2006年06月13日
日本変革への願い(明日より開始)
日本変革への願い 第一章
昨年は戦後60年という節目の年だった―。私はこれまで常に<戦後>という言葉の呪縛から解放されずに、戦後40年、戦後50年、そして昨年は戦後60年と記してきた。
しかし、もうこの戦後という言葉の呪縛から解放され、新しい日本を創造する戦いを皆様方と始めたいと心に誓った。よって今年は変革元年の記念すべき年である。
では、どのように日本を変革して行くべきなのか?多くの識者のご意見を拝聴しながら、それは進めて行かねばならないだろう。私は政治家ではないが、政治活動を志してきた在野の一人の人間として、『日本国家』の在りようについて論じさせて頂きたい。
国家には主権があるが、その主権をどれだけの国民が意識しているか、対してそこに住む国民の人権などというものが、これまで一人歩きを始めてしまった。時に人権は国家という枠をはみ出して動き回っている。
このことに対して、それを危険な兆候と警鐘を鳴らす存在は皆無に等しい。人権という美辞麗句の前に全てが平伏しているようだ。特に一部の少数派が人権意識に過剰なまでに目覚め、それを主張している。
それに対して多数派は沈黙を強いられてはいないか?多数派とは悪ではない。それを常に少数派を虐げるような存在としてしか、見ようとしないマスコミや人権派団体にこそ問題があるのではないか。
今、日本は「変わり始めている―」と誰もが感じているはずだ。立場の違いによって、ある人は「悪い方向に変わりつつある」と感じ、またある人は「良い方向に変わりつつある」と感じているはずだ。
この分岐点となるものが、思想(イデオロギー)であり、そこからの発露としての愛国心であり憂国の心情ではないか。故に思想を間違えば、その国を思う気持ちも全く逆なものになってしまう。
左翼も国を愛していると言い、自分達は愛国者であると主張する。しかし、彼らが学んだ左翼思想(マルクス主義)の何処に、「国家」に対する愛が記述されていると言うのか?
左翼思想の根本には、自分たちの目指す共産主義の理想社会とは、それは最終的に国家の消滅を謳っていた。地球上に初めて誕生した共産主義国家であったソビエトは正式な国家名ではなくロシア語で「共同」を意味していた。
現在の共産中国もそうだ、中国には国軍は存在しない。あるのは中国共産党の支配下にある人民解放軍である。国家とは形だけで軍隊などは国家には持たせない―、それが左翼共産主義である。
左翼は自分達も愛国心を主張するなら、それはマルクス理論とはもはや無縁な存在であることを宣言してからにして欲しい。愛国心とは国を愛する心である。その国=国家を否定するイデオロギーから、どのような愛国心が生まれるのか?
正直言ってそれを論理的に説明できる左翼人はいないだろう。国家否定の上に立つ思想において、愛国心を論ずるなど有り得ないことなのだ。国家の象徴の一つが国旗であり国歌である。だから左翼は長年それらに反対し続けて来たのである。
国家の基本をなすものは大きく分ければ4つに大別される。政治・経済・外交・軍事である。これまでの戦後社会においては政治は「民主主義=民主化」、経済では「資本主義=成長神話」、外交では「謝罪と補償」、軍事においては「非武装中立」などの言葉によって表わされてきた。
これがどのように変化をしてきたのか、それを各項目に分けて論じて行きたいと思います。これは私の一方的な論説ではなく、このブログを見ておられる多くの方に、私の方から問題を提起、それを皆さんと討議しながら進めて参りたいと思います。
明日の第一章の(1)は政治問題とさせて頂きます
政治は確かに小泉首相によって変わりました。しかし、ポスト小泉の行方によっては、せっかく変革への兆しが見えたこの政治が頓挫して、またもや派閥次元や党利党略によって決定されて行く沈滞した政治へと逆戻りしかねません。
日本の政党政治は何時の日か終焉を迎える日がやってくるかも知れません。しかし、現実の日本の政治は各政党によって動いており、我々もこれに無関心ではいられません。特に「ポスト小泉」では靖国参拝問題がその争点に据えられようとしています。
一体、誰が次期総理として相応しいのか。その理由を挙げるとすれば、それは何か?様々な角度から皆様の意見をお待ちしております。本日の投稿を見ながら明日は我々の考えをアップさせて頂きます。
※最後になりますが、日本社会と「在日」問題について、資料を提起して徹底討議を行いたいと思いますが、書き込んでくださる方は、これまでのこのブログの中で我々が主張してきたものを、全てとは言いませんが、ある程度は見てから参加して下さい。
外国人参政権に賛成ですか?反対ですか?と聞かれると、小馬鹿にされているのかと感じてしまいます。何故ならば外国人参政権問題では、その反対の理論的根拠をシリーズで既に投稿しており、先ずはそちらをお読みになってから書き込んで頂きたいと思います。
外国人参政権に絶対反対
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50813264.html
外国人参政権反対理論武装� 銑�
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50815049.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50818533.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50820519.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50825314.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50830942.html
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50848109.html
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2006年06月12日
一周年・決意も新たに
一周年の決意!
欧州極右に学び躍進を誓う!
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いつまでも過去に縛られる必要はどこにもない
中国共産党に扇動された大衆は「日本人は謝罪が足りない」とか「日本人はすぐ過去を忘れる」と批判する。では、我々日本人はいつまで謝り続けなければならないのだ。現代に生きる我々はいい加減に過去から解放されなければならない。過去を永遠に背負って生きる必要など微塵もない。
そんなことを言うと、すぐに中国共産党は日本に極右勢力が台頭しており、それはやがて軍国主義へ通ずる危険な道である。それは日本人がかっての侵略の歴史を忘れて「歴史健忘症」にかかっているためだと、まるで日本人を病人扱いだ。
今日本に「反中国」の気運は芽生えてきた、しかし、彼らが言うところの極右勢力が台頭している訳ではない。
彼ら中国共産党が真に恐れる政治勢力の結集をこのネット上で呼びかける。
極右評論家 瀬戸弘幸 2005年06月12日
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これが一年前のこのブログを始めるに当たって、私が書いた一番最初の文章だった。日本に真に中国共産党が恐れる極右勢力を台頭させるためには、一体何が必要なのか?それを西欧極右の現況もお伝えしながら考えて見ることにしましょう。
フランスの極右政党『国民戦線』党首であるルペン氏は集会で常に「集え!万国のナショナリスト」というスローガンを口にする。左翼共産主義者が「万国の労働者よ!赤旗の下に集え!」と似てなくもないが、労働者階級による世界革命とか国家を敵視して労働者階級の独裁を掲げるインターナショナリズムの「共産党宣言」とは根本的に違う。
本来ナショナリズムとは国家や民族によって、激しく利害が対立するもので、そのナショナリズムの連帯を叫ぶところに西欧極右の大きな特徴がある。古典的な右翼や伝統的な国粋主義者の多くは「国家」を崇拝してきた。
勿論、西欧極右勢力が「国家」を蔑ろにすることは有り得ないが、西欧社会という大きな枠組みで、そこに根付く「反イスラム移民」という感情に火をつけた。「国家」の威信も大切だが、それよりも西欧社会における共通の文明を防衛・擁護する立場を明確としたのである。
よって西欧極右の成功はフランスだけでなく、西欧諸国全体へと広がりを見せた。80年代の社会民主主義は移民の受け入れを、労働力の確保と人権という両面から是としたが、90年代に入るや徐々にそのことに対する異議の申立てが行なわれるようになった。
そして、誰の目にも明らかなように21世紀に入るや、欧州極右はもはや無視できない存在にまで台頭した。80年代や90年代の中頃に、一体誰がこのような西欧諸国の状況を想像し得たでしょうか?まさにそれは驚くべき結果なのです。
さて、では日本において極右勢力の誕生はあるのでしょうか?残念ながらそれは現在までのところ全く期待できない状況にあります。日本は文明的には孤高の文明であり、国家を超えての文明の防衛や擁護に共感する存在は日本にしか存在しない。
つまり開かれたナショナリズムが育ち難い環境にあります。反共産主義やグローバリゼーションに対する抵抗としての西欧極右との連帯はあっても、それは守るべき価値観が違い過ぎて、日本はその運動の中で活路を見い出すことは出来ないでしょう。
と言って今更、大東亜戦争の大義であった反米・アジア主義を持ち出すことも出来ません。米国抜きのアジア戦略は共産中国の思うつぼであり、日本は彼らの下に屈服する自滅への道を辿らざるを得ません。
では、日本独自の極右の道とは一体何であるのか?そのことを考えなければなりませんが、それにはやはり西欧極右の産みの親であるフランスに学ぶ点は多いと思われます。それは思想ではなく、運動論として学ぶべき価値があります。
世界的にベストセラーとなったド・ゴール大統領暗殺を企てる極右テロ組織を描いた『ジャッカルの日』でお馴染みのように、フランスの極右は暴力で物事を解決することを否定せずに、暗殺という手段をも肯定していました。
ルペン党首の国民戦線は先ずこの右翼=暴力という連鎖を断ち切り、選挙による非暴力の手段による政権獲得を目指しました。西欧極右は左翼やイスラム移民が暴力に訴えても、それに暴力で対抗することをしなかった。これが今日の躍進の基礎を築いた。
今日の極右というものは、かつての1930年代当時のナチスやファシズムを想像させる攻撃的な民族主義ではない。確かに移民排斥などの排除の思想ではあるが、それは自分達を守るための防御的なものである。
我々日本の極右はまだ誕生の産声さえ発せられない状況下に置かれている。しかし、ネット上において我々はこの一年間、自分たちの主張を述べて来ました。このブログを読んでくれている皆さま方は、我々が一方的な排他主義者ではないと認めてくれるのではないか―。
敵が我々に民主的な仮面を被ったリベラル・ウルトラ・ナショナリストと呼んでくれた時に、初めて我々《極右》は市民権を得た事になる。我々は仮面を被っているのではなく、民主的存在そのものなのである。我々が伝統的な国粋主義者よりも穏健で平和を願う勢力であることを一日も早く国民に知って欲しいものだ。
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韓国旅行で見聞きしたこと。
韓国社会の苦悩と不安
皆様には極めて評判が悪い「韓国」ですが、この週末を利用して2泊3日の短い時間ながら、韓国に行ってきました。3年ぶりの旅行です。前回はビジネスでしたが、今回は全くプライベートですので、それだけ直接韓国社会のナマの姿に触れることができました。
韓国社会が最近、日本に対する批判・反発を強めているというのは、韓国政治やマスコミ・ネットなどではそうかも知れません。しかし、一般の庶民レベルで言うならば、それほど露骨な「反日気運」というものは今回も感じなかった。
丁度私が韓国にいる時に、自民党の逢沢一郎拉致問題対策本部長が予定していた李韓国統一省との会談を取り止めるとのニュースが流れました。逢沢氏が「一方的に会談での拉致問題での協議を発表した」ことがその理由とされていた。
しかし、これは韓国側の方便に過ぎず、北朝鮮が拉致した横田めぐみさんの夫とされる人物の面会を承諾しているので、それに配慮してのノ・ムヒョン政権の対応であることは明らかだった。
この問題に対する韓国社会の世論の盛り上がりは感じられない。確かに16歳という年齢で拉致されたという事実は、人間の良心には少なからぬ衝撃と怒りを与えるものだ。
だが、韓国社会においてこの問題は50年前の朝鮮戦争の離散家族と一緒になっており、この問題だけを切り離して見る背景がないのも事実だ。朝鮮戦争によって多くの離散家族問題を抱える韓国社会にとっては、それも一つの問題に過ぎないというわけだ。
しかし、これはノムヒョン政権の責任でもある。彼がこの日本人拉致問題に協力する気が少しでもあれば、また違った方向へと動いたはずである。しかし、後でも述べるが日本を批判するという偏狭なナショナリズムに国家の活路を見い出そうとする現在の左派政権にそれを期待する事はできない。
韓国の左派政権下によって韓国経済はガタガタの状態である。この最大の原因はかつての日本も経験したような急激な自国通貨の上昇である。かつて日本も「円高ドル安」で輸出産業が手痛い目にあったが、それを乗り越えて今日がある。
韓国の過去5年間の対米(ドル)に対する自国通貨(ウォン)の上昇率は世界最高水準である。よってアジア諸国の中で韓国は輸出率は11%(日本を除く)で最下位にまで落ち込んでしまった。
競争国の輸出増加率はシンガポール35%、中国25.6%、台湾17.6%、タイ15.6%、インドネシア13.2%、香港12%であり、日本は韓国より低い4.2%だった。半面、輸入増加率は韓国が17.5%でシンガポール25.4%、中国22.2%に続き3番目に高かった。
この輸入率の低下はせっかくのウォン高が庶民の暮らしにプラス効果を生んでいないことを意味している。自国通貨が強くなれば、それだけ安い外国の商品が出回って消費者は利益を得るのに輸入が増えていない。
今、韓国の首都・ソウルでは商品の価格高騰で庶民の暮らしが苦しくなる一方である。例えば今や庶民の必需品である携帯電話の値段は80万ウォンから100万ウォンというから日本円で10万円前後となる。日本では2〜3万円で良い品物が買えるのではないか。
ガソリンの値段も200円近くにまで上がっており、これはボディーブローのようにじわじわ経済を追い詰めているようだ。日本が円高に苦しんでいた頃は原油の値段は安定していた。
現在、韓国経済を苦しめているのは「ウォン高・原油高」の二重苦である。この危機を乗り越えるだけの余力が現在の韓国経済に残されているのだろうか?大幅な貿易黒字の急激な減少は韓国経済に大きな不安定要因となって襲ってきているのだ。
現在、日本でも格差社会などと言われ始めたが、韓国の格差社会は日本などと比較できないほどに大きい。首都の不動産バブルによって、不動産を持つ少数の富裕層と一般庶民との所得の格差は広がるばかりである。
このような現状を生み出したのが左派のノ・ムヒョン政権だから皮肉である。しかし、うがった見解を述べれば、左派政権は革命の状況作りに成功したという解説も成り立つ。
しかしながら、韓国において革命とは韓国社会における政権転覆(支配層の逆転)にとどまらず、それは北朝鮮への介入を呼び込むことに繋がる。左派政権の誕生で、北への警戒心に変化は見られたのだろうか?
実は私が一番関心を持つのはその点だった。左派政権が続く中で親北朝鮮政策は韓国社会において、どのように捉えられているのか。そして民団と総連の和解などについて韓国社会ではどのように伝えられたのか?
そのことを自分の目と耳で確かめることが、今回の韓国行きの最大の目的と言えた。まず民団と総連の和解について、このニュースを韓国社会であまり重要視している人は少なかった。
これはこれまでと全く同じである。韓国では韓国に戻らない「在日の韓国人」を評価していない。というか4世、3世の時代になれば日本に帰化して韓国へのアイデンティティーを持つ人はいなくなるだろうと考えている人が多い。
また、民団と総連の和解が出来ても、北朝鮮籍の人間が韓国に入ることを拒絶する考えはこれまでと同じであった。これまで韓国は在日の朝鮮人(北出身者)の韓国訪問を頑なに拒否してきた。
その方針にも変化はなさそうである。北朝鮮が三代続けて世襲になると予想する韓国人は極めて少数である。独裁体制が続くと見ているが金王朝は崩壊するのではと見ている。
若者の中には北を毛嫌いする人とノ・ムヒョン政権を支持する左派系の若者のように北朝鮮に憧れを持つ人もいる。この場合の憧れとは左翼=共産主義というイデオロギーからのものではない。
彼ら左派を支持する若者は、現在の韓国社会や韓国文化を「日帝や米帝によって強制されたエセ文化」社会と敵視して、北朝鮮こそは朝鮮民族本来の「純文化」が守られ、息づいている社会であると考えているようだ。
言ってみれば左派系のノ・ムヒョン政権の若い支持層というのは、偏狭なナショナリストでもある。イデオロギーはもはや古臭いもので、「純文化」の防衛こそ使命だと考える人達でもあるようだ。
現在の韓国社会を覆っているものは「不安」である。若者の失業の増大、格差社会の広がり、経済の停滞、それに韓国社会特有の地域格差、これらが複雑に絡みながら、北朝鮮の瓦解が現実となっていることから逃れることは出来ない。
日本に対する民族的な反感もさることながら、半島の背後に存在する大国ロシアと共産中国への潜在的な恐怖も感じているのだろう。あまり北朝鮮寄りの政策を続ければ米国の反発を招き、米国が本気で撤退を考え始めるかも知れない。
その時、国論の分裂は避けられないだろう。現在、若者の一部は韓国社会に見切りをつけ、在韓米軍に志願するという。これは今回の韓国行きで初めて聞いた衝撃の事実だった。米国の軍隊に入る事で米国への永住権を得て、祖国を捨て米国に渡る韓国の若者が増えているというのだ。
そういえば、ホテルのモーニングで米国の兵隊と子供連れで一緒に食事する韓国女性の姿をたくさん見た。反米的な気運が高まるその裏には、米国に対する憧れを持つ韓国の若者も増加している事実もあるわけだ。
そういえば日本語ではアメリカは漢字で米国と書くが、韓国や中国では美国と書くのではなかったか?(記憶違いでしたら申し訳ないが)韓国の人達は必ずしも日本のように、祖国に骨を埋める人ばかりではないということも、また事実なのである。
25年以上も前に韓国の農村近代化運動(セマウル)に参加した、その思い出の農村地帯を訪ねてみた。勿論、知っている人など誰もいない。当時は恐ろしいほど貧しかったが、その貧しい農村の姿はなかった。区画整理され稲が青々と育っていた。
小さな食堂で今採れたばかりだという鰻(うなぎ)を食べた。都市では食べられない天然鰻を韓国風の辛味で味付けしたもので、とても美味しかった。今回、韓国では素朴なまでの農村風景を堪能させてもらった。
そして、それとは対照的に都会の混雑さであった。日本も同じであると思う。都会の喧騒さを忘れ、田舎を旅することによって、自らの文化の良さを味わう事こそ、必要ではないのだろうか。その自らの文化に触れ自信を持つことが、都会の雑多に漂う異文化を排斥しない、その心の余裕に繋がるのではないのか。
統一展望台の最上階の4階は、今も外国人専用であった。韓国社会は外貨獲得のために、カジノも外国人専用、競馬場の外国人席と何でも外国人優遇策を講じてきた。祖国の統一という崇高な理念を語る統一展望台からは、もう外国人専用ホールを撤去すべきだろう。
外国人専用の最上階の4階ホールに日本人の姿は私一人であった。私一人のためにテレビは解説を流していたが、その下の韓国人の3階は子供連れなどで満席だった。
このような小さなことでも、外国人(殆どが日本人)優先を取り除けば、それだけでも日韓の距離が近付くのではないかと感じました。また、このようなことを書けば批判があるのは承知でしたが、ご報告させて頂きます。
なお、本日はこのブログ解説1周年目を迎えました。皆様のご支援に感謝申し上げます。
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