5380.jpeg

東京新聞・論説室からの提言

皆さん、東京新聞社のこの言説「10年先を見据えて」には、もう呆れ果てて言葉もありません。しかし、そうとばかりは言ってはおれないので、皆さんと一緒にこの「東京新聞社」の言説とやらを考えて見ることにしましょう。

10年先を見据えて

 日本の外交戦略が問われている、といっていいかもしれない。

 韓国の潘基文・外交通商相が国連事務総長に立候補宣言をした問題についてである。

 ちょうど日本記者クラブ取材団の一員としてソウルに滞在中、折よく潘氏と会見した。「日韓は未来志向で進むべき関係だ。日本が前向きに検討してくれると期待する」と支持を求めた。

 これに対して、日本政府は「次期総長はアジアから選出されるべきだ」と原則論を言うだけで、潘氏については言及を避けている。

 昨年、日本は国連改革の一環として安保理常任理事国入りを表明したが、失敗に終わった。小泉首相の靖国参拝など歴史認識の食い違いが背景となって、韓国や中国が反対を表明したことが一因になっている。

 政府や与党内は、これがわだかまりになってすっきり潘氏支持とはいかないようだ。しかし、これで反対というなら子供のケンカの類である。

 アジアの時代が始まり、中国の台頭が著しい。日本がアジアの中でいかなる地位を占めるか、国連外交をどう展開するか。政府は戦略的に十年、二十年先を考える必要がある。

 隣の韓国との関係がぎくしゃくしたまま、他の国々の信頼を得ることはできない。ここで潘氏を支持することは、日韓関係修復のきっかけになるとともに、国際外交の幅を広げることに繋がるのではないか。

 「首脳同士がだめでも韓日の交流は揺るがない」。韓国の元外交官の現状分析だ。情けないが、いまの両首脳はどっちもどっち。次を狙う政治家には広く世界をみて、潘氏支持の積極的な検討を期待したい。(小林一博)

 東京新聞は韓国大統領の「3・1独立運動」式典での激しい日本批判について、どのように考えているのだろうか。まさか全面的に支持しているとでも言うのだろうか。

 民族の誇りにかけて、今、我々が何を為すべきかは自ずと明らかである。アジア諸国との交流は是としても、しかし、そこには日本民族としての誇りを捨ててまで卑屈になる必要など全くない。

この韓国外相国連事務総長出馬表明は下のブログでご覧下さい。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50559245.html

 

皆さん方の怒りのコメントをお待ち申し上げます。

ブログランキング   支援クリックお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 18:07 │ mixiチェック │偏向報道・反日マスコミ 

2006年03月04日

蘆溝橋事件は中ソ共同の策謀?��

3cc610ba.jpg

「反中国歴史講座」 ��

蘆溝橋事件は中ソ共同の策謀?��

 1937年(昭和12年)7月7日七夕の蘆溝橋事件は、日本側からの発砲とされてきたが、これは明らかに嘘である。当時日本側は戦争の拡大など望んではおらず、日本側から仕掛ける必要性は全くなかった。

 にもかかわらず、この事件を我が国の教科書は「蘆溝橋での�狷�本側からの一発�瓩�ら戦闘は拡大の一途に向った」などと、日本側から仕掛けられたものであると記述してきた。

 今日、最初の発砲は劉少奇・中国共産党北方局主任の差し金であったと云われている。この発砲事件はすぐに停戦交渉が行われた。これを見ても日本軍が戦線を拡大する考えがなかったことは明らかだ。

 劉少奇は停戦交渉中に電信などで「即時抗戦」を強訴し、現地では精華大学の共産主義学生を主体とする抗日過激分子が激しく策動していたのは、あまりにも有名な話である。

 中国共産党は1932年(昭和7年)早くも「北上抗日」を宣言、1934年(昭和9年)10月、その根拠地であった江西省瑞金を脱して、あの有名な「長征」を挙行、支那西北部の延安に向った。

【長征】フリー百科より

国民政府は、1930年代、「中華ソビエト解放区」と称する支配地域を各地に築いていた共産党に対し攻勢を強め、「囲剿(=悪者を囲み滅ぼすの意)」と称する包囲殲滅線を各地で展開した。当時共産党の最大勢力圏は江西省瑞金を中心にした山岳地帯根拠地であった。民族資本や外国資本の集まる大都市や半植民地化された沿岸部からは遠くはなれた地域であったため、中華ソビエト地区を発展させるには農業の発展が不可避であり、半農半兵という状態であった。 当時共産党正規軍は中国工農紅軍第一軍と呼ばれており、瑞金政府管理下の正規軍は約十万、民兵を含めても十五万に満たない兵力であったという。

 この「長征」は国民政府軍の追討を避ける為だが、もう一つの目的は抗日戦争への拠点確保であった。北支、内蒙へ進出して満州の側背を脅威し、日本軍の対ソ防衛を妨げようとしたのであった。

 注目すべきは、当時の中国共産党はモスクワを総司令部とするコミュンテルンの一機関に過ぎず、事実上ソ連の手先だったことである。この点は今後の満州事変、支那事変を見ていく上で重要なポイントとなってくる。

我々《極右》は中国侵略とは考えておらず、共産主義者との死闘であったと考えるからだ。

ブログランキング    ←応援クリックよろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 21:19 │ mixiチェック │反中国講座